スーパースター・ビリー・グラハム

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スーパースター・ビリー・グラハム
スーパースター・ビリー・グラハムの画像
Superstar in May 2008
プロフィール
リングネーム スーパースター・ビリー・グラハム
ウェイン・コールマン
本名 エルドリッジ・ウェイン・コールマン
ニックネーム 鉄腕
身長 193cm
体重 125kg(全盛時)
誕生日 (1943-09-10) 1943年9月10日(73歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アリゾナ州の旗 アリゾナ州
パラダイスバレー
スポーツ歴 アメリカンフットボール
ボディビル
パワーリフティング
トレーナー スチュ・ハート
デビュー 1970年[1]
引退 1987年[1]
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スーパースター・ビリー・グラハム"Superstar" Billy Graham、本名:Eldridge Wayne Coleman1943年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーアリゾナ州パラダイスバレー出身。

1970年代を代表する文字通りのスーパースター。1980年代以降続々と登場するハルク・ホーガンジェシー・ベンチュラランディ・サベージなどのボディビルダー系、マッチョマン系と称されるタイプのレスラーたちのモデルとなった人物であり[2]、彼の存在がプロレス史を変えたとすら言われる。来日した際に付けられたキャッチコピーは「鉄腕」。

怪力と反則を駆使したスタイルでテクニックには乏しかったが、観客とのやり取りやマイクパフォーマンスには抜群の才能を発揮し、ヒールでありながら脅威的な人気を誇った。ハルク・ホーガンも元々は彼の熱狂的なファンの一人であったことは有名。饒舌で知られるリック・フレアーも、元々はグラハムの話術をコピーしたと告白している[3]。一方、プロモーション・インタビューの慣習がなく言葉の通じない日本のマット界では現役当時の評価は低く、「木偶の坊」「期待外れ」などと呼ばれた[4]

来歴[編集]

10代の頃からアメリカンフットボール陸上投てき競技で活躍し、ボディビルのコンテストでは優勝経験も持つ。1968年AFLオークランド・レイダーズヒューストン・オイラーズのトライアウトに参加したが、ロースターには残れず、CFLカルガリー・スタンピーダーズからも開幕前に解雇された。以後、同じくCFLのモントリオール・アルエッツと契約し、5試合にディフェンシブ・エンドとして出場した[5]。その後、ボディビルで鍛えた肉体を活かすべくプロレス転向を決意、CFLの先輩でもあるスチュ・ハートのトレーニングを受け[6]1970年1月に本名のウェイン・コールマン名義でデビュー[1][7]

同年夏、NWAロサンゼルス地区にてドクター・ジェリー・グラハムと出会い、長男ジェリー、次男エディ・グラハム、三男ルーク・グラハムからなるグラハム兄弟の「末弟」としてスーパースター・ビリー・グラハムリングネームを名乗った[6]。スーパースターは当時大ヒットしていたミュージカルジーザス・クライスト・スーパースター』から、ビリーはキリスト教伝道師ビリー・グラハムからそれぞれ付けられたとされる[6]

その後、サンフランシスコ地区に北上し、1971年1月7日にパット・パターソンと組み、レイ・スティーブンス&ピーター・メイビアから同地区認定のNWA世界タッグ王座を奪取[8]1972年からはAWAに参戦してワフー・マクダニエルとの抗争で名を売り、1974年8月16日にはビル・ロビンソンを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得[9]。同年9月、王者として国際プロレスの『スーパー・ワイド・シリーズ』に初来日し、10月1日に大分大分県立荷揚町体育館、10月5日に名古屋愛知県体育館にてマイティ井上の挑戦を退け防衛に成功[10][11]。10月7日の越谷大会で井上に敗れタイトルは失ったものの、同じボディビル出身のアニマル浜口とのベンチプレス対決など数々の話題を残した[12]。シリーズ中はAWAでも共闘していたバロン・フォン・ラシクと組み、9月23日に日大講堂にてラッシャー木村&グレート草津IWA世界タッグ王座にも挑戦している[10][11]。また、9月15日の後楽園ホール大会では、入場曲として前述のミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のテーマ曲が流された。これは日本のプロレス界で使用された入場テーマ曲の草分けである[13]

1975年テキサス東部のダラス地区にて、4月4日にブラックジャック・ランザ、8月5日にマッドドッグ・バションからテキサス・ブラスナックル王座を奪取[14]。その後、ノースカロライナ地区を経て、10月よりグラン・ウィザードマネージャーに迎えてWWWFに初参戦。12月15日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンに初登場し、ドミニク・デヌーチを9秒で一蹴[15][16]。翌1976年1月12日の定期戦では、ブルーノ・サンマルチノWWWFヘビー級王座に挑戦してカウントアウト勝ちを収めている(タイトルは移動せず)[15][17]。同年8月には新日本プロレスに来日。9月3日にイワン・コロフとのコンビで坂口征二&ストロング小林北米タッグ王座に挑戦し、9月10日には品川にてアントニオ猪木とシングルマッチで対戦した[18]

帰国後はNWA圏のフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に参戦。11月22日にダスティ・ローデスからNWAフロリダ・ヘビー級王座を、翌1977年4月2日にはオックス・ベーカーと組んでジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した[19][20]。その勢いでWWWFに戻り、1977年4月30日、メリーランド州ボルティモアにてブルーノ・サンマルチノを破りWWWFヘビー級王座を獲得、第7代王者となる[21][22]

王座戴冠後は「悪党チャンピオン」として、ミル・マスカラス、ダスティ・ローデス、ピーター・メイビア、ゴリラ・モンスーンチーフ・ジェイ・ストロンボートニー・ガレアロッキー・ジョンソンイワン・プトスキーヘイスタック・カルホーンなどのベビーフェイス勢を相手に防衛戦を行い[1]1978年2月20日にマディソン・スクエア・ガーデンでボブ・バックランドに敗れるまで10ヵ月間王座を保持[21][22]。当時のWWWFでヒールの王者がこれだけの長期政権を築いたのは極めて異例のことであり、MSGの定期戦を毎月ソールドアウトにするなど、彼の悪役人気の高さが窺い知れる[6]。なお、王座陥落直前の1978年2月には新日本プロレスに再来日し、2月8日に日本武道館にて坂口征二とタイトルマッチを行い、リングアウト勝ちで防衛に成功している[23]。また、同年1月25日にはフロリダ州マイアミマイアミ・オレンジボウルにて開催された『スーパーボウル・オブ・レスリング』において、当時のNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスとの史上初のダブルタイトルマッチも行われた(60分時間切れ引き分けで両者タイトル防衛)[24][25]

王座陥落後の1979年4月、国際プロレスに再来日。4月21日に高岡にて、ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に金網デスマッチで挑戦した[11]。同年の秋からはテネシー州メンフィスCWAに参戦、ジェリー・ローラービル・ダンディーとCWA世界ヘビー級王座を争った[26](テネシーではザ・ハルクこと若手時代のハルク・ホーガンとも対戦している)。1980年1月にはダラス地区でマーク・ルーインとテキサス・ブラスナックル王座を争ったが[14]、長年使用していたステロイド剤の副作用の影響により、以降しばらくマット界から姿を消すこととなる[27]

一時はによる死亡説も囁かれたが[6][12]1982年下期よりマーシャルアーツ・スタイルに変身してWWFにカムバック[28]。スキンヘッドに口髭を蓄えビジュアルイメージも一新させて再起を図り、ボブ・バックランドとの抗争を再開したものの、筋肉はそげ落ち往時のスーパースターの面影はなかった(WWF復帰前の同年1月、通算5回目の来日となる新日本プロレスへの参戦が急遽実現し、その変わり果てた姿を見せた[29])。しかしながら、復帰後もWWFではトップヒールとして迎えられ、バックランドのWWFヘビー級王座には、10月4日、11月22日、12月28日と同年のMSG定期戦にて3ヵ月連続で挑戦[30]ペドロ・モラレスが保持していたインターコンチネンタル・ヘビー級王座にも東部各地で挑戦した[31]

以降は古巣のAWAやNWAの南部テリトリーを転戦[27]。フロリダではケビン・サリバン率いるヒール軍団「アーミー・オブ・ダークネス」に加入してダスティ・ローデスやブラックジャック・マリガンと抗争、1984年5月には当時のNWA世界ヘビー級王者ケリー・フォン・エリックに連続挑戦した[32]。同年6月10日にはビリー・ジャック・ヘインズからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取、久々のタイトル戴冠を果たしている[19]ジム・クロケット・ジュニアが運営していたミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングでは、ポール・ジョーンズをマネージャーにアブドーラ・ザ・ブッチャーコンガ・ザ・バーバリアンと共闘、1984年11月22日開催のスターケードではAWA時代の旧敵ワフー・マクダニエルと対戦し[33]、以降もマニー・フェルナンデスジミー・バリアントと抗争を展開した[34]

その後、再び体調を崩してセミリタイア状態となり、1986年下期にベビーフェイスのレスラー兼カラー・コメンテーターとしてWWFと再契約。ハーキュリーズブッチ・リードとの抗争を経て、1987年11月に現役を引退した[1]。引退後はフェイスターンしたドン・ムラコのマネージャーを務めていたが、1988年に解雇される。以降はWWFとの関係が険悪になり、テレビ番組でWWF内部の薬物使用問題を暴露[6]1990年代に行われた「ステロイド裁判」では検察側の証人としてビンス・マクマホンに不利な証言をするなど、以降10年間以上に渡ってWWFとは絶縁状態となった[2][12]

2003年にビンス・マクマホンと和解し、翌2004年にはWWE殿堂に迎えられた(インダクターはトリプルH[35]。その後もステロイド剤の危険性を訴える活動を行う一方、特別ゲストとしてWWEのテレビ放送に時折登場している[1]2015年11月にはWWEとのレジェンド契約が結ばれた[36]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

WWWF / WWE
NWAサンフランシスコ
NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
  • NWAハワイ・ヘビー級王座:1回[37]
NWAビッグタイム・レスリング
  • NWAテキサス・ブラスナックル王座:3回[14]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:2回[19]
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / オックス・ベーカー[20]
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回[1]
インターナショナル・レスリング・エンタープライズ
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWA世界ヘビー級王座:1回[26]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g Billy Graham”. Online World of Wrestling. 2015年3月12日閲覧。
  2. ^ a b Superstar Graham not sentimental about Hall of Fame ring auction”. SLAM! Sports. 2009年8月6日閲覧。
  3. ^ リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P58-59(2004年、エンターブレインISBN 4757721536
  4. ^ プロレスアルバム16『THE HEEL』P48-49(1981年、恒文社
  5. ^ Superstar Billy Graham Made It Big in Wrestling - Now the Steroids That Got Him There May Be Killing Him”. Phoenix New Times. 2013年9月29日閲覧。
  6. ^ a b c d e f Superstar Billy Graham: Ring legend”. SLAM! Sports (July 4, 2000). 2010年4月24日閲覧。
  7. ^ The Stampede matches fought by Billy Graham in 1970”. Wrestlingdata.com. 2016年10月28日閲覧。
  8. ^ a b NWA World Tag Team Title [San Francisco]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月24日閲覧。
  9. ^ a b IWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月24日閲覧。
  10. ^ a b The IWE matches fought by Billy Graham in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  11. ^ a b c 『忘れじの国際プロレス』P101-102(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802
  12. ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P55(1996年、日本スポーツ出版社
  13. ^ 週刊プロレス』No.1760、平成26年10月15日号(10月1日発行)P101(2014年、ベースボール・マガジン社)
  14. ^ a b c NWA Texas Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月2日閲覧。
  15. ^ a b Madison Square Garden - The 70s”. The History of WWE. 2014年11月30日閲覧。
  16. ^ The WWE matches fought by Billy Graham in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  17. ^ The WWE matches fought by Billy Graham in 1976”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  18. ^ The NJPW matches fought by Billy Graham in 1976”. Cagematch.net. 2014年11月30日閲覧。
  19. ^ a b c NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月24日閲覧。
  20. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月24日閲覧。
  21. ^ a b c History of the WWE Championship”. WWE.com. 2010年4月19日閲覧。
  22. ^ a b c WWE World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年10月25日閲覧。
  23. ^ The NJPW matches fought by Billy Graham in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  24. ^ NWA Superbowl Of Wrestling”. Cagematch.net. 2014年11月30日閲覧。
  25. ^ WWE Yearly Results 1978”. The History of WWE. 2010年2月3日閲覧。
  26. ^ a b CWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月24日閲覧。
  27. ^ a b Places: Billy Graham”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  28. ^ The WWE matches fought by Billy Graham in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  29. ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P102(2002年、日本スポーツ出版社)
  30. ^ Madison Square Garden - The 80s”. The History of WWE. 2014年11月30日閲覧。
  31. ^ WWE Yearly Results 1982”. The History of WWE. 2014年11月30日閲覧。
  32. ^ The CWF matches fought by Billy Graham in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  33. ^ The WCW matches fought by Billy Graham in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  34. ^ The WCW matches fought by Billy Graham in 1985”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
  35. ^ a b WWE Hall of Fame”. Online World of Wrestling. 2016年10月25日閲覧。
  36. ^ Superstar Billy Graham returns to the WWE with Legends Contract”. Digital Spy (November 9, 2015). 2016年10月28日閲覧。
  37. ^ NWA Hawaii Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月30日閲覧。

外部リンク[編集]