東郷茂彦

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東郷 茂彦(とうごう しげひこ、1945年1月10日 - )は日本の新聞記者

疎開先の長野県軽井沢町の別荘で双子で生まれ、程なくして帰京。祖父東郷茂徳太平洋戦争開戦時及び終戦時の外務大臣。父東郷文彦は、戦後外務省事務次官駐米大使を務めた。双子の弟東郷和彦は、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長であった(2002年に辞任退職)。

経歴[編集]

父、文彦が外交官だった為、学習院初等科在学中、オランダに1年間、スイスに2年間在住、語学堪能なのは、この頃、身に付けたもの。帰国後、学習院中等科、東京都立日比谷高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、ワシントン・ポスト紙の記者に転じ活動した。1988年に絵本『ちびくろサンボ』の絶版のきっかけとなる日本での黒人の取り扱いの記事を書いたり、1993年には小和田雅子が皇太子妃に決定したことをいち早く報道したスクープ記事で知られる。

人物[編集]

  • 先祖は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工で、姓を朴(パク、ぼく)としていた。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。曽祖父の朴寿勝は優れた陶工で、横浜神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。
  • 東郷姓は祖父の代に買い受けたものだが、同じ薩摩出身の海軍元帥伯爵東郷平八郎と血縁関係はない。
  • 双子の弟の東郷和彦、父の東郷文彦、祖父の東郷茂徳も職業外交官であり、東郷家は戦前から外務省と繋がりが深い。
  • 母方の祖母エディ・ド・ラランド(東郷エヂ)はユダヤ系ドイツ人であった[1]

著作[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 筒井功『新・忘れられた日本人』p.212