CHAOS (プロレス)

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CHAOS
ステーブル
メンバー
過去メンバー
デビュー 2009年4月23日 (2009-04-23)
団体 新日本プロレス
プロレスリング・ノア

CHAOSケイオス)は、新日本プロレスのユニットである。

概要[ソースを編集]

結成の経緯[ソースを編集]

2009年4月5日、新日本プロレス両国国技館大会で行われた真壁刀義 vs 中邑真輔の試合中に矢野通が乱入。同団体のヒール・ユニットG・B・H所属していた真壁と矢野だったが、矢野が真壁をイスで襲撃し、中邑をアシスト。G・B・Hを離反し、中邑と結託する。

その後、本間朋晃を除いたG・B・Hのメンバーが、次々と矢野派へ移行。団体内でG・B・Hが両派に分かれる。4月23日、中邑と矢野が新軍団、CHAOS(ケイオス)の結成を発表。矢野ならびに矢野派のメンバーは事実上G・B・Hを離脱した。また、中邑は当時RISEで活動していたが、やはり事実上離脱という形になっている(後にRISEは自然消滅)。

ユニットの特徴[ソースを編集]

初期[ソースを編集]

上記の通り、本ユニットはG・B・Hの後継として結成されたユニットである。メンバーは新日本正規軍(以下「本隊」と表記)と対抗する立場に居るという共通点こそあるものの、正統派のスタイルで戦うレスラーとバックステージでの襲撃も辞さない凶悪ヒールレスラーが混在し、各人が自由に活動する文字通りのCHAOS(混沌)ユニットであった。

ヒール色の強かった時代の特徴として、リーダーの中邑や他のメンバーの意見の有無関係なく、足手まといや不要と見なされたメンバーは、躊躇なくその場にいるメンバーにリング上で袋叩きに遭い、追放されるという事があった。内藤哲也カール・アンダーソンはこれに該当して追放されている。しかし、ヒデオ・サイトーの場合は、ヒデオの余りにも自由奔放すぎる行動に、矢野を始めとするCHAOSメンバーに「バカに付き合ってられない」という理由で半年足らずで追放されたという例外も存在する。その一方で、メンバーのブログTwitterでは、一同で酒宴に興じる様子が度々公開され、仲の良さが伺えた。

近年[ソースを編集]

結成初期こそ観客からはブーイングの嵐を浴びていたが、コミカルな反則殺法やムーブ、白熱した好ファイトを見せるようになると、ブーイングは消え失せていく。更に鈴木軍BULLET CLUBといった新たなヒール軍団の台頭に対して積極的に迎撃し始めるといったアンチヒーロー的な人気を得るようになる。

2012年には海外遠征から凱旋帰国したオカダ・カズチカ加入し、2014年にはヒール色の強い飯塚高史高橋裕二郎といったメンバーが脱退してヒールという側面が更に薄れていった。また、桜庭和志後藤洋央紀を始めとした明確なヒール転向をしないままユニットへ加入するメンバーもおり、近年はベビーフェイス寄りの立場を取るユニットとして活動している。

ただし、名目上ヒールユニットという立場に変わりはなく、本隊と敵対しているという点も変わっていない。このため、本隊とは敵対する形のアングルが現在も組まれている。

略歴[ソースを編集]

2009年[ソースを編集]

2010年[ソースを編集]

  • 1月4日、レッスルキングダムIVで、バーナード&アンダーソン組が、NO LIMIT裕次郎[1]&内藤哲也組)、王者組のチーム3Dを交えたIWGPタッグ選手権試合3WAYマッチに出場。アンダーソンが裕次郎からピンフォール負けを喫し、王座奪取はならなかった。同日には、矢野、飯塚、石井がアブドーラ・ザ・ブッチャーと組んで、蝶野正洋長州力中西学テリー・ファンク組と対戦。試合終盤でブッチャーが裏切り、飯塚が中西のアルゼンチンバックブリーカーでギブアップ負けを喫した。
  • 2月14日、外道&ディック東郷[2]組が、Apollo 55の保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦したが、敗北を喫し、王座奪取はならなかった。
  • 4月4日、アンダーソンが追放(後にバーナードも自然離脱)され、NO LIMITが加入する。
  • 5月3日、レスリングどんたくで、中邑がIWGPヘビー級王座の防衛戦で真壁と対戦。キングコングニードロップでピンフォール負けを喫し、王座から陥落した。
  • 6月19日、DOMINION6.19で、矢野が棚橋弘至ルーザー・ボールド・ルールで対戦。ピンフォール負けを喫し、矢野は髪の毛を刈られた。
  • 8月、中邑、矢野、裕二郎、内藤がG1に出場。四者共に予選落ちに終わる。

2011年[ソースを編集]

2012年[ソースを編集]

2013年[ソースを編集]

  • 2月9日、矢野&飯塚組がプロレスリング・ノアに参戦。NO MERCYマイバッハ谷口&マイバッハ谷口Jr.組と対戦。両者反則で引き分けに終わる。メインイベント終了後、NO MERCYのリーダーKENTAを襲撃し、谷口と結託した。
  • 3月10日、矢野&飯塚組がノアに参戦。丸藤正道&杉浦貴組の保持するGHCタッグ王座に挑戦。矢野が杉浦からピンフォール勝ちを収め、同王座の第28代王者組となった。
  • 3月23日、NEW JAPAN CUPにて、オカダが決勝戦で後藤を下し、初出場・初優勝を果たした。
  • 4月7日、オカダが棚橋の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。レインメーカーでピンフォール勝ちを収め、同王座の第59代王者となった。
  • 6月2日、裕二郎がノアに参戦。谷口と組み、丸藤&モハメド・ヨネ組と対戦。裕二郎のスピアー誤爆から谷口がピンフォール負けを喫した。試合後、谷口が裕二郎をラリアットで襲撃し、谷口がCHAOSから離脱する。
  • 7月20日、中邑がラ・ソンブラの保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。ボマイェでピンフォール勝ちを収め、同王座の第6代王者となった。
  • 8月、中邑、オカダ、矢野、裕二郎、石井がG1に出場。全員が予選落ちに終わる。
  • 12月9日、オカダがプロレス大賞最優秀選手賞を受賞。中邑が年間最高試合賞を受賞した。

2014年[ソースを編集]

  • 5月3日、レスリングどんたくにて桜庭が中邑と組み、グレイシー一族と対戦。またメインイベントで行われたオカダ vs AJスタイルズの試合に裕二郎が突如乱入しAJの勝利をアシスト、試合後CHAOSを脱退しBULLET CLUB入りを表明した。
  • 5月25日 「BACK TO THE YOKOHAMA ARENA」での矢野・飯塚 vs 鈴木ベンジャミンにて、試合開始直前のリング上で飯塚高史がパイプ椅子で矢野を背後から襲撃。飯塚は鈴木軍T-シャツを着てCHAOSを裏切り、鈴木軍入り。
  • 6月8日、邪道・矢野 vs 飯塚・鈴木の試合後、桜庭和志が乱入し敗れた邪道・矢野組を救出しタッグを結成。(この時矢野は新作のDVDの出演を条件に出して、桜庭が考えとくという答えだったため組んだ。)
  • 8月10日、G1 CLIMAXの決勝が中邑 vs オカダというCHAOS対決となりオカダが勝利した。

2015年[ソースを編集]

2016年[ソースを編集]

  • 1月4日、レッスルキングダムⅩブリスコ・ブラザーズが矢野のパートナーXとして参戦。バレットクラブバッドラック・ファレタマ・トンガ高橋裕二郎)と対戦し、NEVER無差別級6人タッグ王座を獲得。
  • 1月30日、中邑がWWEの傘下団体WWE・NXTに移籍するため、脱退。試合後にCHAOSメンバーからの祝福を受け、大会を締め括った。
  • 2月11日、IWGPヘビー級王座を持つオカダが後藤洋央紀の挑戦を退け勝利。試合後、後藤にCHAOSへの加入を促すコメントを行う。以降、次シリーズよりオカダが後藤の前に現れてはCHAOSへの勧誘を繰り返し行うも、その度に固辞される。
  • 3月3日、大田区体育館大会にてオカダより新メンバーとしてウィル・オスプレイの加入が発表される。
  • 3月12日、NJCで優勝した内藤哲也がオカダの持つIWGPヘビー級王座への挑戦を表明。また、決勝で敗れ試合後内藤らに暴行を受けていた後藤洋央紀をオカダが救出し、改めてCHAOSへ勧誘。ここで後藤が了承し、正式にメンバーに加入すると共にロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(以下「L・I・J」と表記)との軍団抗争へと発展する。
  • 4月10日、INVASION ATTACKにてオカダと内藤によるIWGPヘビー級王座が行われるも、L・I・Jによる緻密な連携と乱入工作によりオガダが敗退。試合後、オガダの救出に現れた石井智宏が次の王座防衛戦への挑戦をアピールを行うも、会場の空気はL・I・Jが完全に支配しており、石井らは観客からブーイングと帰れコールを浴びる事となった。

メンバー[ソースを編集]

ROPPONGI VICE
ブリスコ・ブラザーズ

元メンバー[ソースを編集]

歴代サポートメンバー[ソースを編集]

国内[ソースを編集]

海外[ソースを編集]

獲得タイトル[ソースを編集]

出演[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 同年3月から本名の高橋裕二郎に改名する。
  2. ^ 当初のパートナーは邪道だったが、邪道が頸椎捻挫で欠場し、リザーバーとして出場した。
  3. ^ ブラック・タイガー(5代目)として参戦。タイガーマスクとのマスカラ・コントラ・マスカラ戦で敗れ、正体を現したため。
  4. ^ タッグを組んでいたアンダーソンに追随したので日付は暫時的なものとする。