マビカ

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マビカ: Mavica, Magnetic Video Camera[1])は、ソニーが製造販売した電子スチル・カメラ及びその商標である。

概説[編集]

当初のマビカは、専用の記録媒体、再生装置などを用いないと撮影機で得た画像を閲覧することができないため、それら周辺機器を含めた「システム」を、マビカ若しくはマビカ・システムと総称していた。後にデジタル信号に変換して記録する機種が開発され、名称をデジタルマビカとして既製品と区別された。この頃になると、記録媒体も再生装置も汎用品が利用できるようになったため、マビカは撮影機単体を指すものとなった。デジタルマビカも、記録媒体によってFDマビカCDマビカといった名称が与えられた。

マビカ(アナログ)[編集]

マビカ試作機(1981年)透視図

1980年頃、技術者出身で常務取締役の木原信敏は、磁気記録スチル・カメラの製品化を構想していた[2]。すでに画像を磁気媒体に記録する技術の開発は終えており、CCDイメージャーの小型化も目処が立ちつつあった[2]。同年10月に、斉藤悦朗[注 1]を開発責任者に任命した。斉藤悦朗は、100年近く続いた銀塩写真の歴史を塗り替える挑戦だと意気込んだという[2]。約半年をかけて、試作機をほぼ完成させるに至った[2]。この完成間近の試作機が大賀典雄副社長に見つかってしまい、盛田昭夫会長の知るところとなると、盛田昭夫からの指示で早急に試作機を5機製作し発表することとなった[2]。1981年8月24日に、世界初の電子スチル・カメラがマビカと名付けられ発表された。発表を受けて、「フィルムの要らないカメラの時代が到来するのでは」という憶測が生まれ、感材メーカーの株が売られるなど「マビカショック」と呼ばれる現象が起こった[3]。一方で、銀塩写真の画質には遠く及ばず脅威にならないといった批判的な声も上がった[2][4]。木原信敏は、必ず生涯のうちで銀塩カメラを凌駕する製品を開発してみせると決意したという[2]。この発表をきっかけに、電子スチル・カメラ事業に参入を検討している17社による1983年2月に「電子スチルカメラ懇談会(ESCC[5][注 2]」が組織され、マビカ・システムを基本としつつも、画像信号処理、記録媒体、フォーマットなどを統一化した規格「スチルビデオフロッピーディスクシステム」が、1984年5月に制定された[8]。しかし、参加各社が互換性を保てる技術の習得に時間が掛かり、民生用に製品化されるまで更に数年を要した[8]。こうして、市場に出たマビカをはじめとする電子スチル・カメラは、報道機関や治安当局[注 3]に一定の需要は見られたが、技術並びの規格はビデオ・カメラから派生したものであり、1953年に策定されたテレビジョン信号規格が要求する画質が、銀塩写真に遠く及ばないことに気付くのに時間は要らなかった[9][10]。プリントに耐えられない画質と機器が高価な点などから、後年登場するデジタル・スチル・カメラに駆逐されることとなる[9]

マビカ試作機[編集]

マビカ試作機(1981年)

1981年に発表されたマビカ試作機は、単3形乾電池3本で駆動し、28万画素のCCDイメージャーで得たアナログ信号を、新開発の磁気ディスク(2インチのフロッピー・ディスク)に記録し、50コマの画像が保存できた[3][11]。レンズの交換も可能で、焦点距離25mmで開放F値2のレンズ、焦点距離50mmで開放F値1.4のレンズ及び焦点距離16-65mmで開放F値1.4のレンズが用意された[11]。F値は、ファインダーに表示される点灯した矢印に従って手動で制御する[11]。ISO感度は200相当とされ、シャッター速度は1/60秒のみであった[11]。画像はテレビジョン受信機等で表示できた[11]。日本の国立科学博物館は2014年8月26日、重要科学技術史資料(未来技術遺産)として、世界初の電子スチル・カメラ[注 4]としてマビカ試作機を選定した[13]。選定理由は、画像の即時再生、記録媒体の再利用、通信機器を介した画像伝送に道を開き、「化学」機器であったカメラを「電子」機器として位置付けた革命的な機器であり、後のデジタル・カメラ技術の創造に寄与したものとして貴重であるというものだった[14]日本カメラ博物館で常設展示されているほか、スミソニアン博物館にも収蔵されているという[15]

マビカ試作機 JW-C7[編集]

マビカ試作機で撮影した画像は、現像したうえに写真電送機を用いるより遥かに短時間で遠隔地に転送でき得るもので、報道機関の注目を浴びることとなった[2]。ソニーは朝日新聞社と共同で、1984年開催のロサンジェルス・オリンピック競技大会の取材用にモノクロ専用のJW-C7を開発し1982年10月に発表した[16][17][注 5]。CCDイメージャーは25万画素[16]。紙面に掲載された写真には、「電子カメラ「マビカ」使用」と註が入った[19]

プロマビカ MVC-A7AF[編集]

マビカ初の市販機[注 6]で1987年に発売された[2]。CCDイメージャーは38万画素[21]。レンズはマクロ機能付きの6倍ズームで、オートフォーカスも選択できるが、レンズの交換はできない[21][22]。ESCCが1986年4月に追加仕様として承認した音声記録機能が付加されている[23][24]。単3型乾電池6本で使用でき、価格は480,000JPYだった[23]。1987年度グッドデザイン賞を受賞した[25]

マビカ MVC-C1[編集]

マビカ MVC-C1(1988年)

1988年秋に開催されたフォトキナで発表され、1988年12月に日本で、1989年春に米国で発売した[26][27]。ESCCの統一規格に基づくマビカ初の家庭用電子スチル・カメラ[注 7]で、価格は69,800JPYであった[29][30]。小型化の目標は女性のハンドバッグに入る大きさとし、双眼鏡様とすることで片手での撮影を可能とした[31]。ハイバンド記録モード専用機で、28万画素のMOSイメージャーを用い、単焦点、自動露出、自動調光とし、操作を最小限にしてある[30]。開発にはキヤノンが関わっていたという[32]

プロマビカ MVC-5000[編集]

1989年7月発売[24]。ESCCが1988年7月に追加仕様として承認したハイバンド記録モードが想定する画質を凌駕するカメラ信号を確保することで、電子スチル・カメラとして最高性能を目指して開発された[33]。必要なカメラ信号を得るには、60万画素程度のCCDイメージャーが必要となるが量産技術が確立されておらず、有効画素数38万画素のCCDイメージャー2枚による輝度分離型2板式で代替した[33]。レンズは独自のバヨネット・マウントだが、アダプタを介してニコンのレンズが利用できる[33]CNNがMVC-5000を用いたことで、当局に衛星通信を禁じられるなか、他社に先んじて天安門事件で戦車に立ちはだかる青年の写真を配信することができたと報じられた[34]。実は、ビデオカメラで撮影した画像を、プロマビカ・システムの静止画伝送機DIH-2000で電送したものであったが、これらプロマビカ・システムに対して1990年エミー賞が与えられた[35]

マビカ MVC-A10[編集]

1989年9月発売[24]。MVC-C1を、ESCCが1988年7月に追加仕様として承認したハイバンド記録モードの専用機に改良し、音声記録機能も付加した[24][36]。価格は86,800JPY[24]。MOSイメージャーはMVC-C1と同じ28万画素だった[37]

プロマビカ MVC-2000[編集]

マビカ MVC-2000(1989年)

1989年発売[38]。MVC-A7AFをハイバンド記録モード専用機に改良し、音声記録機能を省いた[38]。CCDイメージャーはMVC-A7AFと同じ38万画素だった[38]

プロマビカ MVC-2010[編集]

1990年発売[39]。MVC-2000で省かれた音声記録機能を戻した[39]

プロマビカ MVC-7000[編集]

1992年に発売し、価格は1,650,000JPYだった[40]。ESCCの統一規格に基づく最後のマビカである[41]。有効画素数37万画素のCCDイメージャーを用い、色、輝度の再現性、カメラ感度で有利な色分解型3板式を採用した[42]。レンズは交換可能で、アダプタを介せばニコン及びキヤノンのレンズも利用できた[43]。ID記録、内蔵再生システム、柔軟な露出補正、高精度な距離測定など当時考え得る限りの機能を搭載した[41]

デジタルマビカ[編集]

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、マビカに関するカテゴリがあります。

脚註[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 斉藤悦朗は、小型部品や小型機械の設計では右に出る者がいないと言われた逸材で、後にマビカの開発でエドアルト •ライン賞を受賞している[2]
  2. ^ 17社の参加で始まった電子スチルカメラ懇談会(ESCC)は、1984年5月31日の規格合意の際には32社に拡大していた[6]。参加社は、旭光学工業BASF、キヤノン、シチズン時計Eastman Kodak富士写真フイルム日立製作所日立マクセル、キーストン・カメラ・オブ・ジャパン、小西六写真工業コパル京セラ松下電器産業マミヤ光機三菱電機ミノルタカメラ日本光学工業日本電気ホームエレクトロニクス日本ビクターオリンパス光学工業Philips Internationalリコー三協精機製作所三洋電機シャープ、スペイスワイド、住友スリーエム諏訪精工舎、ソニー、ティーディーケイ東芝Thomson-Brandtであった[7]
  3. ^ 日本の警視庁は、電子スチル・カメラ・システムを1,500セット購入している[9]
  4. ^ イーストマン・コダックが、1975年にデジタル・スチル・カメラを開発していたとも言われている[12]
  5. ^ 朝日新聞社との共同開発は、1984年のロサンジェルス・オリンピック競技大会の後も、1986年のソウル・アジア競技大会、1988年のソウル・オリンピック競技大会でも継続された[18]
  6. ^ ESCCの統一規格に基づき世界で初めて市販された電子スチル・カメラはキヤノンが1986年に発売したRC-701で、価格は380,000JPYだった[20]
  7. ^ ESCCの統一規格に基づく世界初の家庭用電子スチル・カメラはカシオ計算機が1987年に発売したVS-101で、価格は128,000JPYだった[28]

出典[編集]

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  2. ^ a b c d e f g h i j 木原信敏「世界初電子スチルカメラマビカの開発」『映像情報メディア学会誌』第58巻第12号、一般社団法人映像情報メディア学会、東京、2004年12月1日、1753-1755頁、doi:10.3169/itej.58.1753ISSN 1342-6907全国書誌番号:00106323 
  3. ^ a b 立花敏明「新聞製作技術の軌跡(第26回)」『CONPT』第44巻第6号、一般社団法人日本新聞製作技術懇話会、東京、2020年11月1日、8-12頁、全国書誌番号:010471982024年2月8日閲覧 
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