IWGPリーグ戦

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IWGPリーグ戦(アイ・ダブリュー・ジー・ピー・リーグせん)は、新日本プロレスによって1983年開催の第一回大会から1987年開催の第五回大会まで行われたプロレスのリーグ戦(第三回大会のみトーナメント戦形式)。

IWGPは、International Wrestling Grand Prixインターナショナル・レスリング・グラン・プリ)の略称で[1]、現在新日本プロレスが管理するIWGPの王座とは異なる面を持つ。尚、初期段階ではIWGC「International Wrestling Grand Champion」と提唱されていた。

正式名称は第一回大会が「IWGP決勝リーグ戦」で、第二回大会から第五回大会までは「IWGP王座決定リーグ戦」という。

IWGP構想[編集]

1980年代初頭の新日本プロレスは、アントニオ猪木アンドレ・ザ・ジャイアントスタン・ハンセンらに加えて、新人だった頃のハルク・ホーガンとの激闘でかつて無いほど絶好調の波に乗っていた[2]。更には1981年4月23日にデビューした初代タイガーマスクの大活躍によってピークに達し「ワールドプロレスリング」の視聴率も絶好調で、テレビ朝日系列局以外の地方局も取り込み放送ネットワークを全国に拡大。地方興行も連日大入り満員で、1981年夏に開催した『ブラディ・ファイト・シリーズ』は全29戦すべてが超満員という空前の記録を作った[2]。当時新日本プロレス専務取締役営業本部長だった新間寿は「今起こっているのはプロレスブームではない。新日本プロレスブームだ」と揚言した[2]

アントニオ猪木は、このチャンスに乗じる形で「ワールドプロレスリング」を放送していたテレビ朝日の協力も得て[3]、長年の念願だった「世界中に乱立するベルトを統合し、世界最強の統一世界王者を決定する」構想をブチ上げた[1]

当初の計画では日本国内で開幕戦を行い、以降、韓国→中近東→欧州→メキシコと転戦し、決勝戦をニューヨークで行うという壮大なリーグ戦構想であった[1]。同様に世界各地を転戦するF1グランプリから着想を得た通訳のケン田島によって「International Wrestling Grand Prix」という名称が提案され採用された。しかし、それぞれの地区で王者を抱えていたプロモーターからの協力も得られず、「世界各地の王者を日本に招いて世界最強のチャンピオンを決定する」というものにトーンダウンしてしまった[1]

なお、当時新日本プロレスが加盟していた世界的なプロレス団体の寄合NWAでは、同じく加盟していた全日本プロレスからの運動もあって、「世界王者はNWA世界ヘビー級王者ただ一人であり、NWA世界ヘビー級王者だけを世界王者として認めることを各加盟団体に要求している」という声明を発表した。この声明の発表と同時にNWA第一副会長も務めたジャイアント馬場が「IWGP王者は新日本プロレスのローカルチャンピオンである」とコメントしているように、IWGP王者が真の世界一であるという立場と、新日本プロレスがNWAに加盟しているという立場は矛盾するはずだが、新日本プロレスがNWAを脱退することはついになかった。

内容的には、それまで新日本プロレスが行っていた「MSGシリーズ」と大差ないものであったが、プロレスファンはIWGPリーグ戦の成功に期待した。

開催までの経緯[編集]

1980年2月、極真空手ウィリー・ウィリアムスとの一戦で異種格闘技戦に一区切りをつけた猪木は、前述のIWGP構想を1980年12月に正式発表した[1]。アメリカからNWA副会長、ヨーロッパから西ドイツレスリング連盟会長&同事務局長、メキシコからUWA代表、パキスタン国際レスリング協会会長&同副会長らを東京・京王プラザホテルに招いて1981年3月30日から31日にかけてIWGP運営会議が開かれ、翌4月1日にIWGP実行委員会の発足が正式に発表された[1]。各国プロモーターへの働きかけは猪木の参謀役であったIWGP実行委員長・新間寿が中心となって行った[1]

その後IWGPリーグ戦を開催するにあたって、まず猪木が具体的に取り組んだのがチャンピオンベルトの返上である。

1981年4月23日、猪木がスタン・ハンセンとの防衛戦に成功した試合を最後に、自身のNWFヘビー級王座を返上、封印したのを発端にして坂口征二のWWF北米ヘビー級王座、坂口征二&長州力NWA北米タッグ王座(ロサンゼルス版/日本版)タイガー・ジェット・シンのNWF北米ヘビー級王座とアジアヘビー級王座(新日本プロレス版)、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助のアジアタッグ王座(新日本プロレス版)の合計6つの王座が返上された(ただしジュニアヘビー級王座のチャンピオンベルトは対象外であった。また1982年8月には藤波辰巳WWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得し日本に定着させている)。

IWGPアジア地域予選リーグを行っていた最中の1981年末に、スタン・ハンセンが全日本プロレスに引き抜かれるアクシデントはあったものの、ハルク・ホーガンが短期間でトップレスラーの仲間入りを果たしていたことに加えて、前田明がイギリスで「クイックキック・リー」として活躍し、欧州代表として凱旋帰国を果たすことで充分カバーできた。なおアブドーラ・ザ・ブッチャーが「IWGPリーグ戦参戦」を名分に新日本プロレスに移籍していたが(ハンセンの引き抜きはその報復)、ブッチャーは結局IWGPリーグ戦には参加していない。

このような経緯で1983年5月6日に第一回「IWGP決勝リーグ戦」の開催に至ることとなる。

第一回大会[編集]

1983年5月6日(金)~6月2日(木)

大会概要[編集]

リーグ戦の結果[編集]

決勝リーグ戦 猪木 カーン 木村 アンドレ ホーガン スタッド カネック ベラ ワンツ 前田 勝点 勝ち 4点

勝ち

分け 負け 順位
アジア

代表

アントニオ猪木  ※ 37 7 0 1 1
5/28広島 5/16津 5/6福岡 5/19大阪 5/13大宮 5/23岡山 5/31清水 5/10宮城 5/27高松
アジア

代表

キラー・カーン  ※ 24 2 3 1 3 5
5/28広島 5/11福島 6/1愛知 5/6福岡 5/14沼津 5/10宮城 5/22延岡 5/24土浦 5/17松江
アジア

代表

ラッシャー・木村  ※ 21 3 1 1 4 6
5/16津 5/11福島 5/25銚子 5/12浜松 5/8姫路 5/21大分 5/20熊本 5/26日立 5/18岡崎
北米

代表

アンドレ・ザ・ジャイアント  ※ 36 4 3 2 0 3
5/6福岡 6/1愛知 5/25銚子 5/27高松 5/19大阪 5/9秩父 5/16津 5/29焼津 5/13大宮
米国

代表

ハルク・ホーガン  ※ 37 5 2 2 0
5/19大阪 5/6福岡 5/12浜松 5/27高松 5/29焼津 5/11福島 5/24土浦 5/14沼津 5/21大分
米国

代表

ビッグ・ジョン・スタッド  ※ 25 3 2 1 3 4
5/13大宮 5/14沼津 5/8姫路 5/19大阪 5/29焼津 5/26日立 5/12浜松 5/17松江 5/25銚子
中南米

代表

エル・カネック  ※ 10 2 0 0 7 8
5/23岡山 5/10宮城 5/21大分 5/9秩父 5/11福島 5/26日立 5/18岡崎 5/7佐賀 5/15後楽園
中南米

代表

エンリケ・ベラ  ※ 4 0 1 0 8 10
5/31清水 5/22延岡 5/20熊本 5/16津 5/24土浦 5/12浜松 5/18岡崎 5/12浜松 5/8姫路
欧州

代表

オットー・ワンツ  ※ 5 1 0 0 1 9
5/10宮城 5/24土浦 5/26日立 5/29焼津 5/14沼津 5/17松江 5/7佐賀 5/12浜松 5/30千葉
欧州

代表

前田 明  ※ 14 2 1 0 6 7
5/27高松 5/17松江 5/18岡崎 5/13大宮 5/21大分 5/25銚子 5/15後楽園 5/8姫路 5/30千葉
5/6 福岡スポーツセンター(TV)
  K・カーン 1/60 H・ホーガン (13分19秒 体固め)
  A・猪木 1/60 A・ザ・ジャイアント (11分24秒 反則=オーバーフェンス)
5/7 佐賀スポーツセンター
  E・カネック 1/60 O・ワンツ (08分20秒 体固め)
5/8 姫路市厚生会館
  B・J・スタッド 1/60 R・木村 (06分26秒 両者リングアウト)
  前田 明 1/60 E・ベラ (08分12秒 体固め)
5/9 秩父市民体育館
  A・ザ・ジャイアント 1/60 E・カネック (01分49秒 体固め)
5/10 宮城県スポーツセンター
  K・カーン 1/60 E・カネック (10分32秒 体固め)
  A・猪木 1/60 O・ワンツ (05分42秒 体固め)
5/11 福島市体育館
  H・ホーガン 1/60 E・カネック (05分00秒 体固め)
  K・カーン 1/60 R・木村 (12分54秒 反則)
5/12 浜松市体育館
  B・J・スタッド 1/60 E・ベラ (05分19秒 カナディアン・バックブリーカー)
  R・木村 1/60 H・ホーガン (06分25秒 エプロンカウントアウト)
  E・ベラ 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
5/13 大宮スケートセンター(TV)
  前田 明 1/60 A・ザ・ジャイアント (05分27秒 体固め)
  A・猪木 1/60 B・J・スタッド (09分18秒 体固め)
5/14 沼津市体育館
  H・ホーガン 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
  K・カーン 1/60 B・J・スタッド (12分19秒 エプロンカウントアウト)
5/15 後楽園ホール
  前田 明 1/60 E・カネック (10分16秒 体固め)
5/16 津市体育館
  A・ザ・ジャイアント 1/60 E・ベラ (05分45秒 体固め)
  A・猪木 1/60 R・木村 (07分02秒 体固め)
5/17 松江市総合体育館
  B・J・スタッド 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
  K・カーン 1/60 前田 明 (12分16秒 エプロンカウントアウト)
5/18 岡崎市体育館
  前田 明 1/60 R・木村 (08分48秒 体固め)
  E・カネック 1/60 E・ベラ (10分39秒 体固め)
5/19 大阪府立体育会館(VTR)
  A・ザ・ジャイアント 1/60 B・J・スタッド (02分37秒 体固め)
  A・猪木 1/60 H・ホーガン (15分21秒 両者フェンスアウト)
5/20 熊本市体育館
  R・木村 1/60 E・ベラ (04分09秒 片エビ固め)
5/21 大分県立荷場町体育館
  R・木村 1/60 E・カネック (09分30秒 片エビ固め)
  前田 明 1/60 H・ホーガン (09分40秒 体固め)
5/22 延岡市体育館
  K・カーン 1/60 E・ベラ (07分50秒 体固め)
5/23 岡山武道館
  A・猪木 1/60 E・カネック (03分16秒 体固め)
5/24 土浦市スポーツセンター
  H・ホーガン 1/60 E・ベラ (02分47秒 体固め)
  K・カーン 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
5/25 銚子市体育館
  R・木村 1/60 A・ザ・ジャイアント (04分18秒 リングアウト)
  前田 明 1/60 B・J・スタッド (10分26秒 体固め)
5/26 日立市中央体育館
  B・J・スタッド 1/60 E・カネック (08分21秒 体固め)
  R・木村 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
5/27 高松市市民文化センター(TV)
  H・ホーガン 1/60 A・ザ・ジャイアント (17分48秒 両者リングアウト)
  A・猪木 1/60 前田 明 (12分57秒 体固め)
5/28 広島県立体育館
  A・猪木 1/60 K・カーン (16分21秒 卍固め)
5/29 焼津スケートセンター
  A・ザ・ジャイアント 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
  H・ホーガン 1/60 B・J・スタッド (07分48秒 体固め)
5/30 千葉公園体育館(VTR)
  前田 明 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
5/31 清水市鈴与記念体育館
  A・猪木 1/60 E・ベラ (03分56秒 体固め)
6/1 愛知県体育館(VTR)
  K・カーン 1/60 A・ザ・ジャイアント (14分12秒 両者リングアウト)

リーグ戦前は前田の活躍に期待が集まったが、世界の壁は厚く10人中7位の成績に終わる。猪木、ホーガン、アンドレの三つ巴の戦いとなるが、最終戦でトップ独走のアンドレがカーンと両者リングアウトの引き分けで脱落。リーグ戦全戦を終えた時点での勝ち点は、猪木37点、ホーガン37点、アンドレ36点、スタッド25点、カーン24点、木村21点、前田14点、カネック5点、ワンツ5点(負傷により途中棄権)、ベラ4点となり、アントニオ猪木とハルク・ホーガンによる同点決勝が行われる事となった。(リーグ戦での対決の結果は両者フェンスアウト)

決勝戦[編集]

IWGP決勝リーグ戦の決勝戦「アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン」は、1983年6月2日に東京の蔵前国技館で時間無制限1本勝負として行われた。

アントニオ猪木の優勝は既定路線かと思われたがハルク・ホーガンは予想以上に強く、場外乱闘の際に鉄柱の正面に立ったアントニオ猪木に向けて、背後からハルク・ホーガンの必殺技アックスボンバーが炸裂すると、アントニオ猪木は額を鉄柱にまともに打ち付けてしまい、足腰が立たない状態に追い込まれた。

なんとかエプロンに上がった処へ、とどめのアックスボンバーをロープ越しに再び食らうと、場外へ飛ばされ、うずくまったまま動かなくなった。セコンド陣が介抱するがリングに戻る気配は無く、うずくまったままで様子がおかしい。セコンド陣の手によって強引にリング上に戻されたアントニオ猪木の表情をテレビカメラが捉え、当時全日本プロレスと共に対立していた日本テレビでもニュース報道されるなど[5][6]、ありのまま全国に放送されたほか、新聞にも「試合中のアクシデント」として報道された[7]

アントニオ猪木はうつ伏せの状態で、眼を閉じたまま舌を出し、気絶していた。窒息の危険性があるため、応急処置が施された後に病院へ直行となった。その間ホーガンは心配そうに見守っていたが、新たに作られたIWGPのチャンピオンベルトが与えられ、IWGP王者としてそのベルトを腰に巻いた。アントニオ猪木が病院へ担ぎ込まれた事実は一般紙でも報じられ、プロレスファン以外にも知られる事となった。なお、この失神劇は、アクシデントではなく、ジャイアント馬場曰く「失神したときは舌は出さない」発言や(ジャイアント馬場はミスター珍との試合で珍を失神させてしまったことがある)、新間寿が猪木が搬送された病院で看護師に「私たちも医療ではプロですからね(失神しているふりをしてもわかりますよ)」と言われたという情報など、アントニオ猪木による自演とみる説がある[8]一方、井上義啓の「会場で坂口征二が『ベロはどうした、ベロは!』と叫んでいたのを聞いた」「知り合いの医者に(アントニオ猪木が失神した場面の)写真を見せて『これはほんまもん(の失神)ですか?』と聞いてみたら『演技でここまで舌は出せない。これはほんまもん』と言っていた」という証言や、セコンドにいた木村健吾が舌を引っ張り出してからリングに上げた、との説もある。実際には夜中に新間寿が猪木を連れだし、そのままブラジルに渡航したいが為の演技であった。そしてその通りに実行した。アントニオ猪木が優勝した場合のIWGPリーグ戦は世間からは「第1回チャンピオンカーニバルでジャイアント馬場が優勝」、「第1回MSGシリーズでアントニオ猪木が優勝」というような過去のリーグ戦と同列に扱われる可能性が強く、アントニオ猪木がそれを避けようと失神KOを演出したのではないかという推測もある[8]。また、当時ブッカーであったという坂口征二はこの試合後「人間不信」とだけ書いた紙を書置きして数日間失踪した[8]。これは坂口征二が書いたストーリーをアントニオ猪木が独断でこのような結末に変更したためであるとされている。ミスター高橋の著書によると、予定では、リングに上がった猪木に対してホーガンがブレーンバスターを仕掛け、反転した猪木が、逆さ抑え込みか卍固めで勝利というシナリオだった[9]

6/2 蔵前国技館(VTR)優勝戦
  A・猪木 1/無 H・ホーガン (21分27秒 KO)
  • 優勝者 : ハルク・ホーガン(初優勝)

第二回大会[編集]

1984年5月11日(金)~6月14日(木)

大会概要[編集]

リーグ戦の結果

決勝リーグ戦 猪木 藤波 長州 斎藤 アン

ドレ

マー

ドック

アド

ニス

スーパー

スター

スタ

ッド

パテラ ワンツ クイン 勝点 勝ち 4点

勝ち

分け 負け 順位
日本

代表

アントニオ猪木  ※ 53 9 2 0 0
6/7宮城 5/18広島 5/27後楽園 6/11愛知 5/13北九州 6/1高松 5/21新潟 5/15熊本 5/29千葉 6/13横須賀 6/5大宮
日本

代表

藤波辰巳  ※ 33 5 1 2 3 4
6/7宮城 6/10静岡 6/4岡山 5/18広島 5/28浜松 6/11愛知 5/14宮崎 5/31高知 5/27後楽園 5/23群馬 5/12大分
日本

代表

長州 力  ※ 34 4 3 1 3 3
5/18広島 6/10静岡 6/12豊橋 6/1高松 6/5大宮 5/16佐賀 5/25富山 5/13北九州 5/20銚子 5/30愛媛 6/7宮城
日本

代表

マサ・斎藤  ※ 26 2 2 4 3 6
5/27後楽園 6/4岡山 6/12豊橋 5/17長崎 5/31高知 6/9熊谷 6/2宇和島 5/29千葉 6/6横浜 5/15熊本 5/25富山
北米

代表

アンドレ・ザ・ジャイアント  ※ 49 9 1 0 1 2
6/11愛知 5/18広島 6/1高松 5/17長崎 6/13横須賀 6/8青森 5/27後楽園 5/23群馬 5/11福岡 6/6横浜 5/14宮崎
米国

代表

ディック・マードック  ※ 30 4 1 3 3 5
5/13北九州 5/28浜松 6/5大宮 5/31高知 6/13横須賀 5/24大阪 5/16佐賀 6/9熊谷 5/17長崎 6/2宇和島 5/21新潟
米国

代表

アドリアン・アドニス  ※ 25 3 2 1 5 7
6/1高松 6/11愛知 5/16佐賀 6/9熊谷 6/8青森 5/24大阪 5/19岡崎 5/30愛媛 6/5大宮 5/12大分 5/28浜松
北米

代表

マスクド・スーパースター  ※ 18 2 0 4 5 8
5/21新潟 5/14宮崎 5/25富山 6/2宇和島 5/27後楽園 5/16佐賀 5/19岡崎 5/11福岡 6/8青森 6/10静岡 5/20銚子
米国

代表

ビッグ・ジョン・スタッド  ※ 2 0 0 1 10 12
5/15熊本 5/31高知 5/13北九州 5/29千葉 5/23群馬 6/9熊谷 5/30愛媛 5/11福岡 6/10静岡 6/12豊橋 6/4岡山
米国

代表

ケン・パテラ  ※ 17 1 3 0 7 9
5/29千葉 5/27後楽園 5/20銚子 6/6横浜 5/11福岡 5/17長崎 6/5大宮 6/8青森 6/10静岡 5/25富山 5/30愛媛
欧州

代表

オットー・ワンツ  ※ 6 0 1 1 9 11
6/13横須賀 5/23群馬 5/30愛媛 5/15熊本 6/6横浜 6/2宇和島 5/12大分 6/10静岡 6/12豊橋 5/25富山 6/9熊谷
欧州

代表

ビッグ・ジョン・クイン  ※ 10 0 2 1 8 10
6/5大宮 5/12大分 6/7宮城 5/25富山 5/14宮崎 5/21新潟 5/28浜松 5/20銚子 6/4岡山 5/30愛媛 6/9熊谷
5/11 福岡スポーツセンター(TV) 試合開始6時30分 観衆8,300人 超満員
  M・スーパースター 1/60 B・J・スタッド (08分32秒 両者フェンスアウト)
  A・ザ・ジャイアント 1/60 K・パテラ (02分17秒 体固め=ヒップ・ドロップ)
    ▽特別試合
  A・猪木 1/60 H・ホーガン (09分43秒 反則=レフリー暴行)
5/12 大分県立荷場町体育館 試合開始6時30分 観衆3,600人 満員
  A・アドニス 1/60 O・ワンツ (06分03秒 片エビ固め=ダイビング・エルボードロップ)
  藤波辰巳 1/60 B・J・クイン (08分43秒 逆さ押さえ込み)
5/13 福岡・北九州市総合体育館 試合開始6時30分 観衆7,000人 
  長州 力 1/60 B・J・スタッド (04分55秒 前方回転エビ固め)
  A・猪木 1/60 D・マードック (23分20秒 体固め=延髄斬り)
5/14 宮崎県体育館 試合開始6時30分 観衆3,400人 
  A・ザ・ジャイアント 1/60 B・J・クイン (01分40秒 体固め=ヒップ・ドロップ)
  藤波辰巳 1/60 M・スーパースター (08分49秒 前方回転エビ固め)
5/15 熊本市体育館 試合開始6時30分 観衆4,800人 満員
  M・斎藤 1/60 O・ワンツ (02分29秒 片エビ固め=フライング・ニードロップ)
    ▽特別試合
  H・ホーガン 1/45 長州 力 (05分37秒 リングアウト)
  A・猪木 1/60 B・J・スタッド (04分49秒 卍固め)
5/16 佐賀・佐賀スポーツセンター 試合開始6時30分 観衆3,800人 超満員
  D・マードック 1/60 M・スーパースター (08分33秒 両者リングアウト)
    ▽特別試合
  A・ザ・ジャイアント 1/45 坂口征二 (05分10秒 体固め=ヒップ・ドロップ)
  長州 力 1/60 A・アドニス (10分47秒 反則=レフリー暴行)
5/17 長崎国際体育館 試合開始6時30分 観衆4,700人 
  D・マードック 1/60 K・パテラ (11分32秒 エビ固め=パテラのスラムを上手くまるめこむ)
  M・斎藤 1/60 A・ザ・ジャイアント (02分26秒 反則=セコンド乱入)
5/18 広島県立体育館(TV) 試合開始6時30分 観衆8,200人 
  藤波辰巳 1/60 A・ザ・ジャイアント (02分57秒 体固め=ヒップ・ドロップ)
  A・猪木 1/60 長州 力 (16分48秒 逆さ押さえ込み)
5/19 愛知・岡崎市体育館 試合開始6時30分 観衆4,200人 
  A・アドニス 1/60 M・スーパースター (08分16秒 両者リングアウト)
5/20 千葉・銚子市体育館 試合開始6時 観衆3,500人 超満員
  M・スーパースター 1/60 B・J・クイン (07分01秒 体固め)
  長州 力 1/60 K・パテラ (07分19秒 サソリ固め)
5/21 新潟市体育館 試合開始6時30分 観衆4,500人 満員
  D・マードック 1/60 B・J・クイン (08分21秒 前方回転エビ固め)
  A・猪木 1/60 M・スーパースター (08分51秒 体固め=バックドロップ)
5/23 群馬県スポーツセンター 試合開始6時30分 観衆4,200人 超満員
  藤波辰巳 1/60 O・ワンツ (04分24秒 前方回転エビ固め)
  A・ザ・ジャイアント 1/60 B・J・スタッド (06分23秒 レフリーストップ=アームブリーカー)
5/24 大阪府立体育会館(VTR) 試合開始6時30分 観衆9,000人 超満員
    ▽100万円懸賞金試合
  D・マードック 1/60 A・アドニス (10分54秒 片エビ固め=オクラホマSPを半回転させる)
5/25 富山市体育館 試合開始6時30分 観衆5,600人 超満員
  K・パテラ 1/60 O・ワンツ (02分22秒 リングアウト)
  M・斎藤 1/60 B・J・クイン (04分17秒 反則=オーバー・フェンス)
  長州 力 1/60 M・スーパースター (08分05秒 反則=オーバー・フェンス)
5/27 東京・後楽園ホール 試合開始6時30分 観衆3,000人 超満員
  藤波辰巳 1/60 K・パテラ (08分21秒 逆さ押さえ込み)
  A・ザ・ジャイアント 1/60 M・スーパースター (05分31秒 体固め=ジャイアントプレス)
    ▽100万円懸賞金試合
  A・猪木 1/60 M・斎藤 (11分28秒 前方回転エビ固め)
5/28 静岡・浜松市体育館 試合開始6時30分 観衆3,900人 満員
  A・アドニス 1/60 B・J・クイン (08分04秒 片エビ固め=ダイビングプレス)
    ▽100万円懸賞金試合
  藤波辰巳 1/60 D・マードック (16分45秒 両者リングアウト)
5/29 千葉公園体育館 試合開始6時30分 観衆3,700人 満員
  M・斎藤 1/60 B・J・スタッド  (不戦勝)
  A・猪木 1/60 K・パテラ (10分15秒 体固め=フライング・ニードロップ)
5/30 愛媛県民体育館 試合開始6時30分 観衆4,000人 超満員
  K・パテラ 1/60 B・J・クイン (07分17秒 体固め=ジャンピング・エルボードロップ)
  A・アドニス 1/60 B・J・スタッド  (不戦勝)
  長州 力 1/60 O・ワンツ (04分02秒 体固め)
5/31 高知県民体育館 試合開始6時30分 観衆3,000人 満員
  藤波辰巳 1/60 B・J・スタッド  (不戦勝)
  M・斎藤 1/60 D・マードック (14分03秒 両者リングアウト)
6/1 高松市市民文化センター(TV) 試合開始6時30分 観衆4,500人 超満員
    ▽100万円懸賞金試合
  長州 力 1/60 A・ザ・ジャイアント (05分57秒 体固め=ヒップ・ドロップ)
  A・猪木 1/60 A・アドニス (11分07秒 体固め=延髄斬り)
6/2 愛媛・宇和島市闘牛場特設リング 試合開始6時30分 観衆3,400人 満員
  D・マードック 1/60 O・ワンツ (07分42秒 片エビ固め)
  M・斎藤 1/60 M・スーパースター (07分02秒 両者リングアウト)
6/4 岡山武道館 試合開始6時30分 観衆2,700人 
  B・J・スタッド 1/60 B・J・クイン  (不戦勝)
    ▽100万円懸賞金試合
  藤波辰巳 1/60 M・斎藤 (13分17秒 両者リングアウト)
6/5 埼玉・大宮スケートセンター 試合開始6時30分 観衆4,500人 超満員
  A・アドニス 1/60 K・パテラ (08分59秒 首固め)
  長州 力 1/60 D・マードック (19分13秒 反則=オーバー・フェンス)
  A・猪木 1/60 B・J・クイン (02分33秒 卍固め)
6/6 神奈川・横浜文化体育館 試合開始6時30分 観衆4,700人 満員
  A・ザ・ジャイアント 1/60 O・ワンツ (09分30秒 体固め=ヒップ・ドロップ)
  M・斎藤 1/60 K・パテラ (11分07秒 体固め=バックドロップ)
6/7 宮城県営スポーツセンター 試合開始6時30分 観衆7,800人 超満員
  長州 力 1/60 B・J・クイン (05分58秒 サソリ固め)
    ▽100万円懸賞金試合
  A・猪木 1/60 藤波辰巳 (08分58秒 リングアウト)
6/8 青森市民体育館(TV) 試合開始6時30分 観衆4,000人 超満員
  M・スーパースター 1/60 K・パテラ (08分31秒 リングアウト)
  A・ザ・ジャイアント 1/60 A・アドニス (06分37秒 体固め=18文キック)
6/9 埼玉・熊谷市民体育館 試合開始6時30分 観衆4,800人 超満員
  B・J・クイン 1/60 O・ワンツ (13分59秒 両者リングアウト)
  M・斎藤 1/60 A・アドニス (09分21秒 反則=オーバー・フェンス)
  D・マードック 1/60 B・J・スタッド  (不戦勝)
6/10 静岡産業館 試合開始6時30分 観衆5,200人 超満員
  M・スーパースター 1/60 O・ワンツ (07分01秒 体固め=ラリアット)
  B・J・スタッド 1/60 K・パテラ  (不戦勝)
    ▽100万円懸賞金試合
  藤波辰巳 1/60 長州 力 (14分42秒 リングアウト)
6/11 愛知県体育館(VTR) 試合開始6時30分 観衆15,500人 超満員
  藤波辰巳 1/60 A・アドニス (11分12秒 逆さ押さえ込み)
    ▽300万円懸賞金試合
  A・猪木 1/60 A・ザ・ジャイアント (23分37秒 反則=オーバー・フェンス)
6/12 愛知・豊橋市体育館 試合開始6時30分 観衆4,300人 満員
  B・J・スタッド 1/60 O・ワンツ  (不戦勝)
  長州 力 1/60 M・斎藤 (10分50秒 両者リングアウト)
6/13 神奈川・横須賀市総合体育館 試合開始6時30分 観衆4,200人 満員
  A・ザ・ジャイアント 1/60 D・マードック (07分12秒 体固め=ヒップ・ドロップ)
  A・猪木 1/60 O・ワンツ (04分34秒 体固め)

リーグ戦序盤から藤波が快調に飛ばしたが終盤に腰痛のため失速、やはり戦前の予想通りアントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアントの二強に絞られた。リーグ戦終盤の両者全勝で迎えた対戦でアンドレ・ザ・ジャイアントに反則勝ちを収めたアントニオ猪木が決勝戦へ進出。前年の汚名返上とばかりに猪木は大ハッスルし、予選リーグは全勝で通過。失点は藤波戦のリングアウト勝ちの1点とアンドレ戦の反則勝ちによる1点の2点のみ53点とほぼ完璧な成績であった。長州対斎藤、マードック対アドニスなど仲間同士の対決など見どころが山ほどあった。リーグ戦全戦を終えた時点での勝ち点は、猪木53点、アンドレ49点、長州34点、藤波33点、マードック30点、斎藤26点、アドニス25点、スーパースター18点、パテラ17点、クイン10点、ワンツ6点、スタッド2点(負傷により途中棄権)

決勝戦[編集]

前大会と同じ顔ぶれの「黄金カード」となったIWGP王座決定リーグ戦の決勝戦は、1984年6月14日に前大会同様、東京・蔵前国技館で時間無制限1本勝負として行われた。

前大会の汚名を返上したいアントニオ猪木は、気合充分でこの決勝戦に臨んだが決着はなかなかつかず、異例の二度の延長戦にもつれ込んだ時に、何故か現れた長州力が場外のアントニオ猪木とハルク・ホーガンに次々にラリアットを食らわせるとそのまま立ち去った。
レフェリーの場外カウントが進み、20カウント以内で先にリングインしたアントニオ猪木がリングアウト勝ちを収め第二回優勝者となった。
新日本プロレス側が描いたこのような形でのアントニオ猪木勝利ブックは余りにも唐突で不透明であった。この為、当日蔵前国技館に詰め掛けた観衆は当然納得せず、観客席から次々と物が投げられ、「出て来い!出て来い!長~州」コール、大「金返せ」コールが起こり、垂れ幕は破られ、更に放火騒ぎや蔵前国技館の二階席のイスを破壊する者もいたなど、試合終了後に暴動寸前の状態にまで発展した。
このような状況を収拾するためにアントニオ猪木や藤原喜明がリング上に現れて観衆を静める一幕もあった。猪木は手を振るだけだったので逆に観客の反感を買う形となり、藤原はマイクパフォーマンスで「俺が長州を倒してやる!」と期待させておきながら、このシリーズを最後に新日本プロレスを離脱しUWFへ移籍してしまうという無責任さを見せた。

既に両国新国技館の建設が決定しており、数々の名勝負を繰り広げてきた蔵前国技館の残り少ない興行で「汚名返上」どころか「恥の上塗り」の形となり、新日本プロレスはそれまでの「異種格闘技戦」などでアントニオ猪木信者となっていた多くのファンを失った。そして、アントニオ猪木と新日本プロレスに失望したファン達は1984年に旗揚げしたUWFなどの、より格闘技色の強いプロレスに期待するようになって行くのである。長州もこの件でかなりのファンを失った。ミスター高橋の著書によると、長州は乱入は高橋が考えたものであれば断っていたと言う。猪木の提案だったため(当時、猪木の意見は絶対であった)断り切れず渋々請けた長州は乗り気ではなかった。乱入後、独り街へ消え呑み明かしたと言う。この不満から約3か月後の長州ら維新軍団大量離脱に繋り新日本プロレスは大打撃を受けることになる。これだけの豪華メンバーが参加したにもかかわらず、結果的には観客も含めて喜び得をした者は誰一人としていなかった。

この頃から「呪われたIWGP」と呼ばれるようになる。

6/14 東京・蔵前国技館(VTR) 試合開始6時30分 観衆13,000人 超満員
    ▼優勝戦
    前回優勝者   リーグ戦優勝者  
  H・ホーガン 1/無 A・猪木 (17分15秒 両者リングアウト)
    ▽延長戦
  H・ホーガン 1/無 A・猪木 (02分13秒 両者エプロンカウントアウト)
    ▽再延長戦
  H・ホーガン 1/無 A・猪木 (03分11秒 リングアウト)
  • 優勝者 : アントニオ猪木(初優勝)
  • なお、この試合が「初代王者の防衛戦」なのか「決勝戦にシードされた前回優勝者との優勝決定戦」なのか明確にされておらず(後者なら決着が付くまで試合を続けるが、前者なら両者リングアウトなどの引き分けで王者の防衛)、ハルク・ホーガンは「防衛戦だから最初の両者リングアウトで自分の引き分け防衛」を主張する様子を露骨に示している。審判部長の山本小鉄は「両者の希望通り」と説明しているが、ホーガンが納得していない様子が映像からも窺える。

第三回大会[編集]

1985年5月10日(金)~6月13日(木)

大会概要[編集]

  • 当時業務提携中だったWWF(現:WWE)との共催色をつけた「IWGP&WWFチャンピオンシリーズ」と銘打たれた。予選トーナメント戦を勝ち上がった選手と前年優勝のアントニオ猪木が決勝戦を行い、更にその勝者がホーガンと「IWGPヘビー級選手権試合」を行った。トーナメント準優勝者にはWWF王者ハルク・ホーガンへの挑戦権が与えられた。
  • 参加選手 :前大会優勝者 :アントニオ猪木
  • トーナメント戦参加選手 11名:坂口征二、藤波辰巳、木村健悟、アンドレ・ザ・ジャイアント、ディック・マードック、アドリアン・アドニス、マスクド・スーパースター、カネック、キングコング・バンディアイアン・マイク・シャープロン・ミラースーパー・ストロング・マシン
  • 特別参加選手 : ジミー・スヌーカ( 5月10日~16日)、ボブ・バックランド(5月17日~22日)、ペドロ・モラレス(5月24日~6月13日最終戦)、ハルク・ホーガン(6月7日~13日最終戦)

トーナメント戦の結果[編集]

▽1回戦

○坂口征二(8分56秒 リングアウト)×マスクド・スーパースター

○ディック・マードック(13分59秒 片エビ固め)×木村健吾

○スーパー・ストロング・マシーン(不戦勝)×ロン・ミラー

○アンドレ・ザ・ジャイアント(4分59秒 体固め)×カネック

○アドリアン・アドニス(6分13秒 反則勝ち)×キングコング・バンディ

○藤波辰巳(7分54秒 体固め)×マイク・シャープ

▽2回戦

ディック・マードック(9分48秒両者リングアウト)坂口征二

延長戦

○マードック(2分7秒首固め)×坂口

○アンドレ・ザ・ジャイアント(不戦勝)×スーパーストロング・マシーン

○藤波辰巳(16分22秒 逆さ押さえ込み)×アドリアン・アドニス

▽敗者復活戦

○坂口征二(9分29秒 リングアウト)×アドリアン・アドニス

※この結果、坂口が準決勝に進出。

▽準決勝

○アンドレ・ザ・ジャイアント(1-0)×ディック・マードック

○藤波辰巳(1-0)×坂口征二

▽決勝

○アンドレ・ザ・ジャイアント(体固め、6分17秒)×藤波辰巳

藤波辰巳を破ったアンドレ・ザ・ジャイアントが決勝戦へ進出。準優勝者の藤波にはWWF王者ハルク・ホーガンへの挑戦権が与えられた。

決勝戦[編集]

第三回大会の決勝戦は、1985年6月11日に東京体育館で60分1本勝負として行われた。

予想どおりにアンドレがトーナメントを制して、猪木との決勝戦に駒を進めたが、ロープに宙吊りとなってカウントアウト負け。

見慣れた顔ぶれで盛り上がりに欠ける大会となったため、翌年からリーグ戦形式に戻された。

  • 優勝者 : アントニオ猪木(二連覇) : ○猪木(13分50秒 エプロンカウントアウト)×アンドレ

IWGPヘビー級選手権試合[編集]

決勝戦の2日後の6月13日、第3回優勝者の猪木とホーガンが愛知県体育館でIWGP選手権試合を行った(事実上の防衛戦)。

〇猪木(11分25秒 リングアウト)×ハルク・ホーガン

リングアウト勝ちながら終始試合を有利に進めた猪木の完勝。ホーガンはハードスケジュールのためコンディション不足だったか?良いところなく終わった。猪木が初めて腰にベルトを巻いた。(前回は不本意な勝利だったためベルトは肩に掛けただけだった。)この瞬間、ワールドシリーズ、チャンピオンカーニバル、MSGシリーズと同じく「団体のエースのための大会」に成り下がったと見る人も数多くいた。

猪木とホーガンのシングルマッチはこれが最後となった。

第四回大会[編集]

大会概要[編集]

  • 試合形式 : Aブロック、Bブロックに分かれて予選リーグ戦を行い、各ブロックの最高得点者同士で決勝戦を行なう。
  • 採点ルール : 第一回大会に準じる。(第五回大会まで同じ)
  • 参加選手 : Aブロック7名、Bブロック7名の計14名
  • Aブロック : アントニオ猪木、坂口征二、木村健悟、藤原喜明、アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター、クラウス・ワラス
  • Bブロック : 藤波辰巳、前田日明、上田馬之助、ディック・マードック、ジミー・スヌーカワイルド・サモアンキューバン・アサシン

リーグ戦の結果[編集]

UWFの崩壊で、新日本プロレスに業務提携という形で古巣に戻った前田日明とアントニオ猪木の直接対決が期待されたが、別のブロックに振り分けられたため実現はしなかった。しかし、アントニオ猪木に代わる存在に加え新日本プロレス代表としても前田日明の前に立ちはだかったのは藤波辰巳であった。この試合は、藤波辰巳が前田日明のキックによって大流血に追い込まれる壮絶なものとなった。

前田日明の妥協しない攻撃に、飽くまでプロレスの姿勢で逃げることなく堂々と立ち向かう藤波辰巳の姿勢は、プロレスファンのみならず前田日明にも感銘を与えた。

Aブロックはアントニオ猪木が坂口に敗れるもアンドレから世界初となるギブアップ勝ちの快挙などで巻き返し決勝戦へ進出、Bブロックは前田日明との同点決勝を制したディック・マードックが決勝戦へ進出した。

決勝戦[編集]

第四回大会の決勝戦は、新設された両国国技館で1986年6月19日に60分1本勝負として行われた。

  • 優勝者 : アントニオ猪木(三連覇) : ○猪木(30分7秒 体固め)×マードック

第五回大会[編集]

大会概要[編集]

リーグ戦の結果[編集]

WWFとの契約切れにより外国人レスラーのスケールが落ち、実質的には日本人レスラーの闘いになった。またしてもアントニオ猪木と前田日明は別ブロックに振り分けられたため直接対決は実現せず。開幕してすぐに藤波辰巳が怪我のため途中棄権、さらに全日本プロレスから出戻ってきた長州力および元ジャパンプロレス軍が(契約上まだ試合に出場できないため)乱入を繰り返し、前田日明に怪我を負わせて棄権に追い込んだため、IWGPリーグ戦の星取りはアントニオ猪木を中心に展開した。

Aブロックはアントニオ猪木が、Bブロックはマサ斎藤が決勝戦へ進出した。

決勝戦[編集]

第五回大会の決勝戦は、1987年6月12日に両国国技館で時間無制限1本勝負として行われた。

  • 優勝者 : アントニオ猪木(四連覇、初代IWGPヘビー級王者に認定) : ○猪木(14分53秒 体固め)×マサ斎藤

大会後[編集]

第五回大会の「IWGP王座決定リーグ戦」の開催前、大会提唱者であったアントニオ猪木は「世界マット界の情勢の変化」を理由に、IWGPのタイトル化を宣言する(実際には、NWAに対する後ろ盾ともなっていたWWFが、1985年10月末で新日本プロレスとの業務提携を破棄し、独自で全米進出に乗り出した影響が大きかった。「第五回大会」の項を参照)。

その第五回大会を制したアントニオ猪木が「初代IWGPヘビー級王者」として防衛戦を行う事でIWGPヘビー級王座としてタイトル化され、新日本プロレスを象徴するチャンピオンベルトとして継承される事となった。

IWGPヘビー級王座に先駆け1985年にIWGPタッグ王座、1986年にIWGPジュニアヘビー級王座の各王座と、1998年にIWGPジュニアタッグ王座、2004年にIWGP U-30無差別級王座、2011年にIWGPインターコンチネンタル王座、2012年にNEVER無差別級王座、2016年にNEVER無差別級6人タッグ王座、2017年にIWGPユナイテッド・ステーツ・ヘビー級王座の各王座が認定され現在に至る。

因みに、WWFとの提携解消や、それに伴う各王座のIWGP認定タイトルへの移行に関しては、前者はプロレス週刊誌などの紙媒体で、後者は公式パンフレットで詳しく伝えられてはいた(例えば、当時ジュニア二冠王だったザ・コブラの場合、公式パンフレットの選手紹介において「真の世界王者を決めるIWGP Jr.ヘビー級選手権を狙うため、NWA Jr.とWWF Jr.のベルトを返上」と小さく触れられていた)。ところがテレビ中継では、これらの件は両方とも、何の説明もなされなかった。 従ってテレビ上では、NWAやWWF認定のベルトが、いつの間にかIWGP認定のベルトに取って代わるという、いささか不自然な形になってしまった。

2011年、アントニオ猪木が代表を務めるIGF蝶野正洋エグゼクティブプロデューサーが「IGF版IWGP」を提唱し、12月2日の両国大会「INOKI BOM-BA-YE 2011」にも始動させると発表したが[10]、蝶野正洋の退任もあり立ち消えとなっている。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g 闘魂検証(2)第1回「IWGP」を読む - 『アントニオ猪木 燃える闘魂50年上巻』 pp143-147(2010年、ベースボール・マガジン社ISBN 978-4583616773
  2. ^ a b c 小佐野景浩 証言 - 大塚直樹・元新日本プロレス営業部長 日本列島が揺れた2年4ヶ月の真実 『Gスピリッツ Vol.15』 pp4-11(2010年、辰巳出版ISBN 477780772X
  3. ^ 第一回大会のポスターには、IWGPのロゴの下に「テレビ朝日放映10周年記念」と銘打たれていた。
  4. ^ ディノ・ブラボーは「カナダの怪力」の触れ込みで参戦予定だったが、前夜祭に参加後「留守宅に強盗が入り、妻が心配だ」との理由で1試合も戦わずに急遽帰国した。
  5. ^ 試合は木曜日に行われ、翌金曜日午前の日本テレビ「ズームイン!!朝!」でも報道された。試合のテレビ放映は当日の夜であったため、結果的に各マスコミの一連の報道は、試合結果を先行して伝えることになってしまった。
  6. ^ なお、金曜日に予定通り放映された「ワールドプロレスリング」では、本文のとおり、くだんの試合を特にカットもせずに流した後、局内の調整室に陣取った古舘伊知郎と山本小鉄が、入院後の猪木の状況などを伝える場面が、番組の終わり際に挿入されている。
  7. ^ 全国紙では「読売新聞」「日本経済新聞」が報道を行い、他には「信濃毎日新聞」なども試合の様子を報じた。
  8. ^ a b c 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p81
  9. ^ 高橋は「どっちだったか忘れたが」としている
  10. ^ “蝶野がIGF版IWGP構想を始動”. デイリースポーツ. (2011年10月20日). http://www.daily.co.jp/ring/2011/10/20/0004560642.shtml