ブライアン・ダニエルソン

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ブライアン・ダニエルソン
Daniel Bryan IC Champion March 2015.jpg
プロフィール
リングネーム ダニエル・ブライアン
アメリカン・ドラゴン
ブライアン・ダニエルソン
本名 ブライアン・ダニエルソン
ニックネーム Goat Face
(ヤギ男)
身長 178cm
体重 95kg
誕生日 (1981-05-22) 1981年5月22日(35歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントン州の旗 ワシントン州アバディーン
トレーナー ショーン・マイケルズ
ポール・ダイヤモンド
デビュー 1999年4月18日
引退 2016年2月8日
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ブライアン・ダニエルソンBryan Danielson1981年5月22日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーワシントン州アバディーン出身[1]。またWWEにてダニエル・ブライアンDaniel Bryan)のリングネームで活動していた。

本名名義やアメリカン・ドラゴンAmerican Dragon)のリングネームでも知られる。

来歴[編集]

初期・ROHでのキャリア[編集]

ROH時代(2007年)

ショーン・マイケルズ主宰のテキサス・レスリング・アカデミー(Texas Wrestling Academy)でトレーニングを積んだ後、1999年4月18日に同アカデミーが運営するインディー団体TWA(Texas Wrestling Alliance)にてデビュー。同年12月、覆面レスラーのアメリカン・ドラゴンとしてFMWに初来日。その後、WWF(現:WWE)とのデベロップメント契約を経て、新日本プロレスLA道場でトレーニングを積んだ。

2002年10月、新日本LA道場軍として新日本プロレスに初参戦、2004年3月にはカレーマンとのタッグチームIWGPジュニアタッグ王座を獲得した。

2006年12月、ROH世界ヘビー級王者としてプロレスリング・ノアに来日。2008年9月14日、金丸義信を破ってGHCジュニアヘビー級王座を奪取した。本国アメリカでは、ROHレスリング・スクールのコーチを務めながら、ROHのトップレスラーとして活躍し、プロレスリング・ノアのKENTA丸藤正道とも対戦している。また、ノアのリングにはROHのリングでも使っている本名のブライアン・ダニエルソンのリングネームで上がった。

WWE入団 2009年 - 2010年[編集]

2009年にROHと契約が満了し、WWEと契約。契約開始までの間はチカラDRAGON GATE USAなどの団体にフリー参戦した。WWEに昇格と同時にリングネームをダニエル・ブライアンと改め、2010年2月の新番組NXT開始により「ルーキー」の一人として登場、初回から世界ヘビー級王座王者のクリス・ジェリコとシングルマッチを行った。その後は連敗を重ねたものの「プロ」による投票で1位を獲得した。そのしばらく後、最下位脱落のかかったプロによる第二回目の投票が行われる前週にマット・ストライカーがルーキー達に「翌週落とされるのは誰だと思う?」と質問した際、それまでNXTにおいて全敗していることから自分自身が落ちるべきだと発言、同様の発言をしたマイケル・ターヴァーとともに「自信のない人間はWWEに必要ない」というWWE上層部の判断でプロ投票とは別で脱落することとなった。この時のインタビューでブライアンは「"ダニエル・ブライアン"は消えるが、"ブライアン・ダニエルソン"はどうかな?」と意味深な発言をした。その後は(ルーキーとしては脱落したものの)NXTにおいて自身をこき下ろす実況を繰り返したマイケル・コールに怒りの矛先を向け、コールと抗争を展開するというアングルが用意され、NXTのスキットなどでコールと抗争を繰り広げた。それはマイケル・コールが実況を担当するRAWにも波及し、RAWではマット・ストライカーや『師匠』役のザ・ミズまで巻き込んでの抗争のストーリーを展開した。 その後シーズン1が終了、6月7日のRAWでネクサスが誕生し、他の7人と共にリングやその周辺で大暴れ。6月11日WWEから解雇が発表された。レスリングオブザーバーに掲載されたリポートで本人が語ったところによると、ネクサスとしての破壊行動中、リングアナウンサーのジャスティン・ロバーツの首をネクタイで締め上げたことが放送コードに抵触し、それがWWEから解雇された理由とのことである。

その後アメリカインディーでのマットを主体にするかと思われたが、8月16日WWEのPPV、サマースラムで電撃復帰、勝利に貢献。復帰後もNXT時代の自身のプロであったミズと抗争を繰り広げ、9月19日に行われたナイト・オブ・チャンピオンズでミズを破りUS王座を獲得。10月のブラッギング・ライツではUS王者でRAW代表としてSmackDown!IC王者ドルフ・ジグラーと闘い勝利し、この試合がきっかけでジグラーとは抗争することになったが全勝を収めた。11月に二年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リングトーナメントでは予選でテッド・デビアスを破るが、1回戦でアルベルト・デル・リオに敗れた。

NXTシーズン4ではデリック・ベイトマンを指導するプロとして登場した(NXT出身者がプロになったのは唯一ブライアンのみ)。

2011年[編集]

3月、シェイマスによってUS王座を奪われ、レッスルマニアのダーク・マッチにおいて再戦するがランバージャックの暴走により試合は流れた(結局バトルロイヤルに変更され、グレート・カリが優勝)。

4月末に行われた追加ドラフトでスマックダウンに移籍した。その後コーディ・ローデスとの抗争を経て、マネー・イン・ザ・バンクで優勝し、王座へ挑戦する権利を翌2012年のレッスルマニア28で行使する事を公約したが、11月25日のスマックダウンにおいて、ビッグ・ショーマーク・ヘンリーの世界ヘビー級王座戦後の乱闘時に登場して同権利を行使した。この権利行使はヘンリーが試合続行不可能とされたために無効となったが、同日のメイン戦でランディ・オートン、コーディ・ローデス、ウェイド・バレットとの王座挑戦を賭けた4ウェイ戦が行われることとなり、その試合に勝利し、ヘンリーへの挑戦権を獲得。金網戦にて戦うが惜敗した。

12月に開催されたPPVTLCにおいて、ショーとヘンリーの世界ヘビー級王座戦後の乱闘に登場し、新王者ショーに対してマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使して世界ヘビー級王座を獲得した。翌々週の再戦において、ヘンリーが邪魔をしたことで反則勝ちし王座を防衛。その時両手人差し指を空に突き上げ「YES!」を連発するパフォーマンスを開発。さらに翌週、ショーとの王座再々戦にてセコンドについた恋人のAJがショーと衝突したことから、ショーを一方的に非難し、ヘンリーを含めた三つ巴抗争開始と同時にヒールターンした。

2012年[編集]

1月にはロイヤル・ランブル、2月にはエリミネーション・チェンバー・マッチにおいて王座防衛に成功するが、3月にロイヤル・ランブルを制したシェイマスが世界ヘビー級王座への挑戦を表明し、シェイマスとの抗争を開始した。4月のレッスルマニアにて行われた防衛戦では、試合開始直後恒例のAJとのキスをした隙を突かれ、試合時間わずか18秒で王座から陥落してしまう。このことからAJに対して一方的な別れを告げる。そして同月に行われたエクストリーム・ルールズの三本勝負において再度シェイマスに挑戦したが惜敗、同王座路線から退いた。

2012年5月、ビート・ザ・クロックにおいて優勝。CMパンクの所持するWWE王座への挑戦権を獲得し、パンクとの抗争を開始した。AJや、時にはケインも巻き込み抗争を続けたが、7月のマネー・イン・ザ・バンクでの試合に敗れ、抗争は終了した。

8月はサマースラムにてケインに勝利するが、その1週間後の8月27日放送のRAWでGMとなったAJの指示により抗争相手のケインとともにアンガーマネジメント(日本語字幕では「怒り抑制セラピー」)に参加することになってしまう。その流れでタッグを結成することになり、9月10日放送のRAWでタイタス・オニール&ダレン・ヤング組とタッグ王座の挑戦権を賭けて対戦。試合中にケインにチョークスラムで投げ捨てられるも、ヤングの上に覆いかぶさる形になったためフォール勝ちしタッグ王座の挑戦権を獲得。ナイト・オブ・チャンピオンズでコフィ・キングストン&Rトゥルースと対戦した時は、試合中に再び仲間割れ。トップロープに上ったケインを突き落とすが、落とした先が倒れていたコフィだったためそのままカバーしてフォール勝ち。結果的にタッグ王座を取得。ファン投票によりタッグ名を「Team Hell NO(ヘル・ノー)」とし、様々な敵から王座を防衛し、ローデス・スカラーズやシールドとの抗争をしていくうちに徐々にベビーターンしていく。

2013年[編集]

レッスルマニアにおいてドルフ・ジグラービッグ・E・ラングストンと王座戦を行い、ケインのチョークスラムを喰らったジグラーにダイビング・ヘッドバットを喰らわせて勝利、会場中が「YES!」チャントを巻き起こした。

その後はジ・アンダーテイカーをも巻き込んでシールドとの抗争に戻り、戦うが劣勢が続き、5月、エクストリーム・ルールズのトルネード式王座戦にて敗れ王座を失った。 その後、ケインやオートンと共にシールドと戦い、その中で負けが目立ち、かつてローデス・スカラーズに言われた「チームの弱点」という言葉に劣等感を覚え、焦り凶暴化し始め、ケインやオートンとも口論が絶えなくなる。その後SMACKDOWN!にて、オートンとのノーDQ戦での試合中、ダメージを受けて医師の判断で試合中止、敗戦に。自らの実力を示したいブライアンは次のRAWで再度オートンと対戦。今度はカウントアウトで勝つが納得することができず、またもノーDQ戦を行いオートンをタップさせるという驚くべき勝利を果たす。

WWE王座用のオールスター・マネー戦へも出場したが、惜しいところで優勝を逃した。しかし翌日RAWにて、サマースラムでのWWE王座戦の挑戦者を自由に選ぶ権利を得たジョン・シナが権利をファンにゆだねると、ファンは「YES!」チャントを繰り広げたことで、ブライアンが挑戦者となる。サマースラムにおいての試合は激戦となったがブライアンが制し、初のWWE王座に輝いたものの、直後に特別レフェリーのトリプルHの攻撃に遭い、さらにオートンがマネーの権利を行使。王座を失い、そのままオートンのみならずトリプルHの派閥オーソリティーとの抗争が始まった。 権力に物を言わせた敵のやり方に苦しめられながらも9月、ナイト・オブ・チャンピオンズでオートンから王座を取り戻した。かに見えたが翌日、レフェリーが高速でカウントをとったことを共謀と決め付けられ、王座を剥奪された。 10月6日のバトルグラウンド(PPV)でリマッチが行われるも、ビッグショーの乱入によりノーコンテスト。 10月27日、ヘル・イン・ア・セル(PPV)で、リマッチが行われるも、乱入して来たトリプルHを攻撃してしまい、友人トリプルHを守るためショーン・マイケルズがブライアンにスウィート・チン・ミュージックを放ち、オートンに破れることとなった。翌RAWで弁明したHBKを締め上げ、直後ワイアット・ファミリーからの暴行を受けたことでパンクと共にそのまま抗争に移行。 しかしパンクがシールドとの抗争に移行してしまったことで一人でワイアット・ファミリーと戦うことになってしまう。仲間になるよう誘われつつもTLCにおいて3対1のハンディ戦を行い破れる。 翌日のスラミー賞発表会において、スーパースター賞をはじめ数々の受賞をした。 ワイアット達とはさらに抗争は続き、大晦日RAWのガントレット戦にて叩き伏せられ(試合自体は反則含め全勝)てついにファミリー入りを宣言し、ワイアットらに連れられ会場を去った。

2014年[編集]

ワイアット・ファミリーに入ったブライアンは、服装もそれらしいものとなり、ワイアットの指示に従う。試合後に相手選手の暴行をしたり、ワイアットの必殺技を自ら受けるなどの奇怪・凶暴な行為を続けていく。その後ワイアットとのタッグで、ウーソズとの金網式タッグ戦を戦い、その試合で敗れる。その直後ワイアットに反抗し滅多打ちにしてしまうと、次週ファミリーへの加入は、すべてワイアットに対抗するための作戦だったと説明した。ロイヤルランブル2014内で行われたワイアットとのシングル戦に敗退し抗争は終結。

ロイヤルランブル明けよりトリプルHとの抗争を再開。レッスルマニア30でトリプルHとの対戦を要望するようになり、3月10日のRAWにて、大勢のファンと共にリングを占拠。会場とリング上をジャック。「ブライアン対トリプルH」と、「ブライアンが勝てばメインイベントのWWE世界ヘビー級王座戦に加われる」よう要求しそれをトリプルHに了承させた(その後トリプルHは「試合の勝者が王座戦に加われる」と改訂)。

4月6日のWM30にてトリプルHを破り、メインイベントのWWE世界ヘビー級戦トリプルスレットマッチに進出。バティスタからタップアウトを奪いWWE世界ヘビー級王座を奪取した。

4月11日、アリゾナ州セドナブリー・ベラと結婚式をあげた。

4月21日のRAWにて、ステファニーマクマホンより「結婚祝いのプレゼント」としてPPVWWEエクストリーム・ルールズでのケインとのWWE戦を決定したと告げられた。その直後ケインに襲撃され、場外・リング脇の金属製のステップの上・実況アナブースのテーブルの上の3箇所でツームストン・パイルドライバーを見舞われ首を破壊されてしまう。(実際は長年の勤続による疲労が蓄積しドクターストップがかかり手術が決まっていたため、ケインに襲撃されるストーリーが組まれた)。

5月、PPVエクストリーム・ルールズにてケインと防衛線を戦い、勝利したが、フォークリフトのリフトの先からのダイブ技を放った際にさらに首の負傷が悪化させ、緊急手術が行うことになる。5月12日のRAWにて、そのことをファンに伝えたが、直後にケインの襲撃され救急車で搬送され退場。その際妻のブリーとステファニーの間に不穏な空気が流れた。その後5月15日に手術を受けた。

5月26日のRAWにてステファニーが権力を振るい、WWE王座を返上しなければブリーを解雇すると告げた。回答期限は6月1日のPPVペイバックとした。当日ブライアンは王座返上を決意しかけたが、ブリーが現れステファニーにビンタを見舞い自ら退団を表明し夫の王座を守った(後にブリーは復帰)。しかしその翌日のRAWにて、ブライアンの試合復帰目処が立たないことを理由にWWE王座の剥奪が決定、王座を失うこととなった。

6月29日、PPVマネー・イン・ザ・バンクのキックオフショーに登場。当初は6月中(このPPV)の復帰の予定であったが術後の回復が良くなく、右手の握力が戻らない状態であることから復帰は未定、再度手術を受けることも検討中と答えた。10月、右腕に力が入らない症状であると再判明しトミー・ジョン手術を受ける可能性があると公表された[2]。故障後、サバイバー・シリーズ後のRAWなどにゲストGMとして番組に登場していた。12月29日のRAWにて、復帰宣言を行い、ロイヤルランブルの出場を表明した。

2015年[編集]

1月17日のスマックダウンで試合復帰、25日のロイヤルランブルのランブルマッチで10番目に登場したがブレイ・ワイアットにより退場させられた。3月29日、WrestleMania 31にて7wayラダーマッチによるIC王座戦出場。最後にはラダー上でジグラーとのヘッドバット合戦を制して勝利し、ベルトを奪取した[3]。これにより、WWEの現存タイトルをすべて獲得したことになる。4月26日のPPVエクストリーム・ルールズではバッド・ニュース・バレットとの王座防衛戦が予定されていたが、直前のハウスショーでの負傷でキャンセルとなり、治療に専念していたが回復が思わしくなく、5月11日のRAWの番組上で王座の返上と無期限の療養に入ることが発表された。

2016年[編集]

2月8日、自身のTwitterで「医療上の理由」により引退することを発表。また、同日にはRAWに登場。妻であるブリー・ベラを始めとする家族、選手、スタッフ、ファンに感謝を示し、度重なる脳震盪による引退を表明。同時にブリーが妊娠していることも明かした。最後は自身のトレードマークである "YES!" で観客と一体となって行いリングを後にした[4]

パフォーマンス[編集]

  • "YES!" と叫びながら、人差し指を立てた両拳を空に突き上げることを繰り返すムーブ。2011年、世界王座を反則勝ちで防衛した時に使用した事が始まり。2012年、王座戦線で不調となり、婚約したAJ・リーに裏切られたことで怒りを募らせ、そして観客が "YES!" を行う事に憤怒して "NO!" と叫ぶようになる。8月には "NO!" を行う際に床に向けて指を出すようにもなる(徐々に両腕を水平に振り静止を促す動きに変動)。ヘル・ノーのタッグ名の由来の一つでもある。徐々にベビーターンしていくと同時に、自身も "YES!" を多用。場合によってそれぞれのムーブを使い分けるようになった。
  • ブライアンがいない時や、NXTでも観客がこのチャントを真似する光景がよく見られ、アルベルト・デル・リオの試合中にもスペイン語で "Si!Si!" とチャントが起こることもあった。
  • 2013年のスラミー賞では決め台詞賞とファン盛り上げ賞を受賞。2014年には大勢の観客が真似をして盛り上げたことで「YESムーブメント(日本語字幕ではイエス旋風)」と呼ばれるようになった。

獲得タイトル[編集]

APW

  • APWワールドワイドインターネット王座 : 1回

ASW

  • ASW世界ヘビー・ミドル級王座 : 1回

ECWA

ECCW

  • NWAカナディアンジュニアヘビー級王座 : 1回

FIP

  • FIPヘビー級王座 : 1回

IWA

  • IWAプエルトリコヘビー級王座 : 1回

MCW

  • MCW南米ライトヘビー級王座 : 1回
  • MCW南米タッグ王座 : 1回(w/スパンキー

NWA

  • NWA南米ジュニアヘビー級王座 : 1回

PWG

  • PWG世界王座 : 2回

TWA

  • TWAタッグ王座 : 1回(w/スパンキー)

WWE

新日本プロレス

パートナーはカレーマン。アメリカン・ドラゴン名義で獲得。

プロレスリング・ノア

ROH

当時保持していたROH世界王座とのダブルタイトルマッチで勝利して獲得するもベルトを封印する。

wXw

WSW

  • WSWヘビー級王座 : 1回'

入場曲[編集]

  • Horsepower
  • Self Esteem
  • Obsession
  • The Final Countdown
  • I Came to Play
  • The Rage
  • Ride of the Valkyries
  • Big Epic Thing
  • Flight of the Valkyries - 現在使用中

得意技[編集]

ノー・ロック
ロメロスペシャル
キック
ニー・プラス
突進して膝蹴りを喰らわせるフィニッシャー。YES!チャントを数度起こした後に使うこともある。サマースラム2013にてこの技を初披露、WWE王座を獲得。日本語字幕では「ランニング・ニー」や「ヒザ攻撃」とされることも。
イエス・ロック
WWE登場後のフィニッシュ・ホールド。通常のクロスフェイスと異なり相手の片方の腕を自分の両足でハンマーロックで固めた状態で顔面を絞め上げる。
最初の名称は“ラーベル・ロック(JSPRORTS放送時の字幕ではルベル・ロック)”で、名称の由来はかつてロス地区で活躍したレスラーで「柔道王」と呼ばれたジン・ラーベル(en:Gene_LeBell)から(同じく字幕ではジーン・ルベル)。
2012年4月16日のRAWで、ラーベルロックという名前はもう古い(JSPORTS訳では「ジーン・ルベルを超えた」として)、掛けられた相手がギブアップか問われると「YES」と答えると言うことから、自ら"YESロック"に改名。その後観客が「YES!」と連発することに腹を立て、8月に“NO・ロック”と更なる改名をした。しかし2013年7月、観客への怒りも収まってか、YES・ロックへと戻す。
フライング・ゴート
ダイビング・ヘッドバット。世界王者になってから、ミサイルキックに取って代わるようにして使うようになった(その後使用頻度が同じくらいになる)。ケインのチョークスラムの後など、特別な場合にフィニッシャーとなり得る。
エア・ゴート
スーサイド・ダイブ。リング外の選手へトップロープとセカンドロープの間から飛びつく技。
ニーキック
エプロンを走り場外の敵に飛び蹴りを喰らわせる。
ハイキック
WWE入団直後は必殺技として機能していた。
ミサイルキック
コーナー最上段から喰らわせるドロップキック。高所から跳ぶため、WWE若手時代は自身もダメージを受けて動けないような状況が多々あった。格が上がるにつれ体のバネを利して跳ね起きるようになった。
ラウンドハウスキック
膝立ち上体の相手の胸や頭に連続で打ちこむことが多く、最後に相手の後頭部に向けて放つことで上記のランニング・ニーのつなぎとして使われることも。
ドロップキック
主にコーナーにいる相手に突進して使用する。
キャトル・ミューティレーション
WWE昇格までの代表的なフィニッシュ・ホールド。うつぶせの相手にチキン・ウイングの状態になるように両腕を取り、自ら前転してブリッジ状態になりつつ両腕を絞り上げる。NXTでこの技が出ると観客からブライアンが自ら提案したキャッチフレーズ「Tap or Snap」(タップか、折るか)チャントが起こることもある。ラーベル・ロックを使うようになってからはほとんど使われていない。
サーフボード
日本でいうロメロ・スペシャル。うつぶせになった相手の脚に自分の足を絡めた中途の状態になった時、敵の顔を攻めたり、相手の腕を捕れなかった際に足を絡めたまま跳ぶことで敵の脚だけにダメージを与えたりなど、様々なバリエーションがある。
ギロチンチョーク
WWEで2011年〜2012年によく使用、最初期はフィニッシャーとして機能。
エルボー・バット、エルボー・スマッシュ
強烈な連打で3カウントを奪ったりレフェリーストップを呼び込んだこともある。
スモール・パッケージ・ホールド
ダニエルソンは丸め込みの名手でもあり、数々の強豪もこれで3カウントを奪われている。
レッグロックスープレックス・ホールド
新日本プロレス時代のオリジナル必殺技。
タイガー・スープレックス
キャトルミューティレーションから繋いだり、逆にフェイントで使ったりと試合終盤に活用する。
ドラゴン・スープレックス
「アメリカン・ドラゴン」の名前繋がりでかつてよく使っていた。
その他

人物[編集]

  • 私生活では2009年からヴィーガニズムを実践しており、動物性の食品を一切食べない。2012年からはギミックにも反映され、肉食を行う者を罵倒したこともある。しかし、その後に豆アレルギーになってしまったことで、やめてしまった。
  • 動物が好き。自身も愛犬・愛猫がおり、またPETAから、最も動物に優しいアスリートとして認定されたことがある。
  • 2014年7月24日、近隣住民と協力し、自宅へ忍び込んだ窃盗犯と思われる2人の男のうち一人を捕らえた。

脚注[編集]

  1. ^ Bryan Danielson”. Online World of Wrestling. 2014年4月28日閲覧。
  2. ^ 『週刊プロレス』2014年12月6日増刊号(通刊1767号)pp56
  3. ^ Daniel Bryan won the Intercontinental Championship Ladder Match”. WWE.com. 2015年3月30日閲覧。
  4. ^ WWE RAW Results - 2/8/16 (Daniel Bryan retires from WWE)”. wrestleview. 2016年2月8日閲覧。

外部リンク[編集]