中邑真輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
中邑 真輔
Shinsuke-nakamura-looks-determined-during-his-entrance-at-an-nxt-event.jpg
プロフィール
リングネーム 中邑 真輔
本名 中邑 真輔
ニックネーム ジ・アーティスト
キング・オブ・ストロングスタイル
狂気のインテリジェンス
反逆のボマイェ
解放された求道者
欲深き求道者
選ばれし救世主
選ばれし神の子
身長 188cm
体重 104kg
誕生日 (1980-02-24) 1980年2月24日(40歳)[1]
出身地 京都府中郡峰山町
所属 WWE
スポーツ歴 総合格闘技
レスリング
ブラジリアン柔術
バスケットボール
トレーナー 山本小鉄
木戸修
獣神サンダー・ライガー
高山善廣
蝶野正洋
天山広吉
デビュー 2002年8月29日
テンプレートを表示
獲得メダル
男子 レスリング
全日本学生レスリング選手権大会
2001 フリー97kg級
全国高校生グレコローマンスタイルレスリング選手権大会
1997 81kg級
全国高等学校総合体育大会
1997 フリー115kg級

中邑 真輔(なかむら しんすけ、1980年2月24日 - )は、プロレスラー京都府峰山町(現:京丹後市)出身。京都府立峰山高等学校青山学院大学経営学部卒業[1][2]。血液型A型。アメリカ合衆国フロリダ州オーランド在住。

来歴[編集]

学生時代[編集]

小学生の頃には空手を習いたいと思ったが、すぐやめた[2]。中学生になるとバスケットボールを始め、ブロック大会でチームを優勝に導く主要メンバーだったこともある[2]。中学卒業時にプロレス入りを希望したが、高校に行ってからでも遅くはないと諭され、高校進学[2] 高校の部活でレスリングを始める。高校卒業時にもふたたびプロレスを志すが、青山学院大からのスカウトがあったことと、母親からの「大学に行ってからでも遅くはないじゃない」との意見があったことから大学に進学した[2]

青山学院大学ではレスリング部と美術部に同時に在籍し、レスリング部で主将を務めた。並行して総合格闘技団体である和術慧舟會RJWでも1期生として練習を行っていた[3][4]。画家としても展覧会に出展している。

新日本プロレス[編集]

2002年[編集]

2002年新日本プロレスに入団(同期は山本尚史田口隆祐後藤洋央紀長尾浩志)。同年8月29日、日本武道館における安田忠夫戦でデビュー[5]、セコンドには当時引退をして中邑を指導していた木戸修が付いた。レスリングでの実績[6] とデビュー前に総合格闘技のトレーニングを行っていたことから、当時の新日本の格闘技路線の申し子として期待を受け、デビュー戦後はシリーズには帯同せずLA道場で総合格闘技のトレーニングを重ねるという新人としては異例の待遇を受けた。

12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002におけるダニエル・グレイシー戦で総合格闘技に初参戦。2R2分14秒、腕ひしぎ逆十字固めで敗北[5]

2003年 - 2005年[編集]

2003年5月2日、新日本「ULTIMATE CRUSH」大会でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキアと総合格闘技ルールで対戦し勝利[5]。8月にはデビュー1年にも満たないキャリアでG1 CLIMAXへ初出場。安田、柴田勝頼から勝利を収める[5]

12月9日、天山広吉の所持するIWGPヘビー級王座に初挑戦。逆十字固めで天山からタップを奪いデビュー最速、最年少での同王座戴冠を果たす[5]

12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!でキックボクサーのアレクセイ・イグナショフと対戦。3Rでイグナショフの膝蹴りを受けダウンし、すぐに立ち上がるもレフェリーの平直行が即座にTKOを宣告し敗北を喫するも、中邑側からの抗議によりジャッジを見直されて無効試合となった[5][7]

2004年1月4日、自身の持つIWGPヘビー級王座とNWFヘビー級王座の統一戦と銘打たれた試合で高山善廣と対戦。チキンウィングアームロックで高山からギブアップを奪い、IWGP王座を防衛、並びにNWFヘビー級王座に戴冠し二冠王となるも、後日NWFを封印。その後、精密検査の為欠場しIWGP王座も返上[5]

5月22日、K-1 ROMANEXでイグナショフと再戦し、2R1分51秒前腕チョーク(K-1の公式記録はギロチンチョーク)で勝利[5]。以降、総合格闘技のリングには上がらずプロレス業に専念する。

11月、大阪ドーム大会で突然のカード変更により、中西学と組んで藤田和之ケンドー・カシン組と対戦したがピンフォール負け[5]。試合後にカード変更を打診したアントニオ猪木から鉄拳制裁を受けた[8]

12月、棚橋弘至と組み、IWGPタッグ王者決定戦にて佐々木健介鈴木みのる組と対戦。棚橋が鈴木からドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール勝ちを収め、第47代IWGPタッグ王座に就く[5]。翌年10月に陥落するまでに4度の防衛を果たした。

2005年1月4日、棚橋を破ってIWGP U-30無差別級王座を奪取し、ベルト封印を宣言した(返上扱い)[5]

3月12日に全日本プロレスに流出したIWGPヘビー級王座を奪還する為全日本のリングに単身乗り込み小島聡に対戦を直訴[9]。26日に新日本両国国技館大会でタイトルマッチが組まれるも60分時間切れ引き分けで王座奪還は失敗に終わる[5]

2006年 - 2008年[編集]

2006年1月4日、IWGPヘビー級王者ブロック・レスナーに挑戦したが惨敗[5]

3月、会社は無期限の海外修行に出すことを決意。この遠征はすでに団体の最高峰(IWGPヘビー級王座)を獲得したことがある中邑を海外修行に出すという稀な例であった[10]。しかし、遠征先では試合を一切行なわずに新日本ロス道場で汗を流し、9月24日に凱旋帰国した。

10月、蝶野正洋とタッグを組み、ベビーフェイスからヒールへの路線変更を図る。また、半年間の海外修行でビルドアップされた肉体に合わせ、コスチュームもロングタイツからショートタイツに変更。長州力、中西学組相手に凱旋試合を行い、新技ランドスライドで長州から3カウントを奪った[5]。同月に行われたG1 TAG LEAGUEでは蝶野とタッグを組んでエントリー。決勝トーナメントにてジャイアント・バーナードトラヴィス・トムコ組を撃破し、決勝戦で棚橋弘至、金本浩二組の王者タッグを破り優勝[5]。試合後に蝶野、バーナード、トムコと共に蝶野政権を築くと宣言。

12月10日に帰国後初となるIWGP王座に挑戦。棚橋と対戦するも、ドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール負けを喫した[5]

2007年1月4日、川田利明と対決するも顔面へのミドルキックを喰らい敗戦[5]。8月にはG1 CLIMAXに出場。決勝トーナメントまでコマを進めるも12日、準決勝で永田裕志に敗れる[5]。この試合中に雪崩式エクスプロイダーを受けた際、左肩側から不自然な形でマット上に落下。後日、肩鎖関節靭帯断裂および脱臼で3か月間の絶対安静と診断された[10]。26日よりC.T.U解散に伴いミラノコレクションA.T.等と共闘を選択。後日に新ユニットRISEを結成した。

9月1日に結婚披露宴を行なった[11]

11月11日に復帰戦を行い、RISEを正式に始動させる[10]

2008年1月4日、棚橋弘至を破り第48代IWGPヘビー級王者となった[5]。試合後に3代目IWGPヘビー級王座を所持するカート・アングルとの対戦を要求。2月17日にベルト統一戦を行い腕ひしぎ逆十字固めで勝利し3代目ベルトを奪還した[10] が、同ベルトに対する世間のイメージが悪くなってしまった為封印。新たに4代目のIWGPベルトが制作される事になった[12]。それに伴い「借りていた」かたちになっていた2代目IWGPベルトを、3月2日、ZEROONE-MAX後楽園大会に参戦時に橋本大地に手渡し橋本家へ返却した[13][14]

3月20日、4代目ベルトを掲げた初の防衛戦で棚橋から勝利を収めるも[5]、4月27日に全日本プロレス武藤敬司に敗れ、IWGPヘビー級王座から陥落しベルトの他団体に流出を許してしまう[5]。10月13日にリマッチ権を行使し武藤とのタイトルマッチに臨むも、フランケンシュタイナーでピンフォール負けを喫した。

2009年 - 2011年[編集]

2009年1月4日東京ドーム大会で後藤洋央紀と組み、プロレスリング・ノア三沢光晴杉浦貴組と対戦。杉浦から腕ひしぎ十字固めでタップを奪い勝利[5]。以降、ホーム・アウェイ問わず両団体での対抗戦で継続されていった。

2月15日に王座を奪回した棚橋弘至から指名を受ける形でIWGPに挑戦するも、ハイフライフローでピンフォール負けを喫する[5]

3月1日にNOAHの日本武道館大会にミラノコレクションA.T.と共に参戦し杉浦貴、潮崎豪組と対戦。ミラノが潮崎にピンフォールを奪われ敗北。

4月5日、真壁刀義とのシングルマッチでレフェリー不在の中、矢野通が乱入し真壁を椅子で殴打。このアシストを経て真壁に勝利し、後日に矢野ら旧G・B・Hメンバーと共にCHAOSを結成[10]。コスチュームも黒のロングタイツに変更した。CHAOSの他のメンバーのようなあからさまな反則やヒール行為などは行っていないが、ファイトスタイルが今まで以上に殺伐としたものになった。

8月に行われたG1 CLIMAXでは全勝し決勝トーナメントで一番乗りを挙げるも決勝で真壁に敗れ準優勝[5]。G1終了後に、棚橋が怪我によりIWGP王座を返上。それにより9月27日、真壁とのIWGPヘビー級王者決定戦が急遽決定する。この試合に勝利し、第53代IWGPヘビー級王者に載冠[5]。また試合後マイクを持ち「猪木ー!」と叫び物議を醸し出した[10]

2010年1月4日、高山善廣と6年振りに対戦。ボマイェでピンフォール勝ちを収め4度目の防衛に成功した[5]。その後の5月3日に真壁刀義との防衛戦に敗戦[5]。この試合中真壁の雪崩式パワースラムを受けた際に、古傷である左肩を負傷。その後の興業でもテーピングを張って出場するが、ドクターストップがかかり治療に専念するため欠場に入る。6月19日に復帰。

8月のG1 CLIMAXに出場し最終戦で潮崎豪と対戦するも時間切れ引き分けに終わり予選落ち[5]。22日にNOAHに乗り込み再戦するも敗戦[5]

10月、小島聡が真壁からIWGPベルトを奪取した際、次期挑戦者として逆指名される。のらりくらりと指名を拒み続けたが、頑なに嘆願する小島に結局会社の同意のもとでそれを承諾した。12月11日にIWGP戦で小島に敗れた[5]

2011年1月4日のレッスルキングダムVにて、潮崎と対戦し勝利[5]。対戦成績を五分に戻した。3月に開催されたNEW JAPAN CUPでは決勝にまで進出したが、永田裕志に敗れ準優勝[5]

4月、永田との防衛戦を終えた直後の棚橋のマイクに対して「うっとうしくねえだろ」[15] と突っかかる形で返答し、IWGP王者挑戦をアピール。公約通りに5月3日の福岡大会で挑戦するも敗北[5]

8月のG1 CLIMAXでは、自身の出場ブロック(Bブロック)で、最終戦までに勝ち点が5人も並ぶという混戦状態に陥るも、最終戦の対戦相手であり同点で並んでいた鈴木みのるとの事実上の決勝進出決定戦に勝利。決勝戦では内藤哲也を破り初めて優勝した[5]

9月の神戸ワールド記念ホールで行われた「星野勘太郎追悼大会」で、IWGPヘビー級王者棚橋に挑むも敗れる[5]

2012年 - 2015年[編集]

リングアナウンサーの選手コールに合わせてポーズを決める中邑。

2012年7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にて、後藤洋央紀が保持するIWGPインターコンチネンタル王座(以降IC)に挑戦。勝利を収め、第4代王者に輝いた[5]。がしかし、試合後のコメントで同王座のデザインに対して酷評し、会社に対して作り直しを要求。ベルトの革の部分を白くする変更がなされた[16]。8月26日、アメリカカリフォルニア州に拠点を置くSWFに参戦。同団体で新たに製作されたIC王座を賭けて、オリバー・ジョンと対戦し、初防衛に成功した[5]

2013年1月4日、レッスルキングダム7のダブルメインイベントに登場し、IC王座選手権試合で桜庭和志を破り、4度目の防衛に成功[5]。5月31日のCMLL遠征時に行われたタイトルマッチでラ・ソンブラに敗れ、一度は王座を手放すも[5]、7月20日のKIZUNA ROAD 2013最終戦で再びIC王座を奪取し、第6代王者に返り咲いた[5]

2014年1月4日、レッスルキングダム8で棚橋と対戦して敗北し、IC王座から陥落[5]。2月9日のTHE NEW BEGINNING in HIROSHIMAでリマッチを敢行したが、ここでも敗北[5]

3月、NEW JAPAN CAPに出場し、決勝戦でバッドラック・ファレを下して初優勝[5]。今大会の優勝者にはIWGPヘビー級王座とIWGPIC王座のいずれかに挑戦できる権利が与えられ、中邑はICを選択する。4月6日、INVASION ATTACKで棚橋と再戦。この試合に勝利を収め、第8代王者に返り咲いた[5]

2014年5月25日、12年前に総合格闘技ルールで敗れたグレイシー一族ダニエル・グレイシーにIC初防衛戦で勝利を収めた[5]。しかし6月21日、バッドラック・ファレに敗れIC王座から陥落した[17]。 2014年 8月10日 G1 CLIMAX 24 優勝決定戦、西武ドーム大会でのメインイベントにて同門CHAOSのオカダ・カズチカと対戦したが敗北を喫し、準優勝となった。

9月21日、ファレの持つIC王座戦のリマッチに勝利し、第10代王者になった。10月13日の試合後、柴田勝頼を挑戦者に逆指名し対戦が決定。11月8日、柴田に勝利して初防衛に成功。試合後に飯伏が乱入して中邑をジャーマンスープレックスで投げ捨て、挑戦を表明。中邑はこれを受諾した。

2015年1月4日、レッスルキングダム9飯伏幸太とのIC戦で2度目の防衛に成功。翌5日、後楽園ホール大会において、永田が中邑の持つICに挑戦表明し、2月14日、仙台サンプラザホールにて防衛戦を行い、3度目の防衛に成功した。

3月のNEW JAPAN CUP終了後、同大会準優勝に終わった後藤洋央紀に6人タッグマッチで勝利。試合後に後藤を「存在が薄い」「透明人間」と挑発。しかし4月5日に後藤からピンフォール負けを奪われると5月3日のレスリングどんたくで後藤に破れIC王座から陥落してしまった。 7月5日、大阪城ホール大会で後藤とのICのリマッチに挑んだが、敗北した。

8月のG1 CLIMAX25に出場中、左肘を負傷するも途中から戦線復帰し、Bブロック首位のオカダ・カズチカからタップを奪いBブロック首位に。Aブロック首位の棚橋弘至との優勝決定戦を激闘の末、敗北、惜しくも準優勝となる。 試合後、棚橋弘至とリング上で握手し、勝利を称えた。

9月27日、DESTRUCTIONinKOBEにてG1で勝利を収めた後藤洋央紀から指名される形でIC戦を行いこれに勝利して第12代王者に返り咲く。 試合後、BULLETCLUBのカール・アンダーソンドク・ギャローズが乱入し、カール・アンダーソンが挑戦を表明する。

11月7日、POWER STRUGGLEにて、カール・アンダーソンとIC戦を行い、セコンドについたBULLETCLUBに苦しめられながらも勝利し、王座を防衛する。 試合後、AJスタイルズが海野レフェリーからベルトを取り上げ、挑戦を表明しながら中邑にベルトを手渡す。中邑はこれを受け入れ、WK10にてAJスタイルズとIC戦を行うことが決まる。

2016年1月4日、レッスルキングダム10にてAJスタイルズと対戦。激闘の末ピンフォール勝ちを収め、試合後は拳を合わせて健闘を称えあった。

1月7日、東京スポーツの取材により新日本を退団することが明らかになる[18] が、 日刊スポーツの報道によれば、新日本プロレス側は「まだ何の話もしていない」と移籍を否定していた[19]。しかし12日、新日本プロレスより正式に退団と発表された[20]。その後、WWEに移籍してファーム団体であるNXTにて4月1日のTakeoverでデビューすることがWWE公式より発表された。また、所持していたIWGPインターコンチネンタル王座は返上となった。

1月30日、後楽園ホール大会で「中邑真輔 壮行試合」と銘打ち、オカダ・カズチカ、石井智宏と組んで、棚橋弘至、後藤洋央紀、柴田勝頼組と対戦。石井が柴田から勝利を収め、試合後はCHAOSメンバーからの祝福を受け、大会を締め括った。同日を以って新日本プロレス退団に伴いCHAOS脱退。

WWE[編集]

NXT[編集]

2016年[編集]

2016年2月4日、リングネームを本名名義でデビューする事が発表された[21]。同月22日、ハードロックカフェ東京にてWWEと正式に契約を交わした事に関して入団会見を行った。モニターを使用して渡米した際にWWE本社にてビンス・マクマホントリプルHステファニー・マクマホンと会話を交わし、WWEパフォーマンスセンターに訪問した際にはASUKAヒデオ・イタミといった日本人レスラーやフィン・ベイラーマシュー・ブルームマニー・アンドラーデといった新日本プロレスで苦楽を共にした人物達と顔を合わせた。最後にファンに送るメッセージとして「中邑真輔を世界にぶつけていきたいと思います。イヤァオ!」とコメントした[22][23][24]

3月16日、NXTにてリング上でサミ・ゼインがマイクアピールをしているところへGMであるウィリアム・リーガルが登場。NXT Takeover Dallasでサミに見合う相手として世界でトップに入る男であると紹介されるとタイタントロンに映し出され、" See you in Dallas, when Shinsuke Nakamura takes over! "とコメントした[25]。4月1日、NXT Takeover Dallasにてサミ・ゼインと対戦。脱力ロープブレイク、バイブレーション式踏み付けなど新日本プロレス時代の定番となっていたムーブを披露し、終盤にセカンドロープから後頭部にダイビング式キンシャサ、そして正調式キンシャサを決めてNXT初勝利を飾った[26]。同月7日、NXT Liveにてフィン・ベイラーと組んでバロン・コービン & タイ・デリンジャーと対戦。最後にベイラーがデリンジャーに1916を決めて勝利した[27]

5月25日、NXTにてリング上で6月8日にNXT Takeover The EndでNXT王座戦の勝者に挑戦する事を宣言したオースチン・エリーズに対してバックステージより登場。「挑戦するのはグレイテストであるエリーズではなく、キング・オブ・ストロングスタイルで自身である」と発言するとGMであるウィリアム・リーガルが登場。NXT Takeover The Endでの対戦が決定した[28]。6月8日、NXT Takeover The Endにてオースチン・エリーズと対戦。序盤より蹴り技で試合を組み立てるがエリーズより膝を集中して攻められると劣勢となり苦戦するが痛めているにも関わらず膝での攻撃を強行。最後にはジャンピング・キンシャサからキンシャサへと繋げて勝利した[29]

7月1日 - 2日、東京両国国技館で行われたWWE Live Japanで凱旋帰国。1日はクリス・ジェリコに、2日はケビン・オーエンズに勝利した[30][31]

8月20日、NXT TakeOver: Brooklyn IIにてNXT王座を保持するサモア・ジョーに挑戦。勝利してベルトを奪取した[32]

12月2日、大阪府立体育会館で行われたWWE Live Japanで凱旋帰国。NXT王座を保持するサモア・ジョーに挑戦。王座を奪還した[33]

WWE[編集]

2017年[編集]

2017年4月4日、WWEに昇格。SmackDownにてザ・ミズマリースがリング上にてジョン・シナニッキー・ベラコスプレをしてマイクパフォーマンスをしているところにバックステージからヴァイオリニストのリー・イングランド・ジュニアと共に登場を果たした[34][35]。5月21日、Backlash 2017にてドルフ・ジグラーを相手にWWEデビュー戦を行い勝利した[36]。8月20日、SummerSlam 2017にてWWE王座を保持するジンダー・マハルに挑戦。日本人初の王座戴冠を目指すがシン・ブラザーズ(サミル・シン & スニル・シン)が乱入して、彼らを蹴散らした隙を突かれて敗戦した[37][38]。8月22日、ニューヨーク州ブルックリン区のバークレイズ・センターでシン・ブラザーズと1vs2ハンディキャップマッチを行った。シン・ブラザーズは2人で一遍にけいれん式ストンピング、コーナーに乗せられて膝蹴りを食らわせ、最初は中邑を劣勢に追い込むも、 サミルを三角絞めでタップを奪って勝利。2分48秒での決着であった。中邑が三角絞めでフィニッシュするのは珍しい。かつて乱入により自身の試合を妨害した相手に勝った中邑は試合後「オレはマハラジャに勝ちたいわけじゃない。マハルに勝ってWWE王者になりたいんだ」と宣言[39]。10月8日、スマックダウンPPV大会でジンダー・マハルと対戦。3度目のWWEヘビー級王座タイトルマッチとなったが、1度はマハルのカラスを回避し、セカンドロープからジャンピングニーを成功させたが、シン・ブラザーズの妨害でマハルのロープエスケープを許した。途中でキンサシャを決めて王座奪取かと思われたが、シン・ブラザーズの抗議でレフェリーのカウントが遅れ、またもロープに逃げられてフォールに失敗した。続けて再びキンシャサを狙った中邑だが、コーナーに誤爆。そのスキを突いたマハルに背後から捕獲されてカラスを決められ、3カウントを奪われた[40]

2018年[編集]

1月28日、ロイヤルランブルロイヤルランブルマッチで14番目に出場。優勝を飾る[41]

4月8日、WrestleMania 34におけるWWE王座決定戦で、王者のAJスタイルズに挑戦、キンシャサをカウンターでスタイルズ・クラッシュに切り返されフォール負け。タイトル獲得を逃す。試合後、一度はスタイルズと抱擁、その後跪きチャンピオンベルトを渡すも、ベルトを掲げたスタイルズをローブロー、悶絶し倒れたスタイルズに日本語で罵声を浴びせながら場外に蹴り出し、最後はキンシャサを決めヒールターンを果たす[42]

7月15日、エクストリーム・ルールズWWE US王座選手権試合で試合前に王者のジェフ・ハーディーに対してレフェリーの死角を突いて急所攻撃を敢行。レフェリーが試合の安否を確認して開始した直後にキンシャサを見舞いUS王座を奪取した[43]

12月25日[44]、SmackDown LiveでルセフとWWE US王座戦を行い敗戦。王座から陥落[45]

2019年[編集]

2019年1月27日、Royal Rumble 2019 KickoffでWWE US王者のルセフに挑戦。ルセフが倒れている間にリングのターンバックルを取ろうとする仕草を見せてルセフのマネージャーのラナに体当たりを誤爆させると後頭部へのキンシャサを決めて勝利。リベンジを果たすと同時に王座を戴冠した[46]

1月29日、SmackDown LiveでR・トゥルースとWWE US王座戦を行い敗戦。わずか2日で王座から陥落。

7月14日、Extreme Rules 2019 KickoffでWWE IC王者のフィン・ベイラーに挑戦。終盤にベイラーのクー・デ・グラを避けると背後からのキンシャサ、そして正調式キンシャサと決めて勝利。王座を戴冠した[47]

2020年[編集]

1月26日、ロイヤルランブルのロイヤルランブルマッチで11番目に出場。キンシャサを決めようとしたところをブロック・レスナーに捕らえられ、そのまま投げ出されて脱落した。

1月31日、SmackDown Liveでブラウン・ストローマンとWWE IC王座戦を行い敗戦。王座から陥落[48]

その後はサミ・ゼインセザーロとヒールユニットを組み、3月8日のエリミネーション・チェンバーでIC王者のストローマンと3対1のハンデ戦でIC王座戦を行う。数的有利を活かし終始優勢に立ち回り、ゼインの戴冠をアシストした。

7月19日のエクストリーム・ルールズにて、セザーロと組んでニュー・デイの保持するスマックダウンタッグ王座テーブルマッチで挑戦。セザーロが場外に立てられた2段のテーブルの上にコフィ・キングストンを叩きつけるパワーボムを決めて勝利。WWE入団以降で初となるタッグ王座を戴冠した。

9月28日、ルチャ・ハウス・パーティー(カリスト&リンセ・ドラド&グラン・メタリック)と対戦し王座防衛に成功。

10月9日、ニュー・デイとのタイトルマッチで敗れ、王座から陥落した。

得意技[編集]

  • 元々は、関節技を主体とした総合格闘技色が強かった。その後、肉体改造を行って身体を大きくしパワーファイトも行うようになる。CHAOS結成後からはキックや膝蹴りなどの打撃技と大きな受け身を主体とし、加えて近年では入場時や試合中に随所でクネクネと体を脱力させるという独自のムーブで会場を沸かせている。2017年の専門誌によると「"キング・オブ・ストロング"が観客の絶大な支持を獲得」と評されている。
フロントネックロック
シャイニング・トライアングル

フィニッシュ・ホールド[編集]

キンシャサKinshasa
CHAOS結成後から新日本退団時まで、ボマイェスワヒリ語: Boma Ye)の技名で使用していた現在のフィニッシュ・ホールド。全身をエビ反らせるような独特のフォームから放つ、顔面への膝蹴り。近年ではレッグ・ラリアートのような形へと変化している。
「ボマイェ」はリンガラ語で「kill you」の意で、アントニオ猪木の入場テーマ曲「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」中の台詞「ボンバイエ」と同義。本人曰く、この技は高山善廣の必殺技であるニー・リフトを意識して使い始めたという。
WWENXTではボマイェ繋がりからキンシャサの奇跡に掛けてキンシャサKinshasa)へと技名を変更。WWE日本語公式サイトではキンシャサ・ニー・ストライクKinshasa knee strike)と表記されている。
下記にあるようにナックルパートの後に移行したり、後頭部へ放つこともある。当初は右足で放っていたが半月板を断裂して以降、左足で繰り出す事が主要となった。2014年4月の棚橋戦にて久々に右のボマイェを使用。
この技の発展形
ダイビング式
コーナー二段目から飛び上がって放つ。
スワンダイブ式
トップロープに乗りその反動を生かしてから放つ。
串刺し式
コーナーヘうつ伏せに張り付けた相手に助走をつけて見舞う。
スライディング式
尻餅をついた相手に対して首元へ滑り込ませるように当てる。
サイドポジションから放つ
四つん這いの相手の側頭部に当てる。
断崖式
相手をエプロンサイドへ腹這いに寝かせて後頭部へ膝を当てる。
場外
場外にいる相手に向かい、エプロンから助走した場外へ放つ。

打撃技[編集]

エルボー
ナックル・パート
主に打撃合戦中の際、不意に相手の喉元へ食い込ませ、上記のボマイェに移行することもある。トップロープ等から飛んで来た相手を迎撃する際に使用することもある。
ゼロ戦キック
助走をつけてジャンプし、脛の外側の部分で相手の顔面を蹴る技。レッグ・ラリアットともいえる。主にカウンターで使用する。
各種キック
ローキックミドルキックハイキックそれぞれを使う。CHAOS結成後からこの技を使って試合を組み立てている。
ライダーキック(カンフーキック)
顔面への跳び蹴り。キングオブプロレスリングでは「ジャンピング・カラテキック」と表記されている。
虎尾(ヒールキック・スピンキック)
ハイキックからのフェイントでよく使用するカンフー由来の技[49]望月成晃のイリュージョンと同型。
膝蹴り
ダウンした相手に連続で叩きこんだり、フロント・ネックロックの状態から相手の腹部目掛けて叩きこんだり、相手の飛び技を迎撃したり等、バリエーションが非常に多い。
バック・クラッカー
背後から相手の顎を掴み、そこから自分の両膝を相手の背中にあてがうようにして飛び付きながら相手引き倒す変形のバックブリーカー
カリートの得意技で中邑の場合、膝を使った攻撃のバリエーションの一部として使用している。
コード・ブレイカー
自分の両膝を使ってのフェイスバスター。首を掴んでから仕掛けたりする他、相手に片足を掴まれたときにも使用する。
上記のバッククラッカー同様、膝攻撃の一種として使用している。
痙攣式ストンピング
コーナーに押し込んだ相手にストンピングを見舞い、相手が尻もちを付いた所で相手の喉元を足で踏みつけながら全身をブルブル震わせる。

投げ技[編集]

ランドスライド
肉体改造後のフィニッシュ・ホールド。ファイヤーマンズキャリーで相手をかつぎ、ファルコンアローのような形でシットダウンしながら前方へホイップし相手の後頭部から背中にかけてマットに叩き付ける。ハリケーン・ドライバーと同型の技。大一番では雪崩式で披露することもあったが、ボマイェを取得してからはほとんど使用していない。
2013年1月4日のレッスルキングダム7の舞台で対戦した桜庭和志との試合で久々に解禁した。それ以降、1.4東京ドームやG1 CLIMAX決勝戦、レッスルマニアなど大舞台で繰り出す事が多い。
変形ランドスライド
ファイヤーマンズキャリーで担ぎ上げる所までは上記のランドスライドと同じ。相手を前方へホイップする所からが相違点で、こちらの技の場合は、自分の左膝を立てその膝に相手の頭部を叩きつけるようにホイップする。最終的には後藤洋央紀の「牛殺し」と同型になる。2011年のG1決勝戦(対内藤哲也戦)で初披露。正式名称について本人からの言及は無く不明。ただし、公式サイトの記事で『変形ランドスライド』と記載されていた。
ダブルアーム・パイルドライバー
ダブルアームで抱え上げ、そのまま自身が尻から着地し相手の頭をマットに落下させる危険技。2008年1月4日の棚橋戦で初公開。フィニッシュ・ホールドとして使っていたこともある。現在は使用をしていない。
リバース・パワースラム
中邑のオリジナル技。相手を背後から抱え上げ、パワースラム状に投げ落す技。綺麗に決まれば相手はパワースラムと表裏逆に落ちることとなり、顔面や胸部等をマットへ打ち付けるのだが、タイミングや角度によっては相手が頭部や肩から先に落ちている場合もあり、危険な技とも言える。雪崩式も存在するが前述のように通常でも危険技に匹敵するため、あまり使用しない。NXTではリバースエクスプロイダーと紹介されている。
おからボム
相手の蹴り足を片腕でキャッチし、もう片方の腕を相手の股に潜り込ませ、そのまま抱え上げてライガーボムで落とす。蹴りのディフェンス用に効果を発揮する技。日高郁人のイグチボムとほぼ同形技。
タイガー・スープレックス
新三銃士と呼ばれ始めた頃に対棚橋戦で、棚橋のドラゴン・スープレックスに対抗するように使用し始めた。基本的に大一番でしか使用しない。クラッチは三沢光晴式。
ジャーマン・スープレックス
デビュー当時から現在も使い続けている。高山善廣や吉江豊などの巨漢レスラーも投げたことがあるが、使用頻度は少ない。
フェイス・バスター
ブレーンバスターの体勢から前方へ倒れ込み、相手を前面からマットへ叩き付ける。
ブレーンバスター
雪崩式ブレーンバスター
スライディング・ジャーマン・スープレックス
セカンドロープに場外を向いて座らせた相手に対し、相手の背後に蹴りを入れて自身は、後方回転をしてから立ち上り反対側のロープから走り込んで腰部分を掴み、場外へスライディングしながらその勢いを利用してマットに叩きつける変型ジャーマン・スープレックス。

関節技、絞め技[編集]

シャイニング・トライアングル
肉体改造前のフィニッシュ・ホールド。相手が片膝を立てて屈んでいる状態で、相手の片膝を踏み切って相手の上体に跳びつき素早く三角絞めを極める。現在はほとんど使用していない。
アームバー
デビュー時から愛用している必殺技。特に相手のラリアット等を切り返しての飛びつき腕ひしぎ十字固めは非常に素早くフィニッシュとして絶大な効果を発揮している。
トライアングルアームバー
シャイニング・トライアングルを決め、そこから首に巻きつけた足を外して腕ひしぎ十字固めに移行する。この技で、天山広吉を破り、デビューから史上最速最年少でIWGPヘビー級王座を獲得した。
表三角固め
腕ひしぎ十字固めを極めている最中に相手が立ち上がった時に三角締めに移行しそのまま相手を腹這いにして極める腕十字。最近はこちらに移行して極めるパターンが多く2015年G1 CLIMAXでは最終戦でオカダ・カズチカからタップを奪った。
チキンウィング・アームロック
ストレートアームバー
トライアングル・チョーク
スリーパー・ホールド
スタンディング式のこの技から前述のリバースパワースラムへ移行するパターンが多い。スタンディング式からそのまま絞め続け胴締め式等に移行する場合もある。
フロント・ネックロック
フロントチョークと同様の体勢から首を絞めるのではなく、相手の首を曲げることにより、頸椎へのダメージを狙う首関節技。2003年1月の、東京ドーム大会で、安田忠夫からギブアップを奪った技で、デビュー直後からシャイニング・トライアングルを編み出すまでの間は、腕ひしぎ逆十字固めと並ぶ必殺技であった。CHAOS結成頃から使用頻度が再び増え、この技でギブアップを奪うことは殆どないが、相手のスタミナを削ぐ技としても使われる。

飛び技[編集]

ムーンサルト・プレス
2008年のIWGP王座獲得以降、一時的に使用した技。基本的に2回連続に放っていた。また、実況がよくムーンサルトとエルニーニョを間違ってしまうことがあった。
エルニーニョ
片足をセカンドロープに乗せた状態から膝を当てるムーンサルトプレス。技名の由来は2004年のG1 CLIMAXに向け、「エルニーニョ現象を起こす」とマスコミに向けて発したコメント。この技も今となっては見られなくなった。
羅骭下(らかんか)
コーナーから放つ相手の顔面に向けてのニー・ドロップ。2004年のG1 CLIMAXにおける永田戦で初公開。なお、技名は漢方薬の原料であるラカンカ(羅漢果)をもじったものとされる(「骭」は「脛(の骨)」の意)。相手の頭部をうつ伏せ状態でリングのエプロンに突き出るように置き、自らはエプロンから場外にダイブする形で決める「断崖式」も存在。

連携技[編集]

天中殺 (w/天山広吉)
天山広吉がマウンテンボムの体勢で持ち上げた相手に中邑が飛びつき式DDTを決める

その他[編集]

脱力ブレイク
ロープ際の攻防で相手を押し込んだ後ブレイク時に前のめりになり相手を挑発する。
側転
腕をとった後に捻りを加える時や、逆に腕をとられた状態からの切り返しに序盤に使用する。初代タイガーマスクと戦ったスティーブ・ライトの動きを参考にしたもの。
ロー・ブロー
急所攻撃。
2018年のレッスルマニア34にてヒールターンをして以降要所で繰り出すようになった。2019年以降は封印している。

決め台詞[編集]

出典[50]

  • 「たぎる」
中邑の興奮の度合いを表す台詞(「たぎってきたぜ」、「たぎらせてくれよ」、「たぎらねぇ」などの言い回しで使用される)。
  • 「イヤァオ」
中邑の興奮が最高潮に達した時に発せられる雄叫びで、観客を巻き込むこともある。
対戦相手から挑戦を受けた際は「どうしよっかな〜」→「答えはこうだ」→「イヤァオ」の流れで使用する。
WWE移籍後も引き続き使用されている。
  • 「一番スゲェのはプロレスなんだよ」
大会の締めで使用されることが多い。
  • 「Come on!」(日本語の発音はカモーン!)
WWE移籍後から使用し始める。主に試合中などに相手を挑発する際に発している。独特な間を置いてから言うことが多いため、場合によっては相手に妨害されることもある。

獲得タイトル[編集]

WWEインターコンチネンタル王座
IWGPインターコンチネンタル王座を腰に巻く中邑。
WWE
新日本プロレス
23歳9ヶ月という若さで戴冠。最年少戴冠記録保持者で未だにこの記録は破られていない。
  • 第3代IWGPヘビー級王座 (IWGP 3rd)
戴冠後、封印
パートナーは蝶野正洋
NWF
戴冠後、封印。
プロレス大賞

入場テーマ曲[編集]

  • Shadows of a Setting Sun/Shadows of The Sun
「The Rising Sun」をロック調にアレンジしたもので支離滅裂な日本語ラップが挿入されている。WWEにてヒールターンして以降使っている。
  • The Rising Sun
NXT/WWEにて、2016年4月 - 2018年4月まで使用。ヴァイオリンのイントロから曲の旋律に合わせ、感極まった表情で全身をくねらせて独特のポーズを取りながら入場。客席は旋律を合唱するのが恒例になっている。サビの部分でロープ際に走り、体をのけぞらせてリングに仰向けに崩れ落ちた後で立ち上がり、大きな身振りでリング中央にタッチダウンするルーティンで入場を〆る。試合によってはバイオリニスト(リー・イングランドjr.)や弦楽隊を伴って入場する。
  • Subconscious entry version
2004年5月 - 2009年4月、2009年8月 - 2016年1月まで使用。
2009年5月 - 7月まで使用。現在は「CHAOSのテーマ曲」として使用されている。
  • Moving City
デビュー当時のテーマ曲。2002年 - 2004年4月まで使用。以降、使用されることはなかったが、2009年9月27日のIWGP戦で再び使用した。

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
5 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
3 0 3 0 0 0 1
1 0 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
アレクセイ・イグナショフ 2R 1:51 ギロチンチョーク ROMANEX 格闘技世界一決定戦 2004年5月22日
アレクセイ・イグナショフ 3R 1:19 無効試合 K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 2003年12月31日
シェーン・アイトナー 1R 4:29 V1アームロック Jungle Fight 1 2003年9月13日
ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ 2R 3:12 ギロチンチョーク 新日本プロレス ULTIMATE CRUSH 2003年5月2日
× ダニエル・グレイシー 2R 2:14 腕ひしぎ十字固め INOKI BOM-BA-YE 2002 2002年12月31日

芸術家[編集]

中邑はペインティングを得意としている。学生時代からレスリング部と美術部を掛け持ち、双方で活躍してきた。岡本太郎にインスパイアされWEB上で彼の描く「プロレスラー」という作品が公開されている。そして自ら描いた100点を越える絵画をもって、絵画展を主催したことがある。またNHKEテレデザインあ」の『デッサンあ』のコーナーにも出演したこともある。ジャーナルスタンダードやRVCAなどのアパレルにデザインを提供している。

展覧会[編集]

『TOKYO WRESTLING ARTS』中邑真輔 vs ロジャー・ミカサ 現代美術展
2008年(平成20年)12月12日 - 18日
東京・青山SPACE INTART GALLERY

イラスト[編集]

  • 『イタい人にならない自分☆発信力』原村和子(ビジネス社、2010年6月16日) - 絵を担当
  • 「いざ戦いのクリスマス MORE's Xmas」(横浜モアーズ、2015年、11月)- キャンペーンイラスト

その他[編集]

  • 今でこそ総合格闘技色の強いスタイルであるが、学生時代はインディーから女子プロレスまで追いかける生粋のプロレスマニアであった。LLPWの旗揚げ当時のメンバーを暗唱できるなど、知識も豊富である。2008年2月に放送されたFIGHTING TV サムライの『P-1選手権 第1回プロレスクイズ王決定戦』では新日本チームの一員として出場し(メンバーは他に海野宏之週刊プロレス記者1名)、その豊富な知識量の一端を披露してチームの優勝に貢献した。
  • 他にも、テレビにも度々出演しており、『恋するハニカミ!』(相手は「当時は年下」の夏川純)や『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などのバラエティ番組マクドナルド資生堂unoのCMに出演した。
  • 2014年5月にファレル・ウィリアムス「ハッピー」のミュージックビデオに出演[51]。2015年1月にはテンプラキッズ「ミイラキラー」のミュージックビデオに出演[52]
  • 2014年9月から2015年8月までムック本『日本プロレス事件史』(ベースボールマガジン社)においてコラム「中邑真輔が歴史的一戦を徹底分析!」を連載していた(全12回)[53]
  • 2016年4月、NXTで使用する入場テーマ曲「Rising Sun」がiTunesのサウンドトラックチャートで第一位に輝く[54]

CM出演[編集]

著書[編集]

  • 『中邑真輔の一見さんお断り』 (kamipro books)2010年3月17日(中邑真輔著、エンターブレイン)
  • 新日本プロレスブックス『中邑真輔自伝 KING OF STRONG STYLE 1980-2004』2014年5月24日(中邑真輔著、イースト・プレス)
  • 新日本プロレスブックス『中邑真輔自伝 KING OF STRONG STYLE 2005-2014』2014年11月16日(中邑真輔著、イースト・プレス)
  • THE RISING SUN 陽が昇る場所へ(2017年9月6日、双葉社)
  • SHINSUKE NAKAMURA USA DAYS (2017年9月7日、イーストプレス)

参考文献[編集]

  • スポーツアルバムNo.49『中邑真輔 新日本プロレス[CHAOS]』(2014年6月、ベースボール・マガジン社) ISBN 978-4-583-62127-2

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 『ゴング』新装刊 (1号)(2014年10月、発行:アイビーレコード、発売:徳間書店)ISBN 978-4-19-710388-1 pp19
  2. ^ a b c d e スポーツアルバムNo.49 『中邑真輔 新日本プロレス[CHAOS]』(2014年6月、ベースボール・マガジン社) ISBN 978-4-583-62127-2 pp32 - 33 「母親が語る息子・中邑真輔の実像 - 」
  3. ^ RJW WK NETWORK
  4. ^ 中邑真輔と岡見勇信の対談実現、岡見が新日本参戦の夢を語る!! kamipro.com 2009年11月16日
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be スポーツアルバムNo.49『中邑真輔 新日本プロレス[CHAOS]』pp67 - 81「完全保存版 中邑真輔 国内全試合記録 ~2002年8月>>>2014年5月~」
  6. ^ 中邑真輔 日本レスリング協会 選手&大会データーベース
  7. ^ プロレススポーツアルバムNo.49 pp23
  8. ^ スポーツアルバムNo.49 pp24
  9. ^ スポーツアルバムNo.49 pp53
  10. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.49 pp26
  11. ^ 祝!中邑真輔選手結婚! 新日本プロレス公式サイト 2007年9月1日
  12. ^ 3代目IWGPベルトは、ブロック・レスナーによって流出後、カート・アングルへの無断譲渡される等「負のイメージ」が強がったため
  13. ^ スポーツアルバムNo.49 pp25
  14. ^ 3代目IWGPベルトが流出中、新日本プロレスは、2代目IWGPベルトを仮のベルトとして使用していた。2代目ベルトは、橋本真也が急逝した2005年に新日本から橋本家に寄贈された形になっていた
  15. ^ かつて中邑がIWGPヘビー級王座についた際、棚橋がしつこく挑戦をアピールした時に棚橋が「うっとうしいだろ」と、マイクアピールしたパターンを坂手に取る形になる
  16. ^ スポーツアルバムNo.49 pp29
  17. ^ ファレ新王者 中邑撃破の大金星!”. 東京スポーツ (2014年6月22日). 2014年6月22日閲覧。
  18. ^ インターコンチ王者・中邑が新日プロ退団!WWE入り - (2016年1月7日) 東京スポーツweb 2016年1月7日閲覧
  19. ^ 中邑真輔WWE移籍浮上、新日本は「話していない」 - (2016年1月8日)
  20. ^ 中邑真輔選手、退団のお知らせ”. 新日本プロレスリング (2015年1月12日). 2016年1月12日閲覧。
  21. ^ 中邑真輔、リングネームは「シンスケ・ナカムラ」か”. nikkansports.com. 2016年2月6日閲覧。
  22. ^ Shinsuke Nakamura signs with WWE NXT”. WWE.com. 2016年2月21日閲覧。
  23. ^ 中邑真輔がWWEと正式契約。「世界にぶつけたい。イヤァオ!」”. スポーツナビ. 2016年2月22日閲覧。
  24. ^ 中邑真輔、WWE傘下NXT部門の一員として契約”. nikkansports.com. 2016年2月22日閲覧。
  25. ^ WWE NXT results - March 16, 2016: American Alpha and Vaudevillains square off for title opportunity, Sami Zayn and Shinsuke Nakamura set for Dallas dream match”. WWE.com. 2016年3月16日閲覧。
  26. ^ NXT TakeOver Dallas Results - 4/1/16 (Balor vs. Joe)”. Wrestleview.com. 2016年4月1日閲覧。
  27. ^ WWE NXT Live Event Results From Concord (4/7): Shinsuke Nakamura And Finn Balor Team, Asuka, More”. WrestlingInc.com. 2016年4月7日閲覧。
  28. ^ WWE NXT Results – 5/25/16 (Triple Threat NXT Women’s Title #1 Contenders Match main events, TM-61 debuts)”. Wrestleview.com. 2016年5月26日閲覧。
  29. ^ NXT TakeOver: The End Results – 6/8/16 (Samoa Joe retains the NXT Title, Austin Aries vs. Shinsuke Nakamura, lots of debuts)”. Wrestleview.com. 2016年6月8日閲覧。
  30. ^ WWE”. WWE.co.jp. 2016年7月3日閲覧。
  31. ^ 中邑真輔、日本凱旋でジェリコを撃破アンブローズが3Way戦制し防衛 - スポーツナビ”. sports.yahoo.co.jp. 2016年7月3日閲覧。
  32. ^ Video – Shinsuke Nakamura Wins The NXT Championship”. SeScoops.com. 2016年8月21日閲覧。
  33. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000030-tospoweb-fight
  34. ^ WWE Smackdown Results – 4/4/17 (Fallout from WrestleMania 33)”. Wrestleview.com. 2017年4月4日閲覧。
  35. ^ NXT stars debut on Smackdown Live, Nikki Bella taking time off from WWE”. Wrestleview.com. 2017年4月4日閲覧。
  36. ^ WWE Backlash Results – 5/21/17 (Orton vs. Mahal, Nakamura debut)”. Wrestleview.com. 2017年5月21日閲覧。
  37. ^ WWE SummerSlam Results WWE SummerSlam Results – 8/20/17 (Fatal 4-Way headlines in Brooklyn)”. Wrestleview.com. 2017年8月20日閲覧。
  38. ^ 【WWE】中邑 日本人初の王座奪取ならず!インドの怪人にまさかのフォール負け”. 東スポweb. 2017年8月21日閲覧。
  39. ^ 週刊プロレス2017年9月13日号pp.37-39.
  40. ^ 中邑真輔フォール負け、ヘビー級王座挑戦またも失敗 日刊スポーツ 2017年10月9日17時2分(2017年10月11日閲覧)
  41. ^ Royal Rumble 2018 results: Shinsuke Nakamura wins men’s Royal Rumble after epic battle”. sbnation.com. 2018年1月28日閲覧。
  42. ^ 【レッスルマニア34速報】偉業失敗の中邑真輔、まさかの逆ギレで王者AJを暴行!”. Sporting News. Perform Group (2018年4月9日). 2018年4月9日閲覧。
  43. ^ WWE Extreme Rules 2018 results: Lashley upends Reigns, Kevin Owens takes scary fall”. Sporting News. 2018年7月16日閲覧。
  44. ^ 12月18日収録[1]
  45. ^ PWMania.com (2018年12月25日). “WWE SmackDown Results – December 25, 2018”. PWMania.com Staff. 2018年12月26日閲覧。
  46. ^ WWE Royal Rumble 2019 LIVE results: Latest updates and matches as they happened”. Mirror. 2018年1月28日閲覧。
  47. ^ WWE Extreme Rules 2019 Results: Winners, Grades, Highlights And Analysis”. Forbes. 2019年7月14日閲覧。
  48. ^ Braun Strowman def. Shinsuke Nakamura to win the Intercontinental Title”. WWE.com. 2020年3月4日閲覧。
  49. ^ 中邑アチョ~! カンフーで武藤越え!?”. 多重ロマンチック (2008年4月7日). 2014年4月6日閲覧。
  50. ^ スポーツアルバムNo.49 pp54 - 55 「NakamuraWords」
  51. ^ ファレル・ウィリアムス「ハッピー」MVにBiS、ふなっしー、オカダカズチカ&中邑真輔が出演”. OTOTOY (2014年5月1日). 2015年3月13日閲覧。
  52. ^ IWGPインターコンチネンタル選手権・中邑vs飯伏の煽りVTRのスピンオフ企画「中邑真輔×テンプラキッズverのMV『ミイラキラー』」がYouTubeで公開中!!”. 新日本プロレスリング (2015年1月28日). 2015年3月13日閲覧。
  53. ^ 新日本プロレスリング:中邑がジャイアント馬場を語る! 新日本vs旧UWFの内幕! 『日本プロレス事件史』Vol.3は、11月17日(月)発売!”. 新日本プロレスリング (2014年11月15日). 2014年11月17日閲覧。
  54. ^ Nakamura’s entrance theme is the No .1 iTunes soundtrack song”. WWE. 2016年4月16日閲覧。
  55. ^ 棚橋&中邑両選手がTVCMに出演”. 新日本プロレスリング. 2017年11月30日閲覧。
  56. ^ 日清のどん兵衛「禁断の出会い 篇」”. 日清食品グループ. 2019年5月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]