アーノルド・スコーラン
| アーノルド・スコーラン | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム |
アーノルド・スコーラン アーニー・スコーラン ボビー・ウィーバー |
| ニックネーム | ゴールデン・ボーイ |
| 身長 | 183 cm |
| 体重 | 110 kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1925年1月21日 |
| 死亡日 | 2007年3月13日(82歳没) |
| 出身地 |
ニューヨーク州ホワイト・プレインズ |
| 所属 | WWE |
| デビュー | 1946年 |
| 引退 | 1978年 |
アーノルド・スコーラン(Arnold Skaaland, 1925年1月21日 - 2007年3月13日)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、プロレスリング・マネージャー。ニューヨーク州ホワイト・プレインズ出身のノルウェー系アメリカ人。
来歴
[編集]1946年にアーノルド・スコーラン名義でデビュー。1950年代はジョージア州でボビー・ウィーバー(Bobby Weaver)の名で活動していた。WWWF(現WWE)の発足前からニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンを拠点に活躍。1962年4月には日本プロレスの第4回ワールドリーグ戦に来日している。1967年6月には前王者の離脱により、WWE世界タッグ王座の前身であるWWWF・USタッグ王座に認定された(パートナーはスパイロス・アリオン)[1]。
レスラー引退後はベビーフェイス陣営のマネージャーに転向し、通算11年間に渡りWWWF世界ヘビー級王座を保持したブルーノ・サンマルチノのマネージャーとして活躍。時折サンマルチノのパートナーなどでリングに復帰することもあった。サンマルチノの事実上の引退後は、新たにWWFの主役となったボブ・バックランドのマネージャーを担当。1983年12月26日、バックランドがアイアン・シークに敗れてWWFヘビー級王座から転落した試合で、ギブアップを示すセコンドのタオル投入を行ったのが彼であった。その後は表舞台から退き、WWFの裏方として働いていた。
1994年、長年の功績によりWWF殿堂入りを果たした(プレゼンターはボブ・バックランド)。2007年3月13日死去。82歳没。
日本には新日本プロレスにアンドレ・ザ・ジャイアントのマネージャーとしても登場し、1981年9月23日の田園コロシアムでのアンドレVSスタン・ハンセンの試合などで映像にも登場している。また、高森朝雄(梶原一騎)の『ジャイアント台風』では、ジャイアント馬場がサンマルチノの世界王座に挑戦するところで、サンマルチノのマネージャーとしてスコーランが登場し暗躍する。
息子のジョージ・スコーランもプロレスラーとなり、1988年3月に全日本プロレスに来日している。
マネージメントを担当したレスラー
[編集]脚注
[編集]- ^ “WWWF United States Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月29日閲覧。