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竹屋春光

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竹屋春光

竹屋 春光(たけや はるみつ、1883年明治16年〉3月6日[1] - 1938年昭和13年〉1月24日[1][2])は、日本政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・松平[1][3]

経歴

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越前福井藩主・松平茂昭の四男として生まれた[1]竹屋家当主、子爵竹屋威光の没後、同家は財産上の問題で断絶が検討されたが、越前松平家が負債を肩代わりし、松平家の春光が家督を継承して家名を存続し、1913年(大正2年)4月10日、春光が子爵を襲爵した[1][3][4][5]

学習院で学び、三井物産に入社して大連支店勤務となる[4]1916年(大正5年)寺内内閣内閣総理大臣秘書官に就任し、その後、台湾総督府秘書官などを務めた[2][3]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]研究会に所属して活動し[2]1925年(大正14年)7月9日まで1期在任した[2]

栄典

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親族

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  • 妻:寿美子(山縣伊三郎三女)[1]
  • 長男:康光(子爵)[1]
  • 二女:真佐子(安宅重雄夫人)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、42-43頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』47頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第10版 下』タ180頁。
  4. ^ a b 『現代名士人格と修養』159-160頁。
  5. ^ 『官報』第207号、大正2年4月11日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、26頁。
  7. ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
  8. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。

参考文献

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  • 坂本箕山『現代名士人格と修養』帝国文学通信社、1920年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
竹屋威光
子爵
竹屋家第3代
1913年 - 1938年
次代
竹屋康光