サムエル・フルトン

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サムエル・ピーター・フルトン(Samuel Peter Fulton、1865年 - 1938年)はアメリカ人の宣教師、明治時代に南長老ミッションより日本に派遣されて福音主義的な神学教育に携わった。

生涯・人物[編集]

1865年にアメリカサウス・カロライナ州で生まれた。コロンビア神学校ユニオン神学校で神学を学び、博士号を取得した。

1888年(明治31年)に、南長老ミッションから派遣されて来日する。1901年(明治34年)から明治学院の神学教師になるが、組織神学の講義に自由主義神学の教科書を用いた植村正久と神学的に対立する。このことがきっかけになり、南長老ミッションは独自の神学校を設立する。植村は東京神学社を設立する。

1907年(明治40年)、神戸神学校の校長に就任した[1]。1927年、神戸神学校と大阪神学院が合併して生まれた中央神学校で初代校長になり、組織神学新約学を教えた[2]。1938年に長野県軽井沢町で死去した。

1942年に中央神学校は閉鎖されるが、岡田稔が後を引き継ぎ、神戸改革派神学校になる。

脚注[編集]

  1. ^ 最初の学生は明治学院から移った、五名の生徒で、その中で卒業したのは富田満だった。三期生に、賀川豊彦がいる。この時期、田中剛二がフルトンに師事する。中村2000年、38頁
  2. ^ その時の生徒に岡田稔らがいる。中村2000年、39頁

参考文献[編集]