飯伏幸太

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飯伏 幸太
Kota Ibushi
飯伏 幸太 Kota Ibushiの画像
プロフィール
リングネーム 飯伏 幸太
サミー・リーJr.
本名 飯伏 幸太
ニックネーム ゴールデン☆スター
身長 181cm
体重 93kg
誕生日 (1982-05-21) 1982年5月21日(37歳)
出身地 鹿児島県姶良市(旧:姶良郡姶良町
所属 新日本プロレス
オスカープロモーション
スポーツ歴 新空手
キックボクシング
ラグビー
水泳
トレーナー MIKAMI
近藤修司
棚橋弘至
高木三四郎
デビュー 2004年7月1日
テンプレートを表示

飯伏 幸太(いぶし こうた、1982年5月21日 - )は、日本男性プロレスラー鹿児島県姶良市(旧:姶良郡姶良町)出身。血液型O型。新日本プロレス所属。芸能活動においてはオスカープロモーション所属[1]

所属[編集]

人物[編集]

  • 非常に変わった性格の持ち主でDDTの公式パンフレットで連載している日記やリング上で独特の世界観を作り出しているが、時として対戦相手の得意技を「掟破り」として繰り出す事もある。
  • 饒舌なタイプではなく、DDTホームリングでのマイクパフォーマンスの際はカンニングペーパーを常用していた。また、相手のマイクパフォーマンスへの回答も「いいですよ。」の一言で返すことが多かった。現在は試合後のマイクをこなすこともあるが、大会の締めなどは全力で拒否している。
  • 漫画『空手小公子 小日向海流』に登場するプロレスラー「田伏隼」のモデルである。
  • 以前からインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座の復活を望んでいて、当初は前王者だったTAKAみちのくは復活させないと発言していたが、飯伏の大量の電話とメールなどによる説得に折れて復活させた。
  • インディー団体所属ながら実力を認められDDTだけでなく新日本プロレスで活躍する一方、かつてのホームリングのDDTでは本屋やキャンプ場、居酒屋、大学構内などリング外での試合に熱意を燃やしていた。
  • タッグ戦線ではケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」で活躍。活動期間はオメガの来日時に限られるが、ブランクや言葉のハンデも感じさせない息の合ったコンビネーション、多彩なオリジナル連携技を誇る。2010年には新日本のIWGPジュニアタッグ王座を戴冠するなど、団体外での活動も活発。2014年、ケニーの新日本プロレス移籍に伴いチームは解散したが、2018年に再結成した。
  • 背筋力が300kg以上ある[2]。そのため、ジュニアヘビー時代からヘビー級の選手相手でもパワーボムなどの投げ技を繰り出していた。
  • 極端な人見知りの一面があり、「知らない番号からかかってきた電話に出られない」という。2016年のフリーランス転向後は個人でスケジュール調整などを行っているが、その性格のため元々の知人以外からの試合のオファーを受けられず、試合数が極端に少なくなっていた[3]、また高木三四郎は飯伏の性格について寂しがり屋であると表現している[4]

来歴[編集]

飯伏のプロレスとの出会いは3歳の頃であったが、プロレス好きであった父が見ていた地上波ゴールデンタイム放送のプロレス中継を一緒に見ていた飯伏は「あり得ないぐらい面白くない!」と、後のプロレス好きぶりからは考えられない反応を示していた。そんな飯伏にプロレス熱が生まれたのは小学5年生の1学期であり、レンタルビデオ屋で兄の希望で借りたプロレスのビデオを通じて興味を持った。夏休みに入るとプロレスごっこに夢中になりだし、この頃から「プロレスの魅力は受けだな」と思うようになった。小学校から中学校に進学する前の春休みに西日本プロレスを観戦、全試合終了後に強引に入団テストを受け、バク宙やムーンサルトプレスを披露して合格してしまった(結局「中学を卒業してから」と言われ、帰された)。1995年10月の新日本プロレス対Uインター全面対抗戦で上昇の一途をたどっていたプロレス熱が爆発した。この時プロレス好きの飯伏にとっては格闘技路線のUインターは目の敵であった。この時の様子を飯伏は「東京都下に住んでいたら新日本の旗を作って会場行ってたと思います。旗持って、大暴れしてましたね。まぁ全部ビデオで見たんですけど、結果、新日本が勝つわけじゃないですか…号泣ですよ、朝まで。何回も観ましたね。4の字で高田がタップ、はい号泣!巻き戻し!みたいな(笑)。途中から泣くために見ているようなもんでしたけど。感動でしたね?」と振り返っている。中学に入ってからはプロレスごっこに熱中し過ぎて周囲とコミュニケーションをほとんど取らなくなった。中学1年では受け身の練習をし過ぎて頭部へのダメージを感じ、中学2年生の頃から自重し、ジムに通って肉体作りに励んだ。3年生になると再び受け身の練習を始め、狂ったように垂直落下系にチャレンジ。柔道場や校庭でそれを繰り出すと、見に来た友人たちが大いに喜んだので、歓声がうれしくてまたトライし、その繰り返しであった。さらに中学校卒業後に新日本プロレスの入団テストを受けようとしたが、親に止められたため断念。

中卒でのプロレス入りが叶わなかったことで一気にプロレス熱が下がった飯伏は、高校(鹿児島県立加治木工業高等学校)では「それでもいつかプロレスラーになれたら役立つかも」とラグビー部に入部した。高校卒業後は成田空港で旅客機の機内清掃を行う仕事に就くが、空港の入構パスを紛失するなどの失態を重ね、1年ほどで退職した[5][6]。飯伏にしてみれば上京できれば仕事は何でも良かったという感覚であり、最初は初日で辞めるつもりであったが、初日に職場の仲間と仲良くなったため辞められず、初任給が出た1ヶ月後には給料が出たことに喜んでやめられなかったという。このころは寮暮らしであったこともあって給料をほぼすべて遊びに使うことができたため、それが楽しくてプロレスのことなどすっかり忘れていたという。時々は夢を思い出してプロレス団体に履歴書を送ったが、切手の貼り忘れや住所の書き漏らしなどで不首尾に終わった。

プロレス入り前には新空手大誠塾に所属していた。「ただでいいし通える範囲でいいから」とジムの会長から言われて始めた新空手であり、本人は「面倒くさいなって思いつつ、キックボクシングはプロレスの敵で嫌いだし。でも、もしプロレスに入ってキックボクサーと闘った時に役に立つなと思ったんですよ。プロレス=最強説は残っていました。だから最強になるためには学んでおいた方がいいと」という感覚で取り組んでいた。通い始めて3回目くらいでいきなり試合を組まれたが、その試合はキックではなく総合格闘技であり相手は同じ65kg級ではなく75kg級であった。この試合は判定で勝ったがKOで勝てなかったことに納得がいかず、この一戦をきっかけにジムに本格的に通うようになった。新空手開始から4か月、再び試合を行うと今度は1分そこそこでKO勝利。しかしそのあとの19歳も終わりになった頃に戦ったトーナメント戦では1回戦敗退。自暴自棄になり、しばらく空港で働いていたころのように遊んでいたが、その頃のような楽しさはなかった。さらに20歳になって成人式に行くと、周囲がきちんとした人生を送っている中自分はダメ人間になっていると感じ、もう一度キックに打ち込もうと決意。その決意もあって、2003年7月21日の新空手道交流大会ではK-2トーナメント(中量級・15人参加)で優勝の経験をした(しかし翌日退団)。また「SSS」という千葉のアマチュアプロレス団体に所属していたが、「朝起きたら(大会に同行するのが)面倒くさくなってしまった」という理由で、約1か月で退団している[7]

プロレスラーとしての活動[編集]

2004年[編集]

  • 7月1日、DDT後楽園ホール大会でKUDO相手にデビュー。本人はこの時「散々キックで苦労してようやく優勝にたどり着いたのに、その遥か上にあるプロレスで上位に食い込めるわけがない。デビューしたらやめよう」と考えていたが、結局デビュー戦が楽しすぎたのでプロレスを続けることにした。高木三四郎は飯伏の才能を高く評価していたが、飯伏の性格から、普通の新人と同じように育てたらプロレスを辞めるだろうと考え、新人レスラーが行う雑用等の仕事をさせずに、好きなようにやらせたという。

2005年[編集]

  • 3月22日、フジテレビこたえてちょーだい!」に視聴者からの相談として出演。自分がプロレスラーになったことを報告していない両親を試合へ招待した。試合は負けてしまったが、リング上で父親に向かい報告。父親からは「頑張ってくれ」と激励の言葉を貰い、握手を交わした。
  • 9月23日にDDTのKO-Dタッグリーグ戦に先輩の柿本大地とのタッグで優勝、わずか1か月後の10月23日後楽園大会でKO-Dタッグチャンピオンに催冠。DDTのみならず、ハッスルプロレスリング・エルドラド、フーテン・プロモーションへも参戦している。

2006年[編集]

2007年[編集]

2008年[編集]

  • 前年に引き続き日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に中嶋勝彦と組んで参戦。リーグ最終日まで優勝の可能性のある3チームに残る好成績。しかし最終日にブリスコ兄弟に負けたため、決勝戦には出られなかった。
  • 8月6日、ビアガーデンプロレスにて、カナダからやってきたケニー・オメガとの初シングル。路上とリング上で1本ずつ先に獲った者が勝者となる変則ルール。路上のみならずリング上でも壮絶な攻防を繰り広げ、飯伏が勝利。この試合は2008年ネットプロレス大賞のベストバウトに選ばれた。
  • この対戦をきっかけにケニーとの間には不思議な友情が生まれ、翌年のゴールデンラヴァーズ結成へとつながる。

2009年[編集]

2010年[編集]

  • 1月6日に新日本プロレス事務所を訪れスーパーJカップの雪辱を期すため社長に参戦を直訴した。(が、実は新日本プロレスはこの日から“正月休み”のため応対はたった一人だけ仕事をしていた管理部の社員が行ったが最後まで社長と思い込んでいた。)これを受け1月31日にケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」で邪道・外道組と対戦するが邪道の負傷によりレフェリーストップとなる。
  • 1月20日、契約更改にて「身体のメンテナンス」のため2月11日以降は現時点でオファーのある試合以外を欠場することを要求し、高木三四郎の「いいよ」の一言で4月4日まで欠場することが決定(オファーされていたのは2月14日新日本プロレス両国大会、2月16日の大石真翔旭志織自主興行、3月6・7日のKOEI主催戦国武将祭り)。
  • 2月11日、ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」でHARASHIMA・真霜拳號組と対戦。試合後のマイクパフォーマンスで復帰後にIWGPジュニアタッグ王座へ挑戦したいと表明した。
  • 5月8日には新日本プロレス主催の「スーパーJタッグ」に参戦。1回戦で敗退するもバックステージではケニー・オメガとの「ゴールデン☆ラヴァーズ」でのIWGPジュニアタッグ王座挑戦を再度アピール。
  • 5月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。予選リーグを1位で勝ち抜き、準決勝・田口隆祐戦を勝利し、決勝・プリンス・デヴィット戦にて敗退するが、見事に準優勝を飾るがこの試合で肩を脱臼し休養。
  • 7月25日のDDT「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」の丸藤正道戦で復帰予定だったが、直前に肩の怪我が悪化し欠場が決定。代役としてパートナーのケニーが丸藤と対戦した(このカードは前年も丸藤の怪我で流れている)。
  • 9月3日、新日本後楽園大会でプロレスプリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアにケニーが挑戦、セコンドとして同行し試合後改めてIWGPジュニアタッグへの挑戦を表明。これを受けて10月11日の新日本両国大会での挑戦が決定。
  • 9月12日に行われたキャンプ場プロレスで復帰するが、ヨシヒコ相手に路上プロレスで自身初のピンフォール負け。だが試合終了後のセレモニーにおいて、新団体「キャンプ場プロレスリング・オム」の旗揚げを宣言する。
  • 10月11日、新日本両国大会ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」でプリンス・デヴィット、田口隆祐の持つIWGPジュニアタッグに挑戦、王者となる。この試合はプロレス大賞「ベストバウト賞」に選ばれた。
  • 11月14日、DDT大阪大会で新日本両国大会のリマッチ。IWGPジュニアタッグを初防衛。
  • 12月26日、新日本プロレスの邪道・外道組を相手に二度目のIWGPジュニアタッグ防衛。

2011年[編集]

  • 1月4日]、新日本プロレスの「レッスルキングダムV IN 東京ドーム」にて、プリンス・デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦するも敗退。
  • 1月23日、新日本プロレス後楽園大会でプリンス・デヴィット、田口隆祐組相手に敗れIWGPジュニアタッグ王座から陥落。
  • 3月27日、ディック東郷の指名を受けKO-D無差別級王座に挑戦、35分を超える激闘の末敗れる。
  • 5月26日から「BEST OF THE SUPER Jr.XVIII」に参戦、いきなり開幕2戦を落とすが、そこから巻き返しを見せ、6月7日には卓越した空中殺法を武器に活躍し、飯伏が少年時代にプロレスラーを目指すきっかけとなった憧れの選手のザ・グレート・サスケとで念願の初対決を果たし見事勝利してブロック1位通過を果たす。そして6月10日の決勝戦で田口隆祐に勝利し他団体の選手として初優勝を果たした。
  • 6月18日、プリンス・デヴィットに勝利し念願のIWGPジュニアヘビー級王者になる。
  • 7月24日のDDT「両国ピーターパン2011〜二度あることは三度ある〜」においてプリンス・デヴィットとのリマッチを制し、IWGPジュニアヘビー級王座を初防衛。
  • 8月28日、男色ディーノとのタッグでKO-Dタッグ王座を獲得。
  • 9月11日のMATRIX大阪大会にて左肩を脱臼し、所持していたIWGPジュニアヘビー級王座とKO-Dタッグ王座を返上した。(尚、ベスト・オブ・スーパージュニアのリーグ戦で負けたKUSHIDAとの防衛戦が予定されていたが、そのカードはKUSHIDAとプリンス・デヴィットの王座決定戦に変更)
  • 9月26日、山梨キャンプ場プロレスリング・OM旗揚げ戦、花火を持って選手・観客を問わず無差別に攻撃するPK(プレイヤーキラー)として登場した[10][11]

2012年[編集]

  • 5月4日後楽園ホールで復帰。
  • 6月24日、後楽園ホールで火野裕士を下し、KO-D無差別級王者に返り咲く(第42代)。
  • 7月29日、後楽園大会、去年の9月肩脱臼により返上したIWGPジュニアヘビー級王座を奪回するために、同王座を保持するロウ・キーに挑んだタイトルマッチ。最後は復帰後初のフェニックススプラッシュで3カウントを奪い第64代王者となった。
  • 8月18日、DDT初の日本武道館大会のメインカードにてケニー・オメガとのKO-D無差別級王座防衛戦。2階スタンドからのムーンサルト、場外へのフランケンシュタイナー等の荒業を含む37分もの激闘の末、フェニックス・スプラッシュで試合を決め、防衛。
  • 9月30日、後楽園ホールでエル・ジェネリコに敗れ、KO-D無差別級王座陥落。
  • 10月8日、新日本プロレス両国国技館大会にてロウ・キーに敗れIWGPジュニアヘビー級王座陥落。
  • 12月15日、DDTの西日本ツアー「DDTウエストサイドストーリーシリーズ2012 in KAGOSHIMA 〜飯伏幸太凱旋興行〜」にて初めて団体として地元鹿児島に凱旋。(個人では2009年4月11日の極悪同盟興行『極悪祭りin鹿児島』にて既に凱旋済み)当日はメインでケニー・オメガとのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」としてHARASHIMA・ヤス・ウラノ組と対戦しシットダウン式ラストライドからのエビ固めで飯伏自身がウラノからフォールを奪い勝利。

2013年[編集]

2014年[編集]

  • 1月4日、新日本「レッスルキングダム8」にてプリンス・デヴィットを破り、3度目のIWGPジュニアヘビー級王座を戴冠。
  • 3月6日大田区総合体育館で開かれた新日本「旗揚げ記念日」にてオカダ・カズチカと再戦、IWGPヘビー級・ジュニアヘビー級の王者同士の対決となったカードであったが、またもレインメーカーに屈した。
  • 5月25日、新日本横浜アリーナ大会にて石井智宏の保持するNEVER無差別級王座に初挑戦するも敗北。
  • 6月10日、DDTプロレスリングがオスカープロモーションと業務提携を結んだことに伴い、芸能活動においてオスカー所属となることを発表[1]
  • 7月4日、KUSHIDAに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座から陥落した[13]。この試合で脳震盪を起こし、DDTで予定されていた自身の10周年記念試合が延期、また出場予定だった7月21日開幕のG1 CLIMAXを欠場することになった[14]
  • 8月17日から復帰、以降はジュニアにひと区切りし、ヘビー級に戦いの場を移している[15]

2015年[編集]

  • 1月4日、新日本「レッスルキングダム9」にて中邑真輔の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に初挑戦するも敗北。
  • 2月15日、DDTさいたまスーパーアリーナ大会のメインイベントにてHARASHIMAの保持するKO-D無差別級王座に挑戦。HARASHIMAとの5年半振りのシングルマッチを、当時と同じフェニック・スプレックス・ホールドで破り、3年振りの同王座戴冠。
  • 3月5日から15日に開催されたニュージャパン・カップ2015にて初優勝。IWGPヘビー級王座への挑戦権を獲得。
  • 4月5日、新日本両国国技館大会にてAJスタイルズの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するも敗北。
  • 7月20日から8月16日に開催された「G1 CLIMAX25」に2年振りの参戦。前回と同じく4勝5敗の負け越しに終わるも、AJスタイルズへのリベンジや真壁からの勝利等を上げている。
  • 8月23日、DDT両国国技館大会にて大日本プロレスの関本大介・岡林裕二の保持するKO-Dタッグ王座に佐々木大輔とのタッグで挑戦、関本から勝利し同王座をDDTに取り戻す。
  • 9月23日、新日本岡山・桃太郎アリーナ大会にて真壁刀義の保持するNEVER無差別級王座に挑戦するも敗北。
  • 10月25日、DDT後楽園大会にて坂口征夫の保持するKO-D無差別級王座への挑戦が決まっていたが、前日からの高熱のため欠場。翌週の沖縄巡業も欠場となる。
  • 11月2日、精密検査の結果「頸椎椎間板ヘルニア」との診断がなされドクターストップがかかり、無期限の欠場となる事が発表。また自身が保持していたKO-Dタッグ王座も返上となる[16]

2016年[編集]

  • 2月22日、新日本プロレスとDDTプロレスを退団すると発表[17][18]。3月からは、新規に立ち上げる個人事務所「飯伏プロレス研究所」の所属として活動、事実上のフリー選手となることが報じられた[19]。芸能活動に関してはこれまで通りオスカーに所属。各団体での所属選手としては、DDTは10月11日の春日部ふれあいキューブ大会、新日本は10月18日の台湾大学総合体育館がそれぞれ最後の試合となった。
  • 3月21日、DDT両国大会での「東西正面向正面全面使用エニウェアフォール・ウェポントレジャーハント3WAYタッグマッチ」にて復帰戦および飯伏プロレス研究所所属第1戦。フェニックス・スプラッシュで中澤マイケルから勝利。
  • 4月2日、テキサス州ダラスにて開催された「怪獣ビッグバトル (Kaiju Big Battel)」に参戦、トゥコー (Tucor)という怪獣から勝利し、王座を奪取。また、この試合前に同じくダラスで開催されていたWWE傘下のNXTに来場し観戦している姿が、名前のテロップ入りで生中継に映される。
  • 4月3日、テキサス州ダラスにて開催された「WWN MERCURY RISING 2016」に参戦、6人タッグ戦でウィル・オスプレイから勝利。
  • 5月22日、DDT大阪大会にXとして参戦。6月にはWWE主催のWWEクルーザー級クラシックに出場。7月13日にはNXT・Tapingsに出場しバディ・マーフィーと対戦し勝利。WWEクルーザー級クラシックでは準決勝でTJパーキンスに敗退。10月、第2回「ダスティ・ローデス・タッグクラシック」にヒデオ・イタミとのタッグで出場予定であったが、ヒデオの負傷欠場に伴い、パートナーはTJパーキンスに変更となった。
  • 10月、新日本プロレスのリングにタイガーマスクWが登場する。バミューダ・トライアングルやラストライド気味のタイガードライバー等飯伏の得意技を使用するため正体は飯伏なのではないかと言われているが正体は謎のままである。

2017年[編集]

  • 新日本、真夏の祭典であるG1CLIMAXに2年ぶりに参戦。初戦は内藤哲也と激突した。雪崩式パイルドライバーを決める場面もあったが勝ち星は得られなかった。そしてIWGPインターコンチネンタル王者の棚橋弘至を地元鹿児島の大会で見せた「人でなしニー」で撃破した。試合後、神と崇める棚橋を倒した技としてこの技を「カミゴェ」と命名。
  • 9月16日、広島で行われた棚橋弘至VSザック・セイバーJr.とのIWGPインターコンチネンタル選手権試合後、棚橋から指名を受け同王座に挑戦することとなった。
  • 11月5日、大阪大会にて棚橋の持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦をしたが同王座栄冠は叶わなかった。その後、バックステージにてBULLET CLUBのCodyが1.4東京ドーム大会の相手として指名をした。
  • 12月11日、福岡大会にてKUSHIDA&飯伏幸太VSマーティ・スカル&Codyの試合が行われ、花道でCodyのクロスローズを食らってしまった。

2018年[編集]

  • 1月4日、東京ドーム大会にてCodyとのスペシャルシングルマッチが組まれた。途中、エプロンサイドから断崖式クロスローズを食らうも最後はカミゴェ→解禁したフェニックス・スプラッシュで勝利した。
  • 1月5日、後楽園ホール大会にてタグチジャパンのメンバーとしてBULLET CLUBと対決。試合後にCodyが飯伏に襲い掛かるとケニー・オメガが救援に入る。
  • 1月28日、IWGPUSヘビー級王者であったケニー・オメガがジェイ・ホワイトに破れ王座陥落すると、試合後BULLET CLUBと内紛抗争してしまう。そこに飯伏が駆け付け救出。ケニー・オメガは当初は戸惑ったが、最後は抱きあい揃って退場した。
  • その後、YouTubeチャンネルであるBeing The Eliteにてケニー・オメガと共にヤング・バックスの部屋に入っていった。
  • 飯伏プロレス研究所と思われる場所にて練習中にケニー・オメガが登場。オメガはオークションで手に入れたという飯伏のTシャツを着ながらゴールデンラヴァーズとしての新合体技の開発を行った。それは飯伏のフィニッシュ・ホールドである「カミゴェ」とケニーの「Vトリガー」を合わせたもので、「ゴールデンフリーザ」「Vトリガーゴェ」「ゴールデントリガー」といった技名が上がった。同日に今までのゴールデンラヴァーズとしてやってきた合体技の数々を練習した。
  • 1月23日、ケニー・オメガ、チェーズ・オーエンズと組んで因縁の相手であるCody、ハングマン・ペイジ、マーティ・スカルとの対戦が決まる。翌日の24日にいよいよヘビー級転向をし、数々の困難を乗り越えたゴールデンラヴァーズとしてCody、マーティ・スカルを迎え撃つことが決まった。
  • 2月23日、チェーズ・オーエンズを交えてのゴールデンラヴァーズとしての復帰戦は負けたもののゴールデンラヴァーズの復活を認める。
  • 2月23日、ゴールデンラヴァーズとしてBULLET CLUBであるマーティ・スカル&Codyと対戦。Codyにリップロックを受けるが最後にケニーとの新たな必殺技、ゴールデン☆トリガーで勝利を収めると試合後にヤング・バックスがヘビー級転向の知らせとゴールデンラヴァーズに挑戦表明を行うとそれを受諾した。
  • 6月9日、ケニーのIWGPヘビー級王座戦のセコンドに付く。王者オカダ・カズチカとケニーの戦いは63分にも及んだが、ケニーが勝利。試合後のリング上でヤング・バックスを合わせて4人で抱擁し、ケニーは新ユニット「ゴールデンELITE」の結成を宣言した。
  • 7月8日、新日本カリフォルニア大会において、キング・ハクファミリーがメインイベントで王座を防衛したケニーを襲撃。BULLET CLUBは「OG」と「ELITE」に分裂した。飯伏は「ELITE」のメンバー扱いになっている。
  • G1 CLIMAX28にエントリー。ケニーとともにBブロックに配属された。5勝3敗という優勝の可能性を残した成績を残した。8月11日、日本武道館大会のメインイベントでIWGPヘビー級王者ケニーと対戦。スピーディーな試合展開と危険技の応酬が続いたが、雪崩式タイガードライバーからのカミゴェで飯伏が勝利。Bブロック突破を果たす。8月12日、Aブロック代表の棚橋弘至と優勝の座をかけて対戦したが破れた。これにより、2015年のNJC優勝以来のタイトル獲得、2019年イッテンヨンのメインイベントでケニーとIWGPヘビー級ベルトを賭けて対戦する機会を逸してしまった。
  • 12月9日、後藤洋央紀からNEVER無差別級王座を戴冠するも、2019年1月4日、東京ドームでのウィル・オスプレイとの初防衛戦に敗北。その際試合中に脳震盪を起こし、次期シリーズの欠場が発表される。

2019年[編集]

  • 2月11日、大阪府立体育会館の大会に登場。ケニーの新団体AEWには行かず、新日本に残留することを宣言する。さらに次期シリーズNEW JAPAN CUPで復帰することも発表された。
  • 3月10日、復帰戦となるNEW JAPAN CUP一回戦で内藤哲也戦で勝利を飾るも、二回戦のザック・セイバーJr.戦で敗退。
  • 4月6日、アメリカマディソン・スクエア・ガーデンで内藤哲也に再び勝利し、IWGPインターコンチネンタル王座を戴冠。
  • 4月20日愛知県体育館で行われたザック・セイバーJr.戦でも勝利を飾り初防衛に成功。試合後のマイクで新日本に再び入団したことも発表された。

タイトル歴[編集]

DDTプロレスリング
パートナーは柿本大地ケニー・オメガ男色ディーノ→ケニー・オメガ→佐々木大輔
パートナーはケニー・オメガ、伊橋剛太→ケニー・オメガ、佐々木大輔。
新日本プロレス
パートナーはケニー・オメガ。
その他
プロレス大賞
  • 年間最高試合賞 (2010年、 2013年)
  • 技能賞 (2009年)

得意技[編集]

打撃技[編集]

カミゴェ
膝をついた状態の相手の両腕を自分の両手でそれぞれ掴み、ノーガード状態の相手の顔面に叩き込む膝蹴り。2017年の「G1 CLIMAX27」出場に向けて開発され、自身の公式戦2試合目となるザック・セイバー・ジュニア戦で繋ぎ技として初披露。便宜上、実況・解説からは「人でなしニー」と呼ばれていたが、棚橋弘至戦で初めてフィニッシャーとして使用され、その際に「カミゴェ」(飯伏が「神」と語っていた棚橋を「超え」た)と命名。中邑真輔のボマイェと同じく「エ」が小さい表記が正しい。石川修司も飯伏の許可を得て使用している。
スライディング式ボマイェ
座っている相手の後頭部に当ててから相手の顔面又は首元へ滑り込ませるように当てる。
各種キック
キックボクシング出身者らしくキレのある本格的な蹴りを繰り出す。
ロー、ミドル、ハイの他にローリングソバットや、片膝状態や尻餅状態の相手に繰り出すバズソー・キックも多用。中でもハイキックはフィニッシュへの流れの一つとして多用される。
ダッシュ・ミドル
その名の通り走り込んでのミドルキック。レッグ・ラリアットのように自身の身体を流しながら、相手の胸を打ち据える。
オーバーヘッド・キック
バック宙をしながら相手の延髄や側頭部を蹴り込む。形としては片足で蹴る川田利明のものや、新崎人生の輪廻ではなく、初代タイガーマスク武藤敬司の得意とするそれに近い。
ストレート掌打
飯伏がいわゆる「キレた」状態になると頻繁に繰り出す技の一つ。
グーパンチ
さらにキレた状態が続くと繰り出す。無論、反則技である。
ラリアット
当初は前述のキレた時や「プロレスごっこ」の際に使うことがある程度だった。現在はフィニッシュへの流れ等でハイキックと共に多用している。
フット・スタンプ
主に低空ドロップキックへのカウンターとして使用。トップロープからダイビング式で使用することもあるほか、2018年G1CLIMAXでの対ケニー・オメガ戦ではトップロープに座るケニーの後頭部へのフットスタンプを行った。
ブラディスロウン
技自体はまだ確認されていないが週刊プロレスにてミラノコレクションA.T.から伝授された。
フライング・レッグ・ラリアット
ロープにふって跳ね返ってきた相手の顎めがけ、ジャンプしながら放つ強烈な回し蹴り。漫画キン肉マン』に登場する「モンゴルマン」の必殺技として知られている。「イナズマ」とも呼ばれる。

投げ技[編集]

タイガー・ドライバー
リバースフルネルソンの体勢から相手を持ち上げ、一旦手を離して相手を空中で回転させ、同時に自らも開脚ジャンプし、尻餅をつくように着地して相手を背中から叩きつける。
タイガー・ドライバー91
タイガー・ドライバーの体勢で相手を持ちあげるところまでは同じだが、手を離さず、相手を脳天からマットに叩きつける。
雪崩式タイガードライバー
フェニックス・プレックス
相手をパワーボムの状態で抱えあげてから相手の頭を押さえ込み、後方に反り投げブリッジで固める荒技。
小学6年生の頃、プロレス誌に掲載された小橋建太のジャックナイフ式パワーボムの、持ち上げた瞬間と決めている瞬間の2枚の写真だけを見て、「後ろに投げる技だ」と誤解。その後、中学生時代のプロレスごっこ時に開発・実践。
2009年両国大会のHARASHIMA戦にて初公開。技名は大会後にケニー・オメガが命名。
ヘビー級等ウェイトのある選手相手の場合、相手をコーナーポストに座らせてからクラッチし担ぐ。
シットダウン式ラストライド/ゴールデンスター・ボム
当初は主にヘビー級選手との対決でパワーボムとして繰り出すことが多かった。しかし2011年に入りジュニアヘビー級選手を相手にしても繰り出すようになり、投げ方も相手のタイツを掴むラストライド式に変わった。飛び技による怪我での欠場があったため、2012年5月以降は主なフィニッシャーとして使用されている。WWE参戦後はゴールデンスター・ボムと呼ばれたが、フリーとして新日本再入団後は再びシットダウン式ラストライドと呼ばれている。最近はカミゴェへの繋ぎ技として使用している。
ジャーマン・スープレックス
ノーモーション・ジャーマンと形容されるしなやかなブリッジで繰り出す高速式。非常に綺麗な形で投げる。この技で勝利することもある。
ダルマ式ジャーマン・スープレックス
この技で試合が決まることもある。2018年からはカミゴェへのつなぎ技として使われるようになった。
タイガー・スープレックス
こちらも上記と同じくノーモーションと形容される投げ方。
ドラゴン・スープレックス
こちらも上記と同じくノーモーションと形容される投げ方。
ハーフネルソン・スープレックス
左腕を負傷してドラゴン・スープレックスができない間に体得。こちらも上記と同じくノーモーションと形容される投げ方。
やり投げ
相手を担ぎ上げてコーナーにダッシュし、ターンバックルへ投げるようにぶつける。
スクールボーイ・スープレックス
スクール・ボーイの要領で相手を捕らえ、そのまま丸め込まず強引に持ち上げてマットに叩き付ける。
同型技をラ・ソンブラが、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで飯伏との対戦以降「シャドードライバー」として使用している。
変形パイルドライバー
相手の両足をクラッチし落とすジャンピング・ツームストン・パイルドライバー。
2015年のNJCでの内藤哲也戦で初披露。実況・解説陣等からは便宜上「人でなしドライバー」と呼ばれている。
スワンダイブ式ジャーマン・スープレックス
セカンドロープに登り、エプロンにいる相手をロープ越しにジャーマンで投げる。2015年1月4日の中邑真輔戦で初披露。以降大一番でのみ使用されるようになった。
原型として、2014年にはエプロン上でケニー・オメガに肩車された中澤マイケルをトップロープからのスワンダイブ式ジャーマンで投げるという合体技を披露している。現在の形が正式にはスワンダイブ式は無いにもかかわらずこの名称なのはその際の名残。
24歳
相手をブレーンバスターの要領で持ち上げてから180度反転させるように持ち替えてうつ伏せに落としつつ後頭部をおさえて顔面を叩きつける。
名の由来は24歳のときに思いついたことから。
リバース槍落とし
スプラッシュ・マウンテンの要領で抱え上げ、脇ではなく相手の首を掴み、自身もうつ伏せに倒れ込みながら相手を脳天から垂直に落とす。
雪崩式フェニックス・プレックス
相手をコーナーに座らせ、自身もセカンドロープに登ってフェニックスプレックスにクラッチし、その場から後方に投げ捨てる。

組み技[編集]

フランケンシュタイナー
雪崩式フランケンシュタイナー
トップロープからの雪崩式フランケンシュタイナー
リバースフランケンシュタイナー
雪崩式パイルドライバー
トップロープからのドリル・ア・ホール・パイルドライバー
高角度で頭部からほぼ垂直落下する。

関節技[編集]

アンクルホールド
グラウンドが苦手、弱点と言われたそのイメージを払拭するべく使用し始めた。
キャメルクラッチ
DDTのリングで、主に若手レスラーに対して多用している。たまに相手の鼻と口を同時に塞ぎ、呼吸を出来なくさせる(反則行為であるため、レフェリーに見つかると制止させられる)。

飛び技[編集]

フェニックス・スプラッシュ
2017年までのフィニッシュホールド。横180°、縦450°回転である。ハヤブサ以来随一の使い手であり、路上プロレスでは自動販売機の上など様々な場所から繰り出すことがある。2017年夏、G1CLIMAXに向けて封印。フェニックスプレックス同様、大一番でのみ使用されるようになった。
ファイヤーバード・スプラッシュ
450°スプラッシュ。BOSJを優勝した頃まではフィニッシャーとして使用されていたが、この技が原因で脱臼により長期欠場(計2回)を余儀なくされたため使用されなくなる。
フェニックス式ローリング・セントーン
2005年の年末に行われたインディーサミットで披露。フェニックス・スプラッシュから更に180度回転してセントーンを行うもので、ジャック・エバンスコークスクリュー630°と同型。
後から正式名称を募集するとしていたが、結局、2006年11月現在でも付けられた形跡は無い。
ゴールデン・スター・プレス
スプリングボード式フェニックス・スプラッシュ。
2005年に行われたディファカップで披露。ただしその時は失敗してやや変形したフェニックススプラッシュになってしまった。
2007年のマッスルハウス3でゴージャス松野を相手に披露、技名は「ゴールデンスタープレス2007」とコールされた。
ムーンサルト・プレス
小学生の時から出来たという飯伏のムーンサルトは、両足がピンと伸び、しっかりと足が揃う。
ムーンサルト・ムーンサルト
ムーンサルトプレスに対し、相手が後ろに転がって回避された際に、足から着地しその場から再びムーンサルトをする技。都合2回ムーンサルトをするのでこのように呼ばれる。
ラ・ケブラーダ
主に屋外プロレスでの使用が多く、過去には電柱防波堤から飛んだこともある。
バミューダ・トライアングル
ラ・ケブラーダの派生技で対角線上を走り込み、コーナーを登って三角飛びの要領で場外にいる相手にムーンサルト・アタックを仕掛ける。ドラゴン・キッドが使う同名技とは、微妙に違っている。
その場飛び式シューティング・スター・プレス
仰向けにダウンしている相手に助走をつけて走り込み、後方360°回転してのボディ・プレス。サムライTV実況の村田晴郎はグラウンディング・シューティングスターと命名。
ここからヘッドスプリングで起き上がりコーナーに登ってムーンサルト・ムーンサルトを仕掛けることが多い。
タッグマッチではケニー・オメガと同時に繰り出すこともある。
その場飛び式カンクーン・トルネード
尻餅状態の相手に放った蹴りを、相手が後ろに倒れて回避した際に放つ、相手に背を向けたまま切りもみ式に横回転を行ってのボディ・プレス。
スターダスト・プレス
プランチャ・スイシーダ
2017年のG1よりバミューダ・トライアングルをここぞの場面のみに限定し普段はこちらを使うようになる。

合体技[編集]

エピソード[編集]

小・中学生時代[編集]

  • 練習場所として丸太やタイヤのチューブなどで海岸にリングを作った。有刺鉄線なども使おうとしたが、ホームセンターで売ってくれなかったため、母親にお願いして買ってきてもらっていた。
  • 柔道場で友達にパワーボムをかけようとしたところその相手が暴れたため首を掴んで抑えたところ、苦しそうにしていたためそのままジャーマンの要領で後ろに投げた。これが前述にあるフェニックス・プレックス・ホールドの原形となっている。その友達は頸椎を捻挫した[20]
  • 特訓として、岩を括り付けたロープを足に巻いた状態で、友人に川(本人曰く水深5mくらい)に落とさせたことがある。「自力で上がれないとプロレスラーになんかなれない」と思っていたが全く上がることが出来ず、失神状態のところ友人に助けて貰う。[21]

現在[編集]

  • 練習・トレーニングは独自の方法で行っており、受け身に関しては学生時代から独自に練習してきた方法を今も尚使用している。練習生時代から団体の合同練習には参加せず、社会人プロレス集団「OPG(俺たちプロレス軍団)」の所有する道場で練習をしている(伊橋剛太とはDDT入門前にOPGで出会い、当時からの親友かつ練習相手である。伊橋以外の飯伏と交友のあるレスラーも上記の道場にて時折練習をしている)。時折道場での練習をツイッターに動画付きでアップロードしている。[22][23]
  • 練習メニューは予め決めず、道場に行ってからその場で考えるとのことで、気が向かないとそのまま帰ってしまうこともあるという。またトレーニングもただ鍛えるのではなく、技をかけることを想定して行う。[24]
  • 引き締まった身体とは裏腹に、ジャンクフードやスナック菓子、炭酸飲料を好み、コーラの摂取量が多過ぎて寝れなくなってしまっていた時期があったという。ポテトチップスはうす塩味を好むが、更に塩を足して食べるという。なお、幼少期は脂っこい食べ物が苦手だった。
  • 酒に弱く、酒癖が悪い。巡業先において酔っ払い、生肉を食べ始めた上にTAKAみちのくの前髪を肉を切るためのハサミで切ったことがある[25]などが報道されている。
  • 「絵と字が繋がらない」という理由で漫画は一切読まないが、ドラゴンボールだけはアニメのファンだったため読めるという。
  • Twitterを始めて以後、レスラーの全裸画像(モザイクあり)などを次々にTwitterに投稿していたが、2012年8月4日に同僚選手の局部画像をモザイクなしで投稿したことから、Twitterよりログイン及びアカウント作成禁止処分を受けた。本人曰く「天罰が下った」と語る[26]。その後同年9月16日にアカウントが復活し投稿を行っている。

入場テーマ曲[編集]

出演[編集]

CM[編集]

  • キャスティングドットジェイピー「エナジードリンクBLACKOUT(ブラックアウト)CM 学生編」
  • NTT DoCoMo 「Galaxy S6 SC-05G
  • エステー「自動でシュパッと消臭プラグ」“プロレスで大ウケ”篇(2009年)
  • 株式会社ジーン(GENE) - プロモーションビデオ(2009年)

映画[編集]

テレビ[編集]

参考文献[編集]

ベースボールマガジン社『レスラーヒューマンストーリーII プロレスラー男の履歴書』p128-135

脚注[編集]

  1. ^ a b オスカー所属の飯伏に“美女タレントと熱愛指令” - 東京スポーツ・2014年6月11日
  2. ^ 背筋力一番は誰だ?「三澤トレーナーのボディヒート日記」2010年6月9日記事より
  3. ^ 飯伏プロレス研究所の致命的欠陥が発覚… - 東京スポーツ・2016年5月23日
  4. ^ 高木三四郎に遂に質問「飯伏幸太はWWEに行くのか?」 - 2016年07月28日
  5. ^ 飯伏vsリコシェのTWGPジュニア戦は前代未聞の“ダメ人間”対決 - 東京スポーツ・2014年6月10日
  6. ^ 飯伏幸太さんインタビュー記事 - 芸能人と遊ぼう!・2007年12月11日
  7. ^ スター選手・飯伏が“所属”していた幻の団体 - 東京スポーツ・2015年2月15日
  8. ^ 【K-1 MAX】2・4ボビー弟の対戦相手はプロレスラーのホープ 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年1月24日
  9. ^ 【K-1 MAX】2・4 山本“KID”徳郁が山本優弥にエール 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年2月1日
  10. ^ いい大人達がキャンプ場でプロレスしてみた 前編 - ニコニコ動画
  11. ^ いい大人達がキャンプ場でプロレスしてみた 後編 - ニコニコ動画
  12. ^ 契約会見 動画
  13. ^ 飯伏まさかの王座陥落!IWGPジュニア新王者にKUSHIDA”. 東京スポーツ (2014年7月5日). 2014年7月7日閲覧。
  14. ^ 脳振とうのダメージ抜けず…飯伏無念のG1欠場”. 東京スポーツ (2014年7月19日). 2014年7月19日閲覧。
  15. ^ 新日本でも復帰戦で勝利した飯伏がジュニアにひと区切り!次はヘビー級だ (バトル・ニュース)
  16. ^ 飯伏幸太、長期欠場のお知らせ (DDTプロレスリング公式サイト)
  17. ^ 【記者会見】飯伏、DDT&新日本を“卒業”、今後は「飯伏プロレス研究所」所属に。復帰戦&「飯伏プロレス研究所」所属第1戦は3・21両国大会!「怪しい動きをしていきたい」(飯伏)”. DDTプロレスリング (2016年2月22日). 2016年2月24日閲覧。
  18. ^ 飯伏幸太選手がDDT&新日本2団体所属を卒業! 飯伏プロレス研究所を立ち上げて新たなスタート!「新しいプロレスの追及をしたい」”. 新日本プロレス (2016年2月22日). 2016年2月24日閲覧。
  19. ^ 飯伏幸太がDDT&新日プロを退団 今後どのマットに上がるのか”. 東京スポーツ (2016年2月22日). 2016年2月24日閲覧。
  20. ^ 週刊プレイボーイ 2010年12月27日号 インタビューより
  21. ^ http://proresu-today.com/archives/10888/2
  22. ^ https://p-dress.jp/articles/2449
  23. ^ http://number.bunshun.jp/articles/-/825458
  24. ^ https://p-dress.jp/articles/2449
  25. ^ 飯伏にハサミは持たせるな- 多重ロマンチック
  26. ^ 東京スポーツ・2012年9月9日付 23面
  27. ^ 黒木啓司主演映画「クロスロード」に、いま大人気のプロレスラー・飯伏幸太が出演!”. TVlife (2015年11月30日). 2015年12月1日閲覧。
  28. ^ “イケメンレスラー・飯伏幸太、映画初主演で怪獣と対戦 監督は「良い棒読みです」”. ORICON STYLE. (2016年3月25日). http://www.oricon.co.jp/news/2069059/full/ 2016年3月25日閲覧。 

外部リンク[編集]