アジアヘビー級王座

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アジアヘビー級王座
詳細
現王者 ボディガー
獲得日 2018年7月29日
管理団体 全日本プロレス
創立 1955年11月22日

アジアヘビー級王座(アジアヘビーきゅうおうざ)は、PWFが管理する全日本プロレスフラッグシップタイトル。正式名称はオールアジアヘビー級王座

概要[編集]

1955年11月22日、日本プロレスが開催したアジア選手権大会の優勝者である力道山を初代王者として誕生した。アジアタッグ王座も同じくアジア選手権の優勝者を初代王者として誕生している。力道山は1958年8月にインターナショナル・ヘビー級王座を獲得し、ルー・テーズを初代王者とするインターナショナル王座のほうを格上としたため、アジア王座はラッキー・シモノビッチら二線級の顔触れを相手に9回防衛したにとどまった。1963年の力道山の死後、いったん空位となる。

1968年11月9日、力道山と同じく朝鮮半島出身の大木金太郎が、韓国ソウル奨忠体育館で行われた王座決定戦でバディ・オースチンを破り、第2代王者となる。大木はビル・ドロモに敗れて転落したのをはさみ、1972年10月のジョー・ハミルトン戦まで23回の防衛を果たした。大木の戴冠当時は、ジャイアント馬場のインターナショナル王座に次ぐ二番手のシングルタイトルであり、防衛戦の相手にはクラッシャー・リソワスキードン・レオ・ジョナサンキング・イヤウケアブルート・バーナードといった大物もいるが、概して馬場のインターナショナル王座、アントニオ猪木UNヘビー級王座に比べれば一段落ちる顔触れであった。同年12月に大木がインターナショナル王座を獲得すると、インターナショナル王座の防衛戦が優先されてアジア王座の防衛戦は行われなくなった。1973年4月の日本プロレス崩壊・大木らの全日本プロレス入団でいったん王座は休眠状態となる。その後、全日本を離脱した大木は韓国でインターナショナル王座の防衛戦を行うようになるが、アジア王座は依然休眠状態が続いた。

1976年2月、新日本プロレスがアジアヘビー級とアジアタッグの王座新設を発表すると、対抗策として全日本プロレスは日本プロレス版のアジアヘビー級王座・アジアタッグ王座を復活を計画。元日本プロレス代表の芳の里がNWAに申請する形で、両王座の継続及び名称復活の許諾を得たことを発表した。シングル王座については最終保持者(第4代王者)である大木による継続保持が認められ、同年3月に韓国ソウルでグレート小鹿の挑戦を受け、約3年半ぶりに復活第1戦が行われた。大木はその後、全日本マットでワルドー・フォン・エリックと2回(1回目は無効試合で王座預かり、王座決定戦が行われ大木が勝利し第5代王者に)、ジャンボ鶴田、ジャイアント馬場を相手に4度のタイトル戦を行った後、1977年10月に馬場のPWFヘビー級王座とのダブルタイトル戦に敗れて王座を失った。第6代王者となった馬場はPWF王座を優先させ、アジア王座は一度も防衛戦を行わず、正式な説明もなく再び休眠状態となった。

1981年、全日本が大木の返上を受けてインターナショナル王座復活を発表した際、大木はそれと交換する形でアジア王座の管理権を譲渡された。同年5月に韓国でグレート小鹿と王座決定戦を開催、勝利した大木が第7代王者となった。翌1982年5月に大木は韓国で阿修羅・原と防衛戦を行い勝利。これが最後の防衛記録で、大木の引退とともに同王座は空位のまま事実上の消滅状態となった。

2018年1月21日、崔領二が全日本プロレスおよびPWFの認定、力道山次男である百田光雄の許諾のもと[1]、アジアヘビー級王座を復活させる。王座決定ワンデートーナメントを開催し[2]、トーナメントを制した崔が第8代王者に就いている。なお、ベルトについては旧王座のベルトは権利関係の問題から使用できないため、新たにベルトを新調している。

歴代王者[編集]

歴代 選手 防衛回数 獲得日付 獲得した場所(対戦相手・その他)
初代 力道山 9 1955年11月22日 蔵前国技館
王座決定トーナメントにより獲得
キングコング
第2代 大木金太郎 13 1968年11月9日 大韓民国ソウル奨忠体育館
王座決定戦により獲得
キラー・バディ・オースチン
第3代 ビル・ドロモ 0 1971年1月15日 徳山市体育館
第4代 大木金太郎 10 1971年2月2日 広島県立体育館
第5代 大木金太郎 2 1976年10月21日 福島県営体育館
王座預かり後の王座決定戦により獲得
ワルドー・フォン・エリック
第6代 ジャイアント馬場 0 1977年10月29日 黒磯市公会堂
第7代 大木金太郎 1 1981年5月 韓国
第8代 崔領二 3 2018年1月21日 韓国
王座決定トーナメントにより獲得
ボディガー
第9代 ボディガー 1 2018年7月29日 エディオンアリーナ大阪 第1競技場

備考[編集]

  • 新日本版のアジアヘビー級王座はタイガー・ジェット・シンが初代王者となり、その後しばらくは防衛戦が行われていたが、短期間で休眠状態となり、1981年のIWGP発起にあたって正式に返上、封印されている。
  • 1992年5月4日、韓国のイ・ワンピョ(李王杓)が日本には殆ど報道されないまま、獲得していることが明らかになったが、相手や場所は「覚えていない」とのこと。ベルトは李の自宅に飾られている[3]

出典[編集]

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  1. ^ ランズエンド プロレスリング” (2018年1月18日). 2018年6月20日閲覧。
  2. ^ 2018年1月21日(日) ワールドアジアヘビー級王座決定 ワンデイトーナメント in SEOUL”. プロレスリングLAND'S END (2018年1月22日). 2018年6月20日閲覧。
  3. ^ 『Gスピリッツ』、辰巳出版2017年11月5日、 73-74頁。