ハリエット・ブリテン

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ハリエット・ブリテン(Harriette Briten、1822年 - 1897年)は、イギリス出身のプロテスタントメソジストの婦人宣教師である。

イギリスで生まれて幼児期にアメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン区に移住し牧師家庭で育った。11歳の時にベッドから落ちて、脊椎を損傷して、18歳までベッド生活をする。やがて回復し32歳の時に米国聖公会から派遣されてアフリカに行き、リベリア伝道したが、健康を害して2年で帰国した。その後、米国婦人一致外国伝道協会の宣教師として、1872年7月にカルカッタへ派遣され、婦人層に伝道した。

横浜女学校を建設する使命を持ちながら日本に行くために乗船する前にサンフランシスコ港で急死した友人ガスリーの遺志をついで日本に行くことを決意して、メソジスト・プロテスタント教会のミッション・ボードの推薦を受けて1880年に日本に派遣された。1880年10月に横浜山手48番地にジェームス・ハミルトン・バラの協力で、ブリテン女学校(後の横浜英和女学校)を設立した。1881年には生徒20名、1882年には60名になった。1885年にマーガレット・ブラウン(ネイサン・ブラウンの妻)に校長を引き継いでもらい、宣教師たちの住居の世話と相談をしていた。1897年に帰国するために乗船すると、船中で体調を崩し、サンフランシスコ港に上陸した翌日死去した。

参考文献[編集]