馬場元子

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馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャイアント馬場夫人で元全日本プロレス社長、元全日本プロレスオーナー。兵庫県明石市出身。

ジャイアント馬場の肖像権などの管理会社である株式会社ミスタービィの社長を務める。2014年、全日本プロレス(オールジャパン・プロレスリング)の親会社、全日本プロレス・イノベーションの取締役に就任。

来歴[編集]

兵庫の旧家で育ち、15歳の時に自宅近所でキャンプを行っていた読売ジャイアンツ投手・馬場正平と出会う。馬場の野球選手時代を知る数少ない人物の一人でもある。

以降、アメリカに留学していた際に馬場もプロレスラーとして遠征していたことから交際が始まり、1966年に婚約。だが、その事実は一般ファンには、馬場自身が1982年に結婚生活を送っていることを公表するまで長く伏せられていた。子供はいない。

馬場夫妻が経営するジャイアント・サービスを通じてグッズ販売を独占し、全日本プロレスとは別会計で同社に入るようにしていた。そのため選手にロイヤリティは入らなかった。

1999年、ジャイアント馬場が逝去。三沢光晴社長下となった新役員体制で全日本プロレス取締役となる。しかし、株式は元子が保有していたため、三沢は思ったように舵が取れず、改革を訴える三沢に対し、度々反発していた。

2000年、三沢以下社員40名以上が全日本を退社、プロレスリング・ノアを立ち上げ、元子は全日本プロレス代表取締役社長に就任する。この時全日本に残った選手は、川田利明渕正信の日本人2人のほかはみな外国人選手で、天龍源一郎を復帰させるなど苦しいやりくりを強いられた。新日本プロレスとの対抗戦を経て武藤敬司が全日本に移籍、社長となったが、株式を元子が保有している状況は変わらなかった。

団体そのものの存続に危機感を抱いた和田京平らは、川田利明、渕正信、和田京平のプロパー3人の連名で「武藤社長への株式譲渡を求める。拒否された場合は全選手と社員で全日本プロレスを離脱する」という主旨の文書を元子に提出。その結果、全日本プロレスの株式85%を武藤に無償譲渡し、オーナーを退いた。

2009年の三沢の葬儀に参列して公の場に久々に姿を表した。

2014年7月、全日本プロレス・イノベーションの取締役に就任。

2014年10月22日、全日本プロレス後楽園大会で約12年ぶりに全日マットに登場してリング上から挨拶した[1]

著作物[編集]

著書[編集]

監修書[編集]

  • 『王者の魂』 2005年 駒草出版 ISBN 4-906082-93-9
  • 『ジャイアント馬場王道ミュージアム』 構成:市瀬英俊 2005年 エンターブレイン ISBN 4-7577-2186-2

脚注[編集]

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