バリー・ウインダム

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バリー・ウインダム
バリー・ウインダムの画像
1986年
プロフィール
リングネーム バリー・ウインダム
ブラックジャック・マリガン・ジュニア
ダーティー・イエロー・ドッグ
ザ・ウィドウメイカー
ザ・ストーカー
ブラックジャック・ウインダム
本名 バリー・クリントン・ウインダム
ニックネーム 蒼き狼[1]
身長 198cm
体重 125kg(全盛時)
誕生日 (1960-07-04) 1960年7月4日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州
ノーラン郡スウィートウォーター
トレーナー ブラックジャック・マリガン
ハーリー・レイス
デビュー 1979年11月11日
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バリー・ウインダムBarry Clinton Windham1960年7月4日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州スウィートウォーター出身。父親はブラックジャック・マリガン、弟はケンドール・ウインダムディック・マードックは義理の叔父、マイク・ロトンドは義兄弟にあたる。

父親譲りの長身の持ち主だが、大型ラフファイターだったマリガンとは対照的に、インサイドワークを駆使する技巧派として活躍した[1]1980年代から1990年代を全盛期に、NWAWCWWWFなど各メジャー団体で実績を残している[2]

来歴[編集]

ドン・ムラコと対戦するウインダム(1980年)

1979年11月11日、父のブラックジャック・マリガンと叔父のディック・マードックが当時プロモートしていたテキサス州アマリロ地区(ザ・ファンクスが売却したNWAウエスタン・ステーツ・スポーツ[3])のテリトリーであるニューメキシコ州デミングにおいて、ジプシー・ジョーを相手にデビュー[4]

1980年2月より、エディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区のCWFに参戦[5]金髪と長身、そして甘いマスクを持ったベビーフェイスの新鋭として売り出され、同年には早くもバグジー・マグローミスター・サイトースーパー・デストロイヤーらを破り、同地区認定のTV王座を通算3回獲得した[2]

以降もCWFを主戦場に、ダスティ・ローデスやマリガンとのタッグで活躍。シングルでは1981年1月12日にドリー・ファンク・ジュニアからフロリダ・ヘビー級王座を[6]1982年12月18日にはグレッグ・バレンタインから南部ヘビー級王座を奪取[7]1980年代前半はリッキー・スティムボートポール・オーンドーフケリー・フォン・エリックブッチ・リードらと共に、次期NWA世界ヘビー級王者候補の一人として期待を集めた。

1983年11月、全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦ロン・フラーとの2メートル・コンビで初来日[8]。キャリア不足もあって勝ち星には恵まれなかったものの、リッキー・スティムボート以来の初来日選手に対するコールが起こった。なお、来日第1戦となる開幕戦(大阪府立体育館)で対戦し、リーグ戦の優勝チームとなったスタン・ハンセンブルーザー・ブロディの両者は、ジョージアテキサスなどアメリカ南部におけるブラックジャック・マリガンのライバルでもあった。

1984年10月、フロリダでのタッグパートナーだったマイク・ロトンドと共にWWFと契約。ロトンドとのタッグチームUSエクスプレスThe U.S. Express)と名付けられ、1985年1月21日にはノース・サウス・コネクション(ディック・マードック&アドリアン・アドニス)を破り、WWF世界タッグ王座を獲得した[9]。同年3月31日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで行われたレッスルマニア第1回大会にてアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフに敗れ王座から陥落するも、6月17日に奪還に成功[9]。しかし、8月24日にドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)にタイトルを奪われ、同年10月にWWFを離脱した[10]

1986年1月、ロトンドとのコンビで全日本プロレスに再来日[11]。その後は古巣のフロリダを経て、同年末よりジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)に定着、リック・フレアーNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[12]1987年5月から12月にかけては、クロケット・ジュニアが買収したビル・ワットUWFにも出場して、UWF世界ヘビー級王者のビッグ・ババ・ロジャースと抗争を展開[13]。ミッドアトランティック本隊では、1988年3月27日にフォー・ホースメンを脱退したレックス・ルガーと組んでアーン・アンダーソン&タリー・ブランチャードからNWA世界タッグ王座を奪取するが[14]、数週間後にルガーを裏切ってヒールに転向、ルガーと入れ替わる形でホースメンの新メンバーとなった[2]

1988年11月のテッド・ターナーのクロケット・プロ買収によるWCW発足後もフレアーのパートナーとなって活動していたが、1989年3月に一時WCWを離脱し、ザ・ウィドウメイカーThe Widowmaker)を名乗って6月よりWWFに短期間登場[2]ポール・ローマサム・ヒューストンレッド・ルースターココ・B・ウェアなどから勝利を収め、ティト・サンタナとも対戦したが、トップ戦線に絡むことはなかった[15]

1990年には全日本プロレスへの3度目の来日を果たし、3月6日に日本武道館にてジャンボ鶴田三冠ヘビー級王座に挑戦[16]、その後WCWに復帰する。復帰後は再びホースメンに加わるも、1991年からはベビーフェイスに戻り、ダスティン・ローデスとの南部人タッグを結成した[2]。同年3月、当時WCWと提携していた新日本プロレスに初参戦し、1992年8月のG1 CLIMAXにも出場[17]1993年2月21日にはノースカロライナ州アッシュビルでグレート・ムタを破り、復活版のNWA世界ヘビー級王座を奪取している[18]

ザ・ストーカー(1996年)

1994年のWCW退団後はしばらくマット界から離れていたが、1996年末より密猟者ギミックのベビーフェイス、ザ・ストーカーThe Stalker)としてWWFに登場。ジェリー・ローラーハンター・ハースト・ヘルムスリースティーブ・オースチンファルーク・アサッドらと対戦した[19]。翌1997年からは父マリガンと同様に黒ずくめのカウボーイ・スタイルとなって、ジャスティン・ブラッドショーを相棒に、ニュー・ブラックジャックスThe New Blackjacks)を結成[20]。かつて父がブラックジャック・ランザとのコンビで一世を風靡した名タッグチーム、ザ・ブラックジャックスをリメイクした[2]。同年の暮れには全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に、ニュー・ブラックジャックスとして参加[21]。1983年の初来日以来、14年ぶりの最強タッグ出場を果たしている。

1998年にブラッドショーとのコンビを解消してヒールに転向、ジム・コルネットがWWF内で結成した「NWA軍」に加入するがファンの反応は鈍く、同年よりWCWに復帰する。しばらくは前座のポジションに甘んじていたものの、1999年カート・ヘニングボビー・ダンカン・ジュニア、実弟のケンドール・ウインダムらと共に、カウボーイ・ユニットのウエスト・テキサス・レッドネックスThe West Texas Rednecks)を結成[22]。同年2月21日にはヘニングと組みトーナメント決勝でクリス・ベノワ&ディーン・マレンコを、8月23日にはケンドールとの兄弟チームでハーレム・ヒートスティービー・レイ&ブッカー・T)をそれぞれ破り、WCW世界タッグ王座を2回に渡って獲得した[23]

1999年にWCWを離れ、プエルトリコWWCテッド・デビアスがプロデュースしたWXOなどを転戦。2000年にはケンドールとのウインダム・ブラザーズで全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦に来日、通算3回目の出場を果たした[24]2001年からはダスティ・ローデスが興したTCWに参加、以降はセミリタイア状態となり、各地のインディー団体へのスポット参戦を続けた。2004年5月にはIWAジャパンに来日。マイク・ロトンドの引退試合に三宅綾を加えたトリオで出場した[25]

2006年、プロデューサーとしてWWEと契約したが、2008年に解雇されている。2012年、リック・フレアー、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャードおよびマネージャーJ・J・ディロンと共に、フォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた[26]

2024年、マイク・ロトンドとのUSエクスプレスとして再度のWWE殿堂入りを果たした[27]。4月5日にペンシルベニア州フィラデルフィアウェルズ・ファーゴ・センターで行われた式典では、甥のボー・ダラスがインダクターを務めた[28]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

後方はロニー・ガービン(1987年)
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・エンターテインメント
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC世界タッグ王座:1回(w / ケンドール・ウインダム)
NWAサザン・チャンピオンシップ・レスリング
ミュージック・シティ・レスリング
  • NWA北米ヘビー級王座:1回
NWAニューイングランド
  • NWAニューイングランド・ヘビー級王座:1回
ターンバックル・チャンピオンシップ・レスリング
  • TCWヘビー級王座:2回

脚注[編集]

  1. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P82(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f Barry Windham”. Online World of Wrestling. 2009年9月30日閲覧。
  3. ^ NWA Western States Sports”. Wrestling-Titles.com. 2024年1月4日閲覧。
  4. ^ The MMP matches fought by Barry Windham in 1979”. Wrestlingdata.com. 2024年1月4日閲覧。
  5. ^ The CWF matches fought by Barry Windham in 1980”. Wrestlingdata.com. 2024年1月4日閲覧。
  6. ^ NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
  7. ^ NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
  8. ^ The AJPW matches fought by Barry Windham in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  9. ^ a b History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月29日閲覧。
  10. ^ WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2015年3月28日閲覧。
  11. ^ The AJPW matches fought by Barry Windham in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  12. ^ フレアーはウインダムを手の合ったライバルの一人として認めており、その試合巧者ぶりを「自分と技術で渡り合える数少ないレスラー」「60分フルタイム闘っても苦にならない相手」などと高く評価している。また、酒と女にも強く、何度も負かされたとも語っている(DVD『リック・フレアー アルティメット・コレクション』DISC-1 / 2004年、ジェネオン・エンタテインメント)。
  13. ^ The UWF matches fought by Barry Windham in 1987”. Wrestlingdata.com. 2023年11月22日閲覧。
  14. ^ NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  15. ^ The WWE matches fought by Barry Windham in 1989”. Wrestlingdata.com. 2023年11月22日閲覧。
  16. ^ The AJPW matches fought by Barry Windham in 1990”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  17. ^ The NJPW matches fought by Barry Windham in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  18. ^ NWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  19. ^ The WWE matches fought by Barry Windham in 1996”. Wrestlingdata.com. 2023年11月22日閲覧。
  20. ^ The WWE matches fought by Barry Windham in 1997”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  21. ^ The AJPW matches fought by Barry Windham in 1997”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  22. ^ カート・ヘニングの父ラリー・ヘニングとウインダムの父ブラックジャック・マリガン1970年11月、国際プロレスにチームを組んで来日し、IWA世界タッグ王座を奪取している。また、ボビー・ダンカン・ジュニアの父ボビー・ダンカンとブラックジャック・マリガンは、ウインダムがデビューした1980年にNWAミッドアトランティック地区で抗争を繰り広げた仲だった。
  23. ^ WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。
  24. ^ The AJPW matches fought by Barry Windham in 2000”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  25. ^ IWA Japan Mike Rotundo Retirement Show”. Cagematch.net. 2015年3月28日閲覧。
  26. ^ WWE Superstars: The Four Horsemen”. WWE.com. 2012年3月31日閲覧。
  27. ^ WWE Hall of Fame 2024: U.S. Express to Be Honored & Inducted in Philly”. Sports Illustrated Network (2024年3月8日). 2024年3月20日閲覧。
  28. ^ Full coverage of the 2024 WWE Hall of Fame Induction Ceremony”. WWE.com (2024年4月5日). 2024年4月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]