軽井沢町
かるいざわまち ![]() 軽井沢町 | |||||||
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国 |
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地方 | 中部地方、甲信越地方、信越地方 | ||||||
都道府県 | 長野県 | ||||||
郡 | 北佐久郡 | ||||||
市町村コード | 20321-1 | ||||||
法人番号 |
8000020203211 ![]() | ||||||
面積 |
156.03km2 | ||||||
総人口 |
19,599人 [編集] (推計人口、2022年7月1日) | ||||||
人口密度 | 126人/km2 | ||||||
隣接自治体 |
佐久市、北佐久郡御代田町 群馬県:高崎市、安中市、甘楽郡下仁田町、吾妻郡長野原町、嬬恋村 | ||||||
町の木 | コブシ | ||||||
町の花 | サクラソウ | ||||||
他のシンボル |
町の鳥:アカハラ 町の動物:ニホンリス | ||||||
軽井沢町役場 | |||||||
町長 | 藤巻進 | ||||||
所在地 |
〒389-0192 長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2381-1 北緯36度20分54秒 東経138度35分49秒 / 北緯36.34842度 東経138.59703度座標: 北緯36度20分54秒 東経138度35分49秒 / 北緯36.34842度 東経138.59703度 軽井沢町役場 | ||||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||||
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ウィキプロジェクト |
軽井沢町(かるいざわまち)は、長野県東信地方の町。北佐久郡に属し、浅間山東南麓に位置する。
日本有数の高原リゾート都市である[1]。日本で最も古く、また最も有名な避暑地・別荘地の1つであり、19世紀以来、西洋人をはじめ多くの人々が好んで滞在してきた町として知られる[2][3]。
概要・特徴[編集]

町の北側は森林に広く覆われ、浅間山や上信越高原国立公園へと続いており、南側は草原や田園やゴルフ場が多く分布し、雄大なパノラマ風景が広がっている。町内には別荘、教会、リゾートホテル、レストラン、カフェ、美術館などが点在しており、年間を通じてハイキング、サイクリング、乗馬、ドライブ、ショッピング、ガストロノミー(美食)などを楽しむことができ、夏はゴルフやテニス、冬はスキーやスケートといった屋外レクリエーションに適する。
江戸時代までは中山道の宿場町(軽井沢宿)として栄えたが、明治時代に入ると衰退。そんな中イギリス系カナダ人宣教師によって、その西洋に似た気候風土から1880年代に避暑地・別荘地として開拓され、それ以降高い人気を博している。
明治から昭和前期にかけて、「日本の中の西洋」と言われるまでに聖職者や外交官など毎夏千数百名の外国人が滞在、全国で最も外国人に人気のある夏のリゾート地となり(「日本三大外国人避暑地」も参照)、キリスト教をはじめとする西洋文化が流入した。大正期からは、外国人に倣って日本の上流階級も数多く滞在、皇族や華族、政財界の要人らの別荘が次々と建設され、社交界の舞台となった。加えて同時期から学者や小説家、画家、音楽家などの文化人も数多く滞在し、サロンの舞台にもなる。第二次世界大戦下には、枢軸国・中立国13ヵ国の大公使館と一般外国人千数百名の疎開先となり、連合国軍による空襲は行われなかった。戦後になると、外国人避暑客は減少するもののその知名度は日本人の間で全国的に拡大、高度経済成長期からバブル期にかけての別荘ブーム、アンノン族によるペンションブーム、平成期における通年型観光地への脱皮などを経て、今日に至るまでに発展した。
町全体が別荘地として整備されており、現在では町内における別荘・保養施設数が1万6000軒を超え、持ち家数の1.5倍以上に及んでいる[5]。別荘所有者による固定資産税の納入(全体の約80%[6])などから、財務状況が優良な地方自治体であり、県内唯一の地方交付税不交付自治体となっている。
また別荘地であるとともに、三大都市圏や海外から大勢の観光客が訪れる一大観光地でもある。2019年には、約840万人の観光客が訪れた[5]。町の観光ビジョンは、堀辰雄による当地を舞台とした小説の題名より、『美しい村』とする。
近年では、静養や観光目的以外に、ワーケーションや移住先としても大きな関心が寄せられている[7]。
地方自治研究機構が2012年に発表した「軽井沢町観光振興調査研究事業報告書」によれば、人々が軽井沢に対して抱いているイメージや魅力として、美しい自然や景勝地が豊富で、街並みが美しく、気候や風土が健康に良い避暑地、洗練されていて、おしゃれ、国際的で高級感や上質感もあり、文化的で芸術的な雰囲気、ショッピングが楽しめ、魅力的な料理店やレストランもある、アクティビティ活動が豊富、などが特筆して挙げられている[8]。ブランド総合研究所が毎年発表している「市区町村魅力度ランキング」では、調査開始時(2007年[注釈 1])より全国1000市区町村の中で常にトップ20にランクインしており、長野県下では1位を維持している。
日本で初めて「高原」と冠された地であり[9]、日本における高原野菜[10]、林間学校[11]、テニスブーム[12]、キリスト教式結婚式ブーム[13]、リゾートウェディング[14]の発祥となった町である。また、現在では日本を代表する一大企業グループとなった『西武グループ』の土地開発事業の原点となった町であり、現在では世界中に展開されているホテルチェーンである『星野リゾート』や『プリンスホテル』の誕生の地でもある。日本で初めて分譲別荘地の開発[11]や建売別荘の販売[15]も行われている。また「日本三大野鳥生息地」の一つに数えられ[16]、町内には日本初[17]の『国設野鳥の森』がある。上皇明仁と上皇后美智子が出会った町、ジョン・レノンが長く滞在した町としても知られている。さらに、世界選手権出場経験のあるカーリングチーム『SC軽井沢クラブ』『中部電力カーリング部』の本拠地であるほか、世界最高峰の料理コンクール『ボキューズ・ドール』の日本代表に町内から歴代3名[注釈 2]を輩出している。
人口約2万人の小さな都市ながら、古くから国際交流が盛んであり、「国際観光文化都市」に指定されている。軽井沢は明治から昭和前期にかけて、アジア各国に駐在する宣教師らによる国際会議・極東大会の開催地となり、また外国人避暑客と日本人避暑客が私的に交流する場でもあった。戦後は日本ジャンボリー、世界オールラウンドスピードスケート選手権大会、アイゼンハワートロフィーといった種々の国際イベント・国際大会も多数開催されている。1917年から毎年開催されている軽井沢国際テニストーナメントは、現存する日本最古[18]のテニストーナメントである。1964年東京オリンピックでは馬術、1998年長野オリンピックではカーリングの競技会場になり、世界で初めて[19]、夏季・冬季両方のオリンピック競技会場とされた町である。2014年には、軽井沢国際カーリング選手権大会がアジア初[20]となるワールドカーリングツアーへの参加を果たした。2014年からは日本初の全寮制インターナショナル・スクールで国内唯一のUWC加盟校である『ISAK Japan』が開校している。また、2016年にはG7関係閣僚会合、2019年にはG20関係閣僚会合の開催地となった。
健康保養地(保健休養地)としての特性から、条例などによってあらゆる面で独自の制限がかけられている。景観面では厳しい建築規制が設けられており、生活面では深夜営業や風俗営業・性風俗関連特殊営業の禁止、歓楽街の排除などが行われている。それに関連して、景観保護活動や自然保護運動が複数の団体によって活発に行われており、著名人も多く参加している。また、町内には主に明治から昭和前期にかけての歴史的建造物が多数現存しており、「ナショナル・トラスト」「ブルー・プラーク」等による保存運動も活発である。
「かるいさわ」と発音されることもある。地名の由来など、詳細は「軽井沢#語源」を参照。
地理[編集]
四方を山や丘陵に囲まれた高原であり、起伏豊かな地形を形成している。また水資源が豊富であり、町内には滝や、河川を堰き止めた湖・池が多く見られる(#景勝地参照)。町の北側一帯は上信越高原国立公園であり、重要野鳥生息地(IBA)、国指定鳥獣保護区に指定されている。
- 最高地点 2,568メートル(浅間山山頂)
- 最低地点 798.7メートル
- 軽井沢駅は標高約940メートル。
山地[編集]
河川[編集]
気候[編集]
軽井沢 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ケッペンの気候区分において、亜寒帯湿潤気候(Dfb)となっている。また、標高約1,000メートル前後と高地にあるため、冬の寒さは厳しく夏は涼しいという、典型的な高原型避暑地の気候である。夏季の平均気温は20℃前後、冬季は平均気温が零下になる。夏季は降水量が多いが、冬はさほど多くなく、豪雪地帯ではない。年間100日以上霧が発生し[21]、湿度は年平均で80%程度となる(ただし、年間を通じて気温が低いために不快感をもたらすことは少ない)[22]。
- 気温 - 最高34.2℃(1946年(昭和21年)7月16日)、最低-21.0℃(1936年(昭和11年)3月1日)
- 最大降水量 - 318.8ミリメートル(1949年(昭和24年)8月31日)
- 最大瞬間風速 - 36.3メートル(1959年(昭和34年)8月14日)
- 最深積雪 - 99センチ(2014年(平成26年)2月15日)
- 夏日最多日数 - 85日(2010年(平成22年))
- 真夏日最多日数 - 22日(1995年(平成7年))
- 猛暑日最多日数 - 0日(1955年~2013年)
- 熱帯夜最多日数 - 0日
- 冬日最多日数 - 180日(1943年(昭和18年)寒候年)
軽井沢町大字追分(軽井沢特別地域気象観測所、標高999m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.1 (61) |
18.8 (65.8) |
22.6 (72.7) |
28.3 (82.9) |
29.5 (85.1) |
32.1 (89.8) |
34.2 (93.6) |
33.9 (93) |
31.3 (88.3) |
27.7 (81.9) |
22.3 (72.1) |
20.7 (69.3) |
34.2 (93.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 2.3 (36.1) |
3.5 (38.3) |
7.8 (46) |
14.3 (57.7) |
19.2 (66.6) |
21.5 (70.7) |
25.3 (77.5) |
26.3 (79.3) |
21.7 (71.1) |
16.2 (61.2) |
11.2 (52.2) |
5.3 (41.5) |
14.6 (58.3) |
日平均気温 °C (°F) | −3.3 (26.1) |
−2.6 (27.3) |
1.1 (34) |
7.0 (44.6) |
12.3 (54.1) |
16.0 (60.8) |
20.1 (68.2) |
20.8 (69.4) |
16.7 (62.1) |
10.5 (50.9) |
4.8 (40.6) |
−0.5 (31.1) |
8.6 (47.5) |
平均最低気温 °C (°F) | −8.2 (17.2) |
−8.0 (17.6) |
−4.5 (23.9) |
0.6 (33.1) |
6.3 (43.3) |
11.8 (53.2) |
16.4 (61.5) |
17.1 (62.8) |
13.0 (55.4) |
6.3 (43.3) |
−0.2 (31.6) |
−5.3 (22.5) |
3.8 (38.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −20.3 (−4.5) |
−19.6 (−3.3) |
−21.0 (−5.8) |
−11.6 (11.1) |
−6.1 (21) |
−0.9 (30.4) |
5.0 (41) |
7.0 (44.6) |
−0.2 (31.6) |
−6.5 (20.3) |
−11.8 (10.8) |
−18.0 (−0.4) |
−21.0 (−5.8) |
降水量 mm (inch) | 36.8 (1.449) |
36.8 (1.449) |
68.3 (2.689) |
81.0 (3.189) |
108.8 (4.283) |
154.6 (6.087) |
191.8 (7.551) |
141.6 (5.575) |
193.5 (7.618) |
151.1 (5.949) |
52.5 (2.067) |
29.6 (1.165) |
1,246.2 (49.063) |
降雪量 cm (inch) | 44 (17.3) |
38 (15) |
33 (13) |
5 (2) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
1 (0.4) |
19 (7.5) |
141 (55.5) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 6.8 | 6.8 | 9.8 | 10.3 | 11.3 | 14.7 | 17.0 | 13.1 | 13.2 | 10.4 | 6.8 | 6.3 | 126.5 |
平均降雪日数 | 20.2 | 17.5 | 15.4 | 4.8 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.1 | 3.2 | 15.7 | 75.8 |
% 湿度 | 76 | 74 | 72 | 70 | 75 | 85 | 87 | 87 | 89 | 87 | 80 | 78 | 80 |
平均月間日照時間 | 181.6 | 191.8 | 194.8 | 204.6 | 198.5 | 144.8 | 138.6 | 162.7 | 126.6 | 140.3 | 162.5 | 171.9 | 2,022 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1925年-現在)[23][24] |
隣接する自治体[編集]
歴史[編集]
![]() アレクサンダー・クロフト・ショー。当地を生涯の避暑地とし、その魅力を国内外に紹介した。 ![]() 雨宮敬次郎。明治期に大規模な開墾事業を行う。 ![]() 堤康次郎。大正期より大規模な別荘地開発、観光地開発を行う。 |
- 縄文時代中期から後期 - 当町の南部に、北方文化形式の最南端の遺跡が所在[25]。
- 鎌倉時代 - 長倉牧が置かれる[25]。
- 1596年-1615年(慶長年間) - 中山道が整備され、これ以降、浅間三宿(軽井沢宿・沓掛宿・追分宿)が繁栄する[25]。
- 江戸時代 - 小諸藩領となる[25]。
- 1622年(元和8年) - 徳川忠長領となる[25]。
- 1624年(寛永元年) - 小諸藩領へ戻る[25]。
- 1662年(寛文2年) - 甲府藩領となる[25]。
- 1682年(天和2年) - 坂木藩領となる[25]。
- 1688年-1704年(元禄年間) - 幕府領となる[25]。
- 1783年8月5日(天明3年7月8日) - 浅間山が天明の大噴火を起こす。
- 1884年5月 - 碓氷新道が竣工[25]。
- 1885年 - 横川-軽井沢間に馬車が通る[25]。
- 1886年 - カナダ人の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーと東京帝国大学英文科講師ジェームズ・メイン・ディクソンが軽井沢を避暑地として紹介[25]。
- 1888年9月5日 - 横川駅 - 軽井沢駅間で碓氷馬車鉄道が営業開始。
- 1888年12月1日 - 直江津駅 - 軽井沢駅間の官設鉄道(後の信越本線→しなの鉄道線)の駅として、軽井沢駅開設。
- 1893年4月1日 - 官設鉄道 横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠区間)、アプト式ラックレールを採用し開業。これに伴い、碓氷馬車鉄道は廃線。
- 1893年 - 八田裕次郎(海軍大佐)が日本人として初めて別荘を建てる[25]。
- 1894年 - 亀屋ホテル(後の万平ホテル)創業。
- 1906年 - 三笠ホテルが開業。
- 1909年 - 国有鉄道線路名称制定に伴い、高崎駅 - 新潟駅間を信越線(しんえつせん)と命名。
- 1912年 - 信越線 横川駅 - 軽井沢駅間が電化。
- 1912年 - 半田善四郎が土地分譲・別荘分譲を始める[25]。
- 1914年 - 信越線 高崎駅-新潟駅間が信越本線に改称。
- 1916年 - 野澤源次郎[26]が土地分譲・別荘分譲を始め、島田三郎らにより軽井沢避暑団が設立される[25]。
- 1918年 - 堤康次郎が沓掛区有林を買収し、千ヶ滝一帯に別荘地を形成[25]。
- 1920年 - 堤康次郎が鬼押出しを買収する[25]。
- 1920年 - 堤康次郎が大字発地の原野を買収、南軽井沢と名付け一帯に別荘地・競馬場・飛行場を形成。
- 1926年 - 草軽電気鉄道の延伸が終了し、軽井沢から草津温泉まで列車に乗って向かうことができるようになる。
- 1941年ころ - 外国人の強制疎開、各国大使館・民間人・学童疎開などで人口が急増[25]。
- 1945年 - ホテルやゴルフ場が米軍へ接収される[25]。
- 1947年 - 満州からの大日向開拓団が借宿の国有林に入植[25]。避暑客のための臨時列車が運行開始[25]。
- 1951年 - 国際親善文化観光都市指定。
- 1956年 - 軽井沢スケートセンター営業開始[25]。
- 1963年 - 世界オールラウンドスピードスケート選手権大会開催[25]。
- 1964年 - 東京オリンピック開催(総合馬術)。
- 1962年 - 国土計画が南軽井沢に「レイクニュータウン」の造成を開始。
- 1970年3月18日 - 軽井沢駅前で火災が発生。商店、住宅などの密集地に加え水の便が悪かったため28戸が全焼[27]。
- 1971年11月11日 - 碓氷バイパス開通。
- 1972年2月19日 - 28日 - あさま山荘事件。
- 1973年8月1日 - 町民憲章制定
- 1974年 - 「レイクニュータウン」に三越百貨店ファッション館「三越シュベルニー城」が開業。
- 1981年4月1日 - 防災行政無線運用開始。
- 1993年3月27日 - 上信越自動車道藤岡IC-佐久IC間開通。碓氷軽井沢IC(群馬県碓氷郡松井田町(現・安中市)内)開設。
- 1995年7月22日 - 西武プロパティーズ(2009年7月1日まで西武商事株式会社)が軽井沢駅南口前にアウトレットモール「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」を開業。
- 1997年10月1日 - 北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間開業。これに伴い、信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間は廃止され、ジェイアールバス関東碓氷線に転換。軽井沢駅 - 篠ノ井駅間はしなの鉄道に移管し、しなの鉄道線に改称。
- 1998年 - 長野オリンピック開催(カーリング)。
- 2001年9月 - 三越ファッション館「三越シュベルニー城」が閉館。
- 2002年11月1日 - 青少年委員会などにより、防災行政無線放送等変更。
- 2009年7月11日 - 星野リゾートが中軽井沢・星野区に「ハルニレテラス」を開業。
- 2015年4月1日 - 防災行政無線放送等変更。
行政区域の変遷[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、軽井沢村・峠町および長倉村の一部(沓掛・塩沢新田・借宿)の区域をもって東長倉村が発足。
- 1923年(大正12年)8月1日 - 東長倉村が町制施行・改称して軽井沢町となる。村制時の3大字を継承[25]。
- 1942年(昭和17年)5月8日 - 西長倉村を編入。同村大字長倉を当町大字長倉に編入。他に2大字を加えて5大字となる[25]。
- 1957年(昭和32年)2月1日 - 御代田町の一部(茂沢の一部)を編入[28]。大字茂沢が起立して6大字となる[25]。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 追分の一部(西鰍沢)が御代田町に編入[29]。
- 1960年(昭和35年)3月 - 沓掛区を「中軽井沢」に改称。大字長倉の一部より中軽井沢地区が起立[25]。
- 1971年 - 区画整理事業により、大字軽井沢の一部より軽井沢地区が起立[25]。
- 1973年 - 区画整理事業により、大字軽井沢の一部より軽井沢東地区が起立し、6大字・3地区となる[25]。
人口[編集]
2021年現在まで、人口[30]、別荘数[31]ともに長らく増加傾向が続いてきたが、特に新型コロナウイルスが流行して以降、その増加率は高まりを見せている[32]。地方移住の需要増加により、2020年の同町の人口(転入)は全国の町村で最も高くなり[33]、住宅地、商業地ともに地価は上昇、住宅地の上昇率は県内トップであった[7]。また、国内リゾートの需要増加により、別荘地の地価も上昇、一部報道では物件不足とまで言われている[34]。この傾向は、コロナ収束後も急に冷え込むとは考えにくいとされており[34]、町は歓迎しつつも、乱開発やブランドイメージ低下につながらないよう、注意深く見守るとしている[32]。
![]() | |
軽井沢町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 軽井沢町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 軽井沢町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
軽井沢町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
軽井沢町民憲章[編集]
わたくしたちは、雄大な浅間山にいだかれた高原の町軽井沢の町民です。
わたくしたちは、国際親善文化観光都市の住民にふさわしい世界的視野と未来への展望に立って、ここに町民憲章を制定します。
- 一 世界に誇る清らかな環境と風俗を守りつづけましょう
- 一 すべての来訪者に心あたたかく接しましょう
- 一 かおり高い伝統と文化を育てあげましょう
- 一 緑ゆたかな高原の自然を愛しまもりましょう
- 一 明るい家庭と伸びゆく町を築きあげましょう
出典:[35]
行政[編集]
議会[編集]
町議会[編集]
長野県議会(佐久市北佐久郡選挙区)[編集]
衆議院[編集]
- 選挙区:長野3区(上田市、小諸市、佐久市、千曲市、東御市、南佐久郡、北佐久郡、小県郡、埴科郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:399,168人
- 投票率:59.32%
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 井出庸生 | 43 | 自由民主党 | 前 | 120,023票 | ○ |
比当 | 神津健 | 44 | 立憲民主党 | 新 | 109,179票 | ○ |
池高生 | 53 | NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で | 新 | 3,722票 | ○ |
姉妹都市[編集]
カンポス・ド・ジョルドン市(ブラジル・サンパウロ州)1968年6月締結
ウィスラー市(カナダ・ブリティッシュコロンビア州)1999年3月3日締結
バギオ市(フィリピン・ベンゲット州)2005年締結
教育[編集]
学校[編集]
- 信州大学軽井沢オフィス
- 長野県軽井沢高等学校
- 軽井沢町立軽井沢中学校
- 学区:町内全区域
- 軽井沢町立軽井沢東部小学校
- 学区:峠町区、小瀬区、旧軽井沢区、新軽井沢区、成沢区、南ケ丘区、南軽井沢区、離山区
- 軽井沢町立軽井沢中部小学校
- 学区:塩沢区、中軽井沢区、古宿区、星野区、塩壷区、千ヶ滝中区、千ヶ滝西区、鳥井原区、油井区、馬取区、上発地区、下発地区、杉瓜区、風越団地区、ニュータウン区
- 軽井沢町立軽井沢西部小学校
- 学区:借宿区、大日向区、追分区、三ツ石区、茂沢区、浅間台団地区、つくしヶ丘区
- 軽井沢風越学園(私立)
- ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン(私立)
- 軽井沢西保育園
- 軽井沢中保育園
- 軽井沢東保育園
- 軽井沢南保育園
- 聖ヨゼフ保育園
- 聖パウロ幼稚園
学校の保養施設[編集]
- 追分寮(東洋英和女学院)[39]
- 追分寮(東京都立八潮高等学校)[40]
- 追分寮(青山学院高等部)[41]
- 追分寮(三輪田学園中学校・高等学校)[42]
- 追分山荘(鷗友学園女子中学校・高等学校)[43]
- 軽井沢寮(共立女子学園)[44]
- 軽井沢寮(東京女学館)[45]
- 三泉寮(日本女子大学)[46]
など
社会教育施設[編集]
一部冬季休館する施設がある。
町立[編集]
- 軽井沢町立図書館(中軽井沢図書館、離山図書館)
- 軽井沢町歴史民俗資料館
- 軽井沢町追分宿郷土館
- 旧近衛文麿別荘・市村記念館
- 軽井沢町植物園(風越公園内)
- 軽井沢型絵染美術館(個人のギャラリーであるが、2000年(平成12年)に施設・所蔵品全部が町に寄贈され開館した)
- 室生犀星記念館(金沢市の施設とは別)
- 堀辰雄文学記念館
- ショーハウス記念館
- 大日向開拓記念館(大日向公民館内)
- 旧雨宮邸・蔵「ギャラリー蔵」(貸しスペース)
- (旧)軽井沢駅舎記念館(2017年(平成29年)3月31日閉館。建物は町有のまましなの鉄道に貸し出され駅舎に改装された。同年10月27日よりしなの鉄道軽井沢駅旧駅舎口となった。同日、駅舎内に子供向けレクリエーション施設「森の小リスキッズくらぶ」が開業した。2018年(平成30年)3月には「森の小リスキッズステーションin軽井沢」や駅ナカ商業スペース「しなの屋KARUIZAWA」もオープンした[47]。
私立[編集]
- 中山道69次資料館
- セゾン現代美術館
- ルヴァン美術館
- 軽井沢タリアセン - 軽井沢高原文庫、ペイネ美術館、深沢紅子野の花美術館、旧朝吹山荘「睡鳩荘」
- ムーゼの森 - 軽井沢絵本の森美術館、エルツおもちゃ博物館
- 小さな美術館軽井沢草花館
- 軽井沢千住博美術館
- 軽井沢現代美術館
- 軽井沢ニューアートミュージアム
- 田崎美術館
- 旧軽井沢森ノ美術館(トリックアートミュージアム旧軽井沢)
- 脇田美術館
- 軽井沢小さなカルタ館
- 軽井沢上野美術館
- 南ヶ丘美術館・三五荘資料館
- 浅見光彦記念館・浅見光彦倶楽部クラブハウス
- BITOHAエフェクト・アート&デザイン(貸しスペース)
- 軽井沢ワールドトイミュージアム(2007年(平成19年)11月26日閉館)
産業[編集]


北陸新幹線やしなの鉄道線、浅間サンラインや日本ロマンチック街道を介して隣接する、長野県の御代田町・小諸市・佐久市・東御市・上田市、群馬県の嬬恋村・長野原町・草津町・安中市・下仁田町と大規模な経済圏を形成しており、軽井沢町はその中核をなす(近年では「大軽井沢経済圏」という呼称がある)[48][49]。また軽井沢町は、東日本からの長野県への玄関口としての役割も担っている[50]。
立地企業[編集]
2021年3月、藤巻進町長は記者会見で、隣接する市町村に所在する企業などに「軽井沢」の名称を適切に使うよう要望した[51]。なお、町内に大規模な工場を建設することは規制されているため、軽井沢と称する企業や軽井沢に所在する企業などによる大規模な工場は、近隣の自治体に置かれている(御代田町#産業などを参照)。
- 星野リゾート
- FM軽井沢
- 協和ビジョン
- ヤッホーブルーイング
- 軽井沢ブルワリー
- 丸山珈琲
- フォンス(飲食店『ベーカリー&レストラン 沢村』『酢重正之』『川上庵』の運営)
- 笹沢建設(町内の建築を多数手掛ける)
ほか多数
歴史的に避暑客のために別地域から夏季限定で出店する形をとる商店が多かった軽井沢町では、軽井沢町にある店舗が最も著名であっても、創業地や本社・本店は別地域にあるという企業は多く、それは大きな特色となっている。
また、軽井沢の大正期以降のリゾート地としての大きな発展は、西武グループとともにあるといっても過言ではなく、現在でも西武は軽井沢に広大な土地を所有・管理しており、同地のリゾート産業を支えている。
特産品[編集]
- 明治時代に外国人向けに始められた伝統工芸。
- 霧下野菜
- 明治時代に、外国人の食生活に必須な冷蔵庫の冷却機能として使うため、天然氷を氷室に貯蔵し、各別荘の冷蔵庫の大きさに合わせて切断した氷を定期的に配達したのが始まり[52]。町内にある蔵元は、現在では1ヶ所(渡辺商会)のみ。
ウイスキーの銘柄『軽井沢』は世界トップの評価を受けたことで世界的にも知られるが、その蒸留所(メルシャン軽井沢美術館)は、実際には隣接する自治体の御代田町に存在していた。同じく町内に本社を構えるクラフトビール製造会社の『ヤッホーブルーイング』『軽井沢ブルワリー』の2社についても、その醸造所は隣接する自治体の佐久市に存在している。これらの理由については、前述の#立地企業で記したとおり。
企業の保養施設[編集]
ほか多数
交通[編集]
鉄道[編集]
堤康次郎の存命中には西武秩父線の軽井沢駅延伸の計画も存在していたという噂があったが、康次郎存命中の1953年(昭和28年)に西武鉄道に入社し、後に同社の常務取締役を務めた長谷部和夫によると、「これは全くのデマで、当社としては与り知らぬこと(で)あります。ただし、長尾根地区の開発に絡んで西武秩父駅から空中索道などによる何らかの交通機関を検討していたのを地元の方々が希望を交え、このようなことが言われはじめたのではないかと考えられます。」[53]と否定している。
道路[編集]
- 国道18号
- 国道146号(日本ロマンチック街道)
- 県道43号下仁田軽井沢線(プリンス通り)
- 県道80号小諸軽井沢線(浅間サンライン)
- 県道92号松井田軽井沢線
- 県道133号旧軽井沢軽井沢停車場線
- 県道137号借宿小諸線
- 県道157号豊昇茂沢中軽井沢停車場線
- 浅間-白根火山ルート鬼押ハイウェー(有料道路)
- 白糸ハイランドウェイ
- 妙義荒船林道
バス[編集]
名所・旧跡・観光スポット[編集]
以下は、戦前に外国人向けに出版された軽井沢への旅行案内の一部である。
A lover of beautiful landscapes rich with foliage and wild flowers will want to repeat this walk again and again, as the pleasure of studying the untrustworthy Asama from a safe distance grows on one … In June a host of odorless azaleas flame amid the green grass and young pines of the hillside and idealize the beautiful landscape. (木の葉と野花が生い茂る美しい風景を愛する人は、信頼できない浅間山を安全な距離から調査する楽しみが一気に高まるなか、この散歩を何度も繰り返したくなることでしょう… 6月になると、匂いをもたない無数のツツジが青い草原や若いカラマツの間に咲き乱れ、理想的な美しい風景となります。)—Thomas Philip Terry, "Terry’s Japanese Empire: A Guide for Travelers"[54], 1919
It suits all tastes. Some go there for rest and quiet and the opportunity to study; others look forward to the golf, tennis, […] . The botanist, the bird-lover, and the entomologist all find themselves in the happiest of hunting-grounds. For the hiker, Karuizawa is beyond compare as the starting point for day-long walks through the woods and over the hills, and also for more ambitious trip to Ikao, Kusatsu, Nikko, or the Japan Alps.(すべての人の好みに合います。休息と静寂、そして勉強の機会を求めて行く人もいれば、ゴルフ、テニス、(中略)などを楽しみにする人もいます。植物学者、野鳥愛好家、そして昆虫学者は皆、最も幸せなハンティング・グラウンドにいることに気付きます。ハイカーにとっても、軽井沢は、森の中や丘の上を一日かけて歩くための出発地点として、また、伊香保、草津、日光、日本アルプスなどへの野心的な旅行のための出発地点として、比類のない場所です。)—Edward Vivian Gatenby, "Karuizawa and Nojiri"[55], 1935
名所・旧跡[編集]
- 旧軽井沢メインストリート(旧軽井沢銀座)
- 旧三笠ホテル(町有)
- 八田別荘(町有)
- 旧田中角榮家別荘(元徳川圀順軽井沢別荘)(公益財団法人田中角榮記念館所有。非公開)
- 追分宿
- 幸福の谷
- 軽井沢町旧スイス公使館(指定有形文化財)
- 軽井沢外国人墓地
景勝地[編集]
見晴台は江戸時代以来の景勝地で、群馬県安中市松井田町側に跨る峠町の茶店各店も当時から営業。他は軽井沢が避暑地になってから造成されたり、人の手が加えられている場所が多い。雲場池・レマン湖((南)軽井沢湖)・塩沢湖は近代以降の人造湖。白糸の滝も人工的に拡張・改変されている。
- 雲場池・雲場川風致地区(池の水源はホテル鹿島ノ森の敷地内の湧水「御膳水」)
- 軽井沢レイクガーデン(レマン湖)
- 塩沢湖(元はアイススケート場)・鷲穴用水
- 白糸の滝
- 竜返しの滝
- 赤滝(血の滝)
- 血の池・おはぐろ池
- 千ヶ滝・御影用水
- 軽井沢野鳥の森
- (旧)碓氷峠 - 旧中山道、見晴台、峠町、熊野皇大神社(県境に建つ)
老舗ホテル・旅館[編集]
コンサートホール[編集]
- 軽井沢大賀ホール
- 軽井沢コルネ音楽堂
- 軽井沢ヴィラ・セシリア音楽堂
教会[編集]
町内には12の教会とその他複数の修道院・キリスト教信徒修養施設が存在する。以下に主な教会を挙げる。
公園・スポーツ施設[編集]
- 軽井沢会テニスコート
- 矢ヶ崎公園
- 風越公園 - 風越公園アイスアリーナ、スカップ軽井沢、軽井沢アイスパーク、軽井沢町植物園
- 追分第二運動場
- 湯川ふるさと公園
- 浅間ふれあい公園
- 長倉公園
- 旧軽井沢ゴルフクラブ
- 軽井沢ゴルフ倶楽部
- 軽井沢72ゴルフ(周辺に同じくプリンスホテル系列のゴルフ場・練習場が数施設ある)
- 中軽井沢カントリークラブ
- 三井の森軽井沢カントリークラブ
- オーソルヴェール軽井沢倶楽部(旧・軽井沢ナインハンドレッド倶楽部)
ショッピング[編集]
- 旧軽井沢メインストリート
- 軽井沢プリンスショッピングプラザ
- ハルニレテラス
- ツルヤ軽井沢店(スーパー)
- デリシア軽井沢店(スーパー)
- 軽井沢発地市庭(農産物直売所)
- 軽井沢書店(書店。CCC経営)
温泉[編集]
いずれもそれぞれ1施設のみの温泉であり、温泉街に当たるものは存在しない。
その他、宿泊施設内に併設された温泉あり。
諸施設[編集]
- 軽井沢観光会館
- 軽井沢町都市施設さわやかハット
- 軽井沢町地域交流施設くつかけテラス
郵便局[編集]
- 軽井沢郵便局
- 軽井沢駅前郵便局
- 軽井沢追分郵便局
- 千ヶ滝郵便局
- 中軽井沢郵便局
行事[編集]
- 軽井沢若葉まつり(4月下旬-6月上旬)
- しなの追分馬子唄道中(7月最終日曜日)
- 軽井沢ショー祭(8月1日)
- 軽井沢紅葉まつり(10月1日-11月3日)
- 軽井沢ウィンターフェスティバル(11月下旬-1月下旬)
など
大字・地区[編集]
6大字3地区・30区がある。
小字名は別に存在する。別荘地の名称や観光案内のエリア区分等とは一致しない。また各地域の各別荘地では軽井沢郵便局が配達の便宜上別荘や別荘地内を区分し、個々の別荘に「ハウス番号」と呼ばれる数字やアルファベットなどを付けており、宅配業者などもこれを利用している。1926年(大正15年)以来行われており、別荘にも住居表示のように掲げられている。なおこれらは住居表示に関する法律とは無関係の記号であり、住民基本台帳法上の住所・地番とも異なる。
別荘地・観光案内等のエリア分け[編集]
不動産業者・観光業者などが概ね下記のような名称を用いてエリア分けを行っているが、これらは土地・別荘開発・販売業者が付けた別荘地の呼称や、観光案内等において用いられている名称であり、行政上の地名・地域区分として存在しているものではない。
- 旧軽井沢エリア(峠町・旧軽井沢・鹿島の森・三笠・愛宕・万平・桜ノ沢・泉の里・雲場・離山など)
- 新軽井沢エリア(新軽井沢・成沢・矢ヶ崎・南ヶ丘・南原など)
- 南軽井沢エリア(南軽井沢・レイクニュータウン・南ヶ丘白樺台・南平台・扇平・和美(安中市松井田町)など)
- 中軽井沢北エリア(小瀬・千ヶ滝中区・千ヶ滝西区・千ヶ滝東区・千ヶ滝山ノ手区・三井の森・泉ヶ丘・鶴溜・上ノ原・星野・塩壺など)
- 中軽井沢南エリア(塩沢・前沢・鳥井原・風越など)
- 西軽井沢・追分エリア(追分・茂沢・大日向・浅間台・借宿・つくしが丘など)
以下は町外
- 北軽井沢エリア(長野原町・嬬恋村)
- 奥軽井沢・浅間高原エリア(嬬恋村)
- 東軽井沢エリア(安中市松井田町)
- 西軽井沢・御代田エリア(御代田町)
ゆかりのある外国人[編集]
離山を背景にして写る婦人宣教師達(1910年代前半)。中列右端にイザベラ・ブラックモーア
軽井沢の庭でガーデンパーティーを開く避暑客達(大正初期)。右端の男性がジョン・ウォーラー、その左隣の男性がダニエル・ノーマン、左端の少年がエドガートン・ハーバート・ノーマン
『軽井沢ユニオンチャーチ』を背景にして写る避暑客達(昭和初期)。上から3列目中央の白い服を着た男性が”軽井沢の村長”ダニエル・ノーマン
特記がない限り別荘所有者または避暑客・長期滞在者である(一部)。
アメリカ人[編集]
イギリス人[編集]
カナダ人[編集]
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ロシア人[編集]
ドイツ人[編集]
その他国籍[編集]
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ゆかりのある日本人[編集]
特記がない限り別荘所有者または避暑客・長期滞在者である(一部)。
皇族[編集]
華族[編集]
政治家・外交官[編集]
実業家[編集]
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教育者・学者[編集]
著作家[編集]
その他芸術家[編集]
芸能人など[編集]
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在住の著名人[編集]
公表している人物。
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過去に在住していた著名人[編集]
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なお、かつての別荘所有者の多くは、夏になると生活拠点を完全に別荘に移し、秋にかけて数ヶ月間そこで暮らしていたため、その意味では、避暑に訪れた多くの著名人が、夏の期間は軽井沢町在住者であった。近年では、その代替として海外や都市圏との二拠点生活を送る者が増えている。
出身の著名人[編集]
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ゆかりのある作品[編集]

文芸作品[編集]
- 聖家族、美しい村、風立ちぬ 、菜穂子 他 / 堀辰雄
- 貞操問答 / 菊池寛
- 仮面の告白、美徳のよろめき / 三島由紀夫
- 杏っ子 他 / 室生犀星
- 熱い絹 / 松本清張
- 香水心中・霧の山荘・仮面舞踏会(金田一耕助シリーズ) / 横溝正史
- 軽井沢夫人 / 嵯峨島昭
- 軽井沢シンドローム(漫画)/ たがみよしひさ
- 軽井沢誘拐案内(TVゲーム)/ 堀井雄二:シナリオ
- 軽井沢殺人事件(浅見光彦シリーズ)、追分殺人事件(信濃のコロンボシリーズ) / 内田康夫
- 恋 / 小池真理子
- 失楽園 / 渡辺淳一
ほか多数
映像作品[編集]
- 生ける屍 / 田中栄三監督
- 路上の霊魂 / 村田実監督
- 陸の人魚 / 阿部豊監督
- 激突!若大将 / 小谷承靖監督
- あいつと私 / 中平康監督
- 風立ちぬ (1976年の映画) / 若杉光夫監督
- 風立ちぬ (2013年の映画) / 宮崎駿監督(スタジオジブリ)
- 思い出のマーニー[注釈 9] / 米林宏昌監督(スタジオジブリ)
- 土曜日曜月曜 / TBS系テレビドラマ
- 軽井沢ミステリー / 日本テレビ系テレビドラマ(火曜サスペンス劇場)
- カルテット / TBS系テレビドラマ
- TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS / リアリティ番組
ほか
音楽作品[編集]
- 7つの俳諧・軽井沢の鳥たち / オリヴィエ・メシアン
- 落葉松 / 小林秀雄
- 結婚しようよ / 吉田拓郎
- 避暑地の恋 / チェリッシュ
- 恋する夏の日 / 天地真理
- 風立ちぬ / 松田聖子
- swing,sing / ISARIBI
ほか
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 調査自体は2006年に開始されたが、2006年は軽井沢町が調査対象外であったため、当該地を含めた調査の開始は2007年となる。
- ^ 2011年 : 中洲達郎(軽井沢ホテルブレストンコート)、2013年 : 浜田統之(軽井沢ホテルブレストンコート)、2021年 : 戸枝忠孝(レストランTOEDA)。なお、2001年大会日本代表の濱野弘典は、2018年よりザ・プリンス軽井沢の料理長を務めている。
- ^ 本イベントは2011年から2017年まで軽井沢町を通過拠点としていたが、2018年以降はルート変更により不開催。
- ^ 沓掛。
- ^ 南佐久郡大日向村出身の満蒙開拓移民が戦後入植した浅間山麓の地域。
- ^ 旧軽井沢区のうち旧軽井沢ロータリー(草軽交通旧軽井沢駅跡)周辺。
- ^ 新軽井沢区のうち軽井沢駅北口周辺。
- ^ 中軽井沢区のうち中軽井沢駅北口周辺。
- ^ 舞台は北海道であるが、「湿っ地屋敷」のモデルとなったのは軽井沢町の建築が知られている。
出典[編集]
- ^ 「朝日新聞 第963号」(朝日新聞出版局, 2001)p.1402
- ^ Shotenkenchiku-sha, HOTEL RESTAURANTS & BARS, 1995, p.15
- ^ Machteld Huber, Hans Peter Jung, Karolien van den Brekel-Dijkstra, Handbook Positive Health in Primary Care: The Dutch Example, Bohn Stafleu Van Loghum, 2021, p.277
- ^ ”軽井沢のクリスマス”軽井沢ウェブ(軽井沢新聞社)
- ^ a b 軽井沢町の統計 軽井沢町
- ^ “固定資産税の納入者 79・4%は町外住民”軽井沢ウェブ(2020年10月6日配信)2021年7月15日閲覧。
- ^ a b 新潟市・軽井沢町で地価上昇 新潟・長野、二極化鮮明 日本経済新聞(2021年9月21日)
- ^ 地方自治研究機構「軽井沢町観光振興調査研究事業報告書」(平成24年3月)65-67頁
- ^ 軽井沢高原の風土 軽井沢観光協会
- ^ 世界大百科事典 第2版「高原野菜」の解説
- ^ a b 佐藤大祐, 斎藤功「明治・大正期の軽井沢における高原避暑地の形成と別荘所有者の変遷」『歴史地理学』第46巻第3号、歴史地理学会、2004年6月、 1 - 20頁、 ISSN 03887464、 NAID 40006378788。
- ^ 写真が語る日本テニス史 【昭和20(1945)年】~6日本テニス協会
- ^ 独自の進化を遂げた日本のブライダルビジネス 夢ナビ
- ^ 増田榮美「現代結婚式の歴史 —リゾートウェディングの誕生に焦点をあてて—」(紀要 (39), 37-52, 2016-01-31 上田女子短期大学)pp.33-34
- ^ 写真で見る西武ヒストリー(前編)II 西武グループ土地開発創始期(1893 - 1969) 西武ホールディングス
- ^ 『福島県民百科』(福島民友新聞社, 1980年)885頁
- ^ 森田敏隆『日本国立公園 第2巻』(毎日新聞社, 1985年)128頁
- ^ 「軽トー」の歴史・歴代優勝者 軽井沢国際テニストーナメント
- ^ George Cantor, Anne Jannette Johnson, The Olympic Factbook: A Spectator's Guide to the Winter Games, p.64, Visible Ink Press, 1997.
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- ^ “気象”. 軽井沢町HP. 軽井沢町役場. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “軽井沢 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2021年10月1日閲覧。
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- ^ “観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典』20.長野県、1990年、ISBN 4-04-001200-3
- ^ 『人事興信録. 7版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 軽井沢駅前で28戸焼く『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月19日朝刊 12版 15面
- ^ 同年1月31日、総理府告示第42号「町の境界変更」
- ^ 同年3月31日、総理府告示第95号「町の境界変更」
- ^ 令和3年度 軽井沢町の統計 人口 長野県軽井沢町公式ホームページ
- ^ 令和3年度 軽井沢町の統計 建設 長野県軽井沢町公式ホームページ
- ^ a b 軽井沢の土地に熱視線 新型コロナ下、地価上昇 信濃毎日新聞2021年4月30日
- ^ 23区民が引越した「非」大都市トップ10ランキング 東洋経済オンライン2021年5月19日
- ^ a b 高級リゾート物件が絶好調 価格2倍、軽井沢は品薄 NIKKEI STYLE2021年8月7日
- ^ 軽井沢町民憲章 軽井沢町 2021年10月10日閲覧。
- ^ “軽井沢町長プロフィール”. 軽井沢町 (2019年2月18日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ “正副議長あいさつ”. 軽井沢町議会 (2021年5月7日). 2021年8月23日閲覧。
- ^ “議員名簿”. 軽井沢町議会 (2019年5月7日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ 特集一軽井沢追分寮2013年1月30日 楓園
- ^ 軽井沢追分寮のご案内一都立八潮高等学校同窓会
- ^ 施設・設備紹介一青山学院高等部
- ^ 追分寮生活 その1一三輪田学園
- ^ 鴎友学園追分山荘
- ^ 軽井沢寮一共立女子大学
- ^ 中1軽井沢学習寮 東京女学館高等学校・中学校
- ^ 軽井沢三泉寮のご案内一日本女子大学教育文化振興桜楓会
- ^ しなの鉄道軽井沢駅、「駅ナカ」一新プロジェクト完了2018年3月14日 信濃毎日新聞
- ^ 地域活性化へ「大軽井沢経済圏」 フォーラム開設 日本経済新聞2018/02/26
- ^ 宿泊・発電事業でスタートした100年企業、プリンスグランドリゾート軽井沢の壮大な次世代戦略とは? フォーブス・ジャパン
- ^ 軽井沢町 長野県町村会
- ^ 軽井沢の名称、適切使用を 共同通信社
- ^ ”軽井沢の風土と観光産業”軽井沢観光協会
- ^ 長谷部和夫「西武鉄道でのできごと」『レイル』 92号、エリエイ、2014年10月、63頁
- ^ Thomas Philip Terry, Terry’s Japanese Empire: A Guide for Travelers, Boston : Houghton Mifflin Harcourt, 1919, p.70.
- ^ Edward Vivian Gatenby, Karuizawa and Nojiri, Travel in Japan, Vol.1, No.2, Tokyo : Board of Tourist Industry, 1935, p.33.
関連項目[編集]
- 軽井沢
- FM軽井沢
- リゾート
- スポーツコミュニティー軽井沢クラブ
- 中部電力カーリング部
- あさま山荘事件
- 二十世紀音楽研究所 - 1957年~1959年に現代音楽祭を軽井沢で開催
外部リンク[編集]
- 公式
- 観光
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