ジョン・デヴィソン

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ジョン・キャロル・デヴィソン(John Carrol Davison、1834年11月19日 - 1928年)は、明治時代の日本で活躍したメソジスト派宣教師である。

1834年アメリカ合衆国ニュージャージー州に生まれる。1873年にドルー神学校を卒業し、ニューアーフ年会より按手礼を受ける。ジュリアス・ソーパーと同時に結婚する。デヴィソンの妻と、ソーパーの妻は姉妹。

1873年(明治6年)に来日して、横浜山手60番地に一時滞在する、メソジスト監督教会で宣教をした最初の宣教師の一人になった。1873年8月31日に長崎に行き宣教を始める。長崎に長崎銀屋町教会を設立、活水学院鎮西学院などの創設に関わる。1874年、元仏僧の飛鳥賢次郎がデヴィソンの日本語教師になる。飛鳥は教材として用いた和訳福音書により回心する。1876年(明治9年)に飛鳥に洗礼を授ける。[1]

1878年(明治11年)にデヴィソンはジョン・イングの後任として弘前東奥義塾に赴任する。次に、函館に赴任する。また、日本年会の元で、長崎、熊本横浜教区長を務める。

讃美歌編纂にも関わり、1874年メソジストの最初の日本語讃美歌集『讃美の歌』を出版する。また後に『基督教聖歌集』を出版する。

1921年(大正10年)に宣教師を引退しアメリカに帰国する。1928年(昭和3年)にカリフォルニア州バークレーで死去する。

脚注[編集]

  1. ^ 飛鳥は後にメソジストの牧師になる。『日本キリスト教歴史大事典』p.43

参考文献[編集]