吉田町 (横浜市中区)

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吉田町
—  町丁  —
吉田町本通りの街並み
吉田町の位置(横浜市内)
吉田町
吉田町
吉田町の位置(神奈川県内)
吉田町
吉田町
吉田町の位置
座標: 北緯35度26分43.6秒 東経139度38分58.01秒 / 北緯35.445444度 東経139.6494472度 / 35.445444; 139.6494472
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 横浜市
中区
面積[1]
 - 計 0.034km2 (0mi2)
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 - 計 895人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 231-0041[3]
市外局番 045 (横浜MA)[4]
ナンバープレート 横浜

吉田町(よしだまち)は神奈川県横浜市中区の町名。伊勢佐木町野毛町の間の、横浜市の中心街に位置する。丁番を持たない単独町名であり、住居表示は未実施[5]郵便番号は231-0041[3]。面積は0.034km2[1]

横浜市内には、戸塚区にも吉田町(よしだちょう)が存在する。

地理[編集]

町域は北西~南東にやや細長く、イセザキモールの入口に接する南東端から、大岡川を渡り野毛町へ通じる都橋までの吉田町通りは約250mほどである。最寄りとなる市営地下鉄JR根岸線関内駅は、大岡川の派川跡の首都高速横羽線の掘割の対岸にあり、吉田橋またはその地下のマリナード地下街で直結する。町の北側は同桜木町駅京急本線日ノ出町駅からも近い。町の南西は、歓楽街福富町西通・仲通・東通に隣接する。

歴史[編集]

現在の吉田町を含む一帯は江戸時代初期までは大岡川河口の入り江で、1656年明暦2年)より吉田勘兵衛によって開墾され、のちに吉田新田と呼ばれるようになった。吉田町はその東北端に位置する。1859年安政6年)に横浜港が開港すると、東海道から平沼橋、野毛坂、野毛橋(現:都橋)を経て吉田町を通り太田橋(現 吉田橋)を渡って横浜港へ通じる横浜道が設けられた。開港後、浪士らによる外国人襲撃事件が相次ぎ、駐日イギリス総領事のラザフォード・オールコックの直談判を受け幕府は吉田橋ほか6ヶ所に関門を設けた。これ以降、馬車道など関門の内側にあたる地区を関内、関門外側の吉田町や伊勢佐木町などを関外と呼ぶようになった。吉田町は1862年元治元年)に、元町とともに関外で初めてできた街である[6]1858年、江戸町奉行江戸の問屋のうち開港場で商売を希望する者を募り、翌1859年には江戸幕府も開港場への商人の進出を推奨することを広く国民に知らせた。

1873年明治6年)、区番組制により第一区五番組吉田町となる。1875年大区小区制施行で吉田町と柳町に分割され第一大区第四小区となったが1878年には郡区町村編制法施行により旧町村が復活し、横浜区吉田町・柳町となった。1880年茂木惣兵衛により制作された「改正銅版横浜地図全」によると、吉田町と柳町にそれぞれ一丁目と二丁目が設けられている。1889年に市制が施行され、横浜市吉田町・柳町となる。1928年昭和3年)には地番整理事業にともない丁目が廃され、柳町を合併してほぼ現在の町域となった[7]

1868年(明治元年)に発行された商人の番付表『大港光商君』によると、横浜道沿いに馬車屋と宿屋各2軒、蕎麦屋や寿司屋、汁粉屋など飲食店5軒、川沿いには材木商が営業を始めていた[8]。明治中期ごろには、東海道筋の宿場などからの供給と関内に働き口を求めた移住者の需要が集まったことから、古着市場としてもにぎわった[9]

1923年大正12年)の関東大震災では吉田町の裏通りや伊勢佐木町、馬車道などから火の手が上がり、野毛山方面に通じる都橋や柳橋は焼失した。唯一通行可能であった吉田橋は、横浜公園に避難しようとした住民が殺到し、焼死者や川に落ちて溺死する者が相次ぎ、吉田橋周辺での死者は815人に上った。これは、市内では千人余りの死者を出した山下町に次いで凄惨なものであった[10]1918年には54軒あった商店は一度灰燼に帰したものの震災の翌年には30店舗が営業を再開し、1926年4月には震災前と同じ54店舗まで復帰した[11]。しかし、1945年5月29日横浜大空襲で再び焦土と化した。

現在[編集]

戦災復興にあたり、吉田町通り(横浜道)沿いは1952年に施行された耐火建築促進法に基づき[12]鉄筋コンクリート造り4階建ての防火帯建築の共同ビルが建てられた。上層部は集合住宅、下層部は店舗として使われ、老舗の鶏肉専門店などのほか画廊バーカフェなどが軒を連ねる。赤い壁が印象的であるが、これは塗装店に廉価な材料を依頼したところ船底用の防錆塗料を提案されたことによる[13]。この街並みは、2013年に横浜市都市整備局景観調整課主催「第6回横浜・人・まち・デザイン賞」を受賞している[14]アートジャズをテーマとした街づくりが進められ[15]2000年からは、毎年4月ないし5月に「アート&ジャズフェスティバル」が開催されているほか、毎年5月3日ならびに7・8月下旬の土曜日には「吉田まちじゅうビアガーデン」が開催されている。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
吉田町 653世帯 895人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[16]

番地 小学校 中学校
全域 横浜市立本町小学校 横浜市立横浜吉田中学校

施設[編集]

出身・ゆかりのある人物[編集]

  • 磯野庸幸(神奈川県多額納税者、ラジオ関東社長、貴族院議員)

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). 2018年1月24日閲覧。
  2. ^ a b 横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). 2018年1月24日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月23日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月23日閲覧。
  5. ^ 横浜市中区の町名一覧 横浜市
  6. ^ 『吉田町の研究』p11
  7. ^ 『吉田町の研究』p14-15
  8. ^ 『吉田町の研究』p16-17
  9. ^ 『吉田町の研究』p30-33
  10. ^ 『吉田町の研究』p71-82
  11. ^ 『吉田町の研究』p87-88
  12. ^ 吉田町・関内地区で「防火帯建築」の見学セミナー開催(神奈川チャリティアクション・キャンペーン)
  13. ^ “防火帯建築:風情ある赤い壁、横浜・吉田町商店街 町内会会長「古いまま残して」 アート、ジャズで盛り上げ /神奈川”. 毎日新聞神奈川版. (2013年8月4日). http://mainichi.jp/feature/news/20130804ddlk14040174000c.html 2015年3月17日閲覧。 
  14. ^ 防火帯建築を活用した吉田町のまちなみ(横浜・人・まち・デザイン賞第6回受賞作品)
  15. ^ 市街地開発事業等の状況-関内・関外周辺地区(横浜市都市整備局都心再生課)
  16. ^ 小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). 2018年1月24日閲覧。

参考文献[編集]

  • 高橋ヒデ子 『開港150年 横浜の近郊吉田町の研究』 アトム出版、2008年11月1日ISBN 978-4-434-12436-5

外部リンク[編集]