KUDO

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KUDO
KUDOの画像
プロフィール
本名 非公開
ニックネーム 寡黙なストライカー
身長 177cm
体重 80kg
所属 DDT
スポーツ歴 キックボクシング
デビュー 2001年
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KUDO(くどう)は、日本プロレスラー。本名および生年月日不詳。DDTプロレスリング所属。

経歴[編集]

日本大学キックボクシング部出身[1][2]

2001年コニカマン2号としてDDTでデビュー。

2002年4月25日のClub ATOM大会でマスクを脱いで「蛇界転生」入り、リングネームをトグロ・ハブ影に改めた。

2003年1月 一切の記憶を失い香港の悪の組織に捕まっているのをHERO!によって救出される。この際「なんと呼んだらいいんだろう?」と悩んだHERO!は「佐藤?田中?高木?橋本?」等と呼びかけるが無反応だった。しかし「クドウ?」と聞くとその声に反応したためリングネームをKUDOに変更。

2003年2月、第1回のディファカップジュニアヘビー級タッグトーナメントにMIKAMIと組んで出場し名を挙げる。

2003年12月29日の後楽園ホール大会においてHERO!とのコンビで第12代のKO-Dタッグチャンピオンに。

2005年KING OF DDTトーナメントに優勝。同年7月から約1年間のアメリカ遠征を経て、2006年5月に帰国。

2009年8月23日の「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」においてヤス・ウラノとのタッグで第20代のKO-Dタッグチャンピオンに。

2011年5月、KING OF DDTトーナメント優勝。7月の両国大会のメインにKO-D無差別級王座の挑戦者として出場が決定すると、同年7月24日、「両国ピーターパン2011〜二度あることは三度ある〜」において、石川修司を破り、KO-D無差別級王座を初戴冠。

同年9月、大石真翔とのシングルマッチ終了後、大石からの勧誘を受けて「ほもいろクローバーZ」に4人目のメンバーとして加入。2012年9月の「全ユニット解散」まで所属した。
「ほもいろクローバーZ」解散後、HARASHIMAヤス・ウラノと共に「ウラシマクドウ」を結成。

2014年2月23日後楽園ホール大会において、HARASHIMAの保有するKO-D無差別級王座に挑戦表明し、「ウラシマクドウ」を脱退。直後にマサ高梨坂口征夫と共に「酒呑童子」を結成し、同ユニットのリーダーとなる。
同年3月、HARASHIMAとのKO-D無差別級王者戦に勝利し、2度目のKO-D無差別級王座に輝くと、同年5月には「酒呑童子」としてKO-D6人タッグ王座初戴冠を果たす。

2015年5月、HARASHIMAとのKO-D無差別級王者戦に勝利し、3度目の戴冠。同年6月6日の春日部大会では、「いつでもどこでも挑戦権」を保持していた男色ディーノに勝利し、王者でありながら同挑戦権を保有する初の事態となった[3]
同年6月28日の後楽園ホール大会では、挑戦権を行使したヤス・ウラノとの選手権試合中、同じく挑戦権を保持している大家健が乱入したことから3WAYマッチに発展。大家がヤスに勝利したため、直接負けることなく王座から陥落するも、直後に所持していた挑戦権を行使して大家と選手権試合を行い、勝利。ベルトを奪取すると共に、「いつでもどこでも挑戦権」が全て消化されたことから、4年振り2度目となる両国大会のメインを務めることが決定した[4]

同年8月23日の「両国ピーターパン2015〜DDTより愛をこめて〜」で行われたKO-D無差別級王者戦は、坂口征夫との「酒呑童子」対決となったが、最後は坂口の「神の右膝」で3カウントを奪われ、王者陥落[5]

その後、両国大会翌日の会見でプロレスリング・ノアの「日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦」に梅田公太と共に出場が決定するも[6]、リーグ公式戦の小川良成&ザック・セイバーJr.組との試合中に右膝を負傷。精密検査の結果、右ヒザ前十字靭帯断裂と診断され、長期欠場と『DDTドラマティック総選挙2015』・個人部門の辞退が発表された[7]

エピソード[編集]

  • バイト経験からの料理能力を見出され、2009年12月にオープンしたDDT直営の居酒屋「エビスコ酒場」のオープニングスタッフとなり、その後2010年5月に二代目店長に就任する。
  • 本名は公表されていないが、日本大学キックボクシング部の公式サイトにおいて、本名が「工藤敦」であることが判明している[2]
  • 既婚者である[8]
  • 2012年に開催された「第3回DDT48総選挙」の演説において、35年ローンでマンションを購入したことを告白している。このことは、「ウラシマクドウ」結成時の「35年はDDTのトップに居続ける」という目標の由来にもなっている[9][10]
  • ヤス・ウラノ大家健らとは、日本大学の学生プロレスサークル時代から一緒の関係である。この2人とは、前述した2015年のKO-D無差別級王者戦で対決が実現している[4]

得意技[編集]

キックボクシング出身の打撃技主体のファイトスタイルが特徴。

ダイビングダブルニードロップ
現在の主なフィニッシャー。コーナートップから相手の腹部に両膝を叩き込む。
テキサス・コンドルキック(ダイビングダブルニーアタック)
コーナートップから飛び、相手の顔面に両膝をぶつけてそのまま押さえ込む。
漫画『キン肉マン』『キン肉マンII世』の登場人物・テリーマンの得意技である。
地獄の断頭台
コーナーに逆さ吊りになった相手に叩き込むダイビングダブルニー。
バズソーキック
スピンキック
上記2つはフィニッシャーになる場合もある。
8×4
コーナーにもたれかかった相手の腹部に当てるスライディングエルボー。
マチュピチュ
ロープを利用したリバース・パロスペシャル。ロープを利用するので反則技でレフェリーのカウント4までしか使えないが、外す際にジャパニーズ・レッグロール・クラッチに移行して丸め込む。
裏マチュピチュ
ロープを利用したパロスペシャル。
910(クドー)
相手のラリアットに対し、その腕を掴んで逆上がりで回避する、KUDOのオリジナルムーブ。
トペ・スイシーダ
PK

タイトル歴[編集]

入場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 【学生キック】40周年祝賀会に極真第1回全日本王者ら出席 2013年11月30日付 イーファイト
  2. ^ a b 日本大学キックボクシング部 公式サイト 2015年9月6日閲覧
  3. ^ 【春日部リポート】KING OF DDT開幕! 白熱のトーナメント1回戦!!/いつでもどこでも挑戦権が王者に移動する事態に。大家がまた登場/アーガントバスターズのDEATH FROM ABOVEがようやく決まった日/7・2伊豆海洋公園、6・23酒場プロレスのカード決定 2015年6月6日付
  4. ^ a b 【後楽園リポート】坂口がKING OF DDTを制覇! 両国メインでKUDOのKO-D無差別級王座に挑戦!!/ヤスがいつでもどこでも挑戦権奪取→行使も途中で大家健が乱入していつでもどこでも挑戦権を行使→KO-D無差別級3WAYマッチは大家が勝利しタイトル移動→KUDOがいつでもどこでも挑戦権行使で王座奪還/8・23両国へ決定事項続々…HARASHIMAvs棚橋、天龍&高木&赤井組が実現、LiLiCoがプロレスデビュー 2015年6月28日付
  5. ^ 【両国ピーターパン2015リポート】兄弟喧嘩を制したのは坂口! KUDOを撃破して悲願のKO-D無差別級王座を奪取! 最後は”祭り”→酒盛りで締めくくる!/団体エース対決を制した棚橋は怒りのコメント。HARASHIMAは「怒ってた? 思い通りにできなかったんじゃないですか」/関本&岡林のパワーに負けず、飯伏&佐々木がKO-Dタッグ奪還/ディーノ&ササダンゴ&大家のユニット名は#大家帝国に。KO-D6人タッグを取れずともリマッチ要求→ドリフは拒否/天龍引退ロード第16戦は?/遠藤復帰も勝利で飾れず/DDT EXTREME級戦に中澤マイケルが駆けつける/LiLiCoがプロレスデビュー! 試合後、アイアンマン王座を狙ってアジャを襲撃/井上&渡瀬がデビュー/伊橋、スト市にも敗れるも永久王者&ベルト封印は拒否/3・21両国は全面使用で路上プロレス開催/11・28大阪にRG、山里亮太が“特別参戦” 2013年8月24日付
  6. ^ 8/25【NOAH/DDT】KUDO「全部いい刺激になる」、梅田「僕が立候補しました」 ジュニアタッグリーグ戦へ会見 2015年8月25日付 プロレス格闘技DX
  7. ^ KUDOは前十字靭帯再腱手術を受けるため復帰まで約1年…ドラマティック総選挙・個人部門は途中辞退 2015年9月17日付 バトル・ニュース
  8. ^ KUDOインタビュー全文掲載! 2011年8月23日付 DDTプロレスリング公式サイト
  9. ^ 【9・19リポート】既存ユニット解散、新ユニット続々誕生 2012年9月19日付
  10. ^ 【9・30リポート②】澤田引退ロード開始。ウラシマクドウ白星 2012年9月30日付

外部リンク[編集]