ブルータス・ビーフケーキ

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ブルータス・ビーフケーキ
ブルータス・ビーフケーキの画像
プロフィール
リングネーム ブルータス・ビーフケーキ
エド・レスリー
エディ・ボールダー
ディジー・ホーガン
ディサイプル
ザ・ゾディアック
ザ・ブッチャー
ブーティー・マン
本名 エドワード・ハリソン・レスリー
ニックネーム ザ・バーバー
身長 191cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1957年4月21日(58歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州の旗 フロリダ州タンパ
トレーナー ハルク・ホーガン
イワン・コロフ
デビュー 1978年
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ブルータス "ザ・バーバー" ビーフケーキBrutus "The Barber" Beefcake)のリングネームで知られるエド・レスリーEdward Harrison Leslie1957年4月21日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーフロリダ州タンパ出身。

ハルク・ホーガンとは幼馴染であり、兄のように慕っていた。

来歴[編集]

1978年のデビュー後、テネシー州メンフィスCWAにて、当時のハルク・ホーガンのリングネームであったテリー・ボールダーにあやかり、エディ・ボールダーと名乗って活動[1]。兄弟タッグチームという設定のもと、テリー&エディのボールダー・ブラザーズとして、ロン・バス&ソニー・キングやブロンド・ボンバーズ(ラリー・レイザム&ウェイン・ファリス)などのチームと対戦した[1]。その後、テリー・ボールダーがハルク・ホーガンに改名して注目を浴びるようになると、レスリーもディジー・ホーガンに改名してホーガンの弟と称するなど、ギミックとは知らず2人を本当の兄弟だと信じていたファンも多かった。

1980年にホーガンが新日本プロレスに登場して常連外国人となると、1982年8月にホーガンの弟として、エド・レスリーの名義で新日本に初来日。新日本プロレスはレスリーをホーガンとの「兄弟タッグ」で売り出そうとしたが、レスリーがタッグ結成を拒否し、ホーガンとのマッチメイクを希望したためお蔵入りとなる(拒否の理由は、「自分は兄ホーガンを倒すためにレスラーになったから」というものだった。実際、来日時は一度もタッグを組んでおらず、レスリーは外国人エース格のマスクド・スーパースターサージェント・スローター、さらには国際軍団ラッシャー木村とも共闘し、新日本陣営にいたホーガンと対戦した)[2]

1980年代

翌年ホーガンがWWF(現WWE)と契約したことから、ホーガンの仲介でレスリーも1984年よりWWF入りを果たす。WWFでは顔の一部を整形してブルータス・ビーフケーキを名乗り、モデルからプロレス入りした唯一の男をギミックに、ジョニー・バリアントをマネージャーに付けてキザなヒールとして活躍。1985年にはグレッグ・バレンタインとのタッグ "ザ・ドリーム・チーム" を結成し、同年8月24日にバリー・ウインダム&マイク・ロトンドUSエクスプレスを破りWWF世界タッグ王座を奪取。翌1986年4月7日のレッスルマニア2において、ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスブリティッシュ・ブルドッグスに敗れるまで戴冠した[3]

1987年にバレンタイン&バリアントと仲間割れを起こし、ベビーフェイスに転向。アドリアン・アドニスとも抗争を開始し、レッスルマニアIIIで行われたロディ・パイパー対アドニスの髪切りマッチにおいて、パイパーに加担して敗者アドニスの髪を切ったことからザ・バーバー(散髪屋)のニックネームが付けられる。これをきっかけに、園芸用の大バサミを持っての入場パフォーマンスを展開。「ザ・バーバーショップ」なるインタビューコーナーも担当し、理髪店を模したセットを舞台に、主にヒールサイドのレスラーを相手に舌戦を展開した。もともとレスラーとしての技能よりもトークの上手さなどのタレント性が評価されていたこともあり、このフェイスターンは成功を収めた。

しかし1990年パラセーリング中のアクシデントで顔面を強打し長期欠場を余儀なくされる。翌年にフェイスマスクを付けて復帰するが、レギュラー出場は見送られスポット的にリングに上がっていた。1993年に映画出演などで一時引退していたホーガンがWWFに復帰すると、タッグチーム "メガ・マニアックス" を結成。1990年代前半にはホーガンの新日本プロレス参戦の条件としてビーフケーキも同行するという決まりがあったため、新日本でも何度か試合を行っている。

1994年にホーガンがWCWへ移籍すると自身もWCWと契約。当初はケビン・サリバン率いるダンジョン・オブ・ドゥームのメンバーとしてホーガンと敵対していたが、nWoではホーガンの「信者」として共闘した。WCW時代はザ・ブッチャーザ・ゾディアックディサイプルなどリングネームを数多く変えているが、どれも活躍はできなかった。その後、WWF時代に起こしたパラセーリング事故の後遺症によって、しばらく試合を行っていない。

2000年代に入ってからはインディー団体に単発的にゲスト参戦しており、2007年8月にはJCW(Juggalo Championship Wrestling)にてかつての名パートナー、グレッグ・バレンタインとのザ・ドリーム・チームを再結成してJCWタッグ王座争奪8チームエリミネーションマッチに出場している。

2009年11月にはハルク・ホーガンがオーストラリアにて開催したイベントであるハルカマニアに参加し、ジョン・ハイデンライクオーランド・ジョーダンといった元WWEのレスラーたちと対戦した。

2010年4月26日、CWI(Championship Wrestling International)にてジム・ナイドハートのCWIヘビー級王座に挑戦、カウントアウトでの勝利でベルトを奪取している[4]2011年にはブッシュワッカー・ルークとも度々タッグを組んだ。2013年はPWR(Pro Wrestling Rampage)にてグレッグ・バレンタインとのザ・ドリーム・チームを再々結成している。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション
チャンピオンシップ・レスリング・インターナショナル
  • CWIヘビー級王座:1回[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b The USWA matches fought by Brutus Beefcake in 1979”. Wrestlingdata.com. 2015年3月29日閲覧。
  2. ^ The NJPW matches fought by Brutus Beefcake in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年3月29日閲覧。
  3. ^ a b History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2015年3月29日閲覧。
  4. ^ a b CWI Brawl At The Bush - Laying The Smackdown On Cancer”. Cagematch.net. 2015年3月29日閲覧。
  5. ^ NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月29日閲覧。

外部リンク[編集]