アレックス・スミルノフ

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アレックス・スミルノフ
プロフィール
リングネーム アレックス・スミルノフ
ミシェル "ル・ジュスティス" デュボア
マイク "ザ・ジャッジ" デュボア
セシル "ラ・マシーン" デュボア
本名 ミシェル・ラマルシュ
ニックネーム 流血怪人
身長 191cm - 195cm
体重 116kg - 125kg
誕生日 (1947-02-09) 1947年2月9日(70歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州の旗 ケベック州ラノディエール地域サン・ラン
スポーツ歴 レスリング[1]
トレーナー エドワード・カーペンティア[2]
デビュー 1969年
引退 1988年
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アレックス・スミルノフAlexis Smirnoff、本名:Michel Lamarche1947年2月9日 - )は、カナダケベック州出身の元プロレスラー

フランス系カナダ人であるが、キャリア全盛期はロシアギミック悪役レスラーとして活躍、日本では「流血怪人」の異名で知られた。

来歴[編集]

ハイスクール時代に学んだレスリングの経験を下地に、エドワード・カーペンティアのコーチを受け[2]1969年に地元ケベックのモントリオールにてデビュー[1]1970年代に入るとミシェル "ル・ジュスティス" デュボアMichel "Le Justice" Dubois)をリングネームに裁判官ギミックのヒールとして売り出され、ジノ・ブリットジョー・ルダックと抗争。カーペンティア、マッドドッグ・バションアブドーラ・ザ・ブッチャーザ・シークといった大物選手とも対戦してキャリアを積んだ[2]

マイク "ザ・ジャッジ" デュボアMike "The Judge" Dubois)の英名でカンザスシティアマリロなどアメリカ合衆国本土NWA圏にも進出、1974年2月には全日本プロレスに初来日している[3]1975年下期からはジム・クロケット・ジュニアが主宰していたミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングにて活動、サージェント・ジャック・グレイとフランス系ヒールのタッグチームを組み[2]1976年11月3日に行われたNWAミッドアトランティック・タッグ王座の争奪トーナメントでは、ティム・ウッズ&ディノ・ブラボーと決勝を争った[4]

1977年、同じくカナダ出身のイワン・コロフのアドバイスにより[2]ロシア人アレックス・スミルノフAlexis Smirnoff)に変身しサンフランシスコに登場。同地区のエースだったパット・パターソンと抗争を繰り広げ、4月16日にパターソンをロシアン・チェーン・マッチで下し、フラッグシップ・タイトルのUSヘビー級王座を奪取[5]。一躍脚光を浴び、その後もチェーン・デスマッチの名手として各地で活躍することとなる[1]。同年9月には、モントリオール時代からの旧知の間柄である大剛鉄之助の招聘で国際プロレスに初参加。来日中止となったエリック・ザ・レッドの代役としての参戦だったが、以降も同団体の常連外国人となり、再三に渡って来日した(後述)。

1970年代後半からは中西部CSWAWAにも参戦。CSWでは1978年1月7日、テッド・デビアスを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得[6]。4月6日にはブルドッグ・ボブ・ブラウンと組んでマイク・ジョージ&スコット・ケーシーからセントラル・ステーツ版NWA世界タッグ王座を奪取した[7]。AWAではバーン・ガニアの要請でフランス系カナダ人のキャラクターに戻り、セシル "ラ・マシーン" デュボアCecil "La Machine" Dubois)のリングネームで活動。ビル・ロビンソンスティーブ・オルソノスキーポール・エラリングフランク・ヒルルーファス・ジョーンズグレッグ・ガニアジム・ブランゼルなどと対戦したが[8][9]、本意ではなかったため短期間で離脱した[2]

その後はNWAの南部テリトリーを転戦。アラバマSECWでは1979年5月18日、ロン・ガービンを破りNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を獲得[10]ジム・バーネットが主宰するジョージアGCWではロシア系ギミックの先達イワン・コロフと組み、1979年12月7日にジェリー・ブリスコ&オレイ・アンダーソン1980年4月24日にトニー・アトラス&ケビン・サリバンからNWAジョージア・タッグ王座を奪取[11]エディ・グラハムが主宰するフロリダのCWFではコロフ&ニコライ・ボルコフとロシア人ユニットを結成し、ダスティ・ローデスディック・マードックバグジー・マグロージャック・ブリスコらと抗争した[12]1981年には古巣のモントリオールにてディノ・ブラボーを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだったインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[13]1982年3月7日にはノースカロライナ州グリーンズボロにてコロフと組み、アメリカ遠征に来ていた全日本プロレスのジャイアント馬場&天龍源一郎と対戦した[14]

1983年は旧友パット・パターソンの招きでWWFカリフォルニア地区での興行に出場し[15]、翌1984年からは、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でスタートした全米侵攻サーキットにも参加。フルタイムのレギュラー出場ではなかったものの、かつての主戦場だった西海岸や中西部では重要なタレントとして扱われ、1984年3月23日にはセントルイスのチェッカードームにてティト・サンタナWWFインターコンチネンタル・ヘビー級王座に挑戦[16]アンドレ・ザ・ジャイアントサージェント・スローターミル・マスカラスロッキー・ジョンソンブラックジャック・マリガンジミー・スヌーカイワン・プトスキーペドロ・モラレスなどトップスターとのシングルマッチも各地で組まれた[17][18](アンドレとはディック・マードック&アドリアン・アドニスと共にバトルロイヤルの決勝も争っている[19])。また、負傷したニコライ・ボルコフの代打としてアイアン・シークの臨時パートナーにも起用されており、シークとの反米タッグでブリティッシュ・ブルドッグスやドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)とも対戦している[20]

1986年の下期より、AWAに復帰してユーリ・ゴーディエンコ(ポール・デマルコ)とロシア人タッグを結成。マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズとAWA世界タッグ王座を争ったが[21]、当時のAWAは興行の規模も選手のレベルも全盛期とは比較にならないほど弱体化しており、話題を呼ぶには至らなかった。

1988年の引退後はカリフォルニア州のフリーモントに居住し、NBAゴールデンステート・ウォリアーズの広報業務などを担当した他、俳優として映画やテレビにも出演[2]1999年にはモントリオール地区のプロモーターだったジャック・ルージョー・シニアの息子、ジャック・ルージョー・ジュニアが主催したスペシャル・イベントにミシェル・デュボアの名義で出場し、ロニー&ジミー・ガービンとトリオを組んで久々にリングに上がった[22]。近年はフリーモントでパブを経営している[2]

日本での活躍[編集]

1974年のマイク・デュボア(日本での表記はマイク・デュボイス)名義での全日本プロレス初来日時は中堅クラスだったものの[23]、アレックス・スミルノフに改名後の1977年から1980年までは国際プロレスの看板外国人となって活躍し、IWA世界ヘビー級王座を巡りラッシャー木村と死闘を展開[1]1979年の『'79ビッグ・サマー・シリーズ』では、7月21日に新潟県村上市にて木村を破り第15代のIWA世界王者となっている[24]。4日後に静岡県三島市で行われたリターンマッチに敗れ短命王者に終わったが、狂乱の流血ファイターである一方で正統派レスリングにも優れた実力派のヒールとして、この時期の国際プロレスを支えた[25]グレート草津&アニマル浜口や浜口&マイティ井上が保持していたIWA世界タッグ王座にも、ミスター・ヒトジ・アトミック、ザ・USSR(チャーリー・フルトン)らをパートナーに従えて挑戦している[26]

また、無頼イメージを印象付けるアングルとして、カウボーイ・ボブ・エリスオックス・ベーカーモンゴリアン・ストンパーキラー・カール・クラップなど、同じシリーズに参加した先輩レスラーと頻繁に対立や仲間割れを起こしており、『'79ビッグ・サマー・シリーズ』におけるベーカーとのアングルはロシアン・チェーン・マッチによる木村への挑戦者決定戦にまで発展した(1979年7月10日、宮城県涌谷町にて行われ、結果はスミルノフのKO勝ち。この11日後、上記の村上大会においてスミルノフは木村からIWA世界王座を奪取している)[27]。『'79デビリッシュ・ファイト・シリーズ』におけるストンパーとのアングルでも、1979年11月16日に和歌山県立体育館にてジプシー・ジョー&キューバン・アサシンと組み、ストンパー&上田馬之助&鶴見五郎と6人タッグマッチで対戦している[28](涌谷大会、村上大会、和歌山大会とも、東京12チャンネル国際プロレスアワー』にて録画中継された[29])。

国際プロレス崩壊後の1981年下期には、当時外国人選手の引き抜き戦争を展開していた全日本プロレスと新日本プロレスの両団体で来日が発表され、新日本にはポスターに顔写真まで掲載されたものの、最終的には全日本に参戦。同年10月27日、北海道小樽市総合体育館にてジャンボ鶴田UNヘビー級王座に挑戦した[30]。その後も全日本プロレスの常連外国人となり、ジャイアント馬場&鶴田のインターナショナル・タッグ王座にも、1983年4月3日に新潟県三条市にてスタン・ハンセン[31]1984年2月28日には愛知県豊橋市にてブルーザー・ブロディと組んで挑戦したが[32]、国際プロレス時代のようなエース級の活躍は果たせなかった。

1981年当時は幻に終わった新日本プロレスへの参戦は1986年になって実現し、7月開幕の『バーニング・スピリット・イン・サマー』にてアントニオ猪木との5年越しの初対決が行われた[33]。翌1987年5月にはIWGPリーグ戦第5回大会に出場[34]。これが最後の来日となった[1]。なお、新日本プロレスには1980年6月にも、国際プロレスで共闘した上田馬之助の仲介により、タイガー・ジェット・シンのパートナーとして参戦が予定されていたことがある(当時の新日本プロレスは、外国人選手の斡旋も含めて国際プロレスと交流しており、スミルノフの新日本登場は新間寿のリクエストだったという[35])。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

イースタン・スポーツ・アソシエーション
NWAサンフランシスコ
セントラル・ステーツ・レスリング
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回[10]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
インターナショナル・レスリング・エンタープライズ
Lutte Internationale
  • IW北米ヘビー級王座(モントリオール版):1回
  • IWインターナショナル・ヘビー級王座(モントリオール版):1回[13]
  • IWインターナショナル・タッグ王座(モントリオール版):1回(w / Pierre Lefebvre)[39]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P68(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f g h Canadian Hall of Fame: Michel 'Le Justice' Dubois”. SLAM! Sports. 2009年3月19日閲覧。
  3. ^ AJPW 1974 Excite Series”. Puroresu.com. 2016年5月14日閲覧。
  4. ^ NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年1月20日閲覧。
  5. ^ a b NWA United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  6. ^ a b NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月6日閲覧。
  7. ^ a b NWA World Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月6日閲覧。
  8. ^ The AWA matches fought by Alexis Smirnoff in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年9月5日閲覧。
  9. ^ The AWA matches fought by Alexis Smirnoff in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年9月5日閲覧。
  10. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月6日閲覧。
  11. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  12. ^ The CWF matches fought by Alexis Smirnoff in 1980”. Wrestlingdata.com. 2013年9月6日閲覧。
  13. ^ a b International Heavyweight Title [Montreal]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  14. ^ The WCW matches fought by Alexis Smirnoff in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年9月5日閲覧。
  15. ^ The WWE matches fought by Alexis Smirnoff in 1983”. Wrestlingdata.com. 2014年9月5日閲覧。
  16. ^ The WWE matches fought by Alexis Smirnoff in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年9月5日閲覧。
  17. ^ WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2009年3月19日閲覧。
  18. ^ WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2009年3月19日閲覧。
  19. ^ DVD『WWE アンドレ・ザ・ジャイアント』(2008年、ジェネオン・エンタテインメント
  20. ^ WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2009年3月19日閲覧。
  21. ^ The AWA matches fought by Alexis Smirnoff in 1986”. Wrestlingdata.com. 2016年5月14日閲覧。
  22. ^ Rougeaus to battle Garvins, Dubois”. SLAM! Sports. 2009年3月19日閲覧。
  23. ^ 『Gスピリッツ Vol.11』P59(2009年、辰巳出版ISBN 4777806502
  24. ^ a b IWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月6日閲覧。
  25. ^ 『THE WRESTLER BEST 100』P218-219(1981年、日本スポーツ出版社)
  26. ^ 『忘れじの国際プロレス』P103(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802
  27. ^ IWE 1979 Big Summer Series”. Puroresu.com. 2016年5月14日閲覧。
  28. ^ IWE 1979 Devilish Fight Series”. Puroresu.com. 2016年10月18日閲覧。
  29. ^ 『忘れじの国際プロレス』P99(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802
  30. ^ AJPW 1981 Giant Series”. Puroresu.com. 2016年5月14日閲覧。
  31. ^ AJPW 1983 Grand Champion Carnival I”. Puroresu.com. 2016年5月14日閲覧。
  32. ^ AJPW 1984 Excite Series”. Puroresu.com. 2016年5月14日閲覧。
  33. ^ The NJPW matches fought by Alexis Smirnoff in 1986”. Wrestlingdata.com. 2016年5月14日閲覧。
  34. ^ NJPW 1987 IWGP Champion Series”. Puroresu.com. 2016年5月14日閲覧。
  35. ^ 『Gスピリッツ Vol.39』P73(2016年、辰巳出版、ISBN 4777816699
  36. ^ North American Heavyweight Title [Maritimes]”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月27日閲覧。
  37. ^ International Tag Team Title [Maritime Provinces]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月16日閲覧。
  38. ^ NWA World Tag Team Title [San Francisco]”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月6日閲覧。
  39. ^ International Tag Team Title [Montreal]”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月6日閲覧。

外部リンク[編集]