尾崎魔弓

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尾崎 魔弓
Mayumi Ozaki
尾崎 魔弓 Mayumi Ozakiの画像
プロフィール
リングネーム 尾崎 魔弓
本名 尾崎 まゆみ
ニックネーム 美しき悪魔
身長 158cm
体重 53kg
誕生日 (1968-10-28) 1968年10月28日(50歳)
出身地 埼玉県川口市
所属 OZアカデミー女子プロレス
トレーナー 山本小鉄
デビュー 1986年8月17日
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尾崎 魔弓(おざき まゆみ、1968年10月28日 - )は、日本の女子プロレスラー。株式会社オザキック代表取締役社長。本名は尾崎 まゆみ埼玉県川口市出身。身長158cm、体重53kg。血液型A型。

正統派のプロレスを得意としているが、「愛され憎まれるヒール」を自ら任じており「悪玉」を名乗っている。敗者髪切りデスマッチにて敗戦し二度も坊主頭になった。また、保育士を目指し国家試験に挑戦し、小説家でもある女子プロレス界における稀有な存在である。

所属[編集]

ユニット[編集]

  • GUREN隊(1986年 - 1992年)
  • チーム・ノストラダムス(1999年 - 2000年)→卑弥呼
  • 卑弥呼(2000年 - 2002年)
  • D-FIX(2001年 - )
  • OZアカデミー(ユニット時代、1996年 - 2006年)

来歴[編集]

出身は北海道だが育ちは埼玉県全日本女子プロレス入りを目指し、全女が運営するジムで練習生としてトレーニングを積み、全女のオーディションも受けたが不合格。1986年、17歳の時に旗揚げされた「ジャパン女子プロレス」のオーディションを受け合格、入団に至る。この頃同じく全女のジムに練習生として通っていた仲間には年齢は1つ後輩となる井上貴子がおり、尾崎がジャパン女子のオーディションを受ける際には井上を「一緒に受けない?」と誘ったが、全女にこだわった井上はその誘いを断った(尾崎のプロデビューから2年遅れで井上は全女でデビューを果たす)。

デビュー戦は、ジャパン女子プロレスの旗揚げ興行である1986年8月17日後楽園ホール大会にて、剣舞子&レイナ・ガレゴス vs 尾崎魔弓&エステル・モレノ。デビュー当初から悪役レスラーユニット「GUREN隊」の一員として活躍する。ヒールとしてはダンプ松本のような凶器攻撃はせず、極悪同盟のようにメイクもしない新しいヒール像を作りたいと考え[1]、髪を掴んで投げを打つなどのムーブを取り入れた[2][3]特に、風間ルミとの抗争では、風間がグラビアを飾った雑誌を投げつけ、「お前それでもレスラーかよ!」と叫んだ(風間はそれに対し「うるせーな! 仕事だろ!」と言い返した)。

1987年10月24日、風間ルミを破りジャパン女子版のJWP認定ジュニア王座を奪取。本人はプロレス界入りした当初、20歳でプロレスを辞めて結婚し、23歳ぐらいで子供を出産と考えていたが、実際に20歳になったころにはプロレスが楽しくなったため、ジャパン女子プロレスが給料未払いを起こしたり解散を噂されたりした中で現役を続投[1]1992年にジャパン女子プロレスが解体後はJWP女子プロレスに所属した。JWP時代にはWWWA世界タッグ王座JWP認定タッグ王座などのタイトルを獲得し、同期かつ同郷のキューティー鈴木らと、名実共にJWPのトップレスラーとしての地位を確たるものとした。JWPに所属してからは団体を支えるために責任感が芽生え、全女と比較してJWPを侮る人間を見返したいと思っていたが、その気持ちが報われる形となった[2]WWWA世界タッグ王座のタイトルを獲得して以降は、これまで自身とタッグパートナーであるダイナマイト・関西、そしてJWPを馬鹿にしていたファンやマスコミが手のひらを返して一目置くようになった[4]。その後1996年に「OZアカデミー」をカルロス天野シュガー佐藤らで結成。1997年にフリーとなり、主としてGAEA JAPANを中心に試合に出場してきた。

ラフな試合も得意とし、赤と銀のツートンカラーのチェーンを使用したり、赤と黒の長い棒(通称「ゲバ棒」)を使用したりする。女子レスラーで初めて蛍光灯デスマッチに挑戦したのも尾崎である。通常は赤い華美なコスチュームを使用するが、ハードコアな試合の際はTシャツにカーゴパンツといったアーミースタイルで試合を行う。

1997年8月15日、タッグマッチで対戦したプラム麻里子にライガーボムでピンフォール勝ちしたが、直後にプラムが意識不明の重体となり、翌日に死去した。ジャパン女子時代からの同期かつ親友の死に精神的ショックもかなり大きかったという。2006年のOZアカデミー団体化後初めて迎えた2007年8月の後楽園ホール大会以降、プラムを忘れない様にとの主旨でプラムの名を冠した大会名「プラムの花咲くOZの国」を、プラムの命日前後に毎年開催している。

2006年、渡米しIWAミッドサウスクイーン・オブ・ザ・デスマッチという大会に参戦し、坂井澄江セクシー・エディーを相手に有刺鉄線ガラスを用いたデスマッチを勝ち抜き、遂には決勝へと進出。その決勝戦でミッキー・ナックルズを相手にノーロープ有刺鉄線蛍光灯観客凶器持ち込みデスマッチを行うも、これに敗れたことから惜しくも王座にまでは至らなかった。[5]

2007年4月1日、数年来ヒールマネージャーとして組んでいたポリスとOZ新宿FACE大会で決別。ポリスの代わりに西尾美香2007年5月20日にマネージャー宣言。その後ポリスとも和解しマネージャーに復帰。

2008年KAORU井上貴子豊田魔波らと極悪非道のユニット「尾崎軍」を結成。OZアカデミー内部での抗争へと発展する。現在は正危軍として活動。

2014年、現役でプロレスラー活動を継続しつつも、保育士の資格取得を目指していることを表明した[6]

9月8日、ミステリー小説「リングから見えた殺意――女子プロレスラー・鬼剣魔矢の推理」を上梓。堺屋太一が推薦文を寄せている。[7]

9月15日、アイスリボンに初参戦。西尾美香がセコンドにつき松本都とシングルで対戦。試合後松本を強引に正危軍に加入させる。

2015年5月、かねてから痛めていたひざの手術をする。この欠場は20年ぶりだった。

8月16日、プラムの命日に当たるこの日に行われた古巣JWP後楽園大会にて、上記の試合でプラムのパートナーだったコマンド・ボリショイが持つJWP認定無差別級王座に挑戦し、所属時代含め自身初の同王座奪取に成功した。

得意技[編集]

パワーファイトからラフファイト、テクニック主体の正統派レスリングまでこなす。若手時代から飛び技にも定評があり、対戦相手や試合展開に応じた多彩なプロレスを展開する。

テキーラ・サンライズ
相手の左手首を後ろで掴み、相手の右腕を上に伸ばして手首を掴み、スープレックスの姿勢で後ろに投げフォールを奪う技。
命名は本人によると同名のカクテルから。「後で効いてくる」のが理由。実際、フィニッシュではなく痛め技として使うこともある。
ウィッチクラフト
相手の背後から仕掛ける変形ノーザンライトボム。リバースDDTの体勢から足を取って担ぎ上げ、頭部からマットに落とす。垂直落下式のサイドバスターと表現されることもあるが、尾崎本人が「北斗晶に対抗するため、ノーザンライトボムを元に開発した技」と明言している。
シャイニング・ヤクザキック(別称・オザキック)
シャイニング・ウィザードの要領で片膝を付いた姿勢の相手の膝の上に足をかけ、足の裏を見せるようにして相手の顔面を蹴飛ばす技。
裏拳
相手の前で一回転してその遠心力を利用し、手の甲を顔面に叩きつける打撃技。
ラウンディングボディプレス
コーナーポストにのぼり、マットに背を向けた状態から1/4〜半ひねりを加えた宙返りで相手にボディ・プレスを浴びせ、そのままフォールに入る技。
毒霧
凶器攻撃
トレードマークであるツートーンカラーのチェーンや蛍光灯、机、パイプイスなど様々な凶器を使用する。

マスメディア[編集]

ラジオ[編集]

1994年10月からの数年間、文化放送で日曜日の深夜1時(後に深夜1時30分へ移動)に『尾崎・ターザンのロボタッグ!!』というプロレスを中心とした番組に、ターザン山本と一緒にパーソナリティーとして出演。

テレビ[編集]

  • GAORAプロレスKING(不定期で金曜深夜2時間)「OZアカデミー」の大会の中継録画で自ら解説

著書[編集]

写真集[編集]

VHS[編集]

映画・ビデオ[編集]

  • 空想科学任侠伝 極悪忍者ドス竜(1990年10月)
  • 必殺!5 黄金の血(1991年11月)
  • ザ・ヒールストリート(1991年12月)
  • けっこう仮面3(1993年4月)
  • エンジェル・ファイターズ(1995年3月16日、新東宝ビデオ)
  • Fascination(1995年9月18日、竹書房)
  • 時空戦士魅鬼(1996年12月18日、ハピネット)
  • 特殊工作員養成所 拷問凌辱に耐え抜いて(2008年7月7日、アタッカーズ)
  • COLD MOON(2008年10月7日、アタッカーズ)

入場テーマ曲[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)67ページ
  2. ^ a b 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)68ページ
  3. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)67ページ
  4. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)73ページ
  5. ^ オンライン・ワールド・オブ・レスリング:IWAミッドサウスの試合結果(2006年) (英語)
  6. ^ “同期の死を乗り越えて…尾崎魔弓<5>”. 読売新聞. (2014年11月28日). http://www.yomiuri.co.jp/life/special/prowres/20150603-OYT8T50240.html 2016年3月22日閲覧。 
  7. ^ 尾崎魔弓選手 推理小説新刊発表に関しまして | 堺屋太一氏強烈推薦小説!

外部リンク[編集]