丸藤正道
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丸藤 正道 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
丸藤 正道 ドクトル・マルフジJr. 魔流不死 |
本名 | 丸藤 正道 |
ニックネーム |
方舟の天才 空飛ぶ天才児 不死鳥(IMMORTAL BIRD) 天空のファンタジスタ |
身長 | 176cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1979年9月26日(43歳) |
出身地 | 埼玉県北足立郡吹上町(現:鴻巣市) |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 |
レスリング バスケットボール |
トレーナー |
ジャイアント馬場 三沢光晴 |
デビュー | 1998年8月28日 |
丸藤 正道(まるふじ なおみち、1979年9月26日 - )は、日本の男性プロレスラー。埼玉県北足立郡吹上町(現:鴻巣市)出身。プロレスリング・ノア所属。血液型O型。
概要[編集]
軽い身のこなしが特徴で、トップロープやコーナーポスト、エプロンサイドなどリング全体を活かした技を得意としている。ただし、アマチュア時代はレスリングの経験に加えスーパータイガージムに所属していた経験があり[1]、関節技やグラウンドの技術についても高いものを持っている。過去に高山善廣がPRIDEへ参戦する際には、高山からの要請によりスパーリングパートナーを務めている。
プロレスラーとしての技術に対する評価は高く、他団体の多くのレスラーや関係者から賞賛されることが多い。「ジュニアヘビー級だけでなく、日本のプロレス界を牽引する一人」「百年に一人の天才」「馬場、三沢のDNAを持つ男」とも呼ばれる。
王座獲得についての記録も多く、2010年にメジャー3団体(新日本・全日本・ノア)のジュニアヘビー級のシングル王座を全て戴冠(メジャー完全制覇)した史上初のレスラーである。
来歴[編集]
入門前 - デビュー - 全日本時代[編集]
丸藤は幼少の頃からヤンチャであり、家にいるよりは外で遊ぶのが好きであった。4兄弟の末っ子であり、よく兄弟でプロレスごっこをして遊んでいた。丸藤が本格的にプロレスファンになったのは、兄が買ってきた週刊プロレスの表紙に掲載されていたロード・ウォリアーズに一目惚れしてからである[2]。ロード・ウォリアーズに心を奪われた丸藤は中学生になると徐々にプロレスラーになる準備を始めた。中学に入学すると『SLAM DUNK』の影響と身長を伸ばすためにバスケットボール部に入部、馳浩を筆頭にレスラーの著書を参考にし、自宅では新日本プロレス伝統の”トランプ練習”も取り入れながら体を鍛えた。当時について丸藤は後に「ほかになりたい職業がなかったし、プロレスしか頭になかったんで。ボクらは四天王、三銃士時代。爆発的に人気がありましたよ。新日本も夕方に流れてたし、全日本もテレビ埼玉では午後6時くらいから再放送があったし。その中でも、三沢(光晴)さんと武藤(敬司)さんは、スタイル的に自分が目標としていた人。ああいうふうなプロレスラーになりたいなと思ってました」と語っている。プロレス入り以前にプロレスを生観戦したのは近所の熊谷市民体育館で2、3回程度しかなく、”観るというより自分がやってみたい”という意識が強かった。中学2年生後半の進路相談では「オレはレスラーになる」と言い切ったが、親から「高校ぐらいは出なさい」と反対され、そこで将来的に何が役に立つかを考えた。
埼玉栄高校に入学し、レスリング部の見学に行くと、顧問の先生がちょうどプロレス好きという縁もあり、入部を決めた。レスリング部の同期には新日本でメディカル・トレーナーを務めている新島栄一郎がおり、丸藤は怪我でデビューを断念した新島について「彼がケガしてなかったら、確実に試合してただろうね。もしかしたらIWGPジュニアを懸けて対戦してたかも」と懐かしむコメントを寄せたこともある。高校時代は近所の書店に頼んで自宅に届くようにした週刊プロレスは読んでいたが、気持ちは総合格闘技・修斗の方へと行った。レスリングではインターハイ出場経験もあり(一学年上には柔道部所属の土方隆司がいた)、平柳玄藩とは高校生の時に2回試合を行い2回とも勝った。ちなみに、この埼玉栄時代の卒業前には、ロンドンブーツ1号2号の番組に「全日本プロレス入団内定」という触れ込みで、名前を明かさなかった上、少しではあるが出演を果たしている。また、高校時代には大宮のスーパータイガージム(当時は朝日昇、エンセン井上が在籍)に通っていたことを自ら明かしている[3]。高校2年生時、キングダムの入門テストに合格しているが、キングダム崩壊により、入団は果たされなかった。また船木誠勝によると、パンクラスの入団テストを受けに来たこともあり不合格になっている[4]。1997年12月、高校3年生の冬休み中に全日本プロレスの合宿上に仮入門という形で1週間住み込み新弟子体験を果たす。この時は、このチャンスを逃せばプロレスラーになることはできないと自分へプレッシャーをかけ、せっせと練習や雑用をこなしていた。
卒業後、全日本プロレスに入門。1998年8月28日、愛知県・岡崎市体育館の金丸義信戦でプロレスラーとしてデビューを果たした。入門から5ヶ月でのデビューは師匠の三沢光晴と並ぶ異例の早さである。この試合では三沢が”お古”にサインを入れてコスチューム屋にプレゼントしたそのタイツで間に合わせた。それまでの全日本では、新人は基本技だけで試合を組み立てなくてはならないという伝統があったが、三沢から「やれるなら何でもやれ」と助言されたこともあって空中殺法を駆使したファイトを見せた。丸藤はジャイアント馬場が存命中最後にデビューしたレスラーとなったため、当時は「馬場の最後の弟子」とも呼ばれ[5]、『スポーツうるぐす』(日本テレビ)で特集を組まれたこともあった。馬場の肩の上からミサイルキックを繰り出したこともある。 その後憧れだった三沢の付き人を務め、見習い扱いでアンタッチャブルに所属する。
ノア時代 - GHCジュニアヘビー級王者時代[編集]
2000年7月、三沢を中心とした新設されたばかりのプロレスリング・ノアに移籍する。移籍を機にコスチュームを緑のショートタイツからパンタロンに変更して、師匠・三沢がリーダーを務めるユニット「WAVE」の一員として参加した。馬場と過ごした短い日々と三沢に付いて行ったことについて丸藤は「関わった時間は短いですけど、馬場さんに触れられたことは、自分の中で素晴らしい思い出になってます。当時の全日本はいろいろあったけど、オレは三沢さんに付いていくだけでしたよ。社会人としても右も左もわからなかったし、お世話になってる三沢さんの言葉を信じるしかなかった。オレが突っ込んだ質問をできる立場でもないし、当時はただうなずいてばかりでしたね」と述懐したことがある。
2001年12月19日の有明コロシアム大会で、当時ZERO-ONE所属の高岩竜一を破り22歳で他団体に流出していたGHCジュニアヘビー級王座を奪還した。
2002年1月20日、視察のために新日本の獣神サンダー・ライガーと田中稔がやって来ていたが、丸藤が自身の試合後にマイクを取り「ノアのジュニアは最強です」と挑発したことでライガーがブチ切れ、新日本との対抗戦に発展する。しかし、3月に左膝靭帯を損傷し、まともに歩けない状態でありながら4月7日に橋誠との2度目の防衛戦に臨んだことから更に膝の状態が悪化、この試合はレフェリーストップで敗れた。
三沢からの独立 - KENTAとのタッグ[編集]
復帰直後の2003年1月に三沢とのシングルを経験するも、結果は丸藤の敗北に終わった。これを期に丸藤はWAVEを脱退し、三沢の付き人も同時に卒業する。その直後から「下克上」を旗印に、同じく若手のWILD II(森嶋猛&力皇猛)やKENTAと共闘を始め「ジュニアの体のままヘビーに挑戦」と目標を定める。この一環で2003年4月5日には秋山準&齋藤彰俊組が保持するGHCタッグ王座にも森嶋と共に挑戦を果たした。
同年7月には、KENTAとのタッグで初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座決定トーナメントに参加する。順調に勝ち進み7月16日に行われた決勝戦で、因縁の相手であるライガー&村浜武洋組を破り初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座に君臨した。その後、KENTAとのタッグは連戦連勝を重ね、ノアのジュニア戦線はヘビー級を上回る人気を獲得するようになる。
各王座戦線の最前線へ[編集]
2004年9月10日、パンクラスの鈴木みのると対戦した。試合には敗れたが、鈴木は丸藤を大きく評価しその後、意気投合しタッグを結成した。そして、2004年10月16日には秋山が創設した白GHCことグローバル・ハードコア・クラウンのタイトルにも挑戦する。王者・秋山とは体格差のハンデがあったものの、リングアウト勝ちを収め、第2代王者となった。
これと同時に進行していたKENTAとのタッグでは、防衛回数を積み重ね「ジュニア版絶対王者」とまで称された。計9回の防衛に成功し、2005年5月7日・8日に行われたジュニアの祭典第二回ディファカップでも決勝の日高郁人&藤田ミノル組を破って優勝。しかし6月5日、過去2度KENTAとのタッグで敗れている金丸&杉浦組に三敗目を喫し、同王座から陥落した。
しかし王座陥落直後の6月18日、イギリス・モアカムにおいてスコーピオ&ダグ・ウイリアムス組に鈴木とのタッグで勝利し、第10代GHCタッグ王者となった。
KENTAとのベストバウトから対ヘビー級戦線へ[編集]
2006年1月22日、KENTAが持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦。敗れたものの高評価を得た。この試合でジュニア戦線に一区切りをつけた丸藤は、ヘビー級を超えるべくヘビー級戦線に参入した。
3月5日の日本武道館大会では5大シングル戦の一戦として、当時前GHCヘビー級王者であった田上明とシングルで対決。最後は隙を突いて完璧首固めで四天王の一角から金星を奪った。
3月10日、リアルジャパンプロレスにてジュニア界の伝説・初代タイガーマスクと初対決。丸め込まれ敗れはしたものの、佐山(タイガー)を「日本のプロレスにはまだ凄いのがいる。」と驚かせた。
4月23日、日本武道館で小橋建太とシングルマッチを行うも敗北。
GHCヘビー級王座初戴冠[編集]
9月9日、先の田上戦、小橋戦で対ヘビー級の自信を掴んだ丸藤はGHCヘビー級王者・秋山に挑み完璧首固めで勝利。第10代GHCヘビー級王者となるのと同時に、当時のGHC全王座獲得(ヘビー・ジュニア・タッグ・ジュニアタッグ・ハードコア)を達成した[6]。
10月29日には1月にGHCジュニアヘビー級選手権で敗れたKENTAを次期挑戦者に指名。初公開のポールシフトで初防衛に成功した。この試合は同年のベストバウトに選ばれた。
しかし12月10日、三沢との防衛戦で雪崩式エメラルド・フロウジョンで敗れ、王座から陥落した。
他団体進出、GHCタッグ、ヘビー戦線へ[編集]
2006年12月24日、第四回力道山杯を受賞。
2007年4月1日にDDTプロレスリングに初参戦、男色ディーノとのタッグでKUDO&マッスル坂井と対戦し、試合中ディーノの求愛行動に手こずりながらもディーノの勝利をアシストした。
4月30日にはKAIENTAI-DOJOにも初参戦し、円華とのタッグで真霜拳號&房総ボーイ雷斗と対戦し、雷斗の卑怯な攻撃に翻弄されるもしっかりと勝利をアシストした。
6月8日、横浜大会でビッグマウス・ラウドの村上和成と初対戦したが、注目を集めたこの試合で丸藤も大流血し敗北を喫した。試合後、丸藤は村上と終始乱闘を繰り広げた。
GHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦にエントリーし齋藤に敗れる波乱がありつつも優勝決定戦に進出する。優勝決定戦では森嶋と対戦し丸藤が勝利した。優勝したことにより第11代GHCヘビー級選手権者・三沢への挑戦権を手に入れた。2007年9月29日大阪府立体育会館でGHCヘビー級王座を奪われた三沢に挑戦するも変型エメラルド・フロウジョンで敗北した。
10月27日、日本武道館大会にてディーロ・ブラウン、ブキャナンの持つGHCタッグ王座に杉浦貴と組んで挑戦、見事勝利し第16代GHCタッグ王者となった。獲得後、2度防衛をしたが、2008年5月23日新潟市体育館で齋藤、バイソン・スミス組に破れ王座から陥落した。
欠場と復帰、メジャー3団体ジュニア制覇[編集]
2008年9月28日、古巣の全日本プロレスで高校時代の先輩である土方をポールシフトで破り、世界ジュニアヘビー級王座を獲得した。
10月25日、日本武道館大会で丸藤の持つ世界ジュニアヘビー級王座とKENTAの持つGHCジュニアヘビー級王座のダブルタイトル戦が行われたが60分時間切れ引き分けに終わり、両者防衛成功となった。この興行はノアの主催であったが、試合は世界ジュニアヘビー公式PWFルールで行われ、場外カウント10という方法がとられ、レフェリーは和田京平が裁いている。
2009年2月6日、全日本の後楽園ホールにてカズ・ハヤシにパワープラントで敗れ王座から陥落した。
3月11日の有明大会で合体パイルドライバーをかけた際に、相手の体重が右ヒザにかかり負傷した。翌12日にMRI(磁気共鳴画像装置)検査を受け、右ヒザ前十字靱帯(じんたい)断裂で全治9か月と診断され、様子を見ながら4月に手術を受けた。この負傷は年内絶望の重傷と言われた。
12月6日、「青木篤志“閃光十番勝負”第9戦」(元々は最終戦のはずだったが中嶋負傷欠場のため第9戦になった)で復帰し、タイガー・フロウジョンで勝利を収めた。
12月23日、ノアの自身プロデュースの試合のメインイベントに出場した後、新日本プロレス「SUPER J-CUP 5th STAGE」に出場。ノアの試合とJ-CUP決勝までの3連戦の計4試合を勝ち抜き、大会初の2連覇を達成した。
2010年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会にて、王者タイガーマスクを下しIWGPジュニアヘビー級王座を奪取。史上初のメジャー3団体(新日本・全日本・ノア)のジュニアヘビー級シングルベルトを全て獲得する快挙を成し遂げた。
しかし6月19日、大阪府立体育会館にてプリンス・デヴィットに雪崩式ブラディ・サンデーで3カウントを奪われ、IWGPジュニアヘビー級王座6度目の防衛に失敗、王座から陥落した。
7月25日、DDTプロレスの両国国技館大会で負傷し、変形性頸椎症性神経根症と診断された[7]。この怪我が原因で翌月に出場予定だったG1 CLIMAXの欠場を余儀なくされ、IWGPジュニア王者のデヴィットが丸藤の代役として出場することとなった。
12月5日、日本武道館大会のKENTA戦で復帰を果たした。また、この試合では初心に帰るという意味も込めて普段のようにオーバーマスクを着用せずに入場した。
2011年4月17日、変形性頸椎症性神経根症再発の疑いにより再び欠場となった。
11月27日、有明コロシアム大会での杉浦戦で7か月ぶりの復帰を果たす。試合後に杉浦からタッグを組む事を提案され、これを受け入れた。
2012年、新ユニット「BRAVE」結成[編集]
2012年1月4日、ANMUの潮崎とタッグを組み、東京ドーム大会「レッスルキングダム」に2年振りに出場。新日本プロレスの中邑真輔・矢野通組と対戦しこれに勝利する。
同月中旬、昨年11月での杉浦との対戦をきっかけに、杉浦と共に新ユニット「丸藤軍(のちのBRAVE)」を結成。時同じくして同ユニット加入を申し込んできたモハメド・ヨネを拒絶。代わりにANMUで居場所を失った石森太二を同月29日に正式加入させ、同軍団のメンバーが3人となった。
2月14日、NO MERCY(高山、金丸、平柳玄藩)を相手にしたタッグマッチ中、NMCに加入した谷口周平が乱入。これを見かねたヨネが自軍に加勢する形で乱入し、試合は8人タッグマッチへと発展(試合はヨネが谷口からフォールを奪い、丸藤軍の勝利)。試合後、同試合での奮闘振りを認めヨネを同軍団に加入させる。また同日、リッキー・マルビンも迎え入れ軍団の規模を拡大させた。
8月には前年欠場したG1 CLIMAXに参戦し、リーグ戦でIWGPヘビー級王者の棚橋弘至に勝利した。これを受けて9月23日新日本プロレス神戸大会で棚橋の持つIWGPベルトに挑戦したが、敗れた。
GHCヘビー級王座返り咲き〜鈴木軍との抗争[編集]
2014年7月5日、永田裕志を破り7年7ヶ月ぶりにGHCヘビー級王座を手にした[8]。
2015年1月からノアに殴り込みを掛けてきた鈴木みのる率いる鈴木軍との抗争が激化。3月15日、丸藤は1月の年内開幕戦での試合後に襲撃された鈴木を相手にGHCヘビー級王座7度目の防衛戦を行ったが、試合は丸藤が敗れ王座から陥落した。その後、丸藤は鈴木とのリターンマッチを行うも、再び敗北を喫した。
9月19日には、対鈴木軍の最後の砦と言われた杉浦も、鈴木に敗れた。翌日、丸藤は「グローバル・リーグ戦2015で鈴木または鈴木軍のメンバーが優勝した場合には団体を解散する。」と副社長として声明を発表した。結果は、丸藤がリーグ戦で優勝した。
丸藤はリーグ戦優勝を受けて、12月23日の大田区総合体育館大会で鈴木のGHCヘビー級王座に再び挑み勝利して同王座に返り咲いた。が、直後に杉浦が丸藤に反旗を翻し、鈴木軍入りを果たした。
2016年1月31日の横浜文化体育館大会で杉浦と初防衛戦を行うも、敗れて王座から陥落した。
グローバル・タッグ・リーグ戦には盟友である矢野通とタッグを組んで出場し、優勝する。リーグ戦優勝を受けて5月28日の大阪府立体育会館大会でランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミス・ジュニア(K.E.S.)の持つGHC タッグ王座に矢野とのタッグで挑戦した。丸藤からも不知火が飛び出し、会場も一体となり勝利を収めノアへ473日ぶりに同タイトルを取り戻した。
7月、2012年以来のG1 CLIMAXに参戦し、開幕戦ではIWGPヘビー級王者のオカダ・カズチカに対して勝利を収めるが、5勝4敗で終わった。しかし、この結果を受け新日本プロレスの2016年10月10日両国国技館大会メインイベントでオカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するも、試合は丸藤の惜敗だった。
チャンピオン・カーニバル優勝、三冠ヘビー級王座への挑戦[編集]
2018年4月、丸藤は古巣・全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルに全日本プロレス時代も含め初出場を果たす。丸藤は、関係が悪化した後の全日本プロレスにノアの所属選手として初めて出場し、諏訪魔とゼウスに敗戦するも決勝戦に進出し、決勝戦で宮原健斗を破り優勝する。その後、チャンピオン・カーニバルの覇者として同年5月に宮原の保持する三冠ヘビー級王座に初挑戦するも、結果は丸藤の惜敗だった。
デビュー20周年興行開催 - 現在[編集]
2018年9月に両国国技館にて、デビュー20周年記念興行『丸藤正道デビュー20周年記念大会「飛翔」』が開催され、メインイベントにてWWEのヒデオ・イタミと対戦し、勝利。
2019年2月19日、新崎人生とのタッグで『ジャイアント馬場没後20年追善興行』第6試合に出場[9]。
2019年12月15日、DRAGON GATEに初参戦し、"ハリウッド"ストーカー市川とマスカラ・コントラ・カベシェラで対戦[10]。試合は丸藤には2カウントフォール+場外5カウント、市川にはギブアップ無しの変則ルールで行なわれたが、これに勝利。市川にマスク(実際は被り物)を脱がせ、本名などのプロフィールを公開させた。
2020年1月5日、望月成晃とのタッグでGHCタッグ王座を獲得。
5月10日、ノア特設アリーナでグレート・ムタのタッグパートナーとして、丸藤の化身とされる魔流不死(まるふじ)が魔界より初降臨し、桜庭和志&望月成晃組と対戦。スモークを噴射するなどして勝利に貢献した。試合後のバックステージでは「俺はこの世界の言葉を学んだ、また会おう」と日本語でコメントし、再降臨を予告した[11][12][13]。
6月19日、新ユニットM's allianceを結成。
2021年6月6日、さいたまスーパーアリーナ大会で武藤を破り、5年振りにGHCヘビー級王座を戴冠。
人物[編集]
運動神経が良いのは父親譲りだという[2]。なお、次兄の丸藤広貴[14]はサテライト所属のアニメーターで、『マクロスF』などの作画監督やキャラクターデザインを務めており、丸藤プロデュース大会のTシャツをデザインしたこともある[2]。
KENTAとのタッグチームは「イケメンタッグ」などと呼ばれることもあった。
プロレスラー引退後のセカンドキャリアについても意識しており、2014年8月には自らが社長を務める新会社「キュリオシフト」を設立。同社の第一弾業務として、東京・赤坂に「不知火カレー City's Bar」をオープンさせた。当面は後援者の経営するバーを昼間だけ間借りする形だが、先々は多店舗展開も視野に入れている[15]。City'sBar閉店→代官山に間借り→現在 不知火カレーグリドルズ・バーTokyo赤蔵店 として間借り営業。
武藤敬司は丸藤のレスラーとしての特徴を「三沢って、デーッとして力強さがあったりして、かといって寡黙な感じだけど、丸藤の方がもっと柔軟性に富んだ、要領のいいところを感じるんだよ」と2017年のインタビューにおいて三沢光晴との比較で表現している[16]。
2019年の遠藤哲哉が受けたインタビューによると、丸藤は試合中のヒラメキに優れるという評価が一般的だが、遠藤は新弟子時代に全日本の厳しい練習に身を置いていたことが丸藤のバックボーンとなっていると話していた[17]。
かなりの酒豪であり、YouTube上で「丸藤潰したら100万円」なる企画が実施される程である[18]が、食事に関しては本人曰く「一般女性より食べない」との事(蝶野正洋のYouTubeチャンネル内で発言)[19]。
タイトル歴[編集]
メジャー3団体(全日本・新日本・ノア)のジュニアシングル王座を全て獲得している。
- プロレスリング・ノア
- パートナーは鈴木みのる(10代)、杉浦貴(16・27代)、矢野通(34代)、マイバッハ谷口(39代)、齋藤彰俊(45代)、望月成晃(52代)、武藤敬司(57代)
- GHCジュニアヘビー級王座 : 1回(3代)
- GHCジュニアヘビー級タッグ王座 : 2回(初代・13代)
- パートナーはKENTA(初代)、青木篤志(13代)
- 2デイズ・タッグ・チーム・トーナメント優勝(2004年)
- パートナーは力皇猛(2004年)
- グローバル・リーグ戦優勝(2015年)
- グローバル・タッグ・リーグ戦優勝(2012年、2016年、2017年)
- パートナーはモハメドヨネ(2012年)、矢野通(2016年)、マイバッハ谷口(2017年)
- 全日本プロレス
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- 世界ジュニアヘビー級王座 : 1回(27代)
- チャンピオン・カーニバル優勝(2018年)
- 新日本プロレス
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- IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回(59代)
- アパッチプロレス軍[20]
-
- WEWタッグ王座 : 1回
- パートナーは本田多聞(8代)
- DDTプロレスリング
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- KO-Dタッグ王座 : 1回
- パートナーはHARASHIMA(62代)
- SUPER J-CUP
-
- スーパーJカップ優勝 : 2回(第4・5回)
- Differ Cup
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- ディファカップ優勝 : 1回(第2回)
- パートナーはKENTA(2005年)
- プロレス大賞
- 1999年 新人賞
- 2003年 最優秀タッグチーム賞(パートナーはKENTA)
- 2006年 年間最高試合賞(丸藤正道×KENTA)
- 2006年 殊勲賞
- 2008年 年間最高試合賞(丸藤正道×近藤修司)
- 2016年 年間最高試合賞(丸藤正道×オカダ・カズチカ)
- 2018年 殊勲賞
得意技[編集]
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優れた身体を生かしてからの跳躍力は日本のトップレスラー中、№1の実力を持つ。自身のインタビューでは「三沢さんが創り上げたかったノア以上のノアにしたい。」と語っている。飽きない全力疾走タイプでありながらも蹴り技、飛び技、丸め込み技などを中心に試合を組み立てることがメインとなっている。
フィニッシュ・ホールド[編集]
- 不知火
- コーナーポストに向き合った形で立ち、背後に立つ相手の頭を掴んで自らの肩に乗せるような形で固定する。そのままコーナーを駆け上がり相手を飛び越えるように宙返りをし、相手の後頭部をマットにたたきつける技。NOAH旗揚げ時から一貫して使用している丸藤の代名詞的フィニッシュムーブ。
- コーナー上からの雪崩式、エプロンサイドからの断崖式、鉄柵を利用しての場外式、肩車で担がれた相手に決めるダブルインパクト式、タッグパートナーに投げてもらって決めるなどバリエーションに富む。この他にも相手の背中を鉄柵に当てるパターンやリストクラッチ式、前方回転式等、無数に存在するバリエーションを総称して「七色の不知火」と呼ばれることもある。
- この技の元祖は日高郁人のミスティ・フリップ。その場飛び不知火は、ウルティモ・ドラゴンのアサイDDTの改良型と着地の姿勢と首のロックの仕方が違うだけでほぼ同形。似たような技としては新日本プロレスの内藤哲也のフィニッシュでもあるデスティーノがあるが、内藤のデスティーノは逆上がりの要領で体を360°回転させる技であり、丸藤の不知火は180°回転させるものである。
- 技名は、丸藤がインタビューで「プロレス界では横文字の技名が流行っていて漢字を使う技名がなかったんで。マンガに出てくる(作品は不明)「妖刀・不知火」から取った」とのことが由来。
- 雪崩式不知火
- 文字通り雪崩式で放つ不知火。
- トップロープに立った状態でセカンドロープ上の相手の頭部を背中越しで右肩に固定し、ジャンプと同時に後方宙返りして相手を飛び越えそのまま相手の後頭部からマットに叩き落とす。大一番で見せる丸藤の奥の手。
- 前方回転式不知火
- リング中央で不知火の体勢で相手の首を右肩に固定し、そこから振り上げた右足で相手の左足を刈りながら勢いよく前方宙返りをして背中からマットに叩きつける変型不知火。丸藤の類い稀なセンスが生み出す“七色の不知火”の1つ。
- 不知火・改
- 通常の不知火とは異なり、コーナートップで相手と向かい合った状態で首をロックしその体勢のまま自分がムーンサルトプレスを行うことで、相手が強烈に背中から叩きつけられる技。当初、雪崩式裏不知火と呼ばれていたが、後に改称された。フランキー・カザリアンのフラックス・キャパシターが元祖。2008年3月2日のGHCタッグ戦ではジェイ&マークのブリスコ・ブラザーズが繰り出したスプリングボード式ドゥームズデイ・デバイスをこの技で切り返して3カウントを奪った。
- 裏不知火
- 通常の不知火とは異なり、相手の後頭部側から首をロックしそこから不知火にいって相手の顔面をマットに打ちつける。最近はほとんど使われない。
- ポール・シフト
- 左腕で相手の首をロックし右腕で相手の左足を持ち上げる、持ち上げながら相手の顔が自分のほうへ向くよう左へ半回転させ、左腕はそのまま首をロックしたまま尻餅をつきながら相手の後頭部をマットに打ち付ける。スコット・スタイナーの必殺技として知られるスタイナー・スクリュー・ドライバーのフィッシャーマンズバージョン。
- フィッシャーマンズ・バスターの体勢で持ち上げ、みちのくドライバーIIの様に落とす技であり、全体的に橋誠のゴリラーマンズドライバーに似ている。丸藤の数少ない垂直落下式の技のひとつ。2009年3月に欠場する以前までは大一番でのフィニッシュ・ホールドになることが多い技であったが同年12月の復帰戦からは後述するタイガー・フロウジョン、2014年7月にはポールシフト式エメラルド・フロウジョンを開発し、この2つの技がフィニッシュ・ホールドとなることが増えたため、近年はポールシフトで試合が決まることは少なくなった。リストクラッチと混同されがちだが実際はリストクラッチではない。技名は「地軸移動」から。
- タイガー・フロウジョン
- タイガー・ドライバーの形で持ち上げ、左腕のロックを外して相手の腰を下から抱え、次いで右腕のロックも外して相手の喉元を押さえるように右手を添え、右に倒れ込みながら相手の後頭部をマットに叩き付ける技。
- フィニッシュがリバースのエメラルド・フロウジョンに似た形となっている。丸藤は、「三沢光晴を倒す技として開発した」とコメントしている。両腕のロックを外したあと右側に倒れ込まず、そのまま垂直に背中から落とすバージョンもある。
- ポールシフト式エメラルド・フロウジョン
- 2014年6月13日の三沢光晴メモリアルナイトでの齋藤彰俊戦で初披露。
- ポールシフトの体勢で相手を持ち上げ、相手を自らの右腕側に移動させエメラルド・フロウジョンの体勢で相手をマットに叩きつける。
- 2014年7月にこの技で永田を破り、7年半ぶりにGHCヘビー級王座を奪取した。丸藤は永田戦の以前に出演した「速報!バトル☆メン」で、同番組MCの元井美貴にもこの技を開発した理由について聞かれると、「本当はポールシフトを決めようとしたんですが、齋藤さんを持ち上げられなかったためあのような形になりました」と丸藤は説明している。永田戦の試合後のインタビューで「自分の中ではまだ完璧ではないと思うんで名前も決まっていない」と答えていて技名は決めていないものの「今後のオレの最大の武器なっていくんじゃないかな」と語り、フィニッシュムーブとしてさらに磨きをかけて行くとのこと。2016年にはG1 CLIMAX26の開幕戦、北海道大会にてオカダを相手にフィニッシュとして使用し、勝利を収めた。同技は偶然できた技であるため、丸藤は名前を決めておらずキングオブプロレスリングにも「ポールシフト式エメラルド・フロウジョン」と記載されたことから技名はそのままになっている。
- 虎王
- 助走して二段蹴りを仕掛けるように軽く宙に舞上がり、振り上げた右膝で相手の顔面や顎に下から突き上げるような膝蹴りを叩き込む。技名は、丸藤が好きな漫画「餓狼伝」に存在する虎王という名前の技が由来。
- リストクラッチ式虎王
- 虎王の進化バージョン、相手の手首を掴んだまま、コブラ・クラッチの様な形で相手の片腕を顔面に絡める様に固定してそのまま後頭部に膝蹴りを叩き込む進化した虎王。
- 2018年のチャンピオンカーニバルでの秋山戦にてこの技でフォールを奪っている。
- 真・虎王
- 相手の左腕をハンマーロックで捕らえた状態で前傾姿勢にし、右サイドから側頭部に二段式で右膝蹴りを叩き込む虎王の新型。相手の右腕も左腕のクラッチに引っ掛けているため、完全に無防備な状態で頭部を撃ち抜くKO必至の戦慄フィニッシャー。
- 虎王・零
- 相手の体(みぞおち、腹)に虎王で蹴り相手を前屈状態で相手の両耳を掴み虎王で蹴り相手の顔面を撃ち抜く。
打撃技[編集]
- 逆水平チョップ
- 2014年から多用し始める。丸藤の場合は、パワーファイターとは異なるムチのようにしなるタイプのものを使用している。
- チョップ・スマッシュ
- エルボー
- エルボー・スタンプ
- バックエルボー
- アックスボンバー
- 古くから使っていたが、最近ではリング上で片膝立ちの相手に対しての低空アックスボンバーや、時間差ロープワークを使って撹乱してからのアックスボンバーを使用している。
- コーナー・バックエルボー・アタック
- コーナーにもたれかかっている相手に放つ、ジャンピング・バックエルボー。リング中央から踏み切るため、滞空時間がかなり長いのが特徴。ロープに向かって飛び、ロープを蹴ってエルボーを当てる三角飛び式もフェイントとして出す。
- 丸藤の師でもあるジャイアント馬場に伝授された技。第二回ディファカップのテレビ特番のインタビューで「自分の技の中で一番大切にしている」と丸藤は答えている。
- トラース・キック
- 相手に対して半身になり、顎を目掛けて片足裏で強烈な後ろ蹴りを叩き込む。丸藤の場合は、サイドステップから体を捻り顎をかちあげるように鋭く右足で蹴り上げる。
- 最近では、ブレーンバスター(もしくは、ポール・シフト)の体勢から相手を前方に放り、着地した瞬間にトラース・キックを突き刺す、という戦法を使用している。
- マルフジ・キック/フックキック
- 相手の背後から弧を描くように側頭部を蹴りつける変型トラース・キック。完全に死角から打ち込まれるため、相手は身構えることすらできない。元祖は丸藤であるため、「マルフジ・キック」と呼ばれることも。海外でフックキックと実況で呼ばれる。
投げ技[編集]
- アームドラッグ (サイクロン・ホイップ)
- ロープに振った相手を巻き投げの様にホイップする。基本的な技だが、丸藤のアームドラッグは高速で綺麗な形を描いて投げるのが特徴。
- キャプチュード
- キックを仕掛けてきた相手の蹴り足を下手に捕らえ、同時に首を抱き込むようにクラッチして後方へ放り投げる変形のフロント・スープレックス。第2次UWF時代の前田日明が開発した代名詞的な投げ技。
- クロスアーム・スープレックス・ホールド
- 相手の背後に立ち、相手の両腕を前で交差させ、自分はストレートにその交差させた手首を掴んで後方に投げる。
- コブラクラッチ式リストクラッチ・バックドロップ・ホールド(正式名称不明)
- コブラクラッチの体勢から左腕で相手の右手首をクラッチし、そのままバックドロップへ移行して固める複合変形バックドロップホールド。コブラクラッチ式三角絞めを耐えた相手に対し、連携で使用する。
- 垂直落下式魔神風車DDT(正式名称不明)
- 正式名称は不明。相手の前面に立ち、左腕で相手の首を下から捕らえ、相手の左腕を背中に回してから下側から自分の右腕で手首を掴む(自分の手の置き方が上下逆だが、要するにチキンウイング、もしくは「魔神風車固め」の体勢から、後ろに反り投げない形)。この状態に固めてから相手を担ぎ上げ垂直に落とす。今のところKENTA戦以降使われていなかったが、2014年7月の中嶋勝彦とのGHCヘビー級戦で久々に使用した。
- タイガー・ドライバー
- 丸藤の師匠である三沢の得意技で、現在は使用する頻度は少ない。ここから腕ひしぎ逆十字固めへ移行することもある。
- タイガー・ボム
- リバース・フルネルソンの体勢から相手を持ち上げるまでは上記のタイガードライバーと同じだが、丸藤の場合はシットダウン式ではなく、肩膝をつくパワーボムの形で落とす。相手を叩き付けた後はそのまま、相手の両足をエビに固めてフォールする。工藤めぐみのくどめドライバーと同型。
- ドラゴン・スクリュー
- 相手の足を捕らえて自ら内側に回転し、その反動で膝へダメージを与える技。雪崩式やリストクラッチ式を始め、ロープ等に相手の足を掛けて受身を取れなくするバリエーションも存在する。ここから足4の字固めへ移行することもある。
- ドラスクホールド
- ドラゴンスクリューで投げたまま、そのままジャックナイフに固める技。
- パワーボム
- ヘビー級戦線シフト後に使い始めたが、現在はほとんど使用されていない。
- 村正
- 相手の背後に立ち、左腕で相手の左腿を持ち上げる抱え式バックドロップで捕らえ、即座にハーフジャックナイフ式エビ固めに固める。しばらく使用されていなかったが、2006年1月22日のKENTA戦で使用された。
- 変形ブレーンバスター(投げっぱなしポールシフト)
- 試合中に突発的に生まれた技のため正式コールは変形ブレーンバスター。2010年7月、DDT両国大会のケニー・オメガ戦でのフィニッシュ技。ブレーンバスターの体制で持ち上げ、そのまま前方へ相手を投げっぱなした形になった。「投げっぱなしポールシフト」とも呼ばれた。この時、丸藤は試合の序盤にコーナーのターンバックルへ強引にぶん投げられた際、右肩を激しく打ちつけられ、試合後に「変形性頸椎症性神経根症」と診断を受けるほどの重症を負っていて、右腕の自由が効かない状態で相手を持ち上げようとしたため右腕が上がらず、すっぽ抜けて投げっぱなし式の技のようになってしまった。
絞め技・関節技[編集]
- パーフェクト・フェースロック
- 座り込んでいる相手の正面から、相手の右腕の下から自分の左腕を通しての正面からフェイスロック右腕を相手のほお骨辺りに置き、左腕は相手の右脇下を通して自分の右手を掴み両腕で力を込め締め上げる技。
- どんな相手にも決められるギブアップで勝利を取れる技がほしがったから開発した技。技名の由来は後述する「完璧首固め」と同様のパーフェクトシリーズのひとつであるからとのこと。基本的には虎王(2段式膝蹴り)で相手をダウンさせた後この技で追撃をかける。丸藤は同じ週プロのインタビューにて、「フェースロックという技自体が三沢さんの技。(中略)一番影響されたレスラーですからね。でも完全なマネはしたくなかったこうなりました」と答えており三沢のフェイスロックを意識した技であると解説している。
- パーフェクト・キーロック
- 仰向け状態の相手の左腕をキーロックで捕らえ、そのままクラッチを解かずに左脚を掴んで相手を後方回転して、自らの両足をクロスさせながら捕らえた左腕を挟み込んで足で首も締め上げる技。首を固定して締め上げる変型ネック&アームロック。
- クリップラー・クロスフェイス
- コブラクラッチ式三角絞め
- コブラクラッチを仕掛けた状態から飛びつき式に三角絞めへ移行する複合関節技。
- 胴絞めドラゴン・スリーパー・ホールド
- ドラゴン・スリーパーの体勢から自ら倒れこみ、更に両足で胴絞めを仕掛けるグラウンド式のドラゴン・スリーパー。
- ネックツイスト
- 仰向けに倒れた相手の頭部をまたいで両足で挟み付け、上半身を捻って弾みをつけた後、反対側へと急回転する。上半身の遠心力が両足へと伝わり、掛けられた相手は瞬間的に頭部を真横に捻じ曲げられることになる。頸椎にまともに力が加わるため、コミカルな見た目に拠らず実は危険な技でもある。
丸め込み技[編集]
- 逆さ押さえ込み
- スクールボーイ
- 完璧片エビ固め
- 2014年のグローバルタッグリーグより使用し始めた技。
- 腕極め回転エビ固め
- ラ・マヒストラルの様に相手の片腕を跨いで固定し、自ら前転してエビに固める技。縦回転式ラ・マヒストラルとも。
- ローリングオースイ・スープレックス・ホールド
- 相手の背後に回り、背中と両腕の間に自分の両腕を差込みロックした後、倒れこみながら相手を後方にスライドするようにと移動させ、肩を付けた時点で初めてブリッジをしフォールする。このようにスープレックスの名称はついているが、固め技である。
- 完璧エビ固め
- 相手の両手首・左足をそれぞれ自分の手足でクラッチした状態となる変形エビ固め。欧州遠征時に開発した技。
- 完璧首固め(パーフェクト・スモール・パッケージ・ホールド)
- 丸藤が得意とする丸め込み技の1つで、リストクラッチして丸め込むため相手が返しにくいのが特徴。左手で相手の右足と左手を、両足で相手の左足を、右手で相手の首から右上半身を押さえ込む。
- チョココロネ
- 丸藤が得意とする丸め込み技の1つ。回転しながら相手の背中に回り込んだり、脚を取ろうとしたりと複雑な動作で相手を幻惑させた挙句丸め込む技。バク転キックに移行するパターンもある。
- 飛びつき式キド・クラッチ
- ツイストドーナッツ
- お互いが四つん這い状態からフィッシャーマンの形にクラッチし横に半回転、フィッシャーマンズスープレックスホールドの形でフォールする。2012年のG1 CLIMAXにてこの技でカール・アンダーソンから勝利を収めた。
飛び技[編集]
- 低空式ミサイルキック
- コーナートップから相手の膝目がけてミサイルキックを繰り出す技。ドラゴンスクリューと合わせ、丸藤の膝殺しコースの1つ。
- ノータッチ式断崖ミサイルキック(正式名称不明)
- 場外に居る相手に対し、トップロープに手は触れず跳躍のみでロープを飛び越え、ミサイルキックを見舞う高難度の技。大一番の時に使われる技。
- from コーナー to コーナー
- 相手をコーナートップロープに足を掛けて逆さ吊りにし、自分はその隣のエプロンサイドに行く。そしてスワンダイブして、ふわっと上に舞い上がって落下中に顔面を足の裏で蹴り飛ばすという魅せ技である。なお、丸藤よりも以前にロブ・ヴァン・ダム、シェイン・マクマホン、CIMAがほぼ同型の技を披露している。
- from コーナー to セイムコーナー(正式名称不明)
- CIMAの同名技「コーナー to セイム・コーナー(コピー禁止)」と同型。
- ラ・ケブラーダ
- リング内を向いた状態でエプロンに立ち、トップロープを両手で掴みながらセカンドロープに飛び乗り、その反動で場外に居る相手に後方宙返りを浴びせかける危険技。ウルティモ・ドラゴンが日本人として初めて行い、アメリカマットでも頻繁に使用したことから、ドラゴンの本名を取った「アサイムーンサルト」として知られる。
- また、下記のようなボディ・プレス技もジュニア時代には使用していたが、膝に爆弾を抱えていることもあり、その性質上マットに膝を強打してしまうボディ・プレス技の使用頻度は極端に下がっている。
- フロッグ・スプラッシュ
- 空中で屈伸するフライング・ボディ・プレス。丸藤のそれは三沢式よりもやや屈伸が深い。
- フェニックス・スプラッシュ
- リング外を向いた状態でコーナートップに登り、向き直りながら仰向けの相手に対し450度の前方回転するボディ・プレス。FMWのハヤブサが考案し使っていたことで有名である。試合で行ったが失敗に終わり、後に成功させた。
- シューティング・スター・プレス
- 仰向けの相手に対しコーナートップに登ってリング内を向き、270度のバック宙をして相手にボディ・プレスを浴びせる技。獣神サンダー・ライガーの正体と噂される人物が考案し必殺技として使っていたことで有名。2004年7月10日の東京ドーム大会で繰り出そうとした時には上手く体が回らずそのままコーナートップからのセントーンに切り替えたこともあった。丸藤曰く「俺の中の最高の技」。
入場テーマ曲[編集]
テレビゲーム好きのため、新人の頃はダンスダンスレボリューションの曲を使用していた。
- 冷たくしないで / Eriko with Crunch (曲の冒頭に「ALL MY TRUE LOVE」 / SPEED の効果音を付け、その後に「冷たくしないで」のボーカル部分をカットした編集) 全日本プロレス時代の初期に使用した。
- BRILLIANT 2U / NAOKI
- 5,6,7,8 / The Steps
- めちゃ×2イケてるッ!のコーナー「めちゃSTEPS」に他のノア所属選手らと共に出演した際、ナインティナインの岡村隆史からプレゼントされ、三沢から半ば脅迫に近い形で使用させられる[21]。しかし、その試合で敗北したため使用は1試合のみに終わった。
- HYSTERIC
- HYSTERIC(Trance Version)
デビュー20周年記念大会『飛翔』[編集]
2018年9月1日、自身のデビュー20周年を記念した興行を両国国技館で開催。メインでは丸藤正道と、現役WWEスーパースターのヒデオ・イタミ(KENTA)とのシングル戦が実現。また元ノア所属選手をはじめ、全日本プロレス、WRESTLE-1、DDTプロレスリングの参戦が決定 メインイベント:○丸藤正道VSヒデオ・イタミ× 34分12秒 ポールシフト式エメラルド・フロウジョン→体固め[22]。
メディア出演[編集]
テレビ[編集]
ラジオ[編集]
舞台[編集]
- 2.5次元プロレス『夢幻大戦』(2017年11月27日、新宿FACE) - モモタロウ 役
CM[編集]
- CRフィーバータイガーマスク(2010年) - タイガーマスク 役[26][27]
書籍[編集]
- 『方舟の継承者』(2018年9月7日、ワニブックス)ISBN 978-4847097089
参考文献[編集]
- 「週刊プロレス」2013年1月11・18合併号 pp71 - 74掲載『レスラーヒューマンストーリ』第75回 丸藤正道 編
- 「週刊プロレス」2013年8月31増刊号 pp87 - pp96掲載 『丸藤正道15周年記念特集』
- ベースボールマガジン社『レスラーヒューマンストーリーII プロレスラー男の履歴書』p112-119
脚注[編集]
- ^ 『週プロ』2013-01-11 pp72
- ^ a b c 「プロレスラーの家族たち 第8回」『週刊プロレス 2012年4月4日号 (No.1623) 』 ベースボール・マガジン社、2012年、pp.48-49。
- ^ 丸藤正道(プロレスリング・ノア)が、初代タイガーマスクとの対戦を熱望! マッチメイク・チケット情報ブログ“押忍” 2006年1月30日
- ^ Masakatsu Funaki「丸藤選手は素晴らしいです。100年に1人のプロだな、と」 - YouTube
- ^ “馬場さん最後の弟子、丸藤正道が壮絶打撃戦で存在感”. 日刊スポーツ (2019年2月19日). 2022年9月1日閲覧。
- ^ のちにGHCナショナル王座が新設されており、丸藤はまだ獲得していない。
- ^ 門馬忠雄「恐れが現実となった丸藤正道の過労欠場」 『Sports Graphic Number』2010年9月2日号、文藝春秋、2010年、雑誌26851・9・2、116頁。
- ^ 高木裕美 (2014年7月6日). “丸藤が約7年半ぶりにGHC王者返り咲き 弾丸ヤンキースはTMDKを退け初防衛”. スポーツナビ. 2014年7月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!”. バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ “DRAGONGATE:ドラゴンゲート公式サイト このまま市川”. GAORA. 2020年6月20日閲覧。
- ^ “グレート・ムタ&魔流不死、毒霧と消火器噴射で勝利”. 日刊スポーツ. 2020年6月14日閲覧。
- ^ “5/10【NOAH】"魔流不死"(まるふじ)初降臨でムタと魔界タッグ 桜庭&望月と超異次元マッチ展開”. プロレス格闘技DX. 2020年6月14日閲覧。
- ^ “【ノア】5.10 ノアTVマッチにグレートムタ見参!魔流不死と共に毒霧・炎・炭酸ガス放出と魔界空間に!ジュニアは裏切り・新ユニット誕生で混沌”. プロレスTODAY. 2020年6月14日閲覧。
- ^ Cell Expression Archived 2016年8月3日, at the Wayback Machine. 丸藤広貴アートギャラリー
- ^ 【NOAH】丸藤が異業種にも挑戦 東京・赤坂『不知火カレー』が28日オープン(写真あり) - プロレス格闘技DX・2014年8月26日
- ^ 週刊プロレス2017年9月13日号p.98.
- ^ 『週刊プロレス』No.1997 2019年2月20日号
- ^ “【潰したら100万円】超酒豪プロレスラーが後輩と酒でガチ勝負!”. YouTube (2020年11月27日). 2021年5月25日閲覧。
- ^ “【蝶野正洋 年末大晦日スペシャル】大食い早食いプロレスラー事情聴取⁉︎杉浦軍⇒杉浦貴・桜庭和志・潮﨑豪・丸藤正道を直撃”. YouTube (2020年12月31日). 2021年5月25日閲覧。
- ^ 戴冠時の管理団体はFMW
- ^ 当時、番組に参加していた選手では一番下だったため。
- ^ デビュー20周年記念大会『飛翔』特設サイト
- ^ “フジテレビドラマ「若者たち2014」選手出演のお知らせ”. プロレスリング・ノア公式サイト. (2014年6月27日) 2017年5月5日閲覧。
- ^ 真夜中のおバカ騒ぎ! 番組公式HP
- ^ “山田邦子がGHC王者・丸藤正道と「やまだかつてないラジオ」28日から渋谷で公開生放送”. スポーツ報知 (2021年9月25日). 2021年10月10日閲覧。
- ^ MARUfujiyaのツイート(905977051001241602)
- ^ noah_marufuji_のツイート(1212295854855376896)
外部リンク[編集]
- プロレスリング・ノア公式サイト 選手紹介
- 丸藤 正道 (@noah_marufuji_) - Twitter
- 丸藤 正道 marufuji (@marufuji_naomichi_) - Instagram