姶良郡

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鹿児島県姶良郡の位置(緑:湧水町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

姶良郡(あいらぐん)は、鹿児島県大隅国)の

人口10,082人、面積144.29km²、人口密度69.9人/km²。(2016年10月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。「姶良地域」とする場合は両市を含む。

歴史

現代の姶良郡は江戸時代始羅郡(しら)と呼ばれていた。これが古代の大隅国に存在した姶羅郡(あいら)と混同され、明治期に「姶良」に統一された。古代における「姶羅郡」は現在の鹿屋市付近を指し[1]中世までに肝属郡に編入された。このため、古代における「姶羅郡」と現代における「姶良郡」の直接の関連はない。

近世以降の沿革

  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[2]。特記以外は全域が現・姶良市。(38村)
    • 溝辺郷 - 竹子村、崎森村、三縄村、有川村、麓村(現・霧島市)
    • 山田郷 - 下名村、大山村、辺川村、上名村、北山村、木津志村
    • 蒲生郷 - 上久徳村、下久徳村、久末村、白男村、北村、西浦村、米丸村、漆村
    • 帖佐郷 - 東餅田村、鍋倉村、三拾町村、深水村、豊留村、中津野村、増田村、寺師村、住吉村、西餅田村、永瀬村
    • 重富郷 - 平松村[3]、船津村[4]、脇元村
    • 加治木郷 - 反土村、小山田村、日木山村、木田村、西別府村
  • 明治4年
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての姶良郡が発足。「加治木郡役所」が管轄。

町村制以降の沿革

1.加治木村 2.重富村 3.蒲生村 4.山田村 5.溝辺村 6.帖佐村 11.横川村 12.栗野村 13.吉松村 14.牧園村 15.西襲山村 21.敷根村 22.清水村 23.東襲山村 24.福山村 25.国分村 26.西国分村 27.東国分村(紫:霧島市 桃:姶良市 赤:湧水町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、各郷に加治木村重富村蒲生村[5]山田村溝辺村帖佐村[6]が発足。(6村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「加治木郡役所」が管轄する姶良郡・桑原郡西囎唹郡の区域をもって、改めて姶良郡が発足[7]。以下の各村が本郡の所属となる。(18村)
  • 明治31年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治45年(1912年6月1日 - 加治木村が町制施行して加治木町となる。(1町17村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年
    • 4月1日 - 国分村が町制施行して国分町となる。(2町16村)
    • 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年11月1日 - 蒲生村が町制施行して蒲生町となる。(3町15村)
  • 昭和4年(1929年
    • 10月10日 - 西国分村が町制施行・改称して隼人町(第1次)となる。(4町14村)
    • 11月1日 - 福山村が町制施行して福山町となる。(5町13村)
  • 昭和5年(1930年1月1日 - 西襲山村が改称して日当山村となる。
  • 昭和7年(1932年)4月1日 - 栗野村が町制施行して栗野町となる。(6町12村)
  • 昭和10年(1935年7月10日 - 東襲山村(第1次)が改称して霧島村となる。
  • 昭和15年(1940年
    • 2月16日 - 横川村が町制施行して横川町となる。(7町11村)
    • 4月1日 - 牧園村が町制施行して牧園町となる。(8町10村)
  • 昭和17年(1942年)4月1日 - 帖佐村が町制施行して帖佐町となる。(9町9村)
  • 昭和23年(1948年)11月1日 - 日当山村の一部(朝日)が隼人町に編入。
  • 昭和25年(1950年)4月1日
    • 霧島村の一部(重久・松永の各一部[8])が分立して東襲山村(第2次)が発足。(9町10村)
    • 霧島村の一部(重久・松永の各一部[9])が日当山村に編入。
  • 昭和27年(1952年10月10日 - 山田村の一部(辺川)が加治木町に編入。
  • 昭和28年(1953年
  • 昭和29年(1954年
    • 4月1日(10町6村)
      • 隼人町・日当山町および清水村の一部(姫城・平岡の各一部[10])が合併して隼人日当山町が発足。
      • 国分町・東襲山村および清水村の残部が合併し、改めて国分町が発足。
    • 5月10日 - 国分町・東国分村・敷根村が合併し、改めて国分町が発足。(10町4村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日(10町2村)
      • 帖佐町・重富村および山田村の一部(木津志の一部を除く)が合併して姶良町が発足。
      • 山田村の残部(木津志の一部[11])が蒲生町に編入。
    • 2月1日 - 国分町が市制施行して国分市となり、郡より離脱。(9町2村)
  • 昭和32年(1957年)4月1日 - 隼人日当山町が改称して隼人町(第2次)となる。
  • 昭和33年(1958年11月3日 - 霧島村が町制施行して霧島町となる。(10町1村)
  • 昭和34年(1959年)4月1日 - 溝辺村が町制施行して溝辺町となる。(11町)
  • 平成17年(2005年
    • 3月22日 - 栗野町・吉松町が合併して湧水町が発足。(10町)
    • 11月7日 - 溝辺町・横川町・牧園町・霧島町・隼人町・福山町が国分市と合併して霧島市が発足し、郡より離脱。(4町)
  • 平成22年(2010年3月23日 - 加治木町・姶良町・蒲生町が合併して姶良市が発足し、郡より離脱。(1町)

変遷表

脚注

  1. ^ 平安時代中期の辞書『和名類聚抄』には姶羅郡の郷として「鹿屋」「串伎」(後の串良町2006年に鹿屋市と合併)など、現在の鹿屋市にみられる地名が記載されている。
  2. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による
  3. ^ 明治初年触田村を合併
  4. ^ 明治初年春花村を合併
  5. ^ 上久徳村のうち蒲生町も含む。
  6. ^ 鍋倉村のうち納屋町、東餅田村のうち十日町も含む。
  7. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、Wikisource-logo.svg 原文
  8. ^ 大字重久のうち字吉水山・今城・青餅田・白落・仁連木・花牟礼・御子籠・樋渡・道場口・野首・中島末・岩田・折戸・山王田・山神・田中・平松・本待・修理田・島田・阿子田・順川・内園・世田・六與・岩元・須川原・桑ケ丸・桐畑・山路・折橋原・立山原・茅落・高付・崩平・新開込・樋口・小原・日徳原・関・木場・西木場・田口原・越口原・星熊原・七開・越口迫・重久迫・桃ケ迫・篠ケ迫・志明寺・内野々・堂免・外戸前・阿木世・野間口・有馬原・大久保・古外戸口・牧神・山田平・藤ヶ久保・杜久保、大字松永のうち字劍之宇都・中迫・鐘付・万膳田・初起田。
  9. ^ 大字松永のうち字劍之宇都・中道・鐘付・初起田・万膳田・川内を除く、大字重久のうち字桂坂・後原・麻苧迫
  10. ^ 大字姫城のうち字上向川原・稲荷田・落水田・西瓜川原・千次丸・羽坂・石踊・子作・金竹・下新原・砂走・上新原・取納田・鏡原・竿境・山野・浮田・栗ケ迫・大鳥・宇都・七ケ所・天神・地蔵田・石樋・中城口・平下の一部、大字平岡の一部。
  11. ^ 大字木津志のうち字論地・東宇都・白木川内・堂免・佐敷・山神原・水流田・中原・御納戸・坂中・宇都の口・柊木宇都・越下・堀之元・岩上・俵田・松坂・鍋松の一部。

参考文献

関連項目