シッド・ビシャス

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シッド・ビシャス
シッド・ビシャスの画像
プロフィール
リングネーム シッド・ビシャス
ロード・ヒューマンガス
ザ・ビシャス・ウォリアー
シッド・ジャスティス
サイコ・シッド
本名 シドニー・レイ・ユーディー
身長 206cm
体重 144kg
誕生日 1960年7月4日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アーカンソー州の旗 アーカンソー州
ウェスト・メンフィス
トレーナー トージョー・ヤマモト
デビュー 1987年
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シッド・ビシャスSid Vicious)のリングネームで知られるシッド・ユーディーSid Eudy1960年7月4日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーアーカンソー州ウェスト・メンフィス出身。サイコ・シッドSycho Sid)、シッド・ジャスティスSid Justice)などのリングネームでも知られ、WWF(現・WWE)やWCWで活躍した。

身長200cm超、体重140kgの筋骨隆々の肉体を誇る。技術面は荒削りで素行の悪さでも有名であったが、全盛期の1990年代は数々の問題行動を起こしながらも業界から消えることなく、その人間離れしたパワーと風貌および存在感から、メジャー団体のWWFとWCWを行き来し、トップスターとして活躍し続けた。

2001年以降は、インディー団体を中心に活動している。ちなみに、セックス・ピストルズベーシストシド・ヴィシャスとは同姓同名の別人(日本ではプロレスラーの方をシッド・ビシャスと表記しているため大きな混乱はない)。

来歴[編集]

日系レスラーのトージョー・ヤマモトのコーチを受け、1987年にデビュー。アイスホッケーのマスクを付けた覆面レスラーロード・ヒューマンガスLord Humongous[1]の名でアラバマ地区で活動する。その後、素顔に戻りテネシーCWAマットでシッド・ビシャスと改名。1989年2月にはビシャス・ウォリアーのリングネームで新日本プロレスに初来日、両国国技館藤波辰巳IWGPヘビー級王座に挑戦した。

帰国後、シッド・ビシャス名義でWCWに移籍し、ダニー・スパイビーとの巨人タッグ、スカイ・スクレイパーズを結成(マネージャーテディ・ロング)。シッドは怪我により休養を余儀なくされるが、スパイビーはマーク・キャラスを新パートナーに同タッグを継続した。復帰後にはフォー・ホースメンのメンバーとなり、トップ戦線で活躍。

1991年夏、ハルク・ホーガンの後継者候補としてWWFに引き抜かれる。当初はシッド・ジャスティスと名乗りベビーフェイスとして活躍。しかし、ロイヤルランブルでの遺恨を発端にホーガンと仲間割れして抗争を展開、レッスルマニアVIIIでは「ホーガン引退試合」の相手を務めた。

1993年、WCWに復帰。同年10月28日、イギリス遠征中にアーン・アンダーソンと口論になった際、彼の胸部・腹部をハサミで数箇所突き刺し、解雇される(「アンダーソン事件 / Arn Anderson's stabbing incident」とも呼ばれる)。ステロイド剤の常用による情緒不安定が原因とも言われる。

WCWを解雇された後、1994年にはメンフィスUSWAに復帰し、ジェリー・ローラーとの抗争を始める。1994年7月16日には、(筋書き上)試合前に対戦相手のローラーを襲って負傷させて、不戦勝によりUSWA統一ヘビー級王者となる。その後1995年2月6日に、ローラーに王座を奪還された。

1995年2月20日、WWFと再契約。前述の事件もあってか、狂人ヒールサイコ・シッドとしての復帰だった(入場曲も映画『サイコ』の有名なテーマ曲のアレンジだった)。主にショーン・マイケルズとの抗争を展開、1996年11月には彼を破りWWF世界ヘビー級王座を奪取。同王座を巡ってマイケルズ、ブレット・ハートストーン・コールド・スティーブ・オースチンジ・アンダーテイカーらと抗争したが、1997年夏に再び脱退。

ECWへの短期参戦などを経て、1999年夏よりWCWに復帰。ランディ・サベージ派閥「チーム・マッドネス」のメンバーとなる。ミレニアム・マンと名乗り、2000年1月24日、ケビン・ナッシュとの王座決定戦を制しWCW王座を奪取。ハルク・ホーガンの結成したミリオネアーズ・クラブにも参加した。2001年1月、試合中に脚を骨折して以降は半ばセミリタイア状態。

2007年にはWWE登場の噂が相次ぎ、ビンス・マクマホンとも復帰についての会談を持ったとされている。

2008年11月7日には、かつてテネシー地区(CWA / USWA)で抗争を展開したジェリー・ローラーのレスラー生活35周年記念試合の対戦相手も務めた。 その後もアメリカ国内のインディー団体の試合に時折出場し、全盛期と変わらぬ肉体・風貌と暴れっぷりでファンから声援を浴びる。

2012年6月、WWEのRAWに電撃登場。ヒース・スレイターを得意技のパワーボムで圧倒しおよそ15年ぶりにWWEのリングで白星をあげた。

得意技[編集]

強烈な投げっぱなし式のパワーボム。自身と同じ位の巨体であるケビン・ナッシュアンダーテイカーをも綺麗に投げ捨てた事もある。
なおシッドは、発案者のテリー・ゴディ以後、アメリカ国内でパワーボムを広めた第一人者である。
この直後パワーボムにつなぐ場合もあれば、このままフォールすることもある。時折、膝を付いて落とす形も使用する。
若い頃は、軽量級相手ならば片手で投げる事もあった。
1999年から2000年初頭にかけて、クリス・ベノワとの抗争直後に短期間ながら使用。これでナッシュからWCW世界王座を奪っている。
2001年1月のWCWのPPV「SIN」において、スコット・スタイナーに対しセカンドロープからこの技を仕掛けたが、着地に失敗し左足を膝下から完全骨折した。

獲得タイトル[編集]

コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回
  • NWAコンチネンタル・タッグ王座:1回(w / シェーン・ダグラス
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWAヘビー級王座:1回
ユナイテッド・ステーツ・レスリング・アソシエーション
  • USWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • USWA統一世界ヘビー級王座:2回
ワールド・レスリング・フェデレーション
NWAノースイースト
  • NWAノースイースト・ヘビー級王座:1回
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング

逸話[編集]

  • 無類のソフトボール好きとして知られる。WCW時代は試合をサボって草ソフトボールの試合に出場していたこともしばしばだった。

脚注[編集]

  1. ^ 映画『マッドマックス2』に登場する同名キャラクターにインスパイアされたギミックで、1980年代当時のアメリカ・マット界には同じリングネームおよびギミックのレスラーが南部エリアを中心に複数存在した(Online World of Wrestling)

外部リンク[編集]