吉江豊
吉江 豊 | |
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![]() 2020.2.11後楽園 | |
プロフィール | |
リングネーム |
吉江 豊 Y2P-160kg グレート・ユタ よしえちゃん |
本名 | 吉江 豊 |
ニックネーム |
フライングタンク 桃色巨漢 肉弾魔人 赤城雷電 格闘モンスター |
身長 | 180cm |
体重 | 150kg |
誕生日 | 1974年1月5日(49歳) |
出身地 | 群馬県前橋市 |
所属 | フリー |
スポーツ歴 | 柔道 |
トレーナー |
アニマル浜口 佐々木健介 馳浩 |
デビュー | 1994年12月9日 |
吉江 豊(よしえ ゆたか、1974年1月5日 - )は、日本の男性プロレスラー。群馬県前橋市出身。血液型O型。
体重160kgを誇り、その体型を生かした技を使用する。
実兄はかつてWAHAHA本舗に所属していた芸人よしえつねお(貧乏生活で『銭金』に「ビンボーさん」として出演。元「ラジークイーン」)。
来歴[編集]
前橋市立第三中学校および樹徳高等学校時代は柔道をしており、プロレスラーを目指すために、アニマル浜口トレーニングジムに通いトレーニングを積む。
1994年2月に新日本プロレスに入門、同年12月9日に小島聡戦でデビューする。しかしまもなく大怪我を負ってしまい、1年近くリングから遠ざかるという苦労を味わう。さらに他の第3世代よりも入門が遅くライバルに恵まれなかったことから伸び悩む時期が続いた。
1998年の長州力の引退試合(後に現役復帰し、2019年に再度引退)は長州が5人を相手にする(5試合のシングルマッチを続けざまに行う)スタイルで行われ、その2番手として登場した。
1999年に海外武者修行へ行く。
凱旋後の、2000年に永田裕志・中西学・福田雅一らとユニット「G-EGGS」を結成する。
2002年4月にワイルドII(森嶋猛&力皇猛(共にプロレスリング・ノア所属))の持つGHCタッグ王座に挑戦するも、敗れた。しかし、翌月のノアの大会で森嶋相手にシングル戦で勝利する。
棚橋弘至とタッグチームを組んで、2003年6月13日にIWGPタッグ王座を獲得。
2005年1月に棚橋弘至と組み、新日代表として全日本プロレスの世界タッグ王座王者決定戦に出場するも太陽ケア&ジャマール組に敗れた。しかし、吉江はジャマールの魅力にとりつかれ、機会があればシングルで戦ってみたいと試合後に話すも、その後、ジャマールはWWEへ復帰し、2009年12月4日に死去したため対戦は叶わなかった。2006年1月4日にジャイアント・バーナードが新日本へ参戦したり、曙とタッグを結成するなどの展開も見られた。
2006年1月19日に吉江は新日本プロレスを退団し[1]、同時に美奈夫人も勤めていた会社を辞め吉江のマネージャーとして活動を開始。フリーになって早々にZERO1-MAXの中村社長からおコメ(業界用語でお金のこと)ではなく米一俵と沖縄和牛の物品オファーを受けるが友人であるとの設定のマスクマンY2P-160kgを送り、吉江として最初に出場するのは全日本プロレスとなった。その後、ZERO1-MAXではY2Pと5月19日から不定期で吉江、全日本、DRAGON GATEでは吉江として参戦した。ビッグマウス・ラウドではザ・グレート・カブキの新たなる家族というギミックとして「ザ・グレート・ユタ」という第二の化身も登場した。
2006年8月2日に「無我ワールド・プロレスリング」のプレ旗揚げ戦に参戦、当初は継続参戦への態度は保留していたが、8月28日に同団体への入団を表明した。ただし、オファーがあれば日程がバッティングしない範囲で他団体への参戦もあると明言していた(2007年夏のZERO1-MAX・火祭りなど)。
2006年12月3日には、初となる吉江プロデュースの興行「吉江豊ふるさと祭り」を群馬県前橋市で開催した。ふるさと祭り興行は、2007年、2008年にも開催された。2008年以降は、ふるさと祭り以外にも「吉江豊イッパチプロレス」等と銘打った小規模な興業もプロデュースを行っている。
2007年12月13日には無我ワールド最終興行にて「DRAGON CUPトーナメント」優勝を果たし、新団体「ドラディション」ではエースとして活躍した。また、平行して古巣・新日本での中西学との規格外タッグや、ハッスルでの「ボノちゃん部屋のおかみさん・よしえちゃん」としての活動も行っていた。
2008年5月5日に行われたPREMIUMに出場し、久しぶりに新日本プロレス所属の中西とシングルマッチを行った。
2009年7月23日付でドラディションを退団し、再びフリーランスとなった。以降はプロレスリング・ノア、全日本などを中心に参戦するが、2012年4月22日の全日本上尾大会の試合にて左足首骨折および靭帯損傷の怪我を負った。2013年1月20日の全日本前橋大会にて復帰した。
ファイトスタイル[編集]
160kgという巨体を活かしたスプラッシュ、プレスなどの圧殺系パワー攻撃を中心に試合を組み立てる、いわゆる「動けるアンコ型」のレスラーである。現在大日本プロレス所属の浜亮太は、全日本プロレスでのデビュー当時に目標として吉江の名を挙げていた。
自分の体重に誇りを持ち、「デブは誉め言葉」「痩せたと言われたらショック」とまで言い切っている。新日本時代は自虐的コメントで注目を浴びたが、現在はもっぱらポジティブな発言が目立つ。全日本参戦時は、同じアンコ型レスラーでありながら精神的な弱さを見せるブルート一生(2007年に引退)のよき兄貴分となり、タッグを組んで「デブの戦い方」を伝授していた。
リング外での言動や体型、ピンクのコスチュームなどから受けるコミカルな印象とは裏腹に、プロレスそのものに対する態度や、リング上でのファイトはかなり真摯なものである。そのため、大麻取締法違反発覚により廃業状態になっていた嵐が無我ワールドで復帰しようとした際に強く異を唱えていた。
得意技[編集]
巨漢であるにもかかわらず、日本人離れした体重を生かしての圧殺ファイトが吉江のプロレス。海外遠征後は、裏拳やボディプレスといった技をメインに扱うことが多くなっている。
- ボディプレス
- 近年の吉江のフィニッシュ・ホールド。その場で跳躍するものからランニング式とダイビング式も使用。特にダイビングボディプレスはフィニッシュとして多く用いられ、Y2P時には煌彩(ハムサンド)と名称が変わる。
- ボディスプラッシュ
- コーナーに串刺し状態になっている相手に突進して体当たりする技。タッグマッチなどでは数人をまとめてこの技を仕掛ける場面も見受けられる。
- ランニングヒップブレス
- コーナーで尻餅を付いている相手に対し、対角線上に走り自分の尻で相手を押しつぶすように圧殺する技。
- フライングボディシザースドロップ
- 裏拳と共に、吉江が試合を組み立てる上で重要な役目を担う技。
- ヒップドロップ
- 仰向けで倒れている相手へのジャンプして仕掛ける。
- スチームローラー
- 仰向けで倒れている相手へのでんぐり返し。ジャンプしないサンセット・フリップ。
- 裏拳
- 吉江の裏拳は、どちらかと言うと前腕部をぶち当てる。走りこんでの裏拳、回転しての裏拳も使用。
- 汗っかき体質のため、夏場は「濡れダイビングボディプレス」「濡れ裏拳」などに"パワーアップ"し、相手に精神的にもダメージを与える。
- カナディアン・ハンマー
- 海外遠征から帰国後使用し始めた技。
- カナディアンバックブリーカーの体勢から走りながら、前にフェイスバスターの形で落とす技。すぐに封印されたが新日退団後に封印を解いた。
- スリーパー・スープレックス
- ハーフネルソン・スープレックス
- 海外遠征から帰国後使用し始めた技。スリーパー・スープレックスは危険なためかすぐに封印され、ハーフネルソン・スープレックスを使うようになったが、こちらもすぐに使わなくなった。
- 裏足4の字固め
- 凱旋帰国後にフィニッシュとして使用していた、現在は使っていない(体重増加で足関節を取り辛くなったため)。
- 左ミドルキック
- 2005年のG1の際に「封印」を解いたミドルキック。
タイトル歴[編集]
- DRAGON CUP
- 2007年大会優勝
- 東京ドームホテルカップ
- 2007年大会優勝
- ヤマハカップ
- 2008年大会優勝(パートナーはウルティモ・ドラゴン)
- 第37代NWAインターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは将軍岡本)
- 風林火山
- 2017年大会優勝(パートナーは将軍岡本)
入場曲[編集]
- Wild night(現在使用中)
その他[編集]
- G-EGGS加入当時は渦巻状の奇抜なヘアースタイルで話題を呼んだ。
- クセのある言動とそのルックスやピンク色のレスリングタイツ姿から新日本の癒し系とも称された。
- そのピンクのコスチュームと女性の名前のような苗字からハッスルにボノちゃんが女性と思い込んでいたメル友よしえちゃんとして登場した。
- 技をかける際の掛け声は独特の、「オッケーイ」に近いものである。
- 愛称は「よっしぃ」。ただし、週刊プロレス以外で使われることは少ない。
ドラマ 出演[編集]
脚注[編集]
- ^ 契約更改に関するお知らせ 新日本プロレス公式サイト 2006年1月31日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- よっしーのブログ 本人によるブログ
- お腹いっぱい夢いっぱい プロレスラー吉江豊の日記(上記ブログの以前に本人が書いていた旧ブログ)
- お腹いっぱい夢いっぱい プロレスラー吉江豊の日記(さらに以前における上記ブログの旧アドレス)