出井伸之

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いでい のぶゆき
出井 伸之
Nobuyuki Idei 20090709.jpg
麻生内閣メールマガジン
寄稿に際して公表された肖像写真
生誕 (1937-11-22) 1937年11月22日
日本の旗 日本東京府東京市世田谷区成城[1]
死没 (2022-06-02) 2022年6月2日(84歳没)
日本の旗 日本東京都
国籍日本の旗 日本
出身校早稲田大学政治経済学部卒業
職業実業家
出井盛之(

出井 伸之(いでい のぶゆき、1937年昭和12年〉11月22日 - 2022年令和4年〉6月2日)は、日本実業家。クオンタムリープ株式会社代表取締役会長ファウンダー

ソニー株式会社社長、ソニー株式会社最高経営責任者などを歴任した。

概要[編集]

ソニー社長を経て会長最高経営責任者に就任した。公職としては内閣に設置されたIT戦略会議にて議長を務め、日本銀行参与日本経済団体連合会副会長としても活動した。また、ゼネラルモーターズネスレエレクトロラックス等の社外取締役を歴任。2014年8月現在、アクセンチュア百度フリービットレノボグループの社外取締役を務めている。会長兼最高経営責任者退任後は、ソニーの最高顧問・アドバイザリーボード議長も務めたのち、退任した。

その後は産業の活性化や新産業・新ビジネス創出を目的としてクオンタムリープ株式会社を設立し、その代表取締役に就任した。2009年には大和証券エスエムビーシーとともに投資ファンド「大和クオンタム・キャピタル」を起ち上げた[2]。また、特定目的会社「クオンタム・エンターテイメント」を設立し社長に就任、吉本興業に対する株式公開買い付けを実施し成立させた[3][4]。なお、2002年早稲田大学から名誉博士(法学)称号を贈られている。2022年6月2日に死去。

経歴[編集]

ソニー入社[編集]

父は経済学博士早稲田大学教授を務めた出井盛之(いでい せいし、1892年明治25年)7月28日 - 1975年昭和50年)11月1日[5]

東京府東京市(現在の東京都世田谷区成城で生まれ育った[1]成城小学校成城学園中学校早稲田大学高等学院を経て[1]早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業後、1960年(昭和35年)にソニー入社[6]。外国部を経てジュネーブ国際・開発研究大学院へ留学し修士課程を修了する。ジュネーブパリ駐在を経験。10年近くにわたる欧州駐在から帰国後、非技術系ながら、オーディオ、コンピューター、VTRなどの事業部長を歴任。さらに90年代は広告・宣伝本部長としてソニーブランドのイメージアップに貢献した。

ソニー取締役社長[編集]

小泉内閣メールマガジン』寄稿に際して公表された肖像写真(2002年)

1995年6月、前任社長の大賀典雄に抜擢され第6代ソニー代表取締役社長に就任。いわゆる「ヒラ」の取締役から14人抜きでの社長抜擢・就任となった[7][8][9]。折しも創業50周年を翌年に控え、ソニー始まって以来の新卒サラリーマン社長として、ソニーの原動力であるチームスピリットを鼓舞すべく、キャッチコピーの「It's a Sony」を棄て、「Re Generation」(第二創業)「Digital Dream Kids」というスローガンを打ち出した。

当時のソニーは企業買収を進めた結果、有利子負債が大きく、経営の技術的なプロとしての側面をもつ出井社長の提案により、ソニーはキャッシュフローバランスを重視するきっかけとなった。デジタル・ドリーム・キッズの先頭に立つ出井は、1980年代前半に8ビットコンピューター事業を手掛けた経験をもとに、パーソナルコンピューター事業への再参入を宣言。インテルのグローブ社長(当時)やマイクロソフトビル・ゲイツ会長(当時)との連合を先導し、1996年にVAIO 1号機をアメリカ合衆国で発表し、ソニーがAV企業からAV/IT企業に大きく発展する舵を切った。

また出井は、社長就任前からインターネットの可能性に注目しており、それをAV/IT機器とつなげる重要性を説き、1995年11月にはソニーコミュニケーションネットワーク株式会社(現・ソネットエンタテインメント株式会社)を設立。1997年度のビジネスウィーク誌が選ぶ「世界のトップビジネスマン」に選定された。その後2001年10月にスウェーデンの通信機器会社であるエリクソンとの合弁会社である、ソニーエリクソンモバイルコミュニケーションズ株式会社(現・ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社)を設立し、ネットワーク時代のソニーグループの礎を築いた。

さらに在任中、ソニーに執行役員制度を導入したり社外取締役の起用などを積極的に行い、コーポレート・ガバナンスの改革・強化に努め、日本的経営からの更なる脱却に努めた[9]

2000年代には、早稲田大学の同窓生である小渕首相及びその遺志を継いだ森首相(いずれも当時)の要請により、2000年7月にはIT戦略会議議長に就任し、ブロードバンドのインフラストラクチャー普及を提唱し、日本のブロードバンドインターネット接続環境整備が、世界に先駆けて強力に推進されるきっかけを作った。

ソニーの経営戦略を、「ものづくり」から「コンテンツ重視」へと転換を図り、ネットワークを介したハードウェア(AV/IT機器)とコンテンツ(音楽、映画、ゲーム等)の融合を唱道し、上述のようなハードウェアの多角化のみならず、コンテンツ事業の拡充も推進(2003年8月にBMGを買収してソニーBMGミュージックエンタテインメント(株)を設立、2005年4月にはMGMを買収)。

退陣[編集]

2008年6月11日伊藤穣一により撮影された出井の写真

2003年(平成15年)4月のソニーショックを受け、ウォークマンApple ComputeriPodiTunesに負け、出井らが示した経営再建計画の達成が困難を増す中、ソニーの現職社員・OB、国内外の経済メディア、ソニー製品愛好者など、各方面から激しい退陣要求が噴出した。

2004年(平成16年)にはロボット事業から撤退する。インターネット事業に偏重し、2004年(平成16年)には、2017年に復活させることになる「AIBO」や「QRIO」などロボット事業からの撤退を命令していた[10]。また、2003年に「モノづくり」復活を掲げて発表された高価格帯路線の新ブランド「QUALIA」も業績の改善には結びつかず、逆にダブルブランドは経営や消費者に混乱を招くこととなった[11]。こうした経営方針は評価されず、2004年1月12日発売の米ビジネスウィーク誌で「世界最悪の経営者」に選定された[12]

OB役員や社外取締役らが結束する形で勇退を勧告された[9]出井は、ソニーのビジネスモデルを理解し、経営できる後継人材の選定を急ぐ。その結果、英国人であり、1997年(平成9年)からSony Corporation of Americaの経営陣として、コンテンツ事業を中心にソニーグループの経営に貢献してきたハワード・ストリンガーが代表取締役会長に選ばれ、2005年(平成17年)6月、ソニーグループの業績悪化の責任を取る形で、安藤國威社長とともに辞任。皮肉にも、自身が導入したコーポレート・ガバナンスがこれで機能した形となった[9]。出井時代に大きく後退した、主力のエレクトロニクス事業を再建するには『遅きに失した退陣』と評価された[13]

2012年(平成24年)6月にソニーアドバイザリーボード議長を退任し、ソニー株式会社から完全に退陣した。

退陣後[編集]

2006年に自ら設立したクオンタムリープ株式会社代表取締役として、ソニー時代から培ってきた国内外の人的ネットワークを活用しながら、国内外の上場企業の社外役員やアドバイザーとして、公式・非公式に次世代ビジネスや若手リーダーの育成に努めていた。

2022年6月2日、肝不全のため東京都内の病院で死去[14][15]。84歳没。

人物[編集]

10年間ソニーのトップに君臨したが、経営者としての才覚は「栄光の前半」と「失墜の後半」で明暗が分かれる、というのが一般的な評価である[16][17]

趣味はゴルフ読書映画鑑賞[18]。心に残る本は、清水博著の『生命を捉えなおす-生きている状態とは何か』だという[18]

成城学園中学時代には音楽部に属し、小澤征爾らとカルテットを組んでいた[19]。小澤はピアノ、出井はヴァイオリン担当であった[19]。以来、片や国際的電機メーカーのトップ、片や世界的指揮者となり、2人は仕事とプライベートの両面で生涯の友人となった[19]

出井自身が生まれる前から長野県軽井沢町に出井家の別荘があり、この地を”第二の故郷””心の故郷”だと話している[20](死去後2022年10月25日に行われたお別れの会では、軽井沢の風景をイメージした祭壇が設けられた[21])。また軽井沢以外に魅力を感じる場所として、京都を挙げている[20]

社長時代に当時の会長の大賀典雄VAIOの販売方法で意見が割れ、出井はデスクトップ型(アメリカ主導)、大賀はノート型(日本主導)を推し対立していた[22]。結果としてノート型がヒットし、アメリカでの開発は撤退。

略歴[編集]

役職[編集]

著書[編集]

  • 『日本大転換 -あなたから変わるこれからの10年』(幻冬舎新書 (2009/9) )
  • 『日本進化論 -二〇二〇年に向けて』(幻冬舎新書 (2007/7) )
  • 『迷いと決断 -ソニーと格闘した10年の記録』(新潮新書 (2006/12) )
  • 『非連続の時代』(新潮文庫 (2003/8) )
  • 『ONとOFF』(新潮文庫 (2003/8) )
  • 『混迷の時代に -ネットワーク社会の遠心力・求心力』(ワック (2000/11) )

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 「HISTORY of SQUARE 21」 - 出井 伸之氏 - 『組織の三要素、それは「ビジョン」「パワー」「ハーモニー」 』 VOL.200より”. 2020年11月19日閲覧。
  2. ^ 福井エドワード「出井伸之氏率いるクオンタムリープが大和証券系と挑む金融危機後の投資モデル」『出井伸之氏率いるクオンタムリープが 大和証券系と挑む金融危機後の投資モデル|福井エドワードのINSIDEグリーン革命|ダイヤモンド・オンラインダイヤモンド社2009年6月3日
  3. ^ クオンタム・エンターテイメント吉本興業株式会社の株式に対する公開買付けの結果に関するお知らせ2009年10月30日、2頁。
  4. ^ 植田憲尚「吉本興業:TOBが成立――クオンタム社、88.52%取得」『吉本興業:TOBが成立 クオンタム社、88.52%取得 - 毎日jp(毎日新聞)毎日新聞社2009年10月30日
  5. ^ 『人事興信録』(人事興信所)※第28版、第29版 より
  6. ^ ソニー元会長・出井伸之さんが死去 84歳、肝不全 現在のソニーの基盤築く”. 日刊スポーツ (2022年6月7日). 2022年6月7日閲覧。
  7. ^ このままじゃあ終われない - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
  8. ^ このままじゃあ終われない「出井伸之と“やめソニー”たちの逆襲」 NHK BS1で2013年1月25日に放送(本サイトはNHKネットクラブ上に掲載された番組紹介)。
  9. ^ a b c d 14人抜き出井氏、ソニー黄金の10年 見誤った経営、皮肉な退陣劇”. 朝日新聞デジタル (2022年6月7日). 2022年6月7日閲覧。
  10. ^ ソニー、ロボット撤退の舞台裏
  11. ^ 『さよなら!僕らのソニー』立石泰則・著,文春新書,2011,ISBN 4166608320
  12. ^ “The Best & Worst Managers Of The Year”. BusinessWeek Online. (2004年1月12日). http://www.businessweek.com/magazine/toc/04_02/B38650402best.htm 2011年2月16日閲覧。 
  13. ^ 出井退場、遅すぎたバトンタッチ
  14. ^ “訃報 元会長 兼 グループCEO 出井伸之” (HTML) (プレスリリース), ソニーグループ, (2022年6月7日), https://www.sony.com/ja/SonyInfo/News/Press/202206/22-0607/ 2022年6月7日閲覧。 
  15. ^ “出井伸之氏死去、84歳 元ソニー社長、経営を多角化”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年6月7日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2022060700540&g=eco 2022年6月7日閲覧。 
  16. ^ <追悼>先見性ある「カリスマ」出井伸之氏でも見通せなかったアップルの台頭”. JB Press (2022年6月9日). 2022年6月7日閲覧。
  17. ^ ソニー元社長の出井伸之氏は本当に「世界最悪の経営者」だったのか”. JB Press (2022年6月9日). 2022年6月9日閲覧。
  18. ^ a b クオンタムリープ株式会社 代表取締役会長 ファウンダー 出井伸之”. LEADERS’ AWARD. 2022年6月9日閲覧。
  19. ^ a b c 【話の肖像画】出井伸之(3)中学時代、小澤征爾さんと奏でた音楽”. 産経新聞 (2021年10月3日). 2022年11月12日閲覧。
  20. ^ a b 「オン」を充実させるオフとアウェイの過ごし方 出井伸之”. Forbes Japan (2018年1月18日). 2022年6月9日閲覧。
  21. ^ ソニー元社長の出井氏お別れの会、約2000人がしのぶ”. 日本経済新聞 (2022年10月25日). 2022年11月4日閲覧。
  22. ^ Miyazawa, Kazumasa; 宮沢和正. (2018). Kakushite denshi manē kakumei wa sonī kara rakuten ni hikitsugareta : rakuten edi tanjō hiwa to kutō no rekishi SINCE 2001. Tōkyō: Infukyurionkādōēbuhenshūbu. ISBN 978-4-908090-06-6. OCLC 1048879858. https://www.worldcat.org/oclc/1048879858 
  23. ^ お知らせ ソニー 1998年2月23日
  24. ^ ジム・カウルター氏に替わり、世界で最も急成長している大手PC企業の社外取締役に就任。レノボのニュースリリースを参照。
  25. ^ 清华大学经济管理学院-顾问委员会名单”. 清華大学経済管理学院. 2017年11月24日閲覧。

外部リンク[編集]

ビジネス
先代
大賀典雄
ソニー会長
2000年 - 2005年
次代
ハワード・ストリンガー
先代
大賀典雄
ソニー最高経営責任者
1999年 - 2005年
次代
ハワード・ストリンガー
先代
大賀典雄
ソニー社長
1995年 - 2000年
次代
安藤国威