山本尚史

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ヨシ・タツ
ヨシ・タツの画像
プロフィール
リングネーム ヨシ・タツ
ヨシタツ
ヤマモト
ヨシタツ・ヤマモト
ミスター・ヤマモト
山本 尚史
本名 山本 尚史
ニックネーム Cardiac Kid(日本語字幕では「ガッツの塊」)
ECWのシンデレラ・ボーイ
身長 185cm
体重 96kg
誕生日 1977年8月1日(36歳)
出身地 岐阜県岐阜市
所属 WWE
スポーツ歴 レスリング
ボクシング
トレーナー 永田裕志
スティーブ・カーン
トム・プリチャード
ビリー・キッドマン
ノーマン・スマイリー
リッキー・スティムボート
アーン・アンダーソン
ジェイミー・ノーブル
デビュー 2004年7月26日
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山本 尚史(やまもと なおふみ、男性、1977年8月1日 - )は、日本プロレスラー。現在はヨシ・タツYoshi Tatsu)のリングネームWWESmackDown!に所属。岐阜県岐阜市出身。WWEでは東京出身という設定になっている。

来歴[編集]

新日本プロレス[編集]

国士舘大学時代はレスリング部に1年間所属し、ボクシング・フリースタイル柔術なども経験。2002年3月に新日本プロレスへ入門。同期に中邑真輔田口隆祐長尾浩志後藤洋央紀がいる。

アメリカ合衆国に渡り、新日本プロレス・ロサンゼルス道場で修行した後、同年10月12日に後楽園ホール井上亘戦でデビュー。2004年2005年には第9回、第10回ヤングライオン杯に連続参加。優勝は逃すが、積極的な試合内容で注目される。当時の必殺技は後藤達俊直伝のバックドロップ。2005年にはボクシングプロテストを受けることが発表されたが、結果の発表はされていない。

2006年の選手大量離脱に伴い、IWGPタッグ王座への挑戦、ZERO1-MAX崔リョウジとの抗争など、主に永田裕志のパートナーとして第一線の試合での起用が増えるようになる。

2007年11月より無期限の海外遠征に出発。フロリダ州タンパを拠点に、FCW等で活動。

WWE[編集]

2008年2月に新日本プロレスとの契約を更新せずフリーとなり、4月にWWEのトライアウトに合格してWWE所属選手となっていたことを9月に発表し、以後下部団体であるFCWを中心に活動する。12月ごろからは父親の名前にちなんだヨシタツYoshitatsu)というリングネームとなった。

2009年6月30日、リングネームをヨシ・タツYoshi Tatsu)とマイナーチェンジしてECWでデビュー、ヨシ・タツを相手にせず挑発ばかりしていたシェルトン・ベンジャミンにハイキック一撃で勝利を収めた。その翌週のECWにて再戦するも今度は敗戦に終わっている。その後はポール・バーチルウィリアム・リーガルなどを相手に勝利を収めている。

9月15日のECWでは三沢光晴へのリスペクトとしてエメラルドグリーンのタイツを着用、対戦相手のザック・ライダーに三沢の得意技ローリング・エルボーを見舞い、実況のマット・ストライカーも名前は出さなかったもののヨシ・タツが「憧れたヒーロー」のオマージュを披露したと解説した。

試合の間に挟まれるスキットではゴールダストから英語や西洋文化を学んだり、逆にゴールダストに日本語などを教えたりしている。実況からはECW版おかしな二人などと言われたりしている。また試合でもゴールダストとタッグを組むことが多い。

10月20日のECWにてクリスチャンが保持するECW王座への挑戦権を懸けてザック・ライダーと対戦。これを退け、正式にECW王座挑戦権を獲得した。10月27日収録のECWにてクリスチャンに初挑戦したが王座奪取とはならなかった。なお、この試合は年末にWWEが実施した、WWE Universeが選ぶ2009年ベストマッチ25で22位にランクインした(ECWの中では第2位だった)。

12月14日、RAWに初登場。ジョン・モリソンマーク・ヘンリーと組み、ザ・ミズドリュー・マッキンタイア、ザック・ライダーのチームと6人タッグマッチで対戦。ザック・ライダーから右ハイキックでピンフォールを奪い、RAW初登場を自らの勝利で飾った。

2010年1月12日のECWではECW王座への挑戦権を賭けたECWホームカミング・フィナーレに出場するも勝利を逃す。

1月19日のECW放送終了後に公式サイトにおいて、1月31日に行われるロイヤルランブル戦へのエントリーが正式に発表され、デビュー後初のPPV出場が決定した。ロイヤルランブル戦への日本人レスラーの出場は史上7人目である。PPV当日のロイヤルランブル戦では21番目に登場、30秒足らずでジョン・シナにエリミネートされる。

2月16日のECWの番組最終回において、ザ・ミズとビッグ・ショーが保持する統一タッグチーム王座に挑戦するも、王座奪取とはならなかった。

ECWの番組終了にともない、2月22日よりRAWに移籍した。

3月28日に行われたレッスルマニア第26回大会では、PPV中継開始前に行われたダーク・マッチの26人バトルロイヤルに出場し、優勝した。WWEのバトルロイヤルで日本人が優勝したのは、1984年7月のマディソン・スクエア・ガーデン大会において行われた試合で優勝したアントニオ猪木以来、約25年9か月ぶり。また、日本人レスラーのレッスルマニアでの勝利は以来5年ぶり史上6人目である。

同年8月20日・21日に両国国技館で行われたRAWサマースラムツアー日本公演に出場。20日にクリス・ジェリコとのシングル戦、21日にジョン・シナと組んでのジェリコ&シェイマス組とのタッグマッチで凱旋を果たした。

2011年の追加ドラフトでSmackDown!に移籍した。さらにバイロン・サクストンのプロとしてNXTシーズン5に登場することも決定した。NXTではマリースを巡ってルーキーのラッキー・キャノンと抗争。その際に自分のルーキーであるサクストンをそっちのけにしてしまい、そのことに怒りを抱いたサクストンとも抗争する羽目になってしまい師弟関係は崩壊、サクストンも早々と脱落してしまった。

サクストンが脱落した後はラッキー・キャノンのプロであるタイソン・キッドに自身のフィギュア(ミニ・ヨシ)を破壊されパーツを盗まれるなどの挑発を受けたことから抗争を開始した。数度の対決の後、フィギュアの足部パーツをかけてNXTでは初となるポールマッチで対戦し勝利したものの、試合終了後にキッドから暴行を受け足を負傷したというアングルのもとフェイドアウトした。その後キッドが試合に出場している最中、もしくは終了後に『誇り』という文字がタイタントロンに唐突に映し出されるようになった。そして9月6日放送において『日本に生まれたことを誇りたい』と書かれた黒のロングタイツなど忍者風の黒を基調とした衣装を着用、さらに顔の左半分に歌舞伎の隈取風の白塗りのうえ、頬に『誇』という一文字を入れた独特のフェイスペイントを施した状態で復帰。キッドから勝利を奪った。

その後はトレント・バレッタと組み、タイラー・レックス & カート・ホーキンス組とのNXTでの抗争、Superstarsではジンダー・マハルと戦うなどしており、2012年にはスマックダウンにもジョバーながら何度か登場。日本公演の参加も決定、両日とも6人タッグマッチにて登場し、8月9日はプリモ & エピコ & スワガーに、10日はプリモ & エピコ & ローリネイティス組と対戦し勝利した。

その後SmackDown、NXT、メインイベントにてジョバーとしての登場が多くなり、初代NXTタッグ王者決定トーナメントにパーシー・ワトソンと出場するが、1回戦落ちしている。しかしながらクリスマスのRAWなどではスキットで目立つ位置にいたり、新フィギュアが発売されたり、ムック本の「WWE encycropedia」で並み居る名レスラーと並んで表紙入りした。また、2013年4月にはWrestleMania Axxessにて復帰したエゼキエル・ジャクソンとタッグを組み、同じく復帰したフニコ & カマーチョを相手にメインイベントで勝利するなど、日本のテレビで映らないところではあるものの活躍を見せている。

7月には日本公演に出場し、1日目にはグレート・カリとタッグを組んでプリモ & エピコに、2日目はウェイド・バレットとのシングルマッチにおいていずれも勝利した。

その頃から、TVショーにはほとんど登場せず、NXTで登場してもすぐに負けてしまうことが多くなった。

2014年4月6日のレッスルマニアでアンドレ・ザ・ジャイアント・メモリアル・トロフィー・バトル・ロイヤル戦に出場するも最初に脱落してしまう。

得意技[編集]

ハイキック
現在のフィニッシャー。相手の不意をついて使ったり、カウンターで使うなど、さまざまな形で使用する。自身のブログで新名称を公募中であったものの、結局オフィスから使用の許可を得られなかった[1][2]。また、公式サイトや本人のブログではスピンキックと呼称されている。
フライングニールキック
現在のフィニッシャー。スプリングボード式スワンダイブ式で決めることもある。ハイキックと同様に自身のブログで新名称を公募中であったものの、結局オフィスから使用の許可を得られなかった[1][2]。2012年8月のスーパースターズにて、「リバース・キック」と呼ばれている
パラレル・スナップメア
自らも相手と並行して前方回転しながら投げるフライング・メイヤー。回転した勢いで素早く立ち上がり、胸板へのキックへと連絡する。
各種キック
大学時代に正道会館で修行していた経験を持ち、ロー、ミドル、ハイ、ソバットを使い分ける。
ローリング・エルボー
2009年9月15日収録のECWでのザック・ライダー戦で初めて披露し、以降技のレパートリーのひとつになりつつある。
ドラゴン・スクリュー
スナップ・メアからキックに繋ぐ技としてよく使用する。
逆水平チョップ
ショーン・マイケルズが退団した頃から使い始めた。
シャイニング・ウィザード
グレゴリー・ヘルムズが解雇された頃から、使用し始めている。
介錯
渡米後のFCWでのフィニッシュ・ホールドで飛びつき(ヘッドシザース)式卍固め吉野正人のフロムジャングルに似た技。ECW昇格後はTVでは使用していなかったが、2010年4月5日の「スーパースターズ」収録枠にて、エヴァン・ボーンと組み、チャボ・ゲレロ、ザック・ライダー組とタッグマッチで対戦した際、ザック・ライダー相手に昇格後初めて使用した。
天下獲りバックドロップ
後藤達俊直々に指導を受け習得した必殺技。劣勢の状態をこの技一発でひっくり返すことがあった。WWEに入団してからは、一度も使っていなかったが、2010年の日本公演でクリス・ジェリコに対して使った(WWEでは脳天から落とすバックドロップは禁止技のため使っていなかったとのこと)。
クロスフィックス
羽根折り式腕ひしぎ逆十字固め。一時期のフィニッシュ・ホールドでもあった。
脇固め
逆エビ固め
テキサスクローバーホールド
新日本時代フィニッシュ・ホールドとして出すこともあった。
ハンドスプリングエルボー
ロープを逆立ちするようにバウンドし、その反動を利用して相手にバックエルボーを叩き込む。最近使い始めた。

入場テーマ曲[編集]

新日本時代

  • SANCTUARY

FCW

  • Tuff Stuff

WWE

  • Jpop Drop - 現在使用中

備考[編集]

  • 中日ファンで、棚橋弘至と一緒に、2004年中日優勝の瞬間に試合観戦をしていた。
  • FCW加入からしばらくの間、本人が新日本入門前にファンだったという平成維震軍のコスチュームを着用していた。着用に当たっては当時のメンバーだった先輩の小林邦昭後藤達俊らから許可をもらい、さらに実際の当時コスチュームをオーダーした業者を紹介してもらったという。
  • 現在のリングネーム「YOSHI TATSU」を命名したのはFCWでエージェント兼実況コメンテーターを務めているダスティ・ローデスである。
  • これまでにも何人もの日本人選手が契約選手としてWWE(1軍)のリングに上がっているが、ディベロップメント(育成選手)契約からの昇格は初のケースとなった。
  • 本人いわく特異な出世をしており。WWEの選手の多くはWWEに来るまでにシングル王座を獲得しているか、OVW又はDSW若しくはFCWで王座に絡んでいる(王座に就いている)がいずれも満たしていない。(WWE加入後初めて王座に挑戦した王座がECW王座である)
  • 本人いわく現在WWEのトップに在籍しているレスラーの中で、ほぼ唯一コネクションを持っていない。にも関わらずトライアウトを受けて合格し、ディべロップメント契約にサインし、さらにRAWやSMACKDOWNのTVテーピングやPPVでほとんど試合をしていないうえ、WWEでの扱いも低いにも関わらず、4年近くもトップに在籍し続けており、その点でも特異な存在である。
  • 現時点でWWEにおいて唯一の逆水平チョップの使い手であるが、WWEではチョップは禁じ手である為レスラーやファンから疑問を呈される事が時々ある。(リック・フレアーやリッキー・スティンボード、ショーン・マイケルズと言ったレスラーや関係者の多くからリスペクトされているレスラーの得意技なのが禁じ手の理由)
  • 先述のNXTシーズン5でのタイソン・キッドとのスキットは、実際にとあるレスラーにミニヨシを壊された事件が下敷きになっている。この際ヨシタツがブログでこの事を書き立てたために、バックステージで問題となり、そのレスラーは解雇されてしまった。もっともそのレスラーの解雇はヨシタツ自身望んではいなかった事であり、本人もその事にはショックを受けていた。
  • 総合格闘家の所英男とは同郷ということもあり、学生時代からの友人。
  • ランシドラーズ・フレデリクセンとは、新日本プロレス時代からお互いのバックステージを訪問し観戦・観賞し合うなど交流がある(フレデリクセン自身、日本のプロレスを見るためだけに来日するほど大変なプロレスファンで、日米問わず関係者との交友関係は深い)。

出典[編集]

注釈[編集]

外部リンク[編集]