ビッグバン・ベイダー

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ビッグバン・ベイダー
VaderWWE2012.png
プロフィール
リングネーム ビッグバン・ベイダー
ベイダー
スーパー・ベイダー
ブル・パワー
本名 レオン・ホワイト
ニックネーム 皇帝戦士
身長 190cm
体重 170kg
誕生日 (1955-05-14) 1955年5月14日(62歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州
リンウッド
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー ブラッド・レイガンズ
デビュー 1985年
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ビッグバン・ベイダーBig Van Vader、本名:Leon White1955年5月14日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーカリフォルニア州リンウッド出身。デビュー以来数々のリングネームを名乗っているが、ビッグバン・ベイダー、ベイダーの名前で最も知られている。

日本で活躍した外国人選手の一人で、三冠ヘビー級王座IWGPヘビー級王座の両タイトルを獲得した最初のレスラーで、なおかつ唯一の外国人レスラーでもある。また、世界タッグ王座IWGPタッグ王座GHCタッグ王座の3大タッグ王座を獲得した最初のレスラーでもある。

息子のジェシー・ホワイトもプロレスラー。

来歴[編集]

学生時代から全米オールスターのアメリカンフットボール選手として鳴らし、ジャパンボウルで来日している。コロラド大学卒業後の1978年NFLロサンゼルズ・ラムズにドラフト3位で入団[1][2]。ルーキーイヤーにチームは第14回スーパーボウルに進出[3]。ゆえに、本人の右手薬指には常に、その証となる『スーパーボウルリング』がつけられている。[4]

1979年7月、ひざの負傷により、リザーブリストに入った[5]

レギュラーシーズンの試合に出場することなく[6]1980年8月、ラムズから解雇された[7]。1978年の入団から2年間で5回ひざの手術をくり返していた[8]

NFLからの引退後、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンマイク・ウィーバースパーリングパートナーなどをしていたが、ブラッド・レイガンズの「レイガンズ道場」にてプロレスのトレーニングを積み、1985年にプロデビュー。ベイビー・ブル(Baby Bull)のリングネームでAWAのマットに上がる。ヨーロッパではブル・パワーのリングネームでCWAに転戦、オットー・ワンツを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得。

その後、マサ斎藤にスカウトされ、1987年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客、ビッグバン・ベイダー[9]として新日本プロレスに登場。アントニオ猪木長州力IWGPヘビー級王座選手権が予定されていたところに TPG が割り込んだため観衆の不満が爆発し、最終的に暴動にまでなるが、ベイダー自身はその騒ぎの中、猪木から3分弱でフォールを奪う(混乱の末に猪木があっけなく負けたことが観衆の怒りに拍車をかけ、新日本はこの件で会場の両国国技館を管理する日本相撲協会から国技館の使用停止処分を受けている)。

1988年から新日本の常連外国人レスラーとして定着、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座を獲得したほか、1991年より並行して当時新日本と提携していたWCWにも登場。WCW世界ヘビー級王座を獲得している。

1993年5月、UWFインターナショナルに移籍。スーパー・ベイダーに改名し、1994年8月には高田延彦を破ってプロレスリング世界ヘビー級ベルトを奪取した。

1996年1月に新日本プロレスに参戦し、正月恒例の東京ドーム大会でアントニオ猪木と対戦するも敗北。翌2月には WWFに移籍。1997年9月には、ケン・シャムロックとの試合貸し出しの形でFMW川崎球場大会に参戦。1998年5月、全日本プロレスに初登場する(リングネームは「ベイダー」を使用)。そしてWWFとの契約解除後の同年11月より本格的に全日本プロレスに参戦。年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、準優勝(パートナーはスタン・ハンセン、公式戦は全勝)。1999年3月、ジャイアント馬場没後初の三冠戦(王座決定戦)で田上明を破り三冠ヘビー級王座を獲得、4月にはチャンピオン・カーニバル優勝。5月の東京ドーム大会(馬場の追悼興行)で三沢光晴に敗れて三冠王座を陥落したものの10月に奪還。2000年2月にはスティーブ・ウィリアムスとコンビ結成し世界タッグ王座を奪取。

全日本プロレス分裂後の2000年10月からは、外国人勢では珍しくプロレスリング・ノアに参加。2001年10月にはスコーピオと組んで初代GHCタッグ王座を獲得。ノア離脱後はWJプロレスを経て、ハッスル、全日本プロレス、MAKEHEN、WWE、TNA、レッスルランドに登場。なお、新日本プロレス離脱後、日本国内では「スーパー・ベイダー」、「ビッグ・ベイダー」、海外では「Vader」などとリングネームを変更した上、マスクやリングコスチュームも違うデザインのものを使用していたが、2005年頃から再びビッグバン・ベイダーのリングネームを使用している。

2008年、コロラドでプロレスリングスクールの準備やプロレス以外のビジネスなども展開。

2009年2月に元WWEのテストとともに来日し、ベイダータイム1, 2を開催。7月にはトレバー・マードックヘイリー・ヘイトレッドランス・ケイドらを伴い、ベイダータイム3, 4を開催した。ベイダータイム3での花束贈呈役は当時グラビアアイドルで翌年プロレス入りする愛川ゆず季であった。

2010年4月29日、ベイダータイム5において、自らの復帰戦を息子ジェシー・ホワイトの日本デビュー戦とともに開催し、往年のライバル藤波と18年ぶりに対戦した。

近年は2005年から本人の権利となっているビッグバン・ベイダーのリングネームを用いることが多い。また、日本でのマネジメントはベイダータイムプロモーション(後にビッグバンタイムプロモーションに改称)が担っている

2012年では、TBSの「クイズタレント名鑑」の人気企画、「USC~史上最大ガチ相撲トーナメント」第三回に登場。また、この年の中盤では、WWE・RAW1000回目を祝うために、1000回目とその数回前の放送にレジェンドとしてサプライズ登場。観客に大歓声で迎えられ、若手のヒール(悪役)であるヒース・スレイターと対戦し、勝利を飾った。

2016年11月、交通事故に見舞われた後日、自身のTwitterで、うっ血性心不全により医師から余命2年であると宣告されていたことを明らかにした。現在、複数の医師の診察を受け、前向きに回復へ向けて取り組んでいる。

2017年4月20日、後楽園ホールでの藤波のデビュー45周年記念ツアーに出場。武藤、AKIRAと組み、藤波、長州、越中組と対戦した。試合後のセレモニー中、突然リング状にあおむけに倒れた。その後意識を回復し、自力で控室へ戻った[10]

得意技[編集]

体格を生かしたパワー・ファイトが主体であるが、身のこなしが軽く空中戦もこなす。得意技ではないが、長州力からIWGPヘビー級王座を獲得した際のフィニッシュ・ホールドは、回転エビ固めである。

ベイダー・ハンマー
相手の胴体や首にアームパンチを連発で浴びせる。ルール上ナックルパートが使えないUWFインターナショナルで多用された技。
ベイダー・アタック
相手に向かって走っていき、ジャンプして正面から腹部をぶつけ、体当たりをする。
浴びせ倒し式ベイダー・アタック
通常は食らわせた後、着地するが、着地せずにそのまま体を浴びせて相手を押しつぶす。稀にしか出さない。
ベイダー・タックル
真正面から相手を包み込むように浴びせるタックル。ショルダータックルとは違い、相手自身で壁に激突したようなダメージを与える。
ビッグバン・クラッシュ
自身の巨体を相手の身体めがけてプレスする技。体重が重い上に、セカンドロープやトップロープの上から繰り出すこともある。
ベイダー・ボム
ノア時代のフィニッシュ・ホールド。リングを背にしてセカンドロープに上り、そこから真下に仰向けになっている相手にボディ・プレスする破壊力抜群の大技。真下の相手を見ながら飛ぶぞ飛ぶぞとフェイントをかけ、プレスするタイミングを計ってから放つため、ありがちな自爆が非常に少なかった。WWEなどではこの技でフィニッシュすることが多い。
チョークスラム
喉輪落としと同型。
スカイハイ・チョークスラム
ノア時代に開発したフィニッシュ・ホールド。相手の股の下を自らの片腕を通して喉を掴む。さらに腕を通した相手の片足を自らの肩に乗せてチョークスラムをかける。これにより高角度で投げることができる。雪崩式でも使用する。
投げっ放しジャーマン・スープレックス
上半身の力で思いっきり後方に投げる。受身が取りにくく非常に危険な技。投げられた相手は空中で「く」の字になることもある。この技で、1996年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会で、アントニオ猪木を一時失神させたことがある。
ビッグクランチ
ベイダーの繰り出す高角度のパワーボム。投げ捨て式が多い。
変形ボディスラム
相手を横に抱えて落とす変形。飛び技の繋ぎ技として多用している。
ドラゴン・スリーパー
藤波戦で使用して以降時々使用している。
ベイダー・サルト
体格の割に身のこなしが軽いベイダーは、ムーンサルトプレスも使いこなす。トップロープ上だけでなくセカンドロープから飛ぶこともある。空中で自らの体勢をやや斜めに捻るのが特徴。

獲得タイトル[編集]

マネージャー[編集]

入場曲[編集]

  • Eyes of the world(rainbow
  • Mastadon
  • Vader Time

コスチューム[編集]

新日本プロレス在籍時、甲冑姿でリングインののち、これをリング中央に置き、両手を広げて、「ベイダー!」の叫びと共にスモークが吹き出すギミック。この甲冑の制作費は5万ドル(当時のレートだと日本円で700万円)だったとのこと。

一応覆面レスラーではあるが、気合いが入ってくると覆面を脱いでしまい時には試合前から脱いでしまったこともあった。

ももいろクローバーZ百田夏菜子が「Z伝説 〜終わりなき革命〜」のPV内にて、コスチュームをオマージュした『ベアダー』というのマスコットを着用している。

その他[編集]

  • 猪木引退における「ファイナル・カウントダウン」でシングル対決した際、試合中猪木に「ガンバッテー!ガンバッテェー!」と叫びながらベイダーハンマーで殴り続けるという異様な一幕がみられた。
  • 映画「北斗の拳」(実写版)に出演している。
  • コスチュームをあまり洗濯せず、対戦相手にとっては匂いも厄介な武器になる。三沢光晴は、「あいつのタイツは、剣道の籠手だよ」と語っている。
  • 新日本プロレス登場当初、山本小鉄には「インベーダー」と、テレビ朝日のアナウンサーには「ビッグ・バンベイダー」と間違って呼ばれたことがあった。ただしアルファベットのつづりはBig Van Vaderであり、これを直接読むのであれば通常はVanは姓の側と一体に読む。天文現象のビッグバンBig Bang)とは異なる。
  • 左上腕に赤黒い傷が見えるが、猪木戦で凶器によって負った傷であり、試合は猪木の反則負け。
  • 日本においてソニーのCDラジカセのCMに出演したことがあり、それを自分の子供たちが誇りに思ってくれたとのこと。
  • 自身のベストバウトに1990年2月10日のスタン・ハンセンとのIWGP戦を挙げている。
  • ファイトスタイルは、「アメリカでやるより日本の方が向いている」と語っている。
  • ベイダータイムでは雫あき(現:雫有希)を発掘した。

注釈[編集]

  1. ^ ロサンゼルス・ラムズ1978年ロースター
  2. ^ Stan Hansen and Vader
  3. ^ Charles Ward (2010年4月8日). “MarketplaceSooner follows father’s steps”. オクラホマ・デイリー. 2013年3月18日閲覧。
  4. ^ 1978年のNFLドラフトで入団記録はあるが、その後の試合出場記録が確認できず、第14回スーパーボウルのロースター登録もされていない。また、スーパーボウルリングは原則として優勝チーム関係者にしか与えられない為、本人がレプリカを所持して自称しているか、記述者がNFCカンファレンスチャンピオンリングをスーパーボウルリングと誤認している可能性がある事に注意されたい。また、1992年から1993年に掛けて同姓同名の選手がラムズに所属していた事にも注意が必要である。
  5. ^ Retirement Considered By France”. The Press Courier (1979年7月28日). 2013年3月18日閲覧。
  6. ^ Mike Mooneyham (2002年7月6日). “Leon “Vader” White Arrested”. 2013年3月18日閲覧。
  7. ^ Transaction”. Reading Eagle (1980年8月27日). 2013年3月18日閲覧。
  8. ^ Chris Dufresne (1989年8月11日). “CENTERPIECE : Doug Smith Quietly Gives the Rams an Anchor for the Offensive Line”. ロサンゼルス・タイムズ. 2013年3月18日閲覧。
  9. ^ キャラクターデザインは獣神ライガーの作者でもある漫画家永井豪
  10. ^ 「ベイダー、藤波45周年セレモニー中に意識失いバッタリ」 - スポーツ報知 2017年4月20日(2017年5月6日閲覧)。

外部リンク[編集]