ダニエル・ピューダー

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ダニエル・ピューダー
基本情報
本名 ダニエル・ピューダー
(Daniel Puder)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1981-10-09) 1981年10月9日(42歳)
出身地 カリフォルニア州クパチーノ
所属 アメリカン・キックボクシング・アカデミー
身長 191cm
体重 107kg
階級 ヘビー級
バックボーン プロレス
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ダニエル・ピューダーDaniel Puder1981年10月9日 - )は、アメリカ合衆国男性総合格闘家プロレスラーカリフォルニア州クパチーノ出身。アメリカン・キックボクシング・アカデミー所属。

来歴[編集]

2003年9月6日、総合格闘技デビュー戦となったX-1でジェイ・マコーンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2004年10月、プロレス団体WWEの第4回タフイナフチャレンジ(100万ドルタフイナフ)で優勝し、WWEとの契約を獲得した。11月4日、スマックダウンにおいてカート・アングルと対戦した際アングルにシュートを仕掛け、ガードポジションからキーロックを極めるも、肩がマットに着いていたためピンフォール負けを喫した[1]

2005年9月、WWEのコスト削減策のため解雇を通告され、下部団体のDSWからのオファーを受けるも拒否し、以後は総合格闘家へ転向した。

2006年からStrikeforceで総合格闘技に本格的に参戦。

2010年2月22日、IGF初参戦となった「GENOME11」でエリック・ハマーと対戦し、7分9秒レッグロックによるタップアウト負けを喫した[2]

2010年6月19日、新日本プロレスに初参戦して中邑真輔と対戦し、ボマイェからの片エビ固めで敗れた[3][4]。11月から中邑と組んで新日本プロレス主催のG1 TAG LEAGUEに参戦。

2019年2月現在、自らが立ち上げた無収益団体「マイ・ライフ・マイ・パワー」とのコラボという形で、アーカンソー州で無報酬のパートタイマーとして警察官をしていることが報じられた[5]

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
8 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
8 2 3 3 0 0 0
0 0 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
マイケル・クラーク 5分3R終了 判定3-0 Called Out MMA 1 2009年8月15日
ジェフ・フォード 1R 1:23 TKO(肩の負傷) Call to Arms 1 2009年5月16日
リチャード・ダルトン 5分3R終了 判定3-0 Strikeforce: Playboy Mansion 2007年9月29日
マイケル・オールデン 1R 0:45 TKO(パンチ連打) BodogFight: Costa Rica Combat 2007年2月18日
マイク・クック 2R 2:31 チョークスリーパー Strikeforce: Triple Threat 2006年12月8日
トム・タッグル 1R 0:28 腕ひしぎ十字固め Strikeforce: Revenge 2006年6月9日
ジェシー・フュージャルシク 1R 1:54 チョークスリーパー Strikeforce: Shamrock vs. Gracie 2006年3月10日
ジェイ・マコーン 3分3R終了 判定3-0 X-1 2003年9月6日

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ PUDER WANTS REAL FIGHT WITH KURT ANGLE - mmaweekly.com、2006年10月26日、2010年5月23日閲覧。
  2. ^ GENOME11 第4試合 スポーツナビ 2010年2月22日
  3. ^ 中邑真輔、復帰戦の相手は“格闘戦士”ダニエル・ピューダー!/6月19日「DOMINION 6.19」情報 新日本プロレスオフィシャルWEBサイト
  4. ^ 「DOMINION 6.19」第4試合 新日本プロレスオフィシャルWEBサイト
  5. ^ 中邑真輔とも戦ったピューダー今は警察で活躍 - 日刊スポーツ、2019年2月2日、2019年2月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]