山手 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山手(やまて)は神奈川県横浜市中区にある、山手町とその外縁部を含む一帯で、幕末から1899年明治32年)まで外国人居留地であった。

概要[編集]

山手資料館(明治42年築;横浜市内唯一現存する明治時代の木造西洋館)

横浜を代表する商店街の一つである元町の南側の高台で、高級住宅街観光地として有名で都市景観100選に選定されている。狭義には中区山手町(やまてちょう)をいうが、その周辺の高台(本牧地区の北西側、山手駅付近および根岸森林公園周辺まで)を含めることもある[注 1]

山手町は横浜の開港後、外国人居留地とされた区域で、英語で"Yamate Bluff"または"The Bluff"(切り立った岬という意味)と呼ばれる。「山手」という呼称は、先に設置された関内の居留地に対して南の高台上に設けられたことによる。後に、この「山手」に対して関内の居留地は「山下」と呼ばれるようになった。

開港により関内に外国人居留地が設けられたが、そこが低湿で狭隘であることから住宅地としてより条件の良い堀川の南側の高台が注目された。1861年文久元年)、幕府は高台の一部の約6,000坪を各国領事館用地としてイギリス等に貸与し、さらにイギリスは高台の東端に当たる堀川河口南側の区域(現:フランス山)を海軍用地として借入した。1863年(文久3年)、幕府はこのイギリス借入地へのイギリス軍フランス軍の駐留を承認し、両国軍の駐留は1875年(明治8年)まで継続した。

山手の高台は1867年慶応3年)に居留地とされ、外国人居留民の住宅キリスト教系の学校などが建てられた。元は久良岐郡北方村の他、石川村中村根岸村の各村に属していたが、1873年(明治6年)5月1日の区番組制や1874年(明治7年)6月14日の大区小区制、および1878年(明治11年)11月21日の郡区町村編制法実施の際には関内居留地(山下)とともに横浜区および周辺各村のいずれにも属さない区域とされた。1879年(明治12年)に外国人居留地の管理が神奈川県から横浜区に移管され、1884年(明治17年)7月、以下の26か町が設けられた。

谷戸坂町、山手本町通、富士見町、内台坂、西坂町、地蔵坂、小坂町、大丸坂、撞木町、環町、公園坂、西野坂、汐汲坂、高田坂、三ノ輪坂、稲荷町、南坂、貝殻坂、宮脇坂、陣屋町、諏訪町通、弓町、畑町、矢ノ根町、泉町、林町

1889年(明治22年)4月1日横浜市制が施行され、山手26か町は外国人居留地のまま市域に含まれることになる。

1899年(明治32年)7月17日条約改正により外国人居留地が廃止され、7月24日に26か町の区域に山手町を設置した。

1923年大正12年)の関東大震災では大きな被害を受け、以後この区域に住む外国人居留民は激減したが、異国情緒あふれる景観から現在でも人気の観光地で、次のような観光スポットがある。

山手町[編集]

山手町
山手町の位置(横浜市内)
山手町
山手町
山手町の位置
山手町の位置(神奈川県内)
山手町
山手町
山手町 (神奈川県)
北緯35度26分16.84秒 東経139度39分4.54秒 / 北緯35.4380111度 東経139.6512611度 / 35.4380111; 139.6512611
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 横浜市
中区
町名制定 1899年(明治32年)7月24日
面積
 • 合計 0.843 km2
人口
2021年(令和3年)7月31日現在)[2]
 • 合計 4,671人
 • 密度 5,500人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
231-0862[3]
市外局番 045(横浜MA[4]
ナンバープレート 横浜

「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示未実施区域[5]

地価[編集]

住宅地の地価は2017年平成29年)1月1日に公表された公示地価によれば山手町73番7の地点で58万5000円/m2となっている。東京都内を除けば首都圏においてさいたま市浦和区高砂(88万円/m2)に次ぐ高さとなっている。

世帯数と人口[編集]

2021年(令和3年)7月31日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
山手町 2,155世帯 4,671人
人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

1995年(平成7年) 3,889人 [6]
2000年(平成12年) 4,037人 [7]
2005年(平成17年) 4,797人 [8]
2010年(平成22年) 4,547人 [9]
2015年(平成27年) 4,694人 [10]
世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 1,458世帯 [6]
2000年(平成12年) 1,565世帯 [7]
2005年(平成17年) 1,858世帯 [8]
2010年(平成22年) 1,816世帯 [9]
2015年(平成27年) 1,859世帯 [10]

学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[11]

番・番地等 小学校 中学校
1〜83番地、89〜103番地
177番地、179〜187番地
189〜202番地、225〜240番地
246〜261番地、271〜288番地
横浜市立元街小学校 横浜市立港中学校
84〜88番地、104〜176番地
178番地、188番地
241〜245番地
横浜市立北方小学校
262〜270番地 横浜市立仲尾台中学校

事業所[編集]

2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[12]

町丁 事業所数 従業員数
山手町 176事業所 1,938人

その他[編集]

日本郵便
警察

町内の警察の管轄区域は以下の通りである[14]

番・番地等 警察署
全域 山手警察署

施設等[編集]

外国人墓地
カトリック山手教会
エリスマン邸

観光[編集]

その他[編集]

カトリック山手教会の鐘塔、山手聖公会のベルタワー、横浜雙葉学園の小尖塔を、横浜三塔になぞらえて「山手三塔」と呼ぶ[15]

交通[編集]

根岸線石川町駅またはみなとみらい線元町・中華街駅から徒歩、またはバス。バスは、横浜市営バス20系統、同観光路線バス「あかいくつ」、神奈川中央交通バス11系統など。

なお、根岸線山手駅は本来の山手ではなく、山手町には遠い。

舞台となった作品[編集]

※発表順

映画
テレビドラマ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 首都高速道路と横須賀街道(国道16号)に囲まれた地域は一体の丘陵であり、松任谷由実のヒット曲「海を見ていた午後」に歌われた「山手のドルフィン」のように、ひとによってはエキゾチックな雰囲気から漠然と旧横浜競馬場を前身とする根岸森林公園在日米軍根岸住宅地区まで包含するかのように用いる例もある。また山手警察署本牧地区の中心部にある。しかし山手地区は丘陵の一支脈を形成しており、若干の低地を挟んだ南側の丘は根岸あるいは本牧地区として区別されるのが普通である

出典[編集]

  1. ^ 横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2018年7月9日). 2021年8月11日閲覧。
  2. ^ a b 令和3年(2021) 町丁別人口(住民基本台帳による)” (XLS). 横浜市 (2021年8月6日). 2021年8月7日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  3. ^ a b 山手町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 住居表示実施町名一覧 (令和2年10月19日現在)”. 横浜市 (2020年10月29日). 2021年8月28日閲覧。
  6. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ 小・中学校等の通学区域一覧(通学規則 別表)”. 横浜市 (2021年8月5日). 2021-08-08]閲覧。
  12. ^ 平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  13. ^ 郵便番号簿 2020年度版” (PDF). 日本郵便. 2021年8月7日閲覧。
  14. ^ 警察署所在地一覧”. 神奈川県警察本部. 2021年11月12日閲覧。
  15. ^ 横浜市歴史的資産調査会 『都市の記憶―横浜の近代建築(II)』横浜市、1996年2月、59頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]