ラリー・シャープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ラリー・シャープ
プロフィール
リングネーム "プリティ・ボーイ" ラリー・シャープ
"ラシャス" ラリー・シャープ
本名 ローレンス・ウェイル
ニックネーム 金髪の吸血鬼
身長 185cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 (1951-06-26) 1951年6月26日(65歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州
グロスター郡ポールズボロ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ゴリラ・モンスーン
デビュー 1974年
引退 1991年
テンプレートを表示

ラリー・シャープ"Pretty Boy" Larry Sharpe、本名:Lawrence Weil1951年6月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーニュージャージー州ポールズボロ出身。

プロレスラー養成所モンスター・ファクトリー」の主宰者としても知られる。

来歴[編集]

選手時代[編集]

ニュージャージー大学ではレスリングの選手として活動。1974年ゴリラ・モンスーンのトレーニングを受け、WWWFエリアでプロデビューを果たす。以降、フロリダテキサスミッドアトランティックなどNWAの各テリトリーを転戦。1976年4月には全日本プロレス第4回チャンピオン・カーニバルに初来日したが、キャリア不足もあって全敗の最下位に終わった[1]

その後、カナダカルガリースタンピード・レスリングリッパー・コリンズ金髪ヒールタッグチームボディシャス・ブロンズThe Bodacious Blondes)を結成。1976年9月24日、エディ&ジェリー・モローの兄弟チームから同地区認定のインターナショナル・タッグ王座を奪取している[2]。翌1977年1月にはコリンズと共に国際プロレスに来日したが、外国人サイドのエース格としてリップ・タイラーエディ・サリバンのコンビが同時来日していたため、IWA世界タッグ王座への挑戦は見送られた[3]

1977年下期よりパートナーをジャック・エバンス(ROH所属の同名選手とは別人)に代えてWWFに登場。9月26日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、WWFヘビー級王座獲得前のボブ・バックランドとシングルマッチを行っている[4]。同年12月、エバンスと共にハリウッド・ブロンズThe Hollywood Blondes)のチーム名でプエルトリコに遠征し、カルロス・コロン&ビクター・ジョビカを破りWWC北米タッグ王座を獲得[5]1978年末にエバンスとのコンビを解消してシングルプレイヤーとなり、同年11月にハワイドン・ムラコからNWAハワイ・ヘビー級王座を奪取[6]1979年8月には全日本プロレスに再来日、ミル・マスカラスともシングルマッチで対戦している[7]

以降もWWFを主戦場に、1980年8月9日にニューヨークシェイ・スタジアムで行われたビッグイベント "Showdown at Shea" において、アントニオ猪木NWFヘビー級王座に挑戦(試合はWWFマーシャルアーツ・ヘビー級王座戦として行われた)[8][9]。直後に新日本プロレスに初参戦し、外国人サイドの2番手となってスタン・ハンセンのパートナーを務め、9月22日の米子大会では坂口征二の北米ヘビー級王座に挑戦した[10]。WWFには1982年まで中堅ヒールとして出場を続け[11][12]1981年10月4日には地元のニュージャージーにてブルドッグ・ブラワーと組み、リック・マーテル&トニー・ガレアWWFタッグ王座に挑戦している[13]

モンスター・ファクトリー[編集]

シャープは選手としてリングに上がる一方、ケビン・フォン・エリックトニー・アトラスキングコング・バンディらのトレーナーも務めていた。その実績を背景に、同郷のバディ・ロジャースの協力のもと、1983年に地元ニュージャージーのカムデン郡ベルマーにてプロレスラー養成所モンスター・ファクトリーMonster Factory)」を開設。ユニークな人材を次々と発掘、育成して、プロレス界に送り込むことになる。その第1号となったクラッシャー・ユーコフことバンバン・ビガロの出現は、モンスター・ファクトリーの名を世界中に知らしめた。シャープはビガロのマネージャーも担当し、1987年にはビガロに同行して新日本プロレスへ久々に来日。ディック・マードックとの対立アングルも組まれ、ビガロと組んでタッグマッチにも出場した[14]

その後もパートタイムで東部地区のインディー団体に出場していたが、1991年に現役を引退してスクール運営に専念。以来、現在まで数多くのスターを輩出している。プロレスラーとしてのキャリアはB級のポジションで終わったものの、長期間に渡ってWWFで中堅を務めた試合運びの巧さやマイクパフォーマンスのスキルを有する名伯楽として、ビンス・マクマホンブレット・ハートをはじめ彼の手腕に信頼を寄せる関係者は少なくない[15]

主な出身者[編集]

獲得タイトル[編集]

スタンピード・レスリング
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC北米タッグ王座:2回(w / "ダイナマイト" ジャック・エバンス)[5]
NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
  • NWAハワイ・ヘビー級王座:1回[6]

脚注[編集]

  1. ^ AJPW 1976 The 4th Champion Carnival”. Puroresu.com. 2015年9月8日閲覧。
  2. ^ a b Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
  3. ^ IWE 1977 New Year Pioneer Series”. Puroresu.com. 2015年9月8日閲覧。
  4. ^ WWE Yearly Results 1977”. The History of WWE. 2009年5月27日閲覧。
  5. ^ a b WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
  6. ^ a b NWA Hawaii Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
  7. ^ The AJPW matches fought by Larry Sharpe in 1979”. Wrestlingdata.com. 2015年1月19日閲覧。
  8. ^ Showdown at Shea 1980”. Pro-Wrestling History.com. 2010年4月20日閲覧。
  9. ^ WWF Showdown At Shea”. Cagematch.net. 2015年1月19日閲覧。
  10. ^ NJPW Bloody Fight Series 1980 - Tag 26”. Cagematch.net. 2015年1月19日閲覧。
  11. ^ WWE Yearly Results 1980”. The History of WWE. 2010年5月19日閲覧。
  12. ^ WWE Yearly Results 1981”. The History of WWE. 2010年5月19日閲覧。
  13. ^ Events Database: WWF”. Cagematch.net. 2015年9月8日閲覧。
  14. ^ NJPW Blazing Cherry Blossome 1987 - Tag 15”. Cagematch.net. 2015年1月19日閲覧。
  15. ^ Why Choose the Monster Factory?”. The Official Site of Larry Sharpe's MONSTER FACTORY. 2009年5月27日閲覧。

外部リンク[編集]