中西学

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中西 学
Manabu Nakanishi
Manabu Nakanishi 2015.JPG
プロフィール
リングネーム 中西 学
マスカラ・ドン
マイバッハ・ドン
クロサワ
本名 中西 学
ニックネーム 野人
人類68億分の1の奇跡
和製ヘラクレス
身長 186cm
体重 120kg
誕生日 (1967-01-22) 1967年1月22日(50歳)
出身地 京都府京都市
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
トレーナー カール・ゴッチ
ジョー・マレンコ
馳浩
佐々木健介
デビュー 1992年10月13日
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獲得メダル
日本の旗 日本
男子 レスリング・フリースタイル
レスリングアジア選手権
1992 テヘラン 100kg級

中西 学(なかにし まなぶ、1967年1月22日 - )は、日本男性プロレスラー、元アマチュアレスリング選手(バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級日本代表)。京都府京都市出身。血液型A型。新日本プロレス所属。宇治高等学校(現:立命館宇治高等学校)→専修大学卒業。

来歴[編集]

入門以前[編集]

宇治高等学校時代からレスリングを始め、1989年から全日本レスリング選手権大会4連覇を達成する。専修大学卒業後は和歌山県庁勤務を経て、1991年4月に闘魂クラブに入団。1992年バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級に出場した後、同年8月に新日本プロレスに入団した。

新日本プロレス[編集]

1992年 - 1995年[編集]

同年10月13日、新日本が主催するSUPER GRADE TAG LEAGUEにて藤波辰爾とのタッグで出場。東大阪市立中央体育館大会の公式リーグ戦でスコット・ノートン & スーパー・ストロング・マシン組を相手にデビュー戦を飾った。デビュー以後しばらくはアマレスタイツにヘッドギアという出で立ちで試合を行い、前座戦線で活躍。1995年3月にヤングライオン杯で優勝すると、同年7月よりアメリカに遠征しWCWに参戦。若手時代の中西は特にマサ斎藤に可愛がられ、遠征先では「世界に通用する男だから世界に通用するリングネームを使え」と、現地WCWでは斎藤から直々に命名されたクロサワのリングネームで活動した。

1996年 - 1999年[編集]

1996年9月に凱旋。1997年小島聡とのタッグ、ブル・パワーズとしてIWGPタッグ王座を獲得するなど、小細工なしの直線的なパワーファイトでタッグ戦線を中心に活躍。一方でG1 CLIMAXに1回戦敗退で終えるなど、シングルでの戦績は不振に陥っていたが、1999年のG1では公式リーグ戦をトップで通過して決勝トーナメントに進出。準決勝戦で橋本真也を下し、決勝戦で武藤敬司からアルゼンチン・バックブリーカーで勝利を収め初優勝を果たし、第三世代として初の栄冠を手にした。その後、同世代の永田裕志と共にIWGPタッグ王座に2度目の戴冠を果たすと、同じく同世代のテンコジ天山広吉 & 小島聡)と抗争に明け暮れ、幾度となくタイトルマッチで対戦していった。

2000年 - 2003年[編集]

2000年3月28日に永田、ブライアン・ジョンストン吉江豊福田雅一と共に格闘集団G-EGGSを結成。本隊内の独立した軍団として、蝶野正洋率いるTEAM 2000と抗争を展開した。中西はこの頃、「P-4M」というメッセージを発信し、「問題(Problem)」に「耐える(Put up)」ことにより「願いが叶う(Possible)」ことを「約束される(Promise)」という4つのPから成るもので、これを意味する手のポーズを披露していた。その後中西は6月の日本武道館大会で佐々木健介の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦、同年G1では決勝まで進出するに至るものの、いずれも敗北を喫した。G1閉幕後、自らの問題を再確認すべく9月シリーズの全興行にてシングル8番勝負を敢行し、見事全勝を収めた。

2001年7月20日、札幌ドーム大会にてPRIDEゲーリー・グッドリッジと対戦。グッドリッジのパンチをまともに浴びてしまいTKO負けを喫し惨敗。打撃技修得を目標に過酷な練習を重ね、9月16日の名古屋レインボーホール大会にて再びグッドリッジと対戦し、フロントスリーパーで勝利を収めた。

2002年2月、フロリダ州タンパカール・ゴッチと対面し、ゴッチの得意技であるジャーマン・スープレックスを伝授され、3月17日愛知県体育館にてジャイアント・シンをジャーマンでピンフォール勝ちを収める快挙を遂げた。4月には吉江と共にプロレスリング・ノアに参戦しGHCタッグ王座に挑戦、10月東京ドーム大会では新日本 vs 外敵軍のシングル7番勝負のトリでボブ・サップと対戦。12月には西村修、吉江とのトリオでトライアスロン・サバイバーに出場し、決勝戦で永田 & マイク・バートン & ジム・スティールと対戦。永田からジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利を収め優勝を果たした。

2003年6月29日、FEG主催の「K-1 BEAST II」でK-1ルールに初挑戦。同じくK-1初参戦であり、アマチュア相撲出身のTOAと対戦するが、1R右フックでKO負けを喫した。

2004年 - 2007年[編集]

シングルプレーヤーに転向することを宣言した中西は、本隊を離脱し反体制派へ移り、一匹狼となって海賊(パイレーツ)を名乗って暴れる。短期間ながらウルティモ・ドラゴンとタッグを結成、その後は蝶野のチームに合流し、ニュー・ジュラシック・パワーズとしてスコット・ノートンともタッグを結成。短期間で野人→海賊→ソルジャーへとギミックチェンジを繰り返した。

2005年からは、同じくレスリング出身であり中西と犬猿の仲である永田、ケンドー・カシン藤田和之チーム・ジャパンを結成、翌年の新日本のユークス子会社化に伴う猪木事務所との提携解消による藤田の離脱まで活動した。

2006年5月31日、ZERO1-MAXでのタッグマッチで大森隆男との試合後、中西は大森の実力を認め握手を求めた。一方、大森も中西の実力を認め握手を交わしタッグチーム、ワイルド・チャイルドを結成。6月24日、ディファ有明大会でNWAインターコンチネンタルタッグ王座を保持する佐藤耕平 & 崔領二と対戦。合体技・ワシントン条約で大森が崔から勝利を収めて同王座を奪取、7月17日、新日本月寒グリーンドーム大会ではIWGPタッグ王座も奪取するなど、団体の垣根を超えたタッグチームとして活躍した。

2008年 - 2010年[編集]

2008年1月1日、ZERO1後楽園大会の試合中、大森のフロント・ハイキックが中西に誤爆したのが発端となり仲間割れ。試合に敗北した後、大森に大して決別を宣言を下した[1]。この騒動をキッカケに新日本vsZERO1-MAXの全面対抗戦に発展。中西は元パートナーの大森と抗争を繰り広げていき、3月2日、ZERO1後楽園大会にて大森と対戦したがアックスボンバーに敗れる[2]。それでも同月29日、ZERO1札幌テイセンホール大会にて再び大森とのシングル戦に臨み、ジャーマンスープレックスホールドで勝利を収めてリベンジに成功[3]。4月6日、ZERO1JCBホール大会で世界ヘビー級王座を保持する田中将斗と対戦したがスライディングDに敗れて王座奪取とはならなかった[4]

2009年5月6日、後楽園ホールにおいて当初予定されてなかった棚橋弘至の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦、特大☆中西ジャーマンで棚橋からピンフォールを奪い、第51代王者に就いた。中西はこれまであと一歩のところで手が届かなかった同王座に、6度目の挑戦で悲願の初戴冠を果たしたことから実況席で解説の山本小鉄も人目を憚ることなく涙を流した。DOMINION6.20にて前王者である棚橋とリターンマッチを敢行したがこの試合で敗北を喫した。のちIWGP王座から陥落し、短命政権に終わった。

2010年10月に開幕したG1 TAG LEAGUEではストロングマンとのタッグチーム、マッスルオーケストラで出場、優勝には至らなかったが12月のプロレス大賞ではわずか結成二ヶ月という短期間のうちにプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を受賞した。

2011年 - 2012年[編集]

レッスルキングダムVの舞台で、マッスル・オーケストラとしてIWGPタッグ王座を保持するBAD INTENTIONSジャイアント・バーナードカール・アンダーソン組)と、もう一組の挑戦者チームであるビアマネー・インクジェームズ・ストームロバート・ルード組)を交えた3WAYマッチで対戦するも試合はアンダーソンがルードからピンフォールを奪い、王座奪取には至らず。2月20日仙台大会で、再び同タッグ王座に挑戦したが、パートナーのストロングマンがピンフォール負けを喫してしまい、またしても奪還失敗に終わった。

6月4日、中西はタッグマッチにて試合中、井上亘の放ったジャーマン・スープレックスを受けて首からマットに突き刺さり、リング上で動けなくなり病院へ搬送された[5]。検査の結果、「中心性脊髄損傷」と診断され、命に別状はなかったが長期欠場に追い込まれる。10月7日に手術を行なった。12月24日、6か月振りに新日本のリングに上がり、ファンに向けて挨拶を行った。その後、バックステージで坂口征二と共にインタビューを行い、同年のG1出場を焦るあまり、癒えないうちに練習を再開し却って悪化し、療養が長引いていることを打ち明けていた[6]

2012年9月23日、中西は再び新日本のリングに上がり、復帰戦を行うことを発表した[7]。10月8日、両国大会で492日ぶりに復帰した。盟友・永田、ストロングマンと組み、CHAOS矢野通飯塚高史石井智宏組と対戦し、矢野にフォールを喫するも大きな感動をファンに与えた。その後、復帰戦で敗北を喫したCHAOSの矢野、飯塚と抗争を繰り広げていった。

2013年[編集]

2013年1月4日、レッスルキングダム7にて抗争を展開していた矢野 & 飯塚組に一矢を報いるべく、ストロングマン、MVPとのカルテットで矢野 & 飯塚 & 高橋裕二郎 & ボブ・サップ組と対戦し、最後は飯塚をアルゼンチンバックブリーカーでギブアップ勝ちを収め、抗争に終止符を打った。

その後、4月よりスポット参戦しているNWAに目をつけ、6月9日に再び新日本マットに上陸することを予告したNWA軍を迎え撃つことをアピール。DOMINION 6.22にてNWA世界ヘビー級王座を保持するロブ・コンウェイと対戦。試合終盤でNWAのブルース・サープ社長による妨害工作に気を取られ、最後はコンウェイからピンフォール負けを喫した。

2014年 - 現在[編集]

2014年1月19日、CMLL FANTASTICA MANIAにて中西ランドから誕生した覆面レスラーマスカラ・ドンがデビュー。マキシモと共にタイチ & TAKAみちのく組と対戦し、最後はTAKAからドン・デ・マリポーサでギブアップ勝ちを収めた。

9月7日、東金アリーナ大会のメインイベントに登場。永田裕志とのタッグでNWA世界タッグチーム王座を保持するテンコジ天山広吉&小島聡組)とノンタイトルマッチで対戦。永田との合体技イーストゴールドを炸裂させたのを経て、最後は永田が小島にバックドロップホールドを決めて勝利。試合終了後、永田がリング上でテンコジの保持するNWAタッグ王座に挑戦を表明し、王者側もこれを承諾した。9月23日、DESTRUCTION in OKAYAMAにてテンコジとタイトルマッチで再戦したが、永田が小島からピンフォール負けを喫して王座奪取には至らなかった。

2015年8月19日、プロレスリング・ノア主催のアルカス杯争奪6人タッグトーナメントに出場。マイバッハ谷口マイバッハ・ブルージャスティスと組み、自身もマイバッハ・ドンなる覆面レスラーに転身してマイバッハトリオを結成。一回戦でキャプテン・ノア & マイキー・ニコルス & スペル・クレイジー組、二回戦で杉浦貴 & 斎藤彰俊 & クワイエット・ストーム組を退け、決勝戦で鈴木軍鈴木みのる & 飯塚高史 & エル・デスペラード組)と対戦、最後は谷口がマイバッハプレスでデスペラードからピンフォール勝ちを収め同大会を優勝した[8][9]

2017年1月5日、NEW YEAR DASH!!にて棚橋、田口隆祐とのトリオでNEVER無差別級6人タッグ王座を保持するロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンSANADA & EVIL & BUSHI、以下「L・I・J」)と対戦。ヘラクレスカッターでBUSHIから勝利を収め同王座を奪取。後に中西は棚橋と共にパートナーである田口を監督と師事するようになり、監督の苗字を頭につけた新ユニット、タグチジャパンを結成。同ユニットのA代表として活動したが、2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにてL・I・Jとのリマッチに敗戦してしまい、NEVER6人王座から陥落した。

得意技[編集]

小細工無しのパワーファイトが信条だが、最近ではその体躯から繰り出す迫力ある飛び技など、対戦相手やファンを驚かせる技も使うことが多い。時事ネタを技名に用いて新たな技を使い始めることもあるが、短期間で使われなくなることも多い。

フィニッシュ・ホールド[編集]

アルゼンチン・バックブリーカー
中西の最も得意とする古典技で、下記のように派生技、バリエーションに富む。怪力でならす中西は150㎏を超える選手をも持ち上げることが可能で、タッグマッチではカットに入ってきた相手の攻撃に堪えてフロント・ハイキックで撃退したり、担ぎ上げた相手をもう一人の相手に向かって投げつけるといったムーブを得意としている。
ヘラクレスカッター
アルゼンチン・バックブリーカーで担ぎ上げた状態から身体を左右に数回揺すった後、掴んでいた相手の足のフックを外して倒れ込み、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつける。元々はタッグを組んでいたウルティモ・ドラゴンが中西のアルゼンチン・バックブリーカーで担ぎ上げられた相手の足を取って引っ張り込み、中西が崩れる形で後方へ倒れ込んだことで誕生した技。後に中西はシングル時においても使用できるように改良を施して現在の型で使用するようになった。
マナバウアー
2006年のNEW JAPAN CUPに向けて考案した技。アルゼンチン・バックブリーカーの体勢から身体を左右に数回揺さぶった後、自分の前方に相手を着地させてから腰に手を回してジャーマン・スープレックス・ホールドを放つ。命名の由来はトリノオリンピック女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香の『イナバウアー[10]
ジャーマン・スープレックス・ホールド
開発者のカール・ゴッチに直伝されたというアングル(実際にはフロリダのゴッチ宅を訪問して少しアドバイスをもらっただけ)を経て、再度使い始めた。高山善廣の同技が『エベレストジャーマン』と呼ばれていたことに対抗して『富士山ジャーマン』と命名したが定着しなかった。高山は富士山ジャーマン命名の報をマスコミから聞くと「エベレストより低いじゃん」と一笑に付した。
大☆中西ジャーマン
2008年1月4日に行われた東京ドーム大会でのアビス戦に向けて開発しら技。右手を天空にかざして技の発動を予告した後、相手の身体をロープに振って、その反動でジャーマン・スープレックスを決める。さらにグロッギーになった相手を通常のジャーマン・スープレックスでフォールする二段構えの技。
特大☆中西ジャーマン
IWGPヘビー級王座に初載冠した際に放った技。リフトアップ・スラムの体勢からトップロープに強引に投げつけ、その跳ね返ってきた反動でジャーマン・スープレックス・ホールドを極める。試合中とっさに出た技で公式サイト内でも「ジャーマン・スープレックス・ホールド」と表記されていたが(リングアナウンサーは大☆中西ジャーマンとコールしていた)、中西は翌日の記者会見で自ら「特大☆中西ジャーマン」と命名された。

打撃技[編集]

逆水平チョップ
現在の日本マット界一の使い手の呼び声も高い。非常に説得力のある激しい音が会場に響き渡る。2009年10月12日の蝶野25周年記念両国大会では、小橋建太と激しいチョップ合戦を繰り広げた。
クロス・チョップ
両手を手のひらを下にした状態で、胸の前でバツの字に重ねて相手の喉元を突く。地獄突きで相手の動きを封じた後、手をグルグル回してタメを作ってから放つのが特徴。
野人ハンマー
両手の指を組み、両腕を相手の胸元に叩きつける。中西流のダブルアックスハンドル、他の選手とは違い一本足打法で放つ。
一本足野人ハンマー
野球日本代表の第1回WBC優勝後に開発した技。チームを務めた王貞治監督の打撃フォームに似せて一本足で野人ハンマーを放つ。カウンターでも使用される。
野人ラリアット
技名はニックネームの「野人」が由来。
野人ダンスラリアット
独特のアピールである野人ダンスを行い、立ち上がった相手をラリアットを放っていく。
マッケンロー
2001年のG1 CLIMAXに向けて考案した技。相手の背後から片膝をつき、膝裏あたりを狙って放つ低空ラリアット。プロテニス選手のジョン・マッケンローのスイングフォームをヒントとして得たとされている。
スピアー
相手が走りこんで近づいてくるのを見計らって放つカウンター式を使用。

投げ技[編集]

野人ブルドッギング・ヘッドロック
通常はヘッドロックに捉えた後、助走を付けて繰り出すが、中西流は助走を付けず繰り出す。
投げっ放しノーザンライト・スープレックス
主に1990年代頃に使用していた。
ブレーンバスター・スラム
ここからリングを対角線上に走ってジャンピング・ニー・ドロップを仕掛けることが多い。
雪崩式ブレーンバスター
トップロープ上から繰り出すこともあり、リングがバウンドするほどの威力と迫力を持つ。
水車落とし
相手へのカウンターで使用する。雪崩式も稀に使用される。

飛び技[編集]

ミサイルキック
これも正面飛び式で放つが、超ヘビー級の中西が放つミサイルキックの威力は高い。
中心性脊髄損傷から復帰後も使用し続けているが、現在は相手にヒットする瞬間に体を捻り、うつ伏せになるように着地する型に変更している。
ダイビング・ブレーンチョップ
コーナー上でグルグルと腕を回してから放つ。
フロッグ式ヘッドバット
倒れている相手へ蛙飛びでヘッドバットを見舞う技。
ドロップキック
大抵は正面飛び式で放つ。リープ・フロッグで相手を飛び越えてからの一連の流れは「ゴリラのルチャリブレ」と形容された。なおフォームは非常に綺麗で、その場飛びで相手の顔面に直接ヒットできるほどの跳躍力があり、中西の身体能力の高さを表す技として定評がある。
ジャンピング・ボディ・プレス
タッグマッチにおける連携プレーの流れで放たれることが多く、上記フロッグ式ヘッドバットと同型のフォームで繰り出される。
ジャンピング・ニー・バット
一時期多用していたが、近年ではほとんど使用されなくなった。
ジャンピング・ニー・ドロップ
ダウンしている相手の頭部めがけて、助走をつけてからジャンピング・ニーを落とす。ブルーザー・ブロディのフォームを意識している。
上からドン!
2013年頃のフィニッシャー。中西ランド内で開発した新技でコーナー2段目から放つ旋回式ブレーンチョップ。2013年4月7日で初披露し、YOSHI-HASHIからフォール勝ちを収めており、同じくこの技でフォール負けを喫した邪道からは「身長が2cm縮まった」と言わしめた。技の名付け親は高橋広夢

絞め・関節技[編集]

アイアンクロー(ブレーンクロー)
二人同時に掴んだり、そのまま大外刈り(ブキャナンのアイアン・バスターと同型)で相手を倒すこともある。
マフラーホールド
アルゼンチン・バックブリーカーの要領で相手の足を肩に担ぎ極める技。中西がサブミッション系の技を持っていなかったために開発された技。G1公式戦では橋本真也からギブアップを奪ったこともある。
マムシの生殺し
2007年のG1用に開発した技であり、キャメルクラッチから相手の首を強引に曲げる技。
荒鷲掴み
2010年の中邑真輔戦において坂口征二と共に開発した通称「ボマイェ返し」。相手を持ち上げ豪快に叩きつけた後に腕ひしぎ逆十字固めを極める。しかし、実際の試合では片手で相手の片足を掴み、もう片方の手で背中を支えてから強引に持ち上げ、フェイス・バスターの要領でマットに叩きつけるという技だった。

合体技[編集]

イーストゴールド
ワシントン条約
大森隆男の合体技。大森がアックスボンバー、中西がマッケンローを同時に繰り出す。同タッグではフィニッシュ・ホールドとして使用していた。
京都岐定書
山本尚史の合体技。一本足野人ハンマーと水面蹴りを同時に繰り出す。技名はそれぞれの出身地から。
イーストゴールド
永田裕志との合体技。中西が上からドン!を放つと同時に永田が延髄斬りを見舞う。技名は永田の出身地である東金の直訳。

タイトル履歴[編集]

新日本プロレス
パートナーは小島聡永田裕志大森隆男
パートナーは棚橋弘至 & 田口隆祐
  • トライアスロン・サバイバー 優勝(2002年)
パートナーは西村修 & 吉江豊
プロレスリング・ノア
  • アルカス杯争奪6人タッグトーナメント 優勝(2015年)
パートナーはマイバッハ谷口 & マイバッハ・ブルージャスティス。
ZERO1
パートナーは大森隆男。
プロレス大賞
  • 敢闘賞(1999年)
  • 最優秀タッグチーム賞(2010年)
パートナーはストロングマン

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
2 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
2 2 0 0 0

総合格闘技[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 藤田和之 3R 1:09 TKO(パウンド) 新日本プロレス ULTIMATE CRUSH 2003年5月2日

キックボクシング[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× TOA 1R 1:38 KO(右フック) K-1 BEAST II 2003 2003年6月29日

入場テーマ曲[編集]

Seize The Tactticz
2003年 - 現在まで使用されるテーマ曲。
WAR(黒い戦争)(エドウィン・スター
2008年のG1タッグで吉江豊とのタッグチーム「ビックマウンテンズ」の時に使用したテーマ曲。
NO-PROBLEM
1999年 - 2002年まで使用したテーマ曲。
HARD SHUFFLE
1996年 - 1999年まで使用したテーマ曲。
NAVAL GUN
1993年 - 1995年まで使用していたテーマ曲。
Zeptune / Bruce Kulick
新人時代のテーマ曲。1992年 - 1993年まで使用した。

野人アピール[編集]

中西は一部の技に行く前に特定のアピールをすることがある。ただし、それはずっとしているわけでなく、しばらくすると新しいアピールをしだす。

  • 両手の肘から先を振る:スピアーに行く前に両手の肘から先を振り回す。相手が寝転がっているときや片膝状態の時に行う。
  • 両手をばたつかせジャンプ:アルゼンチン・バックブリーカーに行く前に、両手をばたつかせながらジャンプする。
  • 片手を突き上げる:特定の技ということはない。右手を突き上げ、「ホーッ!」と叫ぶ。(小島聡選手のツイッター曰く、中西本人は「ハーッ!」のつもりとのこと。)
  • 地団駄を踏む:ラリアットに行く前に地団駄を踏み、右手を振り回しながら左手で相手を誘うように動かす。
  • 試合後マイクアピールをする際にマイクの音源を確認するために数回マイクを叩いたら観客からそれに合わせて手拍子されたので、地団駄を踏みながらマイクをテンポ良く叩き出す(最初は観客の声援からのアドリブで行なったことだが、現在はマイクアピール前の定番となっている)。
  • また、G-EGGS時代における永田とのタッグ戦では、劣勢の中西の髪(当時はパーマをかけたセミロングヘアー)を永田がコーナー際でもじゃもじゃと掻き中西が復活するというパフォーマンス(通称・野人パワー注入)が見られた。
  • 2010年のG1 CLIMAX XXのリーグ戦でストロングマンとの対決で片手を突き上げ、地団駄を踏んだ後、闘牛の暴れ牛が突進する前に前足で地面を数回ひっかくような動きを行った。この時、観客たちも初めて見る動きだったため笑い声と拍手で会場が湧いた。

人物・エピソード[編集]

  • 同時期にデビューした選手(永田裕志天山広吉小島聡など)は「第三世代」(第一世代=藤波、長州力など、第二世代=闘魂三銃士佐々木健介など)と呼ばれる。そのため、デビューの遅かった中西は健介と同年齢ながら第三世代扱いとなった。
  • 同期のケンドー・カシンが一時期、メディアの取材に聞かれてもいない中西の悪口を言ったり、勝手に「カシン対中西」戦をアピールするなどして中西を弄ってきたが、これは中西本人の述懐によると「新日本プロレスに入門したばかりの頃、雑用をしなければいけない日に遅刻して(中西はレスリングオリンピック出場者として特待生扱いを受けており、寮生活ではなかった)、生真面目な石澤(カシン)が激怒した」ことに端を発するという。
  • 大一番の前には対戦相手に「小細工はいらない」と言うことが多いが、中西本人は前述の通り新技開発を好む。
  • WCWでクロサワを名乗っていた頃、試合中のアクシデントで対戦相手のホーク・ウォリアーの腕を折ってしまい、しばらく試合を干されたことがある(もっとも、ホークはアクシデントと言うことで特に怒ってもいなかった上、『ホーク・ウォリアーの腕を折った男』という肩書きも出来たので、当時は結果的にはプラスになったと思われる)。
  • 体育科の教員免許を持っており上述の通り元公務員でもある。
  • 元妻は元プロ野球選手近藤昭仁女優北沢典子の次女で元女優の近藤典子
  • 在京団体では数少ない関西弁で喋るレスラー(当時、メジャー団体では大相撲の慣例にならい方言禁止の風習があった)だったが、2002年にカール・ゴッチ宅を訪問してからはたどたどしい標準語を話すようになった(対照的に同じ第三世代で同郷の天山広吉は以前より関西弁を話す機会が増えた)。現在は元の関西弁に戻りつつあるようである(前田日明金本浩二はそれ以前に関西弁で喋ってはいた)。
  • 2003年3月に「中西政権が始まるぞ」と試合後コメントしたが、長い間実現しなかった。これに関しては当時新日本の社長だった藤波も「中西は会社がプッシュしてあげようとした時にいつも波に乗れない」と雑誌のインタビューに答えていた。しかし2009年5月に王者に就き、初の政権が誕生した。
  • 実家は京都では有名な茶農家である。
  • レスリングの技術はかなりのものであるはずが、同年代であり同じくレスリング経験のある永田の妬みにより、野獣キャラを押しつけられることとなり、得意のレスリングのうまさをアピールすることはできなくなってしまった。
  • 専修大学時代、寮で洋物のアダルトビデオを見つつ「オーイェー!!」などと叫びながら何やらやっていたところを後輩で寮の同室だった秋山準に何度か目撃されている。なお、お互いがプロになってから2009年現在で二度対戦しており、どちらも秋山が勝利している。
  • 新日本プロレスのエンターテインメント系興行「WRESTLE LAND」ではそのキャラクターを余すところ無く発揮し、ファンに受け入れられている。後楽園ホールにて行われた「WRESTLE LAND 9th」では時間無制限1本勝負“権力の象徴”争奪3WAYラダーマッチ『棚橋弘至 vs TARU vs 中西学』に勝利し、ナカニシ・ランド開催の権利を得た。なお、権力の象徴とは、天井から吊るされた白の捻りハチマキ
  • 趣味はデビュー時から、現在に至るまで「食べ歩き」。ちなみに、好物は毎年変わっている(週刊プロレス選手名鑑より)。大食いでも有名で、中でもモンスターモーニングと称される朝食ブッフェでの物凄い量の朝ごはんがしばしば話題となる。
  • 2007年7月、週刊プロレスの記事によると、身体から脂肪を省いた除脂肪量が99.5kgであり、いまだ筋肉を増やし続けている。
  • 最近はワールドプロレスリングの実況で「ゴリラ」と呼ばれている。特に吉野アナには「霊長類最後のゴリラ」「進化を忘れた類人猿」「ゴリラはやっぱり空を飛べるんですっ!!」とゴリラネタを多数叫ばれている。ほかにもアルゼンチン・バックブリーカーを繰り出したとき、ミサイルキックを繰り出したときなどにお決まりのゴリラネタを叫ばれることが多い。中西ランドに吉野アナがゲスト出演した際に中西と3本勝負を行い、吉野アナが勝ったためゴリラネタが公認された。
  • 現在は横浜市鶴見区に在住、その縁から鶴見区区制80周年記念事業に出席した。
  • 料理が得意。そのため『中西ランド』では度々中西による料理企画が組まれている。中でも鶏肉と米をキャベツで巻いたロールキャベツ風おにぎりは通称「中西ロール」と呼ばれ、同番組の代名詞的存在となっている。

芸能活動[編集]

2000年代当時、新日本プロレスの選手では蝶野に次いでメディア出演が多かった。蝶野が教養番組等に出ているのに対し、中西は天然ボケキャラとしてバラエティ番組に出演しているのがほとんどである。

バラエティ[編集]

  • さんまのSUPERからくりTV』のコーナーの一つである「熱血プロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭」ではおぎやはぎ駒田健吾アナとともに相談者の相談に乗っているが、結局は解決には至らず中西の珍発言に注目が集まっている。初めの主張とはまったく逆になっていることも少なくない。
  • 上記の『さんまのSUPERからくりTV』の特番で、子供に勇気を与えるためと題して、705kgのキャンピングカーを50m引っ張るギネスブック記録に挑戦。持ち前の怪力をいかんなく発揮し、計測タイムはギネス記録を更新した(成功した際、明石家さんまに「これから兄さんと呼ばせてもらいます、これからは明石家学と名乗ります」と言い、さんまにチョット引かれていた)。
  • 2007年5月、『美味紳助』(テレビ朝日)で、健啖家と見られる4人の「ある一日のカロリー摂取量」を栄養士同伴で徹底調査するという企画に、フードレポーターの彦摩呂、女子シンクロナイズドスイミング日本代表の原田早穂、大食いタレントの三宅智子らと共に出演。「競争」ではなく、栄養士がいるという以外は極めて普通の日常状態の食事での測定であったが、当初「レスラーは意外と食わんよ」と言っていた島田紳助の予想を覆す約8,500kカロリーを摂取。しかし1位の三宅が約8,600kカロリーとなり、中西は僅差の2位であった。
  • 2010年6月3日放送の『全種類。』での企画「大食いチャレンジ」にて「ステーキハウス・リベラ」で大学時代に挑戦して完食出来なかったチャレンジメニュー30分で500gステーキ&大盛りライスのセットを3セットをみごと完食し、約20年ぶりのリベンジを果たした。
  • テレビ朝日系『シルシルミシル』2010年4月7日放送分のコーナー「すぐ調べる課」に出演。クロマグロを手づかみで捕らえるという企画に挑戦するも、カナヅチであることが判明した。同番組では、2011年2月23日放送分の鳥貴族特集においても、焼き鳥食べ放題に天山ら新日本プロレス所属選手と挑み、酔ってテーブルにストローを並べる奇行を見せるなど、たびたび出演している。
  • 2013年、テレ朝動画にて冠番組「人類プロレスラー計画「中西ランド」」が配信開始。

ドラマ[編集]

映画[編集]

  • 恋するマドリ』(2007年、大九明子監督)- サタン護国寺役
  • 『劇場版 ATARU THE FIRST LOVE & THE LAST KILL』(2013年、木村ひさし監督)- 中西学役

オリジナルビデオ[編集]

  • 『中西ランド・ザ・ムービー 〜大江戸プロレスラー計画〜』(2014年7月18日、ビデオ・パック・ニッポン)悪代官役。監督、脚本も担当。

脚注[編集]

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  1. ^ ワイルドチャイルドが衝撃の仲間割れ!/1月1日ZERO1-MAX後楽園大会試合結果(2)”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年1月1日閲覧。
  2. ^ 団体の威信を懸けた壮絶なる死闘!/3月2日ZERO1後楽園大会試合結果(1)”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月2日閲覧。
  3. ^ 中西が大森にリベンジ成功!/3月29日ZERO1札幌大会試合結果”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月30日閲覧。
  4. ^ “野人”中西がまさかの撃沈!/4月6日ZERO1 JCBホール大会試合結果(2)”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年4月7日閲覧。
  5. ^ 中西 試合で頸椎損傷…全治までの期間は不明 - スポニチ Sponichi Annex 格闘技 2011年6月5日
  6. ^ 中西学が登場!復帰に向けてファンに挨拶!”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年12月24日閲覧。
  7. ^ 中西が10・8復帰表明/新日本”. 新日本プロレス公式サイト. 2012年9月24日閲覧。
  8. ^ 2015年8月19日(水) アルカス杯争奪6人タッグトーナメント”. プロレスリング・ノア公式サイト. 2015年8月19日閲覧。
  9. ^ 謎の覆面集団“マイバッハトリオ”が「アルカス杯争奪6人タッグ トーナメント」を制覇!! 【ノア・8.19後楽園大会結果】”. 新日本プロレス公式サイト. 2015年8月20日閲覧。
  10. ^ 中西が新技「マナバウアー」開発!?”. 新日本プロモーション株式会社. 2006年4月12日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]