谷嵜直樹

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谷嵜 なおき
プロフィール
リングネーム 谷嵜 なおき
Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン
Mr.キューキュー・豊中ドルフィン
谷嵜 直樹
本名 谷嵜 直樹
ニックネーム 取扱注意
身長 175cm
体重 80kg
誕生日 (1978-12-01) 1978年12月1日(38歳)
出身地 大阪府豊中市
所属 フリー
トレーナー ウルティモ・ドラゴン
デビュー 2002年12月7日
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谷嵜 直樹(たにざき なおき、1978年12月1日 - )は、日本プロレスラーリングネーム谷嵜 なおき(たにざき なおき)。

経歴[編集]

高校を1年で中退しプロレスラーになるため自宅やジムでトレーニングに励む。しかしヘルニアを患ったためプロ、レスラーになることを断念し高校に再入学する。卒業後は転職を繰り返しながら、腰の痛みが癒えたためトレーニングを再開し、闘龍門に入団(同期にベアー福田[1]

闘龍門入団後、闘龍門Xの一員としてメキシコに渡り、2002年12月7日メキシコのヒムナシオ・デ・ラ・ウニダ・クアウテモックにて村上学山本武志組とのタッグマッチにてデビュー(タッグパートナーは坂井謙一)。2004年、闘龍門JAPANに所属を移すが直後に団体がDRAGON GATEとして独立しこれに追随。闘龍門X出身者で唯一のDRAGON GATE移籍者となった。

2005年12月27日、16人参加バトルロイヤルサバイバルゲートに勝利。

当初はDo FIXER入りを目指したものの、あまりの弱さにボスのマグナムTOKYOからサーファーキャラを剥奪され、ウォーターボーイズへの転向を余儀なくされるなどを経て、ようやく正式メンバーになる。しかし、2006年に入ると凶器攻撃や味方への誤爆を繰り返すようになり追放となった。

その頃からCIMABlood Generationに勧誘されていて、4月12日に加入したが、直後に土井成樹らと共に、CIMA、ドン・フジイ鷹木信悟を追放する。

土井成樹をリーダーとした新ユニットマッスル・アウトローズの一員として試合を続けるも、主に負け役である事態が続く。

2006年6月、三島来夢と共にフリー契約となり、2006年7月12日東京後楽園ホールの「WRESTLE JAM」最終戦以降DRAGON GATEから離れることになる。

2006年11月22日ElDorado(エルドラド)新宿FACE大会に乱入、12月27日新宿FACE大会からエルドラドへ本格参戦した。

2007年6月2日、ZERO1-MAXに参戦しAWA世界ジュニア王座決定戦ロイヤルランブルに出場した。

同年大日本プロレスデスマッチ参戦を表明。そのテストマッチとして行われた、7月22日博多スターレーン大日本・エルドラド合同興行にて葛西純MASADAを相手にハードコアマッチで勝利(パートナーは宮本裕向)。8月札幌テイセンホール大会でデスマッチデビューしている。

その後しばらくして大日本のデスマッチ戦線からは離脱し、2008年3月6日にはプロレスリングElDoradoを退団する。

3月7日の後楽園ホール大会で、突如DRAGON GATEのマットにマッスル・アウトローズの新メンバーとして現れ(即座に裏切り・離脱)、復帰することを宣言し、翌3月8日のメインイベントで正式に復帰した(DRAGON GATEでは基本的に解雇・退団した選手が再び団体のリングに上がることはこれまでは無かった)。しかし、これに対してYAMATOが異を唱える。

3月20日、大田区体育館大会でYAMATOとシングルマッチで対戦し勝利、試合後、YAMATOと和解し、タッグ結成をアピールした。

3月22日、DRAGON GATEと年間フリー選手契約を結ぶ。

4月17日、後楽園ホール大会でYAMATOとのタッグでGamma堀口元気と対戦するがYAMATOの裏切りに遭い、敗北。(YAMATOはマッスル・アウトローズに加入)

5月5日、愛知県体育館大会で鷹木信悟とハードコアマッチで対戦するが敗北。

5月14日、神田裕之とのシングルマッチ中に新井健一郎岩佐拓のアシストを受けて試合に勝利、試合後戸澤塾に勧誘される。しかし、メインイベント後に土井成樹、吉野正人B×Bハルクを救出し新ユニット(後のWORLD-1)を結成。

2010年9月17日の後楽園ホール大会にてディープ・ドランカーズ入りし、解散後のブラッドウォーリアーズにも加入。

オープン・ザ・トライアングルゲート王座にダーツ(土井ダーツ)でKzyと共にメンバーに選ばれ、発案者の土井成樹に落胆されるもトライアングルゲートを奪取。 2カウントルール(王者のみ2カウントで勝利)を条件に相手に挑戦させ王座を防衛していた。

またPACが持っていたブレイブゲートのベルトを強奪し「Blood Warriors 認定オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合」としていたもののPACに取り返されてしまった。

2012年1月8日、名古屋での試合で右肩を脱臼・骨折(全治半年)欠場中に体型は違えど、髪型や肩の刺青など本物ソックリ?の「谷崎なおき」(「嵜」ちがい)が出場中。その代わりトマホークT.T.が欠場している

7月1日大阪での試合の終了後にジミーズが締めのマイクを行っているところに、黒髪&メガネで現れ「今日はメガネを掛けて来ました。ジミーズに入れてください」とジミーズ入りとなった。

9月23日オープン・ザ・トライアングルゲート選手権にて「トライアングルゲート・コントラ・タニザキナオキ」として戸澤、ハルク、谷崎組に敗戦。負けた場合に当の本人が改名させられる試合として開催されたが、谷崎なおきから「同じタニザキがカブる」との理由で「豊中出身」「イルカのような目」「イルカはキューキュー泣く」を踏まえた上で「Mr.キューキュー・豊中ドルフィン」に改名させられた。

2013年1月27日神戸サンボーホール大会で、リングネームとDRAGON GATE追放をかけて行った谷崎なおきとのシングルマッチに勝利し、谷嵜なおきの名前を取り戻し、逆に谷崎なおきのリングネームを「Mr.ピーピー・苫小牧ペンギン」に改名させた。その後、名前は取り戻したものの「Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン」というリングネームで活動した。

2015年10月8日の後楽園ホール大会で、ジミー・クネスJ.K.S.に敗北。その後、欠場中のジミー・カゲトラにジミーズに残るように言われるもカゲトラに必殺のインプラントを放ち、ジミーズを脱退。VerserKに加入。そしてリングネームを「谷嵜なおき」に戻した。

得意技[編集]

インプラント
脇で相手の両足を固定し、両腕を掴んで落とす変形ビーチブレイク。タックルで相手を担ぎ上げてから、両足を脇に固定しなおして真っ逆さまに落とす。リストクラッチ式で放つ事もある。
リバース・インプラント
相手の片方の足をクラッチし落とすジャンピング・ツームストン・パイルドライバー。
リビドー
相手をカナディアンバックブリーカーの形に持ち上げてから、外側に着地させたと同時に相手の顔面に膝を当てる技。2011年6月22日のドラゴン・キッド戦で初めて使用し、インプラントが返されたときの隠し玉、切り札である[2]。名前はhideの「DICE」の歌詞から[2]
FH
相手が立っている状態で決めるシャイニング・ウィザード。FHとは「踏み台(F)」にして「膝(H)」の略。
DH
コーナーポストにいる相手に向かって走り、サードロープを踏み台にして決めるシャイニング・ウィザード。DHとは「ダッシュ(D)」して「膝(H)」の略。
巻き込んで膝
相手の腕をコブラクラッチの要領で固めたあと前屈みにさせ、下から突き上げるように放つ膝蹴り。
カサノヴァ
座り込んでいる相手に走りこんで膝を顔にぶつける技。元々はBH(バカタレ式の膝)だったが、後に技名が変更された。ショートレンジ式で放つ事もある。
バイティングドッグ
クロスアーム式のフロント・ネックロック。一度極まると簡単に抜け出せない。
ココナッツクラッシュ
「う〜〜〜〜よいしょ!」の掛け声と共に試合序盤、主に使用される。VerserKに入ってからは使用しない。
河津落とし
「う〜〜〜〜よいしょ!」の掛け声と共に試合序盤、主に使用される。VerserKに入ってからは使用しない。
変形フィッシャーマンバスター
相手の足を4の字の状態にして投げるフィッシャーマンバスター。CIMAのネジと橋と同型。
卍固め
技への入り方が独特である。時折、腕決め式の卍固めを使用する。
地獄の断頭台
VerserKのメンバーとのツープラトン技。漫画『キン肉マン』に登場する悪魔将軍の同名の技とはだいぶ違う技。放つ前に「ゆでたまご先生公認の地獄の断・頭・台!」と言う。

タイトル歴[編集]

パートナーは、土井成樹&Kzy堀口元気H.A.Gee.Mee!!&斎藤“ジミー”了ジミー・ススム&斎藤“ジミー”了→ジミー・ススム&ジミー・神田

その他[編集]

B×Bハルクとは、WORLD-1結成後は、この2人でタッグを組むことが多かった。

フリーの時期に大日本プロレス、ZERO1-MAX、KAIENTAI-DOJO、Eldoradoなどに参戦した。他の選手には出来ない経験をしている。

マグナムTOKYOが1度引退したときに、自身のブログにて感謝の言葉を残した。肺気胸になり、その入院中にマグナムが見舞いに来てくれたことや退団後の心配などを書き込んでいる。

若既婚者であり、一児の父親でもある。DRAGON GATEに金本浩二が参戦した際には、そのことを話題に出して金本を激怒させたことがある(当時、金本は結婚を発表したばかりだった)。

背中に鳳凰刺青があり、鼻にはピアス(最近はつけていない)、髪の毛は金髪(もしくは銀髪)に一部を赤や青のメッシュに染め上げたりとお洒落である(髪型や髪の毛の色は頻繁に変えている)。

リングネームが「Mr.キューキュー・谷嵜なおき・豊中ドルフィン」の際もコール時は「谷嵜なおき」と呼ばれていた。

2016年5月中旬頃からDRAGON GATEでの試合出場が減り、同年6月以降は半年間でわずか6試合のみだった。現在オフィシャルサイトの選手紹介にも写真が掲載されていないが、谷嵜本人は退団の意志などをドラゴンゲートに伝えた事はなく理由は不明(母親から「辞めたん?」と言われて本人が驚いていたくらいである)。

脚注[編集]

  1. ^ 『週刊プロレス』2013年3月6日号、ベースボールマガジン社、2013年、雑誌29631-3/6、64頁。
  2. ^ a b 「選手本人が語る21世紀の技解説 vol.120 リビドー」、『週刊プロレス』No.1736、平成26年5月7日号(4月23日発行)、37頁、2014年。

外部リンク[編集]