井上義啓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

井上 義啓(いのうえ よしひろ、男性、1934年7月20日2006年12月13日)は、『週刊ファイト』の元編集長。本名は井上力。岡山県出身。

概要[編集]

活字プロレス』の始祖。新大阪新聞社の社会部、運動部を経て、1967年より『週刊ファイト』の初代編集長。通称「I(アイ)編集長」。

『ファイト』紙ではアントニオ猪木を中心に扱い自らの個性を濃厚に反映させた紙面作りを行い、その編集スタイルはターザン山本らのいわゆる「活字プロレス」に大きな影響を与えた。

プロレスは底が丸見えの底なし沼」「平成のデルフィンたち(平成時代のプロレスに熱狂するファンを形容)」「バードバーリトゥードに対し彼だけが使った略称)」「殺し」などの名文句で知られる。

酒、タバコを一切やらず、生涯独身を貫き(若い頃住んでいたアパートの隣室の若夫婦の喧嘩が絶えず、結婚に対して悲観的になった)、人生のほとんど全部を仕事、すなわちプロレスにつぎ込んだ。日頃の取材活動の傍ら、オフィスにいるときにファンから電話がかかってくると、そのファンを会社近くの喫茶店に呼び出し、長時間にわたってプロレス談義をすることもあったという。後に井上の談話が『喫茶店トーク』と呼ばれるようになったのはこれに由来する。

裏情報に近い記事を出してしまったことで力道山の怒りを買い、身の危険を感じる時代も経験した。猪木シンパと思われているが、実際は当時マイナーだった国際プロレス、女子プロレスにもページを割いており、特に偏見が強かった全日本女子プロレスデイリースポーツとともに支えていた。猪木に傾倒するあまりジャイアント馬場をはじめとする全日本プロレスとの関係は決して良くなかったが、四天王プロレスが花開いた頃からは絶賛するようになった。