小布施町
おぶせまち 小布施町 | |||||
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国 |
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地方 | 中部地方、甲信越地方、信越地方 | ||||
都道府県 | 長野県 | ||||
郡 | 上高井郡 | ||||
市町村コード | 20541-9 | ||||
法人番号 |
3000020205419 ![]() | ||||
面積 |
19.12km2 | ||||
総人口 |
10,510人 [編集] (推計人口、2021年3月1日) | ||||
人口密度 | 550人/km2 | ||||
隣接自治体 | 長野市、須坂市、中野市、上高井郡高山村 | ||||
町の木 | クリ | ||||
町の花 | リンゴ | ||||
小布施町役場 | |||||
町長 | 桜井昌季 | ||||
所在地 |
〒381-0297 長野県上高井郡小布施町大字小布施1491番地2 北緯36度41分51秒東経138度18分43.6秒座標: 北緯36度41分51秒 東経138度18分43.6秒 ![]() | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
小布施町(おぶせまち)は、長野県の北東に位置する町。長野県内で最も面積の小さい自治体である。
葛飾北斎をはじめとする歴史的遺産を活かした町づくりを行っており、今や北信濃地域有数の観光地として認知度も高くなっている[1]。本項では町制前の名称である小布施村(おぶせむら)についても述べる。
地理[編集]
隣接している自治体[編集]
歴史[編集]
鳥羽、後白河の院政期に出された荘園の保護を求める申請書に高井野牧、東条荘などの名が見られる。元暦元年(1184年)2月、平家没官領となっていた東条荘狩田郷について源頼朝が平繁雅に還付を認めた。室町時代の10年間続いた「応永の平和」と言われる時期に浄光寺の薬師堂が建立されている。信濃国が室町幕府の直接統治を受けた時期に、この地の国人であった高梨左馬助朝秀が所領の実態究明を迫る幕府代官の命に反抗して町域及び近隣各地を戦場とした。応仁3年、高梨政高と井上政家との間で狩田郷の領有を巡る争奪戦の舞台となった。高梨氏は戦国時代までこの地を支配していたが、越後の上杉氏に臣従し、上杉氏が豊臣政権により会津に移封されたことに伴い、この地を去った。
江戸時代には天領であったが、戦国時代の猛将福島正則が江戸幕府によって広島藩50万石から川中島藩2万石に減封されて終焉の地となった。1742年、戌の満水・寛保の大水とも言われる千曲川の大洪水で町域にも広く被害が及んだ。幕末には、豪商高井鴻山が招いた葛飾北斎や佐久間象山、小林一茶ら当時の一流文人との交流の地となった。
沿革[編集]
- 明治22年4月1日 - 町村制の施行により、小布施村・福原村・大島村・飯田村・山王島村・北岡村・押羽村の区域をもって小布施村が発足。
- 昭和29年2月1日 - 小布施村が町制施行して小布施町となる。
- 昭和29年11月1日 - 都住村と合併し、改めて小布施町が発足。
人口[編集]
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小布施町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 小布施町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 小布施町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
小布施町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政[編集]
常備消防事務は須坂市消防本部に委託している。
歴代町長[編集]
- 冨田啓介(1954年 10日間)
- 鶴田博友(1954年から1961年まで 2期目任期中に病気のため辞職)
- 内山一郎右衛門(1961年から1969年まで 2期)
- 市村郁夫(1969年から1979年まで、元・長野県議会副議長、3期目任期中の1979年12月30日死去 ※現町長・良三の伯父にあたる)
- 中村功(1980年から1984年まで 1期)
- 葦澤明義(1984年から1988年まで 2期目任期中の1989年12月5日死去)
- 唐沢彦三(1989年から2005年まで 4期 ※観光カリスマ)
- 現職:市村良三(2005年1月22日就任 4期目 ※観光カリスマ)
町議会[編集]
- 議長:関 悦子
- 議員定数:14人
- 議員任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
経済[編集]
産業[編集]
- 本社を置く企業
姉妹都市・提携都市[編集]
国内[編集]
教育[編集]
小学校[編集]
中学校[編集]
幼稚園・保育園[編集]
- 町立つすみ保育園
- 町立栗ガ丘幼稚園
- 町立わかば保育園
交通[編集]
鉄道路線[編集]
- 中心となる駅:小布施駅
路線バス[編集]
- 長電バス:シャトルバス「小布施浪漫号」
道路[編集]
一般道路は、町内を南北に国道403号が通過し、千曲川の対岸地域に僅かながら国道18号が通過している。高速道路は上信越自動車道が通過し、小布施パーキングエリアとハイウェイオアシスが設置されている。開業当初、町内にインターチェンジは設置されていなかったが、2005年(平成17年)4月24日から2006年3月31日まで、小布施パーキングエリアにおいてスマートインターチェンジ(ETC専用インターチェンジ)の社会実験を実施。2006年10月から小布施スマートインターチェンジとして正式に稼動している。
- 高速道路
- その他の道路
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- 須高広域農道(北信濃くだもの街道)
名所・旧跡・観光スポット[編集]
美術館・博物館[編集]
町内には12の美術館・博物館が存在する。「北斎館」が完成した1976年(昭和51年)には町内の美術館・博物館への入館者数は5万人ほどだったが、町並修景事業が行われた1980年代半ばに入館者数が大きく増加し、年間30 - 40万人を集めた。1993年(平成5年)の上信越自動車道須坂長野東IC開通時と1997年(平成9年)の北陸新幹線一部先行開業時にピークを迎え、両年には90万人前後の入館者を集めた。その後は漸減傾向にあるものの、60 - 70万人ほどの入館者がある。
- 北斎館
- 日本のあかり博物館
- おぶせミュージアム・中島千波館
- 小布施町出身の画家中島千波から寄贈された作品を展示する「中島千波館」、小布施の伝統文化財である祭り屋台を収納展示する「屋台蔵」などがある。
- 高井鴻山記念館
- 千曲川ハイウェイミュージアム
- 現代中国美術館
図書館[編集]
温泉[編集]
- おぶせ温泉
旧跡[編集]
祭事・催事[編集]
- 1月 - 安市
- 4月 - 境内アート小布施
- 7月 - くりんこ祭り
- 11月 - 北信濃小布施映画祭
2017年・2018年9月、町内でスラックラインの全国大会が開催された[3]。
郵便[編集]
出身有名人[編集]
- 井浦秀夫 - 漫画家
- 成沢未来 - 歌人・エッセイスト
- 市川健夫 - 地理学者
- 関和亮 - 映像ディレクター
- 水戸部正男 - 歴史学者、元横浜国立大学学長
- 吉家敬三 - 実業家
- 荒井広宙 - 陸上競技(競歩)選手、2016年リオデジャネイロオリンピック銅メダリスト
脚注[編集]
- ^ “総務常任委員会行政視察研修報告書 (PDF)”. さくら市. 2021年2月26日閲覧。
- ^ 北斎館 来館者数900万人達成! _ 信州小布施 北斎館
- ^ 「スラックライン」技の競演 小布施で全国大会 信濃毎日新聞、2018年9月17日。2018年10月19日閲覧。
参考文献[編集]
- 「町並修景と一体となった小布施町―栗菓子ブランドの形成」 関満博・及川孝信編書『地域ブランドと産業振興』、新評論
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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