ラリー・シャープ

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ラリー・シャープ
プロフィール
リングネーム "プリティ・ボーイ" ラリー・シャープ
"ラシャス" ラリー・シャープ
本名 ローレンス・ウェイル
ニックネーム 金髪の吸血鬼
身長 185cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1951年6月26日(65歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州
グロスター郡ポールズボロ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ゴリラ・モンスーン
デビュー 1974年
引退 1991年
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ラリー・シャープ"Pretty Boy" Larry Sharpe、本名:Lawrence Weil1951年6月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーニュージャージー州ポールズボロ出身。

プロレスラー養成所モンスター・ファクトリー」の主宰者としても知られる。

来歴[編集]

選手時代[編集]

ニュージャージー大学ではレスリングの選手として活動。1974年ゴリラ・モンスーンのトレーニングを受け、WWWFエリアでプロデビューを果たす。以降、フロリダテキサスミッドアトランティックなどNWAの各テリトリーを転戦。1976年4月には全日本プロレス第4回チャンピオン・カーニバルに初来日したが、キャリア不足もあって全敗の最下位に終わった[1]

その後、カナダカルガリースタンピード・レスリングリッパー・コリンズ金髪ヒールタッグチームボディシャス・ブロンズThe Bodacious Blondes)を結成。1976年9月24日、エディ&ジェリー・モローの兄弟チームから同地区認定のインターナショナル・タッグ王座を奪取している[2]。翌1977年1月にはコリンズと共に国際プロレスに来日したが、外国人サイドのエース格としてリップ・タイラーエディ・サリバンのコンビが同時来日していたため、IWA世界タッグ王座への挑戦は見送られた[3]

1977年下期よりパートナーをジャック・エバンス(ROH所属の同名選手とは別人)に代えてWWFに登場。9月26日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、WWFヘビー級王座獲得前のボブ・バックランドとシングルマッチを行っている[4]。同年12月、エバンスと共にハリウッド・ブロンズThe Hollywood Blondes)のチーム名でプエルトリコに遠征し、カルロス・コロン&ビクター・ジョビカを破りWWC北米タッグ王座を獲得[5]1978年末にエバンスとのコンビを解消してシングルプレイヤーとなり、同年11月にハワイドン・ムラコからNWAハワイ・ヘビー級王座を奪取[6]1979年8月には全日本プロレスに再来日、ミル・マスカラスともシングルマッチで対戦している[7]

以降もWWFを主戦場に、1980年8月9日にニューヨークシェイ・スタジアムで行われたビッグイベント "Showdown at Shea" において、アントニオ猪木NWFヘビー級王座に挑戦(試合はWWFマーシャルアーツ・ヘビー級王座戦として行われた)[8][9]。直後に新日本プロレスに初参戦し、外国人サイドの2番手となってスタン・ハンセンのパートナーを務め、9月22日の米子大会では坂口征二の北米ヘビー級王座に挑戦した[10]。WWFには1982年まで中堅ヒールとして出場を続け[11][12]1981年10月4日には地元のニュージャージーにてブルドッグ・ブラワーと組み、リック・マーテル&トニー・ガレアWWFタッグ王座に挑戦している[13]

モンスター・ファクトリー[編集]

シャープは選手としてリングに上がる一方、ケビン・フォン・エリックトニー・アトラスキングコング・バンディらのトレーナーも務めていた。その実績を背景に、同郷のバディ・ロジャースの協力のもと、1983年に地元ニュージャージーのカムデン郡ベルマーにてプロレスラー養成所モンスター・ファクトリーMonster Factory)」を開設。ユニークな人材を次々と発掘、育成して、プロレス界に送り込むことになる。その第1号となったクラッシャー・ユーコフことバンバン・ビガロの出現は、モンスター・ファクトリーの名を世界中に知らしめた。シャープはビガロのマネージャーも担当し、1987年にはビガロに同行して新日本プロレスへ久々に来日。ディック・マードックとの対立アングルも組まれ、ビガロと組んでタッグマッチにも出場した[14]

その後もパートタイムで東部地区のインディー団体に出場していたが、1991年に現役を引退してスクール運営に専念。以来、現在まで数多くのスターを輩出している。プロレスラーとしてのキャリアはB級のポジションで終わったものの、長期間に渡ってWWFで中堅を務めた試合運びの巧さやマイクパフォーマンスのスキルを有する名伯楽として、ビンス・マクマホンブレット・ハートをはじめ彼の手腕に信頼を寄せる関係者は少なくない[15]

主な出身者[編集]

獲得タイトル[編集]

スタンピード・レスリング
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC北米タッグ王座:2回(w / "ダイナマイト" ジャック・エバンス)[5]
NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
  • NWAハワイ・ヘビー級王座:1回[6]

脚注[編集]

  1. ^ AJPW 1976 The 4th Champion Carnival”. Puroresu.com. 2015年9月8日閲覧。
  2. ^ a b Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
  3. ^ IWE 1977 New Year Pioneer Series”. Puroresu.com. 2015年9月8日閲覧。
  4. ^ WWE Yearly Results 1977”. The History of WWE. 2009年5月27日閲覧。
  5. ^ a b WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
  6. ^ a b NWA Hawaii Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
  7. ^ The AJPW matches fought by Larry Sharpe in 1979”. Wrestlingdata.com. 2015年1月19日閲覧。
  8. ^ Showdown at Shea 1980”. Pro-Wrestling History.com. 2010年4月20日閲覧。
  9. ^ WWF Showdown At Shea”. Cagematch.net. 2015年1月19日閲覧。
  10. ^ NJPW Bloody Fight Series 1980 - Tag 26”. Cagematch.net. 2015年1月19日閲覧。
  11. ^ WWE Yearly Results 1980”. The History of WWE. 2010年5月19日閲覧。
  12. ^ WWE Yearly Results 1981”. The History of WWE. 2010年5月19日閲覧。
  13. ^ Events Database: WWF”. Cagematch.net. 2015年9月8日閲覧。
  14. ^ NJPW Blazing Cherry Blossome 1987 - Tag 15”. Cagematch.net. 2015年1月19日閲覧。
  15. ^ Why Choose the Monster Factory?”. The Official Site of Larry Sharpe's MONSTER FACTORY. 2009年5月27日閲覧。

外部リンク[編集]