シドニー・ギューリック

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シドニー・ルイス・ギューリック
Sidney Lewis Gulick
生誕 1860年4月10日
マーシャル諸島エボン環礁
死没 1945年12月20日(満85歳没)
アイダホ州ボイシ
墓地 カワイアハオ教会英語版墓地
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 牧師宣教師著述家教育者
著名な実績 青い目の人形」を介した日米親善
配偶者 カーラ・メイ・フィッシャー(1861−1941)
受賞 日本の旗勲三等瑞宝章

シドニー・ルイス・ギューリック: Sidney Lewis Gulick, 1860年4月10日 - 1945年12月20日)は、ユニオン神学校出身のアメリカ牧師宣教師。長年キリスト教団体の要職にあって日本人移民排斥の問題に取り組み、いわゆる「排日移民法」の改正運動および米国一般世論に対する対日啓蒙活動、また日米親善を目的とする民間外交に尽力した。滞日通算20年を越える日本通。いわゆる「青い目の人形」の贈答活動で知られる。

略歴[編集]

祖父ピーター・ギューリック英語版は、かつてニューイングランドからハワイ王国に派遣された幾組かの宣教師のうちの一人で、彼らの子の多くもまた同じく伝道に従事したが、ハワイのキリスト教化が完了した1850年を境に教会本部が奨励した世俗の事業主に転向し、やがてハワイの財界を支配するようになる[1][2]。同じ頃当地ハワイにて伝道に従事していた父(ピーターの長男)ルーサー・ギューリック英語版は、その後未開拓地ミクロネシアの島々に活動の範囲を広げて宣教師を続け[3]、この間マーシャル諸島エボン環礁に生まれたのがシドニー・ギューリックその人であった[4]

幼年期をスペインイタリアなどの欧州で過ごしたシドニー・ギューリックは、父ルーサーがアメリカ聖書協会極東総代理人となって横浜へ派遣(1876-1882)されている間[5]カリフォルニア州オークランド高校に学び[4]、次いでカリフォルニア大学へ進学、のちダートマス大学に転じて1883年にこれを卒業した[4]。その後3年間ニューヨークユニオン神学校にて神学を修めブルックリンの教会で牧師となった[6]。翌年カーラ・フィッシャーと結婚[7]

1888年(明治21年)から1894年(明治27年)まで宣教師として熊本に派遣され、伝道の傍ら熊本英学校にて英語の教鞭を執った[6]。一時休暇帰米ののち1897年(明治30年)に再来日し、1904年(明治37年)まで四国松山高等女学校で英語教師として教壇に立った[5][6]。この間旧制中学師範学校の教師らとともに校外学習の場を設け、家庭の事情や経済的理由で上級学校へ進めない子弟を対象に英語、初歩の天文学社会学進化論なども教えた[8]。その後アメリカ、ドイツ各地を2カ年遊学し、1906年(明治39年)日本に帰任[6]。以後7年間京都に居住し、同志社神学校神学講座教授(1906-1912)、同志社大学神学部教授(1912-1913)、京都帝国大学基督教講義講師(1907-1913)の職を勤めた[5]

1913年(大正2年)6月休暇帰米の際、カリフォルニアに勃発した日本移民排斥運動に遭遇、当地に留まり外国人土地法案の阻止に尽力した[6]。「外国人土地法」制定後も移民問題に従事して研鑽し、各国移民の歩合制を考案する[9][10]。翌年米国キリスト教連盟英語版に対日関係委員会が設置されるや幹事(同時に東洋関係委員会幹事)に就任し、「移民歩合制」を提唱する著書(『The American Japanese Problem』)の刊行とともにウィルソン大統領をはじめ各界の有力者に対するロビー活動を展開してその普及につとめた[11]1915年大正4年)1月一旦渡日し再び帰米、同2月からは萬国キリスト教会国際親善促進同盟米国支部幹事、建設的移民法制定委員会幹事、国際正義仁愛委員会幹事などの要職に就き[11]、その後の約20年間を日本人の移民問題解決および日米親善活動に心血を注いだ[12][13]。また、国際平和会議米国代表(1914年)、ヴェルサイユ講和会議米国キリスト教連盟代表(1919年)、全世界キリスト教徒大会出席(1925年)などに加え、その他多くの国際問題に携って活躍し、特に極東問題に関する著述におけるその主張は識者間において権威あるものとされている[14]。米国キリスト教連盟を引退した1934年(昭和9年)9月、日本政府(岡田内閣)より勲三等瑞宝章を叙勲された[15]。余生をハワイで過ごしたのち、娘の住むアイダホ州ボイシに移って永眠した[16]

ギューリック一族は日本と非常に関わりが深く、父ルーサー、シドニー本人のほか、叔父オラメル、叔父ジョン、叔母ジュリア、次男リーズいずれもかつて日本で伝道に従事しており[5][17]、祖父母は晩年日本に移住し、共に神戸で亡くなり当地に埋葬されている[18]。また母ルイーザ(Louisa Lewis Gulick)も同じく神戸の墓地に眠っている[18]

家系図[編集]

 
 
 
 
 
Peter Johnson Gulick
(1796–1877)
 
Fanny Hinckley Thomas
(1798–1883)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Luther Halsey Gulick Sr.
(1828–1891)
 
オラメル・ヒンクリ・ギューリック
Orramel Hinckley Gulick
(1830–1923)
 
ジョン・ギューリック
John Thomas Gulick
(1832–1923)
 
William Hooker Gulick
(1835–1922)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Theodore Weld Gulick
(1837–1924)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アディソン・ギューリック
Addison Gulick
(1882-1967)
 
Thomas Lafon Gulick
(1839–1904)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジュリア・ギューリック
Julia Ann Eliza Gulick
(1845-1936)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Sarah Frances Gulick
(1854–1937)
シドニー・ギューリック
Sidney Gulick
(1860–1945)
Edward Leeds Gulick
(1862–1931)
 
Luther Gulick
(1865–1918)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Luther Halsey Gulick
(1892–1993)
リーズ・ギューリック
(Pierre) Leeds Gulick
(1894–1975)
Sidney Lewis Gulick Jr.
(1902–1988)
 
 
Frances Jewett Gulick
(1891–1936)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Denny Gulick

書籍[編集]

著作[編集]

日本語文献
  • 『洗礼志願者の訓練』警醒社書店、1896年。
  • 『旧新約聖書対読文』警醒社書店、1899年。
  • 『近代進歩的基督教徒神観』大宮季貞筆録、警醒社書店、1908年。
  • 『独逸神学略史』警醒社書店、1909年。
  • 『新進化論』博文館、1910年。
  • 『人類進化論』富田政編、博文館、1913年。
  • 『科学概論』富田政編、警醒社書店、1914年。
  • 『日米問題』栗原基訳、警醒社書店、1917年。
  • 『日本へ寄せる書』田島準一郎訳、東京日日新聞社大阪毎日新聞社、1939年。
  • 「日本人の進化」(『アメリカ古典文庫22 アメリカ人の日本論』)瀧田佳子訳、研究社出版、1975年。
外国語文献
  • The growth of the kingdom of God. 1897.
  • Evolution of the Japanese; A Study of Their Characteristics in Relation to the Principles of Social and Psychic Development. F. H. Revell, 1905.
  • The White Peril in the Far East; An Interpretation of the Significance of the Russo-Japanese War. F. H. Revell, 1905.
  • The American Japanese problem; a study of the racial relations of the East and the West. C. Scribner's sons, 1914.
  • Working women of Japan. Missionary Education Movement of the United States and Canada, 1915.
  • America and the Orient; outlines of a constructive policy. Missionary Education Movement of the United States and Canada, 1916.
  • Anti-Japanese war-scare stories. Fleming H. Revell company, 1917.
  • American democracy and Asiatic citizenship. C. Scribner's sons, 1918.
  • The Christian crusade for a warless world. The Macmillan company, 1922.
  • Should Congress enact special laws affecting Japanese! A critical examination of the "Hearings before the Committee on immigration and naturalization", held in California, July 1920. National committee on American Japanese relations, 1922.
  • The winning of the Far East; a study of the Christian movement in China, Korea and Japan. George H. Doran company, 1923.
  • Dolls of Friendship; The Story of a Goodwill Project between The Children of America and Japan. Friendship Press, 1929.
  • Toward understanding Japan; constructive proposals for removing the menace of war. The Macmillan company, 1935.

共訳[編集]

発行[編集]

  • ウィルバー・フィスク・クラフツ原著; 秦庄吉訳『萬国共同政策論』シドニー・ギューリック発行、1909年。

脚注[編集]

  1. ^ ギューリック(1939年)、121、125頁。
  2. ^ アディソン・ギューリック編著『貝と十字架』雄松堂出版、1988年、58頁。
  3. ^ アディソン・ギューリック編著『貝と十字架』雄松堂出版、1988年、61頁。
  4. ^ a b c ギューリック(1939年)、121頁。
  5. ^ a b c d 「叙勲裁可書・昭和九年・叙勲巻六・外国人」国立公文書館、199頁。
  6. ^ a b c d e ギューリック(1939年)、122頁。
  7. ^ ed.Brian Niiya, Japanese American National Museum, Japanese American History: An A-to-Z Reference from 1868 to the Present, 1993, p. 152.
  8. ^ ギューリック(1939年)、126頁。
  9. ^ 「叙勲裁可書・昭和九年・叙勲巻六・外国人」国立公文書館、200頁。
  10. ^ 在米帰化移民者数を各国別に集計しその5パーセントを上限として毎年の各国移民を受け入れる、という内容。クォーター・システム(Quoter System)と呼ばれる。
  11. ^ a b 「叙勲裁可書・昭和九年・叙勲巻六・外国人」国立公文書館、201頁。
  12. ^ ギューリック(1939年)、123頁。
  13. ^ 「叙勲裁可書・昭和九年・叙勲巻六・外国人」国立公文書館、202頁。
  14. ^ ギューリック(1939年)、124、125頁。
  15. ^ 「叙勲裁可書・昭和九年・叙勲巻六・外国人」国立公文書館、199、204頁。
  16. ^ ed.Brian Niiya, Japanese American National Museum, Japanese American History: An A-to-Z Reference from 1868 to the Present, 1993, p. 153.
  17. ^ 滞日年数はそれぞれ叔父オラメル21年、叔父ジョン24年、叔母ジュリア34年の長期にわたる。
  18. ^ a b ギューリック(1939年)、127頁。

参考文献[編集]

  • 『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年
  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • シドニー・ギューリック; 田島準一郎訳 『日本へ寄せる書』 (相馬基版) 東京日日新聞社、大阪毎日新聞社、1939年 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]