山本尚史

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山本 尚史
Yoshitatsu 2016.jpg
2016年
プロフィール
リングネーム ヨシタツ
ヨシ・タツ
ミスター・ヤマモト
ヤマモト
山本 尚史
本名 山本 尚史
ニックネーム ワールド・フェイマス
BULLET CLUB HUNTER
カーディアック・キッド
ガッツの塊
ECWのシンデレラ・ボーイ
身長 187cm
体重 108kg
誕生日 (1977-08-01) 1977年8月1日(41歳)
出身地 岐阜県岐阜市
所属 フリー
スポーツ歴 レスリング
ボクシング
柔術
トレーナー 山本小鉄
木戸修
後藤達俊
永田裕志
スティーブ・カーン
リッキー・スティムボート
トム・プリチャード
アーン・アンダーソン
ノーマン・スマイリー
ビリー・キッドマン
ジェイミー・ノーブル
デビュー 2002年10月12日
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山本 尚史(やまもと なおふみ、1977年8月1日 - )は、日本男性プロレスラー岐阜県岐阜市出身。現在はヨシタツリングネームで活動している。WWE所属時代はギミック上、東京都出身という設定になっていた。

来歴[編集]

新日本プロレス[編集]

4人兄弟の1人として寺院の住職の父の元に生まれた。そのため、山本は読経ができる。兄弟の他の3人は少年期に得度を完了しているが父に反抗的であった山本は得度を拒んでいた[1]

プロレスファンとしては長州力グレート・ムタが好きであった[1]国士舘大学時代、レスリング部に1年間所属し、ボクシングフリースタイル柔術など経験。2002年3月に新日本プロレスへ入門。同期に中邑真輔田口隆祐長尾浩志後藤洋央紀がいる。

アメリカに渡り、新日本プロレス・ロサンゼルス道場で修行後、同年10月12日に後楽園ホール井上亘戦でデビュー。2004年2005年には第9回、第10回ヤングライオン杯に連続参加。優勝は逃すが、積極的な試合内容で注目される。当時の必殺技は後藤達俊直伝のバックドロップ。2005年にはボクシングプロテストを受けることが発表されたが、結果の発表はされなかった。

2005年頃、山本は来る日も来る日も長州の入場極として有名な『パワーホール』で入場し、藤波辰爾とのシングルマッチも経験した。同年、久喜大会では中西学とのタッグで長州&飯塚高史組と対戦し、長州からピンフォールを奪っている。草間政一が社長に就任した際に広報として採用された女性と恋に落ちたのも同年のことである[1]

2006年、所属レスラーの大量離脱に伴い、師匠となった永田裕志とタッグを組んでIWGPタッグ王座への挑戦。ZERO1-MAXに所属する崔リョウジとの抗争など第一線の試合での起用が増えるようになる。同年8月にG1 CLIMAXに初出場を果たすも、リーグ戦全敗を喫した。

2007年の埼玉・本川越ペペホールアトラス大会ではプランチャを失敗して頭から転落し、右腕を骨折した。頸椎も負傷し、麻痺によりその際は両腕が上がらなくなり、4ヶ月の欠場を余儀なくされた。復帰試合の真壁刀義との試合は「引退勧告試合」と銘打たれており、自分は新日を辞めさせられるのではないかと山本は心配になってしまった。試合で血まみれになって真壁に負けたので本当に引退となるかと確信めいた気持ちになったが、実際に引退することはなかった[1]

前述の意中の女性とは2007年頃に交際を開始。社内恋愛なので誰かには伝えようと交際開始当時の社長であった菅林直樹に相談[1]2007年11月、無期限の海外遠征に出発。交際開始の時期と遠征出発の時期が重なっていたため、菅林からも「遠征に帰ってからにしておこう」とその時点での交際の事実の公表は控えるように助言された[1]WWEの傘下団体であるFCWに入団し、ミスター・ヤマモトMr. Yamamoto)のリングネームで活動を開始。本来山本に入団の見込みはなかったがFCWのオーナーのスティーブ・カーンタイガー服部が旧知の中であったことからFCWとの縁があり、さらに当時のWWE副社長ジョニー・エースがデビュー前にトレーニングのコーチをしていたのがそのスティーブ・カーンであったことから自分の師に頼まれたジョニー・エースは特例で山本のFCW入団を認めた[1]

訪米初日、タイガー服部はスティーブ・マディソンというレスラーに山本が寝泊まりする場所を手配して道場への通い方について教えるように指示したが、このマディソンは悪い男であり、初日早々「ガールフレンドと一緒に住んでいるからお前は泊められない。自分で住むところを探しな」とタイガー服部からの依頼を放棄した。現地で使える携帯電話すら持っておらず途方に暮れていた中、高級車に乗っていたテッド・デビアス・ジュニアが通りかかって助けてくれた。マディソンはノア参戦時に日本の現地の人に世話になったため、今度は自分が日本人のレスラーの世話をする番だと思って助けてくれたのである。デビアス・ジュニアの家にはもう1人ルームメイトがいたが、そのルームメイトは「英語も話せないジャップ」と山本を差別的に見て毛嫌いしていた。翌日、デビアス・ジュニアは道場で事の顛末をカーンに報告したが、問題のマディソンとは連絡がつかず、マディソンはそのまま道場に来なくなった[1]

2月4日のFCWデビュー戦では謎の日本人マスクマンであるイチバンに連れられて登場し、デリック・リンカーンと2対1でのハンディキャップマッチを行い勝利した。2008年1月から2月にはFCW南部ヘビー級王座挑戦権争奪バトルロイヤルやロイヤルランブルマッチに出場する待遇を得るも挑戦権を得る事ができなかった。

WWE[編集]

2008年[編集]

2008年2月、新日本プロレスとの契約を更新せず退団。フリーとなり、4月にWWEトライアウトに挑んで合格し、9月にはビザを取得した事を機にディベロップメント契約を交わして入団したことを発表した。引き続き傘下団体であるFCWにてトレーニングに励み、タイトルマッチには無縁ではあったもののレギュラーとして出場機会が多く、11月にはリングネームをヤマモトYamamoto)へとマイナーチェンジ。

2009年[編集]

2009年1月、リングネームを父親の名前である芳龍(よしたつ)から肖ってヨシタツYoshitatsu)へと変更。6月30日、WWEに昇格してリングネームをヨシ・タツYoshi Tatsu)へとマイナーチェンジし、ECWにてデビューを果たす。ヨシ・タツを相手にせず挑発ばかりしていたシェルトン・ベンジャミンに対してハイキックを一撃で決めて勝利を収めた。7月9日のECWではベンジャミンと再戦するもリベンジされてしまった。以降、FCWとECWを行き来しながらもポール・バーチルウィリアム・リーガルなどを相手に勝利を収めている。

9月15日、ECWにて6月13日に逝去した三沢光晴への敬意を表してエメラルドグリーンのタイツを着用。対戦相手のザック・ライダーに三沢の得意技であったローリング・エルボーを見舞い、実況であるマット・ストライカーは名前は出さなかったもののヨシ・タツが憧れたヒーローのオマージュを披露したと解説した。

ECW内でのスキットではタッグを組む事が多かったゴールダストから英語や西洋文化を学んだり、逆にゴールダストに日本語などを教え合った。実況からはECW版おかしな二人などと呼ばれた。

10月20日、ECWにてクリスチャンが保持するECW王座への挑戦権を懸けてザック・ライダーと対戦して勝利し、正式にECW王座挑戦権を獲得した。10月27日、ECW王者のクリスチャンに初挑戦するも王座を奪取するに至らなかった。この試合はWWEが実施したWWEユニバースが選ぶ2009年度のベストマッチ25にて22位にランクイン。ECWでは第2位であった。

12月14日、RAWにてデビューする。ジョン・モリソン & マーク・ヘンリーと組み、ザ・ミズ & ドリュー・マッキンタイア & ザック・ライダーと6人制タッグマッチで対戦。ザック・ライダーから右ハイキックでピンフォールを奪い、RAWデビュー戦を自らの勝利で飾った。

2010年[編集]

2010年1月12日、ECWにてECW王座挑戦権を賭けたECWホームカミング・フィナーレ・バトルロイヤルに出場するも勝利を逃した。

1月19日、ECW放送終了後に公式サイトにおいて、1月31日のPPVであるRoyal Rumble 2010への出場が正式に発表され、デビュー後初のPPV出場が決定した。ロイヤルランブルマッチへの日本人レスラーの出場は史上7人目であり、21番目に登場するが30秒足らずでジョン・シナに脱落させられた。

2月16日、ECWの番組最終回において、ザ・ミズ & ビッグ・ショーが保持する統一タッグチーム王座に挑戦するも、王座を奪取するに至らなかった。ECWの番組終了に伴い、2月22日よりRAWに移籍した。

3月28日、年間最大のPPVであるWrestleMania 26にて、放送中継の間に行われたダーク・マッチによる26人バトルロイヤルに出場して優勝を果たした。WWEのバトルロイヤルで日本人が優勝したのは、1984年7月にマディソン・スクエア・ガーデン大会において行われた試合に出場したアントニオ猪木以来、約25年9か月ぶりの快挙であった。また、日本人レスラーのWrestleManiaでの勝利は以来5年ぶり史上6人目であった。

8月20日、21日に両国国技館で行われたRAW Summer Slamツアー日本公演に出場するため凱旋帰国を果たした。20日にクリス・ジェリコとのシングルマッチを行い敗戦するが、21日にはジョン・シナと組んでのクリス・ジェリコ & シェイマスとのタッグマッチでパートナーであるジョン・シナをアシストして勝利し、ジェリコから雪辱を果たした。

2011年[編集]

2011年、追加ドラフトによりSmackDown!に移籍。また、新人発掘番組であるNXTシーズン5にてルーキーであるバイロン・サクストンを担当するプロとして登場した。NXTではマリースを巡ってルーキーのラッキー・キャノンと抗争。その際にバイロン・サクストンを相手にしなかった事が原因となって怒ったサクストンとも抗争する羽目になってしまい、師弟関係は崩壊。サクストンも早々と脱落してしまった。

サクストン脱落後、ラッキー・キャノンを担当するプロであるタイソン・キッドにバックステージのロッカーにて勝利を祈る自身のフィギュア、ミニ・ヨシを破壊された挙句、パーツを盗まれる挑発を受けたことから抗争を開始。抗争中、ミニ・ヨシの脚部パーツをかけてNXTでは初となるポールマッチで対戦して勝利したものの、試合終了後にキッドから襲撃を受けて足を負傷したというアングルが組まれ欠場。

以降、タイソン・キッドが試合に出場している最中、もしくは試合終了後に「誇り」という文字がタイタントロンに唐突に映し出されるようになる。そして9月6日に「日本に生まれたことを誇りたい」と書かれた黒のロングタイツなど忍者風の黒を基調とした衣装を着用し、顔の左半分に歌舞伎の隈取風の白塗りのうえ、頬に『誇』という一文字を入れた独特のフェイスペイントを施して復帰を果たし、タイソン・キッドと対戦して勝利した。

タイソン・キッドとの抗争後、トレント・バレッタとタッグを組んでタイラー・レックス & カート・ホーキンスとNXTで抗争。前座番組であるSuperstarsではジンダー・マハルと短期抗争を展開。

2012年 - 2014年[編集]

2012年、SmackDown!に出場する機会があったもののジョバーという形が多かった。8月9日、10日の両日には両国国技館にて行われたSmackDown!ハウスショーに出場するため凱旋帰国を果たし、9日はレイ・ミステリオ & ザック・ライダーと組んでプリモ & エピコ & ジャック・スワガーと対戦して勝利。10日にはレイ・ミステリオ & ランディ・オートンと組んでプリモ & エピコ & ジョン・ロウリネイティスと対戦して勝利した。アメリカに戻ってから依然としてジョバーとしての立ち位置に甘んじた。

2013年1月23日、初代NXTタッグ王者決定トーナメントにパーシー・ワトソンとのタッグでエントリーするが、1回戦でワイアット・ファミリールーク・ハーパー & エリック・ローワン)と対戦するが敗戦した。4月4日、WrestleMania Axxessにてエゼキエル・ジャクソンとタッグを組み、フニコ & カマーチョを相手に勝利した。

7月4日、5日に両国国技館で行われたWWE Liveにて凱旋帰国し、4日にグレート・カリと組んでプリモ & エピコと対戦して勝利し、5日にはウェイド・バレットと対戦して勝利した。

2014年NXTでの出場が中心となるも若手レスラー達の踏み台として敗戦が続いた。4月6日、WrestleMania 30にてアンドレ・ザ・ジャイアント・メモリアルトロフィー・バトルロイヤルに出場するが一番目に脱落。

5月8日、NXTにてNXT王座挑戦権争奪バトルロイヤルに出場。「ヨシ・タツ!」チャントが鳴り響き、終盤近くまで残ったがボー・ダラスにより敗退させられた[2]

6月12日、WWEから解雇となった[3]

インディー団体[編集]

WWE解雇後、2014年7月よりフロリダを拠点とするインディー団体、アイ・ビリーブ・イン・レスリング(I Believe in Wrestling)の主宰者であるラリー・ズビスコスコット・ホールが共同運営しているチーム・ビジョン・ドージョーにてトレーニングを開始[4]。同月29日、アイ・ビリーブ・イン・レスリングのイベントであるBELIEVE 77にて、FCW時代に使用していたリングネームであるヤマモトYamamoto)名義でチェイスン・ランス、女子レスラーのブリタニーと組んでジャスティン・マイケルズ & レオ・ブライエン & マイク・パトリックと6人制タッグマッチを行い勝利した。

8月3日、BELIEVE 78ではジョシュ・ヘスとシングルマッチを行い勝利している。8月16日、BELIEVE 79にてSCWフロリダヘビー級王座を保持するアーロン・エピックに挑戦して勝利し、ベルトを奪取。プロレスラーとなってからキャリア初のタイトルを戴冠した。翌17日のBELIEVE 80ではチコ・アダムスと防衛戦を行い勝利した。同月29日、SCW南部ヘビー級王座を獲得。翌30日、BELIEVE 82にてTNAFIPEVOLVEに参戦した経験のあるリンス・ドラドを相手にSCWフロリダヘビー級王座防衛戦を行い勝利している。

9月9日、ペンシルベニア州フィラデルフィアを拠点とする団体であるCHIKARAに参戦する事が発表された。9月20日、King of Trios 2014にてアシュリー・レミントンと対戦するが、試合開始から苦言を呈するゲスト解説のフアン・フランシスコ・デ・コロナドが我慢できずに試合途中に乱入して強襲。この介入に憤怒してコロナドにハイキックを見舞いリングから追い出した。そしてレミントンからお礼にとフルーツの盛り合わせを渡され両者手を取り合いノーサイドで終了となった[5]。同月26日、フロリダを拠点とするPWR(Pro Wrestling RIOT)に参戦。PWR王座を保持するリット・ギディンスに挑戦して勝利し、王座を奪取した。

10月4日、BELIEVE 86にてチェイスン・ランスと自身が保持するSCWフロリダヘビー級王座とランスが保持するFIPフロリダヘリテイジ王座を賭けたダブルタイトルマッチに挑んで勝利し、FIPフロリダヘリテイジ王座を奪取したとされる。[6]

新日本プロレス復帰[編集]

2014年10月13日、新日本プロレスのPPV、KING OF PRO-WRESTLINGにて7年ぶりに凱旋を果たす。この日のメインイベントとして行われていたAJスタイルズ vs 棚橋弘至によるIWGPヘビー級王座戦にて試合途中に窮地に追い込まれた棚橋を救出せんと介入したジェフ・ジャレットに対してリング内へと乱入し撃退。棚橋のベルト奪取となるサポートをした。今後についてリングネームをFCW時代に使用したヨシタツを使う意向を示した[7]。TwitterにてBHと記してあるパーカーを身にまとった姿を公開し、「自分自身でバレットクラブを壊滅させる」と公言した。

11月8日、PPVであるPOWER STRUGGLEにてAJスタイルズと対戦し、コーナーからのニールキックなどで見せ場を作るがジェフ・ジャレットの介入により邪魔された隙を突かれてスタイルズクラッシュを喰らい敗戦。新日本プロレス復帰第一戦目を勝利で飾る事ができなかったその際に首を負傷する[8]。11月22日、WORLD TAG LEAGUEにて棚橋弘至と組んで出場。開幕戦にてオカダ・カズチカ & YOSHI-HASHIと対戦するもオカダからレッドインクを決められ敗戦[9]。試合後のインタビューでは「AJスタイルズとの試合で首の負傷をしていただけに今日のオカダのレッドインクはスペシャル。でも自身が万全の状態なら、あれはノットスペシャル。」[10]と強気のコメントをしながらも首の負傷が原因となり、全戦欠場することが決定した[11]。25日、精密検査を受けたところ、首の二箇所を骨折していたことが判明した。

2015年[編集]

2015年6月15日、チーム・ビジョン・ドージョーで行われたトレーニングセッションで、故障から約半年ぶりに復帰。チェイスン・ランスと基礎練習を行った。

2016年[編集]

2016年1月4日、WRESTLE KINGDOM 10にて英語実況の解説として登場[12]。翌5日のNEW YEAR DASH !!でも解説を担当した[13]。3月22日、4月10日のINVASION ATTACK 2016にて行われるNEVER無差別級6人タッグ王座戦で復帰することが決定[14]。4月10日、INVASION ATTACK 2016にて棚橋 & マイケル・エルガンと組んでNEVER無差別級6人タッグ王座を保持するThe Elite(ケニー・オメガ & マット・ジャクソン & ニック・ジャクソン)に挑戦。試合前よりオメガから首を攻めると宣言された通り序盤から執拗なまでに首攻めを受けるがニールキックやミドルキックなどの蹴り技で抵抗し、最後にエルガンがニックを捕えてセカンドロープに登ると棚橋とアシストとして雪崩式エルガンボムを決めて勝利。復帰戦ながらベルトを奪取した[15]

2016年4月10日のINVASION ATTACK 2016NEVER無差別級6人タッグ王座獲得後のインタビューで、BULLET CLUBハンターとして活動する事を宣言してユニット「HUNTER CLUB」を結成。キャプテン・ニュージャパンもHUNTER CLUBとして協力しているが、毎回、成果を出せていないキャプテンをヨシタツ本人は協力者として認めていなかった。その後ヨシタツは、キャプテンのHUNTER CLUB入りの可否をTwitterでの投票で決めるとしていたが、その結果9月25日のDESTRUCTION in KOBEでHUNTER CLUBに加入させないと宣言した。直後、BULLET CLUBと結託したキャプテンに襲撃された[16]

2017年[編集]

2017年1月4日、WRESTLE KINGDOM 11第0試合に出場。

4月14日、スタッフとしてタグチジャパンに加入することが田口監督ツイッターで発表された。5月4日、田口監督からツイッターにて戦力外を通告される。

全日本プロレス[編集]

2017年7月、新日本プロレススマホサイトで連載中の日記にて新日本との契約を終了し離脱したことを表明。全日本プロレス王道トーナメントへの参戦が発表された。また、全日本プロレス11月9日、後楽園大会でジョー・ドーリングの保持する三冠ヘビー級選手権に挑戦し敗退[17]

2018年6月18日には、かつての抗争相手である崔領二の持つアジアヘビー級王座に挑戦するにあたり、抗争当時のリングネームである「山本尚史」で臨んだが敗れた。

2月19日、棚橋弘至と組み「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」メインイベントに出場[18]

得意技[編集]

ヨシタツ幻想(ファンタジー)
足掛け式肩固め。相手を肩固めの要領で組み付き、自身の両手と片足を複合させて相手の首を締める変型の肩固め。旧名はヨシタツロックⅠ。
コードブレイカー・フロム・ジェリコ
相手の顔面に両ヒザを押しつけて落下する飛びつき式変型フェイスバスター。
ペディグリー
長期欠場からの復帰後から使用しているフィニッシュ・ホールドで、ダブルアーム・スープレックスの状態からやや後方に小さくジャンプして膝で着地し、自分の股に挟んで固定している相手の顔及び体の全面をマットに叩きつけるダブルアーム式のフェイスバスター。
フライング・ニールキック
フィニッシャーのひとつ。スプリングボード式スワンダイブ式で決めることもある。自身のブログで新名称を公募中であったものの、結局オフィスから使用の許可を得られなかった[19][20]。2012年8月でのSuperstarsではリバース・キックと呼ばれた。
ハイキック
WWEでのフィニッシャー。相手の不意をついて使ったりカウンターで使うなど、さまざまな形で使用する。フライング・ニールキックと同様に自身のブログで新名称を公募中であったものの、結局オフィスから使用の許可を得られなかった[19][20]
ランド・オブ・ライジングニー
ロープに振った相手をアームホイップで持ち上げた所に突き上げた膝を顔面に叩き込む。
パラレル・スナップメア
自らも相手と並行して前方回転しながら投げるフライング・メイヤー。回転した勢いで素早く立ち上がり、胸板へキックをする。
ジャンピング・ダブルニーアタック
コーナーにいる相手に走り込んで、両膝を当てていく。直後に上記のパラレル・スナップメアに繋げていく。
各種キック
大学時代に正道会館で修行していた経験を持ち、ロー、ミドル、ハイ、ソバットを使い分ける。
ローリング・エルボー
2009年9月15日、ECWにてザック・ライダーとの対戦で使用し、レパートリーのひとつになる。
ドラゴン・スクリュー
スナップ・メアからキックに繋ぐ技としてよく使用する。
逆水平チョップ
介錯
FCWでフィニッシュ・ホールドとしていた飛びつき卍固め吉野正人のフロムジャングルと同型、K-ness.の同名技とは無関係。
ECWでは使用しなかったが2010年4月5日、Superstarsにて、エヴァン・ボーンと組み、チャボ・ゲレロ & ザック・ライダーとタッグマッチで対戦した際、ザック・ライダーに使用した。
バックドロップ
後藤達俊直々に指導を受け習得した必殺技。劣勢の状態をこの技一発でひっくり返すことがあった。WWEに入団してからは、一度も使っていなかったが、2010年の日本公演でクリス・ジェリコに対して使用。
クロスフィックス
羽根折り式腕ひしぎ逆十字固め
脇固め
逆エビ固め
テキサスクローバーホールド
新日本プロレス時代、フィニッシュ・ホールドとして使用する時期があった。
ハンドスプリングエルボー
ロープを逆立ちするようにバウンドし、その反動を利用して相手にバックエルボーを叩き込む。
フラッシングエルボー
トラースキック

合体技[編集]

宮原健斗
ヨシケンサンバ
CBJを受けた相手に宮原がジャーマンスープレックスをかける。2018年最強タッグの前哨戦にて初公開し、技の名前をTwitterにて公募した。

獲得タイトル[編集]

新日本プロレス
全日本プロレス
SCW(Southern Championship Wrestling)
  • SCWフロリダヘビー級王座 : 1回
  • SCW南部ヘビー級王座 : 1回
FIP(Full Impact Pro Wrestling)
  • FIPフロリダヘリテイジ王座 : 1回[6]
PWR(Pro Wrestling RIOT)
  • PWR王座 : 1回

入場曲[編集]

新日本時代
  • パワーホール キャリア初期[1]
  • SANCTUARY
  • WORLD FAMOUS : 2014年、復帰後から使用
FCW
  • Tuff Stuff
WWE
  • Jpop Drop(Christopher Branch, Tom Haines)
近年新しく[21]レギュラー参戦する[22]スーパースターでは珍しく、ジム・ジョンストンCFO$などのWWE契約アーティストの作品ではない、プロダクションミュージックを使用していた。そのため、同一楽曲がテレビCMやゲームなど、プロレス以外のジャンルで使用されている。著名な例として、Ubiソフトから発売された『JUST DANCE 2018』(日本未発売)に『Funky Robot』というタイトルでリミックス曲が使用されているものがある。

人物・エピソード[編集]

  • 2019年のインタビューでは「死んで地獄に落ちてもそこで楽しみを見つけられる」と語る前向きな人物であることを語った[1]
  • 中日ファンで、棚橋弘至と一緒に、2004年中日優勝の瞬間に試合観戦をしていた。
  • FCW加入からしばらくの間、本人が新日本入門前にファンだったという平成維震軍のコスチュームを着用していた。着用に当たっては当時のメンバーだった先輩の小林邦昭後藤達俊らから許可をもらい、さらに実際の当時コスチュームをオーダーした業者を紹介してもらったという。
  • WWEでのリングネーム「YOSHI TATSU」を命名したのはFCWでエージェント兼実況コメンテーターを務めているダスティ・ローデスである。
  • これまでにも何人もの日本人選手が契約選手としてWWE(1軍)のリングに上がっているが、ディベロップメント(育成選手)契約からの昇格は初のケースとなった。
  • 本人いわく特異な出世をしており。WWEの選手の多くはWWEに来るまでにシングル王座を獲得しているか、OVWまたはDSWもしくはFCWで王座に絡んでいる(王座に就いている)がいずれも満たしていない。WWE加入後初めて王座に挑戦した王座がECW王座である。
  • 本人いわく現在WWEのトップに在籍しているレスラーの中で、ほぼ唯一コネクションを持っていない。にも関わらずトライアウトを受けて合格し、ディベロップメント契約にサインし、さらにRAWやSmackDownのTVテーピングやPPVでほとんど試合をしていないうえ、WWEでの扱いも低いにも関わらず、4年近くもトップに在籍し続けており、その点でも特異な存在である。
    • 2007年11月の海外遠征に関しては、海外遠征の話自体はあったがヤングライオンの海外修行の先がWWEというのは前代未聞で、菅林に山本がその希望を明かしたら周囲は仰天し、最初は「あそこは修行の場ではない」と諭すしかなかった[1]
  • 在籍当時、WWEにおいて唯一の逆水平チョップの使い手であったが、WWEではチョップは禁じ手であるためレスラーやファンから疑問を呈される事が時々ある。リック・フレアーリッキー・スティムボートショーン・マイケルズと言ったレスラーや関係者の多くからリスペクトされているレスラーの得意技なのが禁じ手の理由。
  • NXTシーズン5でのタイソン・キッドとのスキットは、実際にミニ・ヨシを壊された事件が下敷きになっている。この際ヨシ・タツがtwitterでこの事を書き立てたためにバックステージで問題となり、そのレスラーは解雇されてしまった。もっともそのレスラーの解雇はヨシ・タツ自身望んではいなかった事であり、本人もその事にはショックを受けていた。
  • 総合格闘家の所英男とは同郷ということもあり、学生時代からの友人。
  • ランシドラーズ・フレデリクセンとは、新日本プロレス時代からお互いのバックステージを訪問し観戦・観賞し合うなど交流がある(フレデリクセン自身、日本のプロレスを見るためだけに来日するほど大変なプロレスファンで、日米問わず関係者との交友関係は深い)。
  • WWE在籍時の晩年には出場機会が激減し、ジョバーとしての役割が多かったものの2014年にはフィギュアが発売され、ムック本であるWWE encycropediaに表紙入りしている。また、NXTにおいてヨシ・タツが出場しない試合に「ヨシ・タツ!」チャントが起こるなど、ファンからは待望された存在であった。
  • 海外遠征時代に自身と同じくデビアス・ジュニアの同居人であったプロレスラーの男からはレイシズムめいた嫌がらせを受けた。練習後30分以内にプロテインを飲まないと効率よく筋肉がつかないにもかかわらず、男は勝手にプロテインシェイカーを使用しては洗わずに放置することを繰り返し、練習後に早くプロテインを飲むことを妨害し続けた。山本が注意しても改善しないため、山本は堪忍袋の緒が切れて身長も体重も上回るその男をボコボコにしたという。男は山本だけでなく他の誰にでも同じようなことをしていたのでレスラー仲間からは嫌われており、山本が実力行使に出たことは勇気ある行動として男のレスラー仲間達から称えられた[1]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 pp.150-161
  2. ^ シングウヤスアキ (2014年6月2日). “<NXT #220>NXT王座挑戦者決定バトルロイヤルでまさかのヨシ・タツチャント爆発?!”. J SPORTS. 2014年6月14日閲覧。
  3. ^ WWEがヨシ・タツらの解雇発表”. 日刊スポーツ (2014年6月14日). 2014年6月14日閲覧。
  4. ^ 近況報告 Yoshi Tatsu公式ブログ〜Sanctuary〜、2014年7月27日閲覧。
  5. ^ RADICAN'S CHIKARA King of Trios 2014: Night 2 report 9/20 - Rey De Voladores mini-tournament begins, Spud, Sanda, Tatsu in action, Flood-Colony main event”. PWtorch.com. 2014年9月20日閲覧。
  6. ^ a b この試合に関して、山本は自身のブログでタイトル奪取を主張しているが、対戦相手のランスによればノンタイトル戦、またFIP公式サイトcagematch.netでもタイトルの移動はなかったとされている。一方で山本はブログ上で当時保持していた他のタイトルベルトとともに当該ベルトを並べた写真を掲示し、トレーディングカードゲーム『キングオブプロレスリング』で使用された写真でも四本のベルトを身につけていることから、王座移動に関して、試合後に何らかの問題が発生したといえる。
  7. ^ 新日本プロレス「KING OF PRO-WRESTLING」第10試合”. スポーツナビ (2014年10月13日). 2014年10月14日閲覧。
  8. ^ 新日本プロレス「POWER STRUGGLE」 スポーツナビ、2014年11月8日閲覧。
  9. ^ 新日本プロレス「WORLD TAG LEAGUE 2014」開幕戦 スポーツナビ、2014年11月23日閲覧。
  10. ^ WORLD TAG LEAGUE 2014 新日本プロレス、2014年11月23日閲覧。
  11. ^ 【お詫びとお知らせ】ヨシタツ選手が首の怪我でシリーズ全戦欠場、リーグ戦は不戦敗に 新日本プロレス、2014年11月23日閲覧。
  12. ^ WRESTLE KINGDOM 10 in 東京ドーム”. 新日本プロレス. 2016年1月4日閲覧。
  13. ^ NEW YEAR DASH !!”. 新日本プロレス. 2016年1月5日閲覧。
  14. ^ 【IA16】4月10日(日)両国大会・全カード!柴田vs天山がNEVER王座戦で激突!“電撃復帰”ヨシタツが棚橋&エルガンと、ケニー&ヤングバックスの6人タッグ王座に挑戦!”. 新日本プロレス. 2016年3月22日閲覧。
  15. ^ INVASION ATTACK 2016”. 新日本プロレス. 2016年4月20日閲覧。
  16. ^ DESTRUCTION in KOBE”. 新日本プロレス (2016年9月25日). 2016年9月26日閲覧。
  17. ^ 11.9後楽園大会[観衆1241人]”. 全日本プロレス (2017年11月16日). 2017年11月9日閲覧。
  18. ^ 棚橋弘至、馬場さん追善興行メインで3冠王者・宮原健斗と対戦…2・19両国国技館” (日本語). スポーツ報知 (2019年1月31日). 2019年2月17日閲覧。
  19. ^ a b 山本尚史 (2011年2月14日). “よろしくお願いします”. WWEスーパースターYoshi Tatsu公式ブログ~Sanctuary~. 2013年2月3日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年5月20日閲覧。
  20. ^ a b 山本尚史 (2012年7月27日). “ISSUES 7”. WWEスーパースターYoshi Tatsu公式ブログ~Sanctuary~. 2012年7月28日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年5月20日閲覧。
  21. ^ 90年代に参戦し近年復帰したスーパースター(ハーディー・ボーイズなど)や、WCW時代から同一曲を使用し続けているスーパースター(ハーレム・ヒート以来同一曲を使用しているブッカーTnWoなど)は、当時使用していたプロダクション曲を使用している。かつて、日本のプロレスショップが、これらの楽曲を集めた、団体とは無関係な入場テーマCD(WORLD WRESTLING THEME LIBRARYシリーズ)を発売したことがある。
  22. ^ WWEメイ・ヤング・クラシックWWEクルーザー級クラシックの参加選手、地元ジョバーなどには引き続きプロダクション曲が使用されている。
  23. ^ “元WWEプロレスラー・ヨシタツ、『99.9%』に本人役で出演「つたない演技力を総動員」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2018年1月26日). https://www.oricon.co.jp/news/2104653/full/ 2018年1月26日閲覧。 

外部リンク[編集]