加藤与五郎

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加藤 与五郎(かとう よごろう、旧字体:加藤 與五郞1872年8月5日明治5年7月2日)- 1967年昭和42年)8月13日)は、日本の化学者工学者、理学博士。

来歴・人物[編集]

愛知県刈谷市出身。同志社ハリス理化学校大学部第二種化学科卒業。京都帝国大学理工科大学純正化学科卒業。米国MITのノイス教授(後にCITの創設者の一人となる)の研究室へ留学。研究室の同僚としてウィリアム・D・クーリッジ博士(en:William D. Coolidge X線を発生させるクーリッジ管タングステン電球の発明者。後にGEの研究所長を務める)に会い終生の友人となる。

東京高等工業学校教授を経て、同校の大学昇格に伴い東京工業大学電気化学科主任教授に就任。在職中に約300件の特許を取得。中でも武井武と共に発明したフェライトは全世界に大きな影響を与え、コンパクトカセット(カセットテープ)などの磁性記録、高周波回路の基礎となっている。

1939年(昭和14年)には、アルミナ製法で得た特許料を大学に寄付し、これによって設立された資源化学研究所の初代所長となる[1][2]。1942年(昭和17年)、同大学名誉教授。勲二等瑞宝章(後に旭日重光章追陞)、藍綬褒章文化功労者同志社大学名誉文化博士。

顕彰・栄典[編集]

略歴[編集]

  • 1872年7月2日 愛知県碧海郡依佐美村(現 刈谷市)に生まれる。
    のち高等小学校卒業後、小学校教師をしていたが退職。中学校教師を目指して、英語・数学を独学。
  • 1893年 同志社ハリス理化学校大学部第二種(化学)入学。
  • 1895年6月28日 同校卒業。
  • 1896年3月 東北学院教師に赴任。
  • 1899年10月 東北学院を退職。同年11月、京都帝国大学聴講生となる。
  • 1900年9月 京都帝国大学理学部化学科に選科生として入学。同月、結婚する。
  • 1903年7月10日 京都帝国大学理工科大学純正化学科卒業。 同年9月に渡米する。
  • 1906年10月11日 東京高等工業学校教授[3]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京工業大学『東京工業大学百年史 部局史』p.701-706, 1985.
  2. ^ 官立工業大学官制中ヲ改正ス・(東京工業大学ニ資源化学研究所附属):国立公文書館デジタルアーカイブ
  3. ^ フェライト子供科学館