レオニード・クロイツァー

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レオニード・クロイツァーLeonid Kreutzer, ロシア語: Леонид Давидович Крейцер Leonid Davidovič Krejcer, 1884年1883年説もある)1月13日 サンクトペテルブルク - 1953年10月30日 東京都)はドイツ日本で活躍したロシア生まれのピアニスト指揮者。ユダヤ系ドイツ人を両親に持つ。ロシア語読みではレオニート・ダヴィードヴィチ・クレーイツェル。妻は門下生だった、クロイツァー豊子(旧姓・織本)。養女のクロイツァー涼子はソプラノ歌手。

略歴[編集]

ショパン全ピアノ作品の校訂版(音楽之友社)、『装飾音』(1948年大化書房)などを著作するとともに、ピアノ曲など作品も残している。

日本が生んだ世界的指揮者の小澤征爾は、日比谷公会堂で、クロイツァーがピアノを弾きながら「皇帝」を指揮したのを見て、指揮者になる決心をした。

昭和24年に東京芸術大学の声楽科に入学した大賀典雄は、クロイツァーの授業(ピアノ科以外の学生にも門戸が開かれていた)を何度も見学していた。[2]

YMO細野晴臣の母方の祖父である中谷孝男は(中谷は国立音楽大学音響工学科講師で、ピアノ調律師でもあった)、クロイツァーのマネージャーだったこともある。

のちの俳優加山雄三1951年頃、家が近所だったため指導を望んだが、クロイツァーは別のピアノ教師を紹介した。加山の両親にピアノに対する熱意が無く、『見栄』で習わせようとしたことにクロイツァーが気を悪くしたためと伝わっているが、クロイツァーの体力的な問題もあったのかもしれない[誰?]。なお、これをきっかけに加山自身はクロイツァーが紹介した女性教師の下で本格的にピアノを始め、のちに弾厚作としてピアノ協奏曲を作曲するまでになった。

門下生[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 現在、「「レコーディングの夜明け」~ジュリアス・ブロックのシリンダー録音集」に収録。
  2. ^ 『レオニード・クロイツァーその生涯と芸術』(山本尚志著、音楽之友社発行)推薦文より。