マイク・ジョーンズ (プロレスラー)

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バージル
バージルの画像
2009年
プロフィール
リングネーム バージル(ヴァージル)
ビンセント(ヴィンセント)
シェイン
カーリー・ビル
ミスター・ジョーンズ
ラシャス・ブラウン
ソウル・トレイン・ジョーンズ
本名 マイケル・ジョーンズ
(マイク・ジョーンズ)
身長 180cm
体重 98kg(全盛時)
誕生日 (1962-06-13) 1962年6月13日
死亡日 (2024-02-28) 2024年2月28日(61歳没)[1][2]
※生年月日は1951年4月7日、没年齢は72歳ともされる[3]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テネシー州の旗 テネシー州
デイヴィッドソン郡ナッシュビル
トレーナー アファ・アノアイ
ラリー・シャープ
デビュー 1986年
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マイク・ジョーンズMichael "Mike" Jones1962年6月13日 - 2024年2月28日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州ナッシュビル出身のアフリカ系アメリカ人

WWEにおけるバージルVirgil)のリングネームで特に知られる[3]。生年月日は1951年4月7日ともされる[3]

来歴[編集]

初期[編集]

バージニア大学を卒業後、プロレスラーとしてデビュー[4]1986年9月17日にはラシャス・ブラウンLucius Brown)の名義でWWFのTVテーピングに出場し、ポール・オーンドーフジョバーを務めている[5]

デビュー後はジェリー・ジャレットジェリー・ローラーが主宰していたテネシー州メンフィスCWAにおいて、ソウル・トレイン・ジョーンズSoul Train Jones)をリングネームベビーフェイスのポジションで活動。1987年1月5日、ビッグ・ババを破りCWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[6]。戴冠中はアメリカ修行時代のターザン後藤トージョー・ヤマモトらを相手に防衛戦を行い[7]、3月2日にはニック・ボックウィンクルAWA世界ヘビー級王座にも挑戦した[8]。4月6日には黒人レスラーの大先輩ロッキー・ジョンソンと組み、ババ&ゴライアスの巨漢コンビからAWA南部タッグ王座を奪取している[9]

WWF[編集]

左からボビー・ヒーナン、バージル、テッド・デビアスアンドレ・ザ・ジャイアント(1988年)

1987年夏、バージルVirgil)と改名してヒールに転向し、"ミリオンダラー・マン" テッド・デビアスのボディーガードとしてWWFに本格参戦。なお、"Virgil" のリングネームはボビー・ヒーナンのアイデアにより、当時のWWFのライバル団体NWAジム・クロケット・プロモーションズの幹部だったダスティ・ローデスの本名から取られている[10]。以降、主人デビアスのセコンドを務めつつ試合にも時折出場し、ハルク・ホーガンランディ・サベージとの抗争に介入した[10]

しかし、デビアスの横暴ぶりに耐えかね、1991年1月19日のロイヤルランブルにてデビアスを殴打してベビーフェイスに転向[11]。以降はフルタイムのレスラーとして活動し、1991年全般に渡ってデビアスとの抗争を展開、3月24日のレッスルマニアVIIではロディ・パイパーの援護でデビアスを破り[12]、8月26日のサマースラムではデビアスからミリオンダラー王座(Million Dollar Championship)を奪取した[13]。11月27日のサバイバー・シリーズにはパイパー、ブレット・ハートブリティッシュ・ブルドッグとのチームで出場し、リック・フレアー、デビアス、ザ・マウンティーザ・ウォーロードのチームと対戦している[14]

1992年4月5日のレッスルマニアVIIIでの8人タッグマッチでもナスティ・ボーイズブライアン・ノッブスからフォールを奪い、自チーム(バージル、ビッグ・ボスマンハクソー・ジム・ドゥガンサージェント・スローター)を勝利に導くなど[15]、WWFのプッシュは続いたがブレイクには至らず、以後はネイルズヨコズナなどヒールのニュー・カマーのPPVデビュー戦におけるジョバーを任されるようになる。1993年も新番組『マンデー・ナイト・ロウ』のジョバー要員となり、1994年8月にWWFを退団した[10]

WCW[編集]

1996年、WWFを離脱しnWoのスポンサーを演じていたテッド・デビアスの招きでWCWに登場。かつてWWFがNWAを揶揄して彼をバージルと名付けたように、WWFへの面当てとしてビンス・マクマホンのファーストネームであるビンセントVincent)にリングネームが変更され[10]、"Head of Security" の名目でnWoメンバーのセコンド役を務めた。1999年3月14日にはnWoのBチーム「nWoブラック&ホワイト」のリーダーの座をかけて、PPV "Uncensored 1999" にてスティービー・レイと対戦したが敗れている[16]

nWo消滅後は、WWFからヘッドハンティングされたビンス・ルッソ[17]が仕切る "Powers That Be" のアングルにおいて、シェインShane)と改名してルッソの部下を演じる。このアングルは、当時WWFでビンス・マクマホンが率いていたコーポレーションのパロディであり[18]、シェインの名はビンスの息子シェイン・マクマホンを嘲ってネーミングされた[10]

1999年の末には黒人カウボーイカーリー・ビルCurly Bill)に変身し、カート・ヘニングバリー・ウインダムらが結成していたウエスト・テキサス・レッドネックスに加入[19]。その後はミスター・ジョーンズMr. Jones)の名義でアーネスト "ザ・キャット" ミラー[20]マネージャーを短期間担当した。

引退後[編集]

2000年にWCWを離れて引退してからは、大学時代に取得した数学の学位を活かし、ペンシルベニア州ピッツバーグにてカトリック・ハイスクールの数学教師に転じた[21]。教鞭を執る一方でインディー団体にも時折参戦し、2005年1月29日にフロリダ州タンパで開催されたリユニオン・イベント "WrestleReunion" では、グレッグ・バレンタインジェイク・ロバーツバグジー・マグローチャボ・ゲレロ・シニアノーマン・スマイリーらと共にバトルロイヤルに出場[22]2006年3月5日の "World Wrestling Legends" ではリック・スタイナーと対戦した[10]

2010年5月17日、テッド・デビアス・ジュニアのボディーガードとしてWWERAWに登場。6月14日の放送ではデビアス・ジュニアとタッグを組み、ゲスト・ホストの俳優マーク・フォイアスタイン(Mark Feuerstein)とビッグ・ショーのチームと対戦するなど、短期間ながら16年ぶりのWWE復帰を果たした[10]

WWF時代のテッド・デビアスとのコンビは主人と召使の主従関係だったが、プライベートでの両者は兄弟のように親しい友人同士であり、ジョーンズはデビアスのことをレスラーとしても人間としても尊敬していたという[21]

2019年11月には旧リングネームのソウル・トレイン・ジョーンズとしてオール・エリート・レスリングに出演した[23]。その後、2度の脳卒中を患い、2022年4月に認知症と診断された[24]。その1ヶ月後には、ステージ2の結腸癌とも診断された[25]

2024年2月28日、脳卒中と認知症による合併症のため死去[26]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
ワールド・レスリング・フェデレーション

脚注[編集]

  1. ^ Virgil (Mike Jones) Passes Away At Age 61”. Wrestlezone (2024年2月28日). 2024年2月28日閲覧。
  2. ^ Virgil, former WWE wrestling star, dies at 61”. NBC News (2024年3月29日). 2024年3月25日閲覧。
  3. ^ a b c Michael "Virgil" Jones Obituary”. Coston Funeral Homes, Inc.. 2024年3月31日閲覧。
  4. ^ WWE Alumni”. WWE.com. 2010年10月1日閲覧。
  5. ^ WWF Wrestling Challenge #4”. Cagematch.net. 2015年11月2日閲覧。
  6. ^ a b CWA International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月1日閲覧。
  7. ^ The USWA matches fought by Virgil in 1987”. Wrestlingdata.com. 2015年11月2日閲覧。
  8. ^ The Records of AWA World Heavyweight Championship Matches 1987”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月2日閲覧。
  9. ^ a b AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月1日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h Wrestler Profiles: Virgil”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  11. ^ WWF Royal Rumble 1991 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  12. ^ WWF WrestleMania VII Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  13. ^ WWF Summer Slam 1991 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  14. ^ WWF Survivor Series 1991 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  15. ^ WWF WrestleMania VIII Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  16. ^ WCW Uncensored 1999 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  17. ^ Miscellaneous Profiles: Vince Russo”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  18. ^ ルッソのボディーガード役のクリエイティブ・コントロールことハリス・ブラザーズ(ロン&ドン・ハリス)は、コーポレーションにおいてビンス・マクマホンの側近を演じていたパット・パターソンジェリー・ブリスコのファーストネームから、パトリック&ジェラルドと名付けられていた。
  19. ^ Faction Profiles: West Texas Rednecks”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  20. ^ Wrestler Profiles: Ernest "The Cat" Miller”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  21. ^ a b Catching up with Virgil”. WWE.com. 2010年10月1日閲覧。
  22. ^ WrestleReunion Wrestling Card”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  23. ^ Watch: Virgil Appears in Chris Jericho's Hilarious Parody Promo on AEW Dynamite”. Comic Book (2019年11月6日). 2024年3月25日閲覧。
  24. ^ Virgil Currently Battling Dementia, Says He’s Had Multiple Strokes Recently”. 411mania (2022年4月16日). 2024年3月25日閲覧。
  25. ^ 'Larger than life': Mike Jones, wrestler better known as Virgil, dies”. Observer Reporter (2024年3月1日). 2022年3月25日閲覧。
  26. ^ 元WWE人気レスラーのバージルさん死去 nWoメンバーで、引退後は数学教師の異色キャリア”. 東スポWEB (2024年2月29日). 2024年3月1日閲覧。

外部リンク[編集]