篠沢秀夫
人物情報 | |
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生誕 |
1933年6月6日![]() |
死没 |
2017年10月26日(84歳没)![]() 肺炎[2] |
出身校 |
学習院大学文学部フランス文学科 東京大学大学院人文科学研究科 |
配偶者 | 篠沢礼子(妻) |
学問 | |
研究分野 | フランス文学 |
称号 | 学習院大学名誉教授 |
主要な作品 | #著書参照 |
篠沢 秀夫(しのざわ ひでお、1933年6月6日 - 2017年10月26日)は日本のフランス文学者。学習院大学名誉教授。東京都中央区銀座出身。
経歴
学歴
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![]() | 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2017年7月) |
- 終戦後の1946年、東京都立第一中学校入学。在学中学制改革にあう。同級生の佐藤純彌、湘南中学から転校してきた江藤淳らと親しくしていた[1][3]。
- 1948年 - アテネフランセでフランス語を学ぶ。
- 1953年3月 - 東京都立日比谷高等学校卒業
- 1957年3月 - 学習院大学文学部フランス文学科卒業
- 1959年3月 - 東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専門課程修士課程修了。フランス政府給費留学生試験に合格しフランス・パリ大学へ留学(1959年 - 1961年)。
職歴・受章
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- 1962年9月 - 学習院大学文学部非常勤講師
- 1963年4月 - 明治大学法学部専任講師
- 1966年 - 明治大学法学部助教授
- 1971年 - 明治大学法学部教授
- 1973年4月 - 学習院大学文学部フランス文学科教授
- 2004年3月 学習院大学を定年退職
- 2004年6月 - 学習院大学名誉教授
- 2013年4月 瑞宝中綬章叙勲
- 2017年10月26日 肺炎で死去。享年84。
人物
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最初の妻はフランス留学中の1962年に自動車事故を起こして失った[4]。その後、学習院大学で篠沢の補佐だった礼子と1965年に再婚した[5]。なお、最初の妻との間に生まれた長男は、1975年に部活動の合宿中、海で溺死した[4]。
保守論客の一人だった[6]。また、2004年8月より日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)の番組「桜塾講座-篠沢講座」では講師としてレギュラー出演し、「仏文化と日本文化」の共通性等について解説した。
血液型はAB型で、趣味は乗馬。また、映画「南京の真実」の賛同者でもある[7]。
2006年6月、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次が袂を分って設立した「日本教育再生機構」に参加。発起人[6]。2007年に、アメリカ合衆国下院121号決議がなされたとき、「慰安婦問題などなく、売春組織と売春婦が存在しただけ」という日本文化チャンネル桜主導の抗議書の賛同者として名前を連ねた[8]。一時期黒須英治を総督とする日本平和神軍に幹部として在籍していた[要出典]。三島由紀夫を追悼する憂国忌の発起人になっている[9]。
大学生時代から俳優の児玉清と親交が深く、元々は自分も役者志望だったことがあった。しかし児玉に比べて自分は見劣りし、ブロマイドが売れないとして役者にはなれないと思い、学者になったと言う[10]。
名前の表記については、苗字のうち「沢」を旧字体にして「篠澤 秀夫」とするケースもある。実際に、篠沢自身の一部の著書や葬儀の立て看板においては篠澤秀夫名義で表記されていた[11]。
クイズダービー
「クイズダービー」では、4ヶ月で降板した和久峻三の後を継いで登板し、1977年10月8日(第92回)から1988年7月30日(第651回)まで11年に亘り、4代目1枠レギュラーの解答者として活躍し、一躍有名人の仲間入りを果たした。番組内での愛称は「教授」。 篠沢の正解率は、3割2分7厘(平均正答数約2.6問)となっている。珍回答も多く、三択問題以外の自分で回答を考える問題ではしばしばとてつもなく外した答えを書き、しかも自信満々に笑顔で説明するため、説明を受けた司会の大橋巨泉は呆れていた。大橋巨泉にからかわれても、篠沢は「愉快ですね」と笑い飛ばして、たちまち人気者になった。篠沢は、「3割程度の正解率が上品」と語っていた[12]。オッズは常に高めに設定(2枠回答者の次)されており、持ち点が少なくなった出場者が篠沢に賭けたり、賭けて失敗するケースも多く存在した。これを象徴する番組内の名文句として「篠沢教授に全部!」が有名である。
篠沢のみ不正解でその他4人が正解という例は度々見受けられたが、稀にその逆もあった(例:「中国の皇帝が銀の食器を好んで用いたのは?」という問題で、「毒を見破るため」と書いて正解を出した)。また1986年秋公開のアニメ映画「扉を開けて」では大学教授の声優を努めた。
クイズダービー出演の話を引き受けた理由として、この2年前の1975年に海の事故で長男を亡くしたことで当時悶々とした日々を過ごしていたことで、気分転換したかったことがあったからという[10]。また、自分はクイズが出来ないが、それでもいいということを見せたくて出演したという考えもあったという[10]。
病気と闘病生活
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1992年に大腸癌を患い手術入院するも良好に回復し経過もよく、仕事も続けていた。しかし2008年ごろから、ろれつが回らず、2009年1月に検査入院後、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、同年2月より闘病中であることを週刊朝日(2010年1月15日号)に告白。同年4月からは気管切開を行い呼吸器を付けていた[13]。夜間の介護が必要となり、家族への負担が増したことから、2010年1月に夫人が介護保険以外に障害者自立支援法で定められたサービスを自宅がある新宿区役所に申請したところ、65歳以上であることを理由に却下された[13][14]。
新宿区側の対応は、「65歳以上は、障害給付の新規は受け付けない」との内規に基づいていた[13][14]。この内規は障害給付の対象を限定する目的で2009年10月から設定・運用されていたが、障害者自立支援法の趣旨に反するものだった[13]。新宿区は内規を廃止し、担当職員の対応も不適切だったとして、当時の区長・中山弘子が篠沢側に謝罪した[13]。
2011年6月より、講演活動を再開。ここでは、日本文化チャンネル桜「桜塾講座-篠沢講座」[15] から抽出の 約15分の講演音声から作った、自身の声を再現する音声合成装置、自分の声ソフトウェアPOLLUXSTARを用いていた。
2015年ごろからALSの症状が進行し、意思表示をすることができなくなっていたが、問いかけると瞬きや表情の変化はあったという[16]。
2016年8月ごろからALSの影響による肺炎で入退院を繰り返しており、2017年6月に4度目の入院。一時は回復の兆しを見せたものの、10月に入り容態が急変。腎機能にも障害が出ていたという[17]。
2017年10月26日午前1時49分、東京都文京区の東京大学医学部附属病院で死去、84歳没[16][17][18]。かつて「クイズダービー」で、篠沢の隣席に座っていた6代目2枠レギュラー解答者・宮崎美子[19]と7代目2枠レギュラー・斉藤慶子[20]が追悼のコメントを発表、また3代目4枠レギュラー・竹下景子[21]、5代目2枠レギュラー・長山藍子[22]、さらにノーベル賞受賞者で京都大学教授・山中伸弥[23]らが篠沢の葬儀に参列し、それぞれお悔みの弔辞を読んでいた。
共著
- 『ランボーによるエチュード』ソランジュ・ナイトー共著、朝日出版社、1973年4月
- 『フランス成句の宝庫 成句に見るフランス文明』ティエリ・マレ共著、総合法令出版、2001年10月
- 『フランス語の常識 日常表現は文化の鏡』ティエリー・マレ共著、白水社、2003年5月
翻訳
- 『神のあわれみ』 ジャン・コー 白水社、1964
- 『性関係の歴史』アンドレ・モラリーダニノス 白水社・文庫クセジュ、1966年、のち新版
- 『愛の妖精』ジョルジュ・サンド、旺文社文庫、1966年、新版1990年。中公文庫、2005年
- 『女中たち』 ジャン・ジュネ 今日のフランス演劇 白水社、1966年
- 『モリソンにバラを』 クリスチアヌ・ロシュフォール 白水社、1967年
- 『神話作用』ロラン・バルト、現代思潮社、1967年
- 『ベケットー神の名誉』ジャン・アヌイ 今日のフランス演劇 白水社、1967年
- 『ごあいさつ・新しい下宿人・絵 イヨネスコ戯曲全集 第1-2』白水社、1969年
- 『ことばの小形而上学』ブリス・パラン みすず書房、1973年
- 『至高者』モーリス・ブランショ、現代思潮社、1973年 ※篠澤秀夫名義
- 『ランボーによるエチュード』ソランジュ・ナイトー共著 朝日出版社、1973年
- 『ロラン・バルト』G.ド・マラク、 M.エバーバック、青土社、1974年
- 『バシュラールの思想』ピエール・キエ、大修館書店、1976年
- 『王子オレッグ故郷に帰る』ジャンークロード・ブリスビル、集英社、1982年
- 『問題親をもつ子どもの本』フランソワーズ・ドルトー、ジャンヌ・ヴァンデンブルック、万代敬三共訳、白水社、1984年
- 『地獄での一季節』アルチュール・ランボー訳・注解・本文校訂、大修館書店、1989年 ISBN 4469250384
- 『精霊の息吹く丘』モーリス・バレス、中央公論新社、2007年
- 『謎のトマ』ブランショ 中央公論新社、2012年
テレビ出演
- 「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)
- 「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ)
- 「THE・サンデー」(日本テレビ)
- 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)
- 「クイズダービー」(TBS)
- 「クイズまるごと大集合」(TBS)
- 「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」(関西テレビ)
- 「おはよう!ナイスデイ」(フジテレビ)
- 「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ)
- 「FNNスーパーニュース」(フジテレビ)
- 「クイズ$ミリオネア」(フジテレビ)
- 「世界とんでもヒストリー」(テレビ朝日)
- 「火曜サスペンス劇場」「冷たいのがお好き」(1987年4月14日、日本テレビ)
- 「天皇の料理番」(1993年2月8日、TBS)
- 「ロンロバ!」・クイズダービー復活SP!(2004年5月、TBS)
- 「パネルクイズ アタック25」(2005年9月4日、朝日放送)
- 「福祉ネットワーク」『ALS、フランス文学 そして妻 -篠沢秀夫さんの日々-』(2010年9月2日、NHK教育テレビ)
CM
- ネッスル日本(現・ネスレ日本) ブライト
- 味の素
- 山勝真珠
- カシオ計算機 ゲーム電卓 MG-880
- ロート製薬 新パンシロン (1984年、大橋巨泉・はらたいらと共演)
- 江崎グリコ アイスシリーズ (1984年、榊原郁恵・家族と共演)
- コンビ
- カネボウフーズ(現・クラシエフーズ)ニコダス (2002年)
- 宝酒造
- 松下電工(現・パナソニック)ナイスバスルーム
脚注
- ^ a b 週刊新潮2017年11月9号神帰月増大号 P113
- ^ a b “クイズダービーの人気“教授”篠沢秀夫さん死去”. TBSテレビ. (2017年10月26日) 2017年10月26日閲覧。
- ^ 2016年2月28日日曜日 新潮45 3月号「江藤淳は甦る」八(平山周吉著)に 日比谷高校時代の主人が登場します。BY 篠沢礼子 篠沢教授ブログ
- ^ a b “シリーズ:脳と神経 篠沢教授とALS”. 朝日新聞デジタル. (2017年10月26日) 2020年4月20日閲覧。
- ^ “「爆報!THE フライデー」2012年6月8日(金)放送内容”. 価格.com. カカクコム. 2020年4月20日閲覧。
- ^ a b “『クイズダービー』共演の竹下景子、篠沢秀夫さん死去に「豪快な人でした」 (2/2)”. 夕刊フジ (2017年10月27日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “映画「南京の真実」第三部「支那事変と中国共産党」 上映会主催者 募集!”. 日本文化チャンネル桜 (2017年3月9日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “賛同文化人・ジャーナリスト一覧”. 日本文化チャンネル桜. 2017年11月11日閲覧。
- ^ 憂国忌40 2010
- ^ a b c “篠沢教授 クイズダービー出演は長男の死の「気分転換」だった”. デイリースポーツ (2017年11月6日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “篠沢教授葬儀 竹下景子涙の弔辞「今度は私から花束のようなキスを贈らせて」”. デイリースポーツ. (2017年11月7日) 2020年11月10日閲覧。
- ^ 2015年5月25日『産経新聞』朝刊 「産経抄」
- ^ a b c d e “新宿区、篠沢氏の障害給付断る 「65歳以上」を理由に”. 共同通信社. 47NEWS. (2010年2月3日) 2012年8月28日閲覧。
- ^ a b “篠沢教授に新宿区謝罪 サービス申請却下で”. 日テレNEWS24. (2010年2月3日) 2012年8月28日閲覧。
- ^ 「仏文化と日本文化」#110 日仏回遊文明論(60) 郷土愛から祖国愛へ プロヴァンス地方(3)
- ^ a b “篠沢教授が死去、「クイズダービー」3代目「1枠」解答者で11年間出演”. スポーツ報知. 報知新聞社 (20171026). 2017年11月19日閲覧。
- ^ a b 篠沢教授逝く「クイズダービー」出演は学歴社会に一石投じるため - スポーツニッポン 2017年10月27日
- ^ “篠沢秀夫さん84歳 「クイズダービー」で活躍”. 毎日新聞. (2017年10月26日) 2017年10月26日閲覧。
- ^ 篠沢秀夫さん死去 『クイズダービー』共演の宮崎美子が追悼「お茶目な姿も思い出します」 ORICON NEWS 2017年10月26日記事
- ^ 斉藤慶子「緊張を和らげてくださった」篠沢教授悼む 日刊スポーツ 2017年10月26日記事
- ^ 竹下景子「今でも信じられない」篠沢秀夫さん葬儀 日刊スポーツ 2017年11月7日記事
- ^ 長山藍子「さよならは言えません」篠沢秀夫さん弔辞 日刊スポーツ 2017年11月8日記事
- ^ ALS治療で篠沢教授と縁…京大・山中教授も弔辞「お手本」 デイリースポーツ 2017年11月8日記事
参考文献
- 三島由紀夫研究会編 『「憂国忌」の四十年――三島由紀夫氏追悼の記録と証言』 並木書房、2010年10月。ISBN 978-4890632626。
外部リンク