ソロファ・ファトゥ

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ソロファ・ファトゥ
5.22.11RikishiByLuigiNovi.jpg
プロフィール
リングネーム リキシ
リキシ・ファトゥ
ソロファ・ファトゥ・ジュニア
スモー・リキシ
ジュニア・ファトゥ
キシ
ハッスル・リキシ
ザ・サルタン
ファトゥ
ファトゥ・サモアン
トンガ・キッド・アロファ
トンガ・キッド
JRスムーズ
本名 ソロファ・ファトゥ・ジュニア
身長 185cm
体重 180kg
誕生日 (1965-10-11) 1965年10月11日(52歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州
サンフランシスコ
トレーナー アファ・アノアイ
デビュー 1985年
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ソロファ・ファトゥSolofa Fatu Jr.1965年10月11日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーカリフォルニア州サンフランシスコ出身のサモア系アメリカ人[1]リキシRikishi)などのリングネームで知られる。

兄はトンガ・キッド、アイランダー・タマ、サモアン・サベージなどのリングネームで活躍したサム・ファトゥ。弟はウマガ、ジャマールなどのリングネームで活躍したエディ・ファトゥ。息子にウーソズというタッグチームで活動している双子の兄のジミー・ウーソことジョナサン・ファトゥと弟のジェイ・ウーソことジョシュア・ファトゥ

来歴[編集]

キャリア初期[編集]

1985年トンガ・キッドTonga Kid)のリングネームでプロレスラーデビューを果たす。ICW(International Championship Wrestling)などアメリカ合衆国北東部を拠点とする団体に参戦。

1986年11月、新日本プロレスに参戦する為、初来日を果たす。従兄弟のワイルド・サモアンとのタッグで出場。12月7日にはディック・マードックと組んでアントニオ猪木 & 藤原喜明と対戦するが敗戦した。

1988年、リングネームをファトゥFatu)、ワイルド・サモアンはサムゥへと変更。更に兄であるサモアン・サベージを迎えてサモアン・スワット・チームThe Samoan Swat Team)なるユニットを結成。9月19日にAWA(American Wrestling Association)にてWCWA世界タッグ王座を獲得。

1989年2月、サムゥとサモアン・サベージと共にNWA加盟団体であるWCWと契約を交わし入団。サムゥとのサモアン・スワット・チーム、サモアン・サベージとのワイルド・サモアンズThe Wild Samoans)でロード・ウォリアーズロード・ウォリアー・ホーク & ロード・ウォリアー・アニマル)やミッドナイト・エクスプレスといったタッグチームを相手にNWA世界タッグ王座、NWA USタッグ王座を巡り抗争するもベルトを奪取するに至らなかった。

1990年11月、サムゥと従兄弟であるグレート・コキーナと共にUWA(Universal Wrestling Association)に参戦。1991年2月には日本の団体であるSWSにてサベージと共に参戦。

WWF / WWE[編集]

1992年2月、WWFと契約を交わし入団。10月よりサムゥとのタッグにおいて首狩り族ギミックとしたザ・ヘッドシュリンカーズThe Headshrinkers)へと変更。ハイエナジー(ココ・B・ウェア & オーウェン・ハート)やナチュラル・ディザスターズアースクエイク & タイフーン)といった実力派タッグを相手に連勝を重ねる。

1993年3月1日、RAWにてタッグプレイヤーながらWWF世界ヘビー級王座へと挑戦権を与えられ、王者であるブレット・ハートに挑戦するもベルトを奪取するに至らなかった。ブレット・ハートとの対戦以降、再びタッグ戦線に戻りナスティ・ボーイズブライアン・ノッブス & ジェリー・サッグス)、スモーキン・ガンズ(ビリー・ガン & バート・ガン)などのタッグチームに連勝し、トップ戦線へと昇格。

1994年4月26日、WWF世界タッグ王座を保持するザ・ケベッカーズ(ジャック & ピエール)と対戦して勝利し、ベルトを奪取した。8月にはディーゼル & ショーン・マイケルズと抗争を展開するが28日に敗戦し、王座から陥落。この敗戦によりサムゥとのタッグを解消し、11月よりパートナーをシオネへと変更するが中堅の座へと甘んじる事になり1995年6月にシオネとのタッグを解消する事になった。

1995年7月よりシングルプレイヤーへと転向。1996年8月にアイアン・シークが勧誘してきたアラビアの怪人ギミックザ・サルタンThe Sultan)へと変更。アメリカ人への反感を買うキャラクターで売り出し、1997年3月23日には年間最大のPPVであるWrestleMania 13にてWWF IC王座を保持するロッキー・メイビアに挑戦するもベルトを奪取するに至らなかった。

WrestleMania 13以降、これといった活躍をする事ができず1998年よりカナダの団体であるECCW(Elite Canadian Championship Wrestling)やPPW(Power Pro Wrestling)で活動。

1999年10月、WWFに復帰。ヨコズナの力士ギミックを受け継いだリキシ・ファトゥRikishi Fatu)のリングネームで15日のHEATに登場し、クラッシュ・ホーリーを相手に完勝。新たな武器として自身の尻を活用してクラッシュ・ホーリー、ハードコア・ホーリーを相手に秒殺勝利を重ね凶悪なキャラクターとして売り出していたが12月よりトゥー・クール(スコッティ・2・ホッティ & グランマスター・セクセイ)と関わるようになってから巨体に似合わぬ華麗なダンスと憎めない笑顔でコミックレスラーとして人気を博す。

2004年、Tribute to the Troops

2000年1月、リングネームをリキシRikishi)へとマイナーチェンジ。WWFヨーロピアン王座、WWF IC王座に挑戦するがいずれも奪取するに至らなかったものの、6月20日のSmackDown!にてWWF IC王座を保持するクリス・ベノワに挑戦して勝利し、ベルトを奪取した。また、同月に行われたKing of the Ring 2000では決勝まで進出するもカート・アングルに敗戦した。

9月18日のRAWではエディ・ゲレロの代役として出場したチャイナに容赦なくサモアンドロップを与えてから止めにバンザイドロップを決め、12月10日のArmageddon 2000ではアルマゲドン・ヘル・イン・ア・セルマッチでスティールケージ上段からジ・アンダーテイカーよりチョークスラムで牧草を敷いたトラックに投げ捨てられるなどWWE史上の名場面を作る活躍を見せる。

2001年3月、WCWより移籍してきたハクと関取タッグを組んでブラザーズ・オブ・デストラクションケイン & ジ・アンダーテイカー)と抗争するもインパクトを残す事ができず、ハクとのタッグは短命に終わる。また故障により長期欠場となりWWF vs WCW & ECW連合軍、アライアンスとの抗争に参加する事が出来なかった。

2001年12月6日のSmackDown!にてザ・ロックビンス・マクマホンに対して行ったキス・マイ・アス・クラブにて電撃復帰し、ビンスから尻にキスをさせた。

WCWから移籍してきたレスラー達の増員などの関係もあり中堅へと降格し、2002年よりタッグプレイヤーへと転向。4月よりザ・ハリケーンと組んでWWF世界タッグ王者チームであるビリー & チャック(ビリー・ガン & チャック・パルンボ)と抗争するがベルトを奪取する事が出来ないままザ・ハリケーンとのタッグは解消。しかし、5月19日のJudgment Day 2002にてリコとの急造タッグでビリー & チャックからタッグを奪取した。

2003年レイ・ミステリオタジリとのタッグでロス・ゲレロス(エディ・ゲレロ & チャボ・ゲレロ)、チーム・アングル(チャーリー・ハース & シェルトン・ベンジャミン)とWWE世界タッグ王座を巡り抗争を展開するもベルトを奪取するに至らず。10月より故障により長期離脱していたスコッティ・2・ホッティの復帰によりタッグを再結成。バシャム・ブラザーズダグ・バシャム & ダニー・バシャム)、FBIと抗争し、2004年2月3日のSmackDown!にてバシャム・ブラザーズからWWE世界タッグ王座を奪取した。以前より体重の増量により120kg前後までウエイトを絞るようダイエットを命じられるものの、体重を落としてはリバウンドを繰り返したため4月25日のSmackDown!に出場したのを最後にWWEから解雇となった。

インディー団体[編集]

WWE解雇後、従兄弟であるアファが主宰する団体であるWXW(World Xtreme Wrestling)にてトレーナーを兼任しながらインディー団体に参戦。

2004年9月20日、日本の団体であるハッスルにて橋本真也により体型が似ているという事から築いた友好関係により助けに呼ばれたという程で参戦し、ハッスル・リキシHustle RIKISHI)のリングネームで出場。長州力と組んでダン・ボビッシュ & オヤジガリと対戦して勝利した。12月5日、メキシコの団体であるAAAに参戦。コナンと組んでシベルネティコ & ラ・パルカと対戦するが試合には付き合わずに反則を繰り返した。

2005年10月、イタリアを拠点とする団体であるNWE(New Wrestling Entertainment)にキシKishi)のリングネーム参戦。29日にはバンピーロとハードコアマッチを行い勝利した。2006年6月から12月にかけてスポット参戦した際には従兄弟であるブラック・パールとのタッグで活動。

2007年2月17日、全日本プロレスのPro-Wrestling Love in Kokugikan Vol.2にスモー・リキシSUMO RIKISHI)のリングネームで参戦。当初は荒谷望誉と組む予定だったが、「8流レスラーの荒谷なんかと組めない」とクレームした為にジョニー・ダンへとタッグパートナーが変更。 & 大鷲透と対戦するが曙の64でダンが呆気なく轟沈。これに憤慨したリキシはダンにスティンクフェイスを炸裂させて溜飲を下げた。7月15日、AAA年間最大のイベントであるTripleMania XVに外国人レスラーユニット、ラ・リージョン・エクステンヘラの一員として出場。ヘッドハンターA & ロン・キリングス & サブゥーと組んでエル・ソロ & ラ・パルカ & ザ・アニマル & ラテン・ラバーと対戦して勝利した。9月、TNAにてジュニア・ファトゥJunior Fatu)のリングネームでスポット参戦。メキシカンユニットであるLAXラテン・アメリカン・エクスチェンジ)の助っ人として登場。10月16日、ファイト・フォー・ザ・ライトトーナメントに出場し、1回戦でボビー・ルードと対戦して勝利。翌17日にはTNA年間最大のPPVであるTNA Bound For Glory 2007にてファイト・フォー・ザ・ライトトーナメントのリバース・バトルロイヤルに出場するが勝利するに至らなかった。

2015年、Hall of Fame

2008年4月12日、日本の団体であるIGFリキシRIKI-SHI)のリングネームで参戦。オーランド・ジョーダンと対戦して勝利。同月、NWEに参戦。ブラック・パール、フベントゥ・ゲレーラロブ・ヴァン・ダムとタッグを組んでクリス・モルデツキーハイデンライク、オーランド・ジョーダンと対戦。

2009年、ブラック・パールとギャングレルと共同経営でKPA(KnokX Pro Academy)を設立。11月、ハルク・ホーガンオーストラリアにて開催したイベントであるハルカマニアにソロファ・ファトゥ・ジュニアSolofa Fatu Jr.)のリングネームで参戦WWF時代の相棒であった ブライアン・クリストファーとのタッグで出場し、同月21日には従兄弟であるオス・ファトゥ &オーランド・ジョーダン、同月28日にはブラック・パール & バンパイア・ウォリアーと対戦していずれも勝利している[2]

2011年5月21日、NWS(National Wrestling Superstars)にてダニー・ドーリングと対戦して勝利。10月1日、WXWにてサムゥとヘッドシュリンカーズを再結成。そして甥であるランス・アノアイと組んでニュージャージー・シルク(ダニー・インフェルノ & ジューダス・ヤング & トミー・フィエッロ)と対戦して勝利。

2012年7月、WWEのRAWにてRAW1000回放送記念に向けてレジェンドレスラー達と対戦していたヒース・スレイターの対戦相手として登場し、バンザイドロップで勝利。試合後は息子タッグのウーソズジミー & ジェイ・ウーソ)と共に8年ぶりにWWEのリングでダンスパフォーマンスを披露した。12月1日、GLCW(Great Lakes Championship Wrestling)にてトゥー・クール(スコッティ・2・ホッティ & グランマスター・セクセイ)とトリオを再結成。アルマンド・エストラーダ & ビリー・ガン & ジェイ・ブラッドリーと対戦して勝利。

2013年5月4日、SlamFest 2013にてブライアン・クリストファーと組んで2・タフ・トニー & トミー・ドリーマーと対戦して勝利。9月7日、KPAにて甥のジェイコブ・ファトゥ & ブラック・パールとサモアン・ダイナスティThe Samoan Dynasty)なるユニットを結成。エル・プレシデンテ & マーベリック & プリマールと対戦して勝利。10月19日、BCW(Border City Wrestling)にてジョニー・スウィンガーと対戦して勝利。

2014年1月6日、WWEのRAW Old Schoolにトゥー・クールと共に出場。3MB(ヒース・スレイター & ドリュー・マッキンタイア & ジンダー・マハル)と対戦して勝利し、3人でのダンスを披露した。6月14日、トミー・ドリーマーが主宰するHOH(House Of Hardcore)に参戦。Xパックと組んでマット・ストライカー & ギャングレルと対戦して勝利。10月18日、イングランドの団体であるRPW(Revolution Pro Wrestling)にてトゥー・クールと共に参戦。レボリューショニスツ(シャー・サミュエルズ & テリー・フレイザー & ジョシュ・ボドム)と対戦して勝利。

2015年3月28日、WWE殿堂に迎えられる。インダクターは息子でありウーソズが務めた[3]

その他[編集]

プロレス界を代表するレスリング・ファミリーであるアノアイ・ファミリーの一員。

得意技[編集]

ランプシェイカー。リバーススプラッシュ式ヒップドロップ。
  • スティンクフェイス
コーナーでダウンした相手の顔に巨大なをぐりぐりと押し付ける拷問技。ビンス・マクマホンも餌食になったことがある。

獲得タイトル[編集]

UWA
WWC
  • WWCカリビアンタッグ王座:1回(w / サムゥ
WCCW / WCWA
  • WCWAテキサスタッグ王座:1回(w / サムゥ)
  • WCWA世界タッグ王座:3回(w / サムゥ)
WWF / WWE

入場曲[編集]

  • Bad Man
  • You Look Fly Today

脚注[編集]

  1. ^ Rikishi”. Online World of Wrestling. 2015年7月25日閲覧。
  2. ^ Hulkamania “Let the Battle Begin” 2009”. Online World of Wrestling. 2009年10月28日閲覧。
  3. ^ 2015 WWE Hall Of Fame Report: Kevin Nash, Randy Savage, Arnold Schwarzenegger, Connor Michalek, More”. Wrestlinginc.com. 2015年3月28日閲覧。

外部リンク[編集]