根岸森林公園
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根岸森林公園 | |
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![]() 園内の芝生と旧横浜競馬場一等馬見所跡。 | |
分類 | 都市公園(総合公園) |
所在地 | |
座標 | 北緯35度25分23秒 東経139度38分19秒 / 北緯35.42306度 東経139.63861度座標: 北緯35度25分23秒 東経139度38分19秒 / 北緯35.42306度 東経139.63861度 |
面積 | 193,102m2 |
前身 | 横浜競馬場 |
開園 | 1977年3月 |
運営者 | 宮川一清(尿氏) |
駐車場 | 200台(有料) |
事務所 | 環境創造局 南部公園緑地事務所 都心部公園担当 |
事務所所在地 | 横浜市中区真砂町2-22(関内中央ビル) |
公式サイト | 横浜市環境創造局 |
根岸森林公園(ねぎししんりんこうえん)は、神奈川県横浜市中区にある総合公園。
概要[編集]
横浜競馬場(根岸競馬場)の跡地である。公園は根岸住宅地区の施設を挟んで馬場内エリアとスタンドエリアに分かれており、馬場内エリアには広大な芝生エリアが広がっている。根岸競馬記念公苑とも隣接しており、馬の博物館をはじめとして遊歩道や桜並木などが整備されている。特に桜は県内でも有数の見所となっており、花見シーズンには人出が多い。駐車場と売店もこちらに用意されている。
地元民には戦前からの呼称である「ケーバジョー」として親しまれているが、近隣に高層アパートなどが林立するようになった昨今は転入者も増加し「森林公園」と呼ばれることが多くなった。
スタンドエリアには、現在でも横浜競馬場の遺構である旧一等馬見所が現存しており、立ち入りはできないものの、横浜競馬場の説明文などが整備されている。高台にあるため、みなとみらいや、晴れた日には富士山なども望むことができる。
沿革[編集]
当地は1866年(慶応2年)に開設[1]され、1867年(慶応3年)に日本初の洋式競馬が行われた横浜競馬場の跡地[2]で、現在も残る「旧一等馬見所」は関東大震災後に建築家のJ・H・モーガンの設計で再建されたもの。戦前には「帝室御賞典(現:天皇賞)」や「横浜農林省賞典四歳呼馬(現:皐月賞)」などの大レースが行われるなど、日本における洋式競馬の黎明期を代表する競馬場で、各地に設立された競馬場のモデルともなった[1]。
戦争が激化した1942年(昭和17年)に競馬の開催を中止[1]。翌1943年(昭和18年)には海軍により接収され閉鎖[1]。終戦後の1945年(昭和20年)9月、他の軍事施設と同様にアメリカ軍により接収され、1947年(昭和22年)からはアメリカ軍の管理下に置かれた。接収中、馬場内エリアは米軍専用のゴルフ場となっており、現在の芝生はその名残でもある。
1969年(昭和44年)に旧スタンドなど一部を除き接収が解除され、国有地となった敷地の大部分を横浜市が無償で借り受けて整備[2]し、1977年(昭和52年)10月に根岸森林公園として開放された。あわせて、その他のエリアも1969年(昭和44年)より日本中央競馬会が整備を進め、1977年(昭和52年)に「根岸競馬記念公苑」として開設[1]。馬の博物館もここに含まれる。1982年(昭和57年)には旧スタンドも返還され、「旧一等馬見所」の裏手にはモーガンの設計図や竣工当時の写真パネルが展示されている。
「根岸競馬場跡」の銘板は1994年(平成6年)3月に横浜市教育委員会文化財課と横浜国際観光協会が設置したものである。グランド・スタンドの設計者名が「W.A.ドーソン」となっているが、これは人名ではなく「ウットフィールド・アンド・ドーソン」という二人のイギリス人技師の設計事務所の名前である。
根岸競馬記念公苑内の施設[編集]
- 馬の博物館 - 管理・運営は公益財団法人馬事文化財団が行っている。
- ポニーセンター
周辺[編集]
- 根岸住宅地区
- 根岸共同墓地
所在地・アクセス[編集]
神奈川県横浜市中区根岸台1-3
関連項目[編集]
出典[編集]
- ^ a b c d e 横浜の競馬と馬の博物館の歩み - 公益財団法人馬事文化財団、2014年7月7日閲覧
- ^ a b 代表的な公園:根岸森林公園(中区) - 横浜市環境創造局、2014年7月7日閲覧