大倉山 (横浜市)

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大倉山
(旧太尾町)
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 神奈川県
市町村 横浜市
人口 (2013年(平成25年)3月31日現在)
 - 計 24,610人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 222-0037 

大倉山(おおくらやま)は、 神奈川県横浜市港北区の地名。2007年から2009年に渡る住居表示の実施により、それまでの太尾町から大倉山に町名変更された。一丁目には東急東横線大倉山駅が所在する。駅から北西側に登る大倉山公園にはプレヘレニック(前ギリシャ)様式として設計された 大倉山記念館 が建ち、この地域のシンボルとなっている。

概要[編集]

2007年11月まで東急東横線大倉山駅の所在地であった太尾町が、同月19日に実施された住居表示により大倉山一丁目に変更され、以後2009年10月実施の六丁目・七丁目をもってすべて「大倉山」に変更された。それ以前も大倉山駅を中心とする地域では大倉山が通称となっており、主として駅北側と東側にあたる旧太尾町以外の地域―大曽根・大曽根台・師岡町・大豆戸町等においても、施設名やマンション名の多くには「大倉山」が冠されている。また、港北区役所は大倉山駅東側の綱島街道に面しており同駅を最寄りとするが、住所は大豆戸町である。

一丁目は駅から東に向け綱島街道をまたぐ。二丁目から七丁目は大倉山駅西側に広がり、六丁目・七丁目は約2kmに渡って鶴見川の東岸に面している。大倉山公園から太尾見晴らしの丘公園に至る丘陵の稜線は二丁目・六丁目と大曽根台の境となる。二丁目の大倉山公園は梅の名所として知られ、梅林には約30種200本が植樹されている。開花期には観梅会が催され、多くの花見客が訪れる。一丁目の大倉山駅は大倉山の中でも東寄りに位置しており、六丁目・七丁目の一部は横浜市営地下鉄新羽駅に、六丁目の一部は東横線綱島駅にむしろ近くなっている。

地勢は大倉山駅前の商店街通り(市道大倉山第201号線/太尾道・綱島街道から新羽橋に至る)の北東側が上記大倉山公園から連なる丘陵となっており、通りの南西側には平坦な区域が広がっている。かつてこの区域では鶴見川がしばしば氾濫を起こし、東横線を止める事もあったが[1]1981年の「鶴見川流域整備計画」策定に始まる総合治水対策により、冠水することは無くなっている[2]

田園の広がる場所だったこともあり、その後の宅地開発では比較的余裕を持って区画されている。しかし、時折見られる「高級住宅街」という言及については、「大倉山」という名称そのものと記念館や梅園、コーディネートされた商店街のイメージによるプレステージとしての要素が大きく、実際には田園調布山手の街並みと較べ、平均的な住宅地であると言える。駅からやや離れた場所の多くでは戦後から高度成長期にかけ、まず工場や倉庫に変わり、現在それらの跡地には比較的規模の大きなマンションが建設されている。大倉山では駅に近い低層の住宅街とやや離れた高層のマンション群という住区の構成が見られる。

沿革[編集]

町名変更の過程[編集]

地名は実業家であり、東洋大学学長も務めた大倉邦彦1932年、現在の大倉山公園に創設した大倉精神文化研究所(その後建物を横浜市に移管し大倉山記念館として運営)に由来する。研究所創設以前、この地の丘は、観音山と呼ばれていたが、研究所創設に伴って通称大倉山と呼ばれるようになった。1926年2月に東京横浜電鉄(現東急)の神奈川線(丸子多摩川~神奈川)が開通、開業当初の駅名は「太尾」となったが、1932年3月の渋谷桜木町間の東横線全線開通時には研究所創設、梅園の観光開発に合わせ、「大倉山」へと改称された。邦彦自身は佐賀県の士族・江原家の出身であり、東京日本橋の紙問屋であった大倉洋紙店(現新生紙パルプ商事)に入社後、創業家に婿入りした人物である。いわば昭和に入ってから東京日本橋を発した氏名が由来となった町名であり、14世紀の記録にも残る「太尾」の名が名実ともに消滅する町名変更には賛否両論が交わされた。横浜市は住民参加による異例の公聴会を開き、市議会はその意見を集約・審議を経た後、町名変更を可決した。公聴会以前に行われた住民アンケートの結果、約65%が賛成であったが反対も30%を越えていた[3][4]

旧町名(太尾町)[編集]

太尾の地名は、1352年の「鶴岡脇堂供僧次第」に見ることができる。その後、橘樹郡太尾村となり、村内を三分して東から上太尾(現在の駅前付近)、中太尾、下太尾(鶴見川沿い)と呼ばれた。1889年の市町村制施行により大綱村太尾、1927年には横浜市に編入され神奈川区太尾町となり、1939年港北区太尾町となった。縄文時代の頃には海岸線がこの辺りまで来ており、大倉山が岬のように海へ突き出していた。その形が動物の太い尾のように見えたことから太尾と名付けられたといわれている[1]

大倉山への町名変更の後も、太尾小学校、太尾堤緑道、横浜太尾郵便局他にその名を残している。

地区の面積と世帯数・人口[編集]

2013年3月末時点

総面積1,832k㎡

合計世帯数:11,610世帯/合計人口:24,610人

人口密度13.43人(1k㎡あたり)

地区別世帯数/人口

  • 大倉山一丁目:1,514世帯/2,870人
  • 大倉山二丁目:964世帯/1,896人
  • 大倉山三丁目:1,994世帯/3,967人
  • 大倉山四丁目:2,001世帯/4,276人
  • 大倉山五丁目:2,435世帯/5,499人
  • 大倉山六丁目:1,393世帯/3,042人
  • 大倉山七丁目:1,309世帯/3,060人

大倉山商店街[編集]

大倉山駅前の商店街通りは東の綱島街道に向けて「レモンロード」、西の新羽方目に向け「エルム通」、「オリーブ通」、「つつみ通」と続く。「エルム通」は1988年に港北区役所の移転を機に整備され、大倉山記念館のギリシャ建築のイメージをコンセプトに、白い壁と装飾柱のデザインで商店の建物が統一されている。電柱、電線が地中化された歩道には花のプラントが置かれ、白い外壁に街路樹の緑が映える、明るい街並みを見せている[5]。美容室が多いことでも知られており、駅徒歩圏に20軒以上が店を構えている[6]

施設[編集]

公共施設[編集]

  • 大倉山記念館
  • 大倉山振興会館
  • 太尾下町会館
  • 港北水再生センター
  • 太尾会館

公園・緑地[編集]

  • 大倉山公園
  • 棒田谷緑地
  • 牢尻緑地
  • 太尾見晴らしの丘公園
  • 太尾堤緑道
  • 太尾公園
  • 太尾南公園

学校・幼稚園等[編集]

  • 神奈川県立港北高等学校
  • 横浜市立大綱中学校
  • 横浜市立大綱小学校
  • 横浜市立太尾小学校
  • 大倉山アソカ幼稚園
  • 森の樹保育園
  • 聖保育園
  • 保育室わおわお大倉山園
  • 横浜市太尾保育園
  • アスク大倉山保育園
  • 港北区地域子育て支援拠点どろっぷ

主な商業施設[編集]

スポーツ施設[編集]

※大倉山外に立地する施設にも「大倉山」の名が付くものが多い。大倉山駅より徒歩6分の「大倉山保育園」の住所は港北区大曽根、徒歩8分の「大倉山記念病院」の住所は港北区樽町一丁目である。また徒歩6分の「港北区役所」はマンション「東急ドエルアルス大倉山東」に隣接し、環状2号線を挟んだマンション群の多くに大倉山の名が付くが、住所は港北区大豆戸町(飛び地)である。

脚注[編集]

  1. ^ a b 公益財団法人大倉精神文化研究所 (1999年6月27日). “We Love こうほく第14回「大倉山・太尾・新羽地区を歩く」”. 2012年5月27日閲覧。
  2. ^ 中央大学 (2007年8月). “鶴見川多目的遊水地の洪水調節効果の評価 (PDF)”. 2012年5月28日閲覧。
  3. ^ 東京新聞最終面・TOKYOどんぶらこ. 東京新聞社. (2007-11-10). 
  4. ^ タウンニュース社 (2007年10月25日). “タウンニュース港北区版・太尾町が大倉山に”. 2012年5月27日閲覧。
  5. ^ 沢原馨 (2006年4月). “横浜線沿線散歩・大倉山エルム通り”. 2012年5月27日閲覧。
  6. ^ eエキテン (2006年4月). “大倉山駅(神奈川)×美容室・美容院・ヘアサロン”. 2012年5月27日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度35分3秒 東経139度32分51秒 / 北緯35.58417度 東経139.54750度 / 35.58417; 139.54750