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ピッツバーグ・スティーラーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピッツバーグ・スティーラーズ
Pittsburgh Steelers
創設 1933年7月8日 (93年前) (1933-07-08)
NFL参入 1933年シーズン
所属地区
  • NFL(1933-現在)
    • AFC(1970-現在)
    北地区(2002-現在)
    中地区(1970-2001)
    • 東カンファレンス(1953-1969)
    センチュリー地区(1967-1969)
    地区分け無し(1953-1966)
    • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)
    • 東地区(1933-1949)
チームデザイン
チームロゴ

ピッツバーグの鉄鋼業協会のマークを元にしたもの[注 1]
チームカラー
 
  ゴールド
ユニフォーム
チーム名
  • ピッツバーグ・スティーラーズ(1940-1942, 1945-現在)
    • カージナルス=ピッツバーグ(カード・ピット)(1944)
    • フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(フィル・ピット)(1943)
    • ピッツバーグ・パイレーツ(1933-1939)
ホームタウン
1933-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1933-現在
1933-現在

ペンシルベニア州ピッツバーグ (1933-現在)

アクリシュア・スタジアム (2001-現在)
スリー・リバース・スタジアム (1970-2000)
ピット・スタジアム (1958-1969)
フォーブス・フィールド (1933-1963)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (6回)
カンファレンス・チャンピオン (8回)
AFC
地区優勝 (25回)
AFC中地区
AFC北地区
ワイルドカード(10回)
プレーオフ進出(37/60回)
AFL合併(1969年)以前
ワイルドカード
球団組織
オーナールーニー・ファミリー
GMオマール・カーン
ヘッドコーチマイク・マッカーシー英語版

ピッツバーグ・スティーラーズ英語: Pittsburgh Steelers、略称: PIT)はNFLに加盟し、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグに本拠地をおくNFLチーム。AFC北地区に所属している。

1970年にNFLとAFLが統合した際AFCに組み入れられた旧NFLの3チーム(他の2チームはクリーブランド・ブラウンズボルチモア・コルツ)のうちの1つである。スーパーボウル制覇6回は、ニューイングランド・ペイトリオッツと並んで最多であり、2度の連覇を達成した唯一のチームである。

QB テリー・ブラッドショー、RB フランコ・ハリス、WR リン・スワンの攻撃陣(1975年の公式戦では、ハリスとロッキー・ブライアーの2人が1000ヤード・ランを記録)に加え、DT ミーン・ジョー・グリーン、MLB ジャック・ランバート、OLB ジャック・ハム、DB メル・ブラント等による強力なディフェンス陣は「スティールカーテン」と呼ばれ相手チームに恐れられた[1]

歴史

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チーム創設から1968年まで

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NFLに現存するチームでは7番目に古い歴史を持っている(アリゾナ・カージナルスグリーンベイ・パッカーズシカゴ・ベアーズニューヨーク・ジャイアンツデトロイト・ライオンズワシントン・レッドスキンズ)。チームは1933年7月8日、フィラデルフィア・イーグルスと同時に、アート・ルーニーによって設立された。設立当初はMLBピッツバーグ・パイレーツと同名のピッツバーグ・パイレーツと称してNFLのイースタン・ディビジョンに所属した。

1940年にピッツバーグの主要産業である鉄鋼業に鑑みピッツバーグ・スティーラーズと改称した。1942年にチームは7勝4敗と初めて勝ち越し、ルーキーのビル・ダドリーはリーディングラッシャーとなった。1943年にダドリーや他の多くの選手が第二次世界大戦に従軍したため、同年はフィラデルフィア・イーグルスと、翌1944年はシカゴ・カージナルスとそれぞれ合同チームを編成した。

1946年にジャック・サザーランドがヘッドコーチとなり復帰したダドリーがラッシング、インターセプト、パントリターンでリーグトップの成績を残しMVPに選ばれる活躍を見せた。1947年には8勝4敗でディビジョンタイトルを獲得しプレーオフに初出場したがフィラデルフィア・イーグルスに0-21で敗れた[2]

サザーランドの次にヘッドコーチとなったジョン・ミケロセンは1948年から1951年の4シーズンで20勝26敗2分の成績に終わり、1952年にはジョー・バック(1935年から1936年にもヘッドコーチ)がヘッドコーチに復帰した。1954年にバックが健康上の理由で辞任し後任にはアシスタントコーチのウォルト・キースリング(1939年から1944年にもヘッドコーチ)が就任した[2]

1957年から1964年までの8シーズンはバディ・パーカーがヘッドコーチを務めた。この間の負け越しは3シーズンだけで1962年には9勝5敗でプレーオフに出場したがデトロイト・ライオンズに10-17で敗れた。

チャック・ノールの時代

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1969年1月27日にチャック・ノールが37歳でヘッドコーチに就任すると、ドラフトで後にプロフットボール殿堂入りする選手を多く獲得した。彼が1969年にドラフトで最初に指名したのはDTのミーン・ジョー・グリーンだった。1969年は1勝13敗に終わったがそれによって1970年のドラフト全体1位指名権を得たチームはテリー・ブラッドショーを指名した。その年の3巡ではCBのメル・ブラント1971年にはジャック・ハム、1972年にはRBのフランコ・ハリスを獲得した[2]

1970年にはチームにとって大きな出来事が2つあった。1つはAFLとの統合によって、AFC中地区に所属することになったこと、もう1つは本拠地をスリー・リバース・スタジアムに移転したことである。1972年には11勝3敗で地区優勝を果たし、地元で行われたオークランド・レイダースとのプレーオフでは、試合終了直前にハリスが行った「イマーキュレート・レセプション」と呼ばれる伝説的プレイ(詳細後述)により逆転勝利を収める(最終スコア13-7)。しかしAFC優勝戦ではパーフェクトシーズンを達成したマイアミ・ドルフィンズに17-21で敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった[2]

1973年には10勝4敗でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがオークランド・レイダースに14-33で敗れた。

1974年から1979年までチームは6年連続地区優勝を果たした。1974年のプレーオフではバッファロー・ビルズを32-14、オークランド・レイダースを24-13で破り第9回スーパーボウルに出場した。スティールカーテンと呼ばれたディフェンスがミネソタ・バイキングスの攻撃を完全に封じ16-6でスーパーボウル初制覇を果たした。1975年には11連勝を含み12勝2敗でシーズンを終え、プレーオフではボルチモア・コルツを28-10、オークランド・レイダースを16-10で破り第10回スーパーボウルダラス・カウボーイズを21-17で破りスーパーボウル史上、グリーンベイ・パッカーズ、マイアミ・ドルフィンズに次いで連覇を達成した3チーム目となった。

1976年は開幕から1勝4敗と苦しんだがその後9連勝して10勝4敗でシーズンを終えた。ボルチモア・コルツを40-14で破ったがフランコ・ハリス、ロッキー・ブライアーが負傷欠場したオークランド・レイダース戦を7-24で落とした。この年のレギュラーシーズン、リン・スワン脳震盪を起こしたプレーについてレイダースのジョージ・アトキンソンを訴えた[3][4]1977年は9勝5敗で終えプレーオフ1回戦でデンバー・ブロンコスに21-34で敗れた。

1978年にはNFLトップの14勝2敗でシーズンを終え、デンバー・ブロンコスを33-10、ヒューストン・オイラーズ戦では9回のターンオーバーを奪い34-5で勝利[5]第13回スーパーボウルでダラス・カウボーイズを35-31で破りスーパーボウルを3回優勝した最初のチームとなった。1979年には12勝4敗でシーズンを終え、プレーオフではマイアミ・ドルフィンズに34-14、ヒューストン・オイラーズを27-13で、ロサンゼルス・ラムズとの第14回スーパーボウルでは試合終盤まで相手QBヴィンス・フェラガモの活躍でリードを許したがジョン・ストールワースへの2本のTDパスで逆転31-19で勝利、4回目のスーパーボウルを制した。現在のところ、スーパーボウル連覇を2度達成した唯一のチームとなっている[2]

1980年は9勝7敗、1981年は8勝8敗でプレーオフ出場を逃した。ストライキでシーズンが短縮された1982年は6勝3敗でプレーオフに出場したがサンディエゴ・チャージャーズに28-31で敗れた。この試合の後、スリー・リバース・スタジアムでは10シーズンの間、プレーオフから遠ざかることとなった。1983年は10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではロサンゼルス・レイダースに10-38で敗れた。1984年も2年連続地区優勝を果たしデンバー・ブロンコスを24-17で破りAFCチャンピオンシップゲームに進出したがこの年シーズンタッチダウンパス記録を更新したダン・マリーノのマイアミ・ドルフィンズに28-45で敗れた[2]

1985年には7勝9敗と14年ぶりに負け越し、1986年には6勝10敗に終わった。ストライキで短縮された1987年は最後の2試合を落とし8勝7敗でプレーオフを逃した。1988年にはここ19シーズンで最悪の5勝11敗に終わり、1989年は開幕2試合を0-51、10-41と大差で敗れたが若いチームはここから持ち直し9勝7敗でシーズンを終え、ワイルドカードプレーオフで26-23とヒューストン・オイラーズを破り、デンバー・ブロンコスとのディビジョナル・プレーオフは23-24とわずか1点差の好ゲームを演じた。1990年には9勝7敗でAFC中地区3チームが並んだが地区内成績が2勝4敗だったチームはプレーオフ出場を逃した。1991年を7勝9敗で終えた後、23シーズンに渡ってヘッドコーチを務めたチャック・ノールが辞任を発表し後任にはビル・カウアーが就任することとなった。

ビル・カウアーの時代

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熱血漢のビル・カウアーの下でチームは彼が就任してから6年連続でプレーオフに進出した。この記録は過去にはポール・ブラウンクリーブランド・ブラウンズ時代に達成しただけであった。カウアーがヘッドコーチを務めた15年間でチームは10回プレーオフに進出、Blitzburghと呼ばれたブリッツを多用した守備を武器に第30回スーパーボウルに出場したがダラス・カウボーイズに敗れた。

2004年シーズン守備でNFL1位。攻撃はラン中心で組み立てられ、新人QBのベン・ロスリスバーガーは数々の新人記録を打ち立てたがスーパーボウル出場を逃した。RBジェローム・ベティスはこの年で引退を決意していたがロスリスバーガーは自分がスーパーボウルに連れて行くのでもう1年プレーしてほしいとベティスに頼んだ。

2005年シーズンでは、チームはAFC第6シードながらプレーオフに出場、インディアナポリス・コルツ戦ではシーズン中ほとんどファンブルしたことのないベティスが試合終盤にファンブルし、相手に攻撃権が渡り大ピンチとなったがコルツのミスに助けられるなど勝ち上がり、第6シードのチームとしては初めてスーパーボウルに出場を果たした。第40回スーパーボウルではシアトル・シーホークスを破り26年ぶりに5度目となるスーパーボウル優勝を果たした。ベティスは故郷デトロイトで行われたこの試合で現役を引退した。

カウアーは2006年シーズン終了後、翌2007年1月7日に家族との時間を大切にしたいと辞任した。

マイク・トムリンの時代

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後任のヘッドコーチはアート・ルーニー2世ダン・ルーニー、GMのトニー・トルバートの3人の話し合いで数人の候補に絞られた[6]。オフェンスコーディネーターのケン・ウィゼンハント[注 2]、オフェンスラインコーチのラス・グリム、元オフェンスコーディネーターのチャン・ゲイリーミネソタ・バイキングスのディフェンスコーディネーターのマイク・トムリンシカゴ・ベアーズのディフェンスコーディネーターのロン・リベラである。1月22日にマイク・トムリンが新ヘッドコーチに選ばれたことがチームから発表された。彼はスティーラーズの歴史上初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチであった。

2008年度の第43回スーパーボウルでは残り35秒からサントニオ・ホームズへの逆転タッチダウンでアリゾナ・カージナルスを27-23で破り史上最多6度目の優勝を飾った。

スーパーボウル連覇を狙った2009年トロイ・ポラマルの負傷などでチームはプレーオフ出場を逃した。この年ロスリスバーガーが脳震盪を起こした次の試合で欠場したがその際ハインズ・ウォードは不満をもらした。

2010年、エースQBのロスリスバーガーがNFLの行動規範に反する行いをしたとして、開幕から6試合[7](その後ロジャー・グッデルコミッショナーにより4試合に減らされた。)出場停止になることが決定された。そのため、チームはかつて控えQBを務めたバイロン・レフトウィッチと契約したが、故障のために欠場することになり、QBはデニス・ディクソン、チャーリー・バッチの2人でロスリスバーガーが復帰するまで開幕から3連勝し[8]、3勝1敗で乗り切った。チームは12勝4敗でAFC第2シードでシーズンを終えた。ディビジョナルプレーオフでは31-24でボルチモア・レイブンズに勝利。AFCチャンピオンシップゲームでは、AFC第6シードながら第1シードのニューイングランド・ペイトリオッツを破ったニューヨーク・ジェッツと対戦して24-19で勝利し、第45回スーパーボウル出場を果たしたがグリーンベイ・パッカーズに25-31で敗れた[9]

2011年、ボルチモア・レイブンズと同じ12勝4敗をあげたが、直接対決で2敗したためワイルドカードでのプレーオフ出場となった[10]。最終週に負傷したRBメンデンホールが欠場[11]、この年チーム最多タックルをあげたライアン・クラーク鎌状赤血球形質の症状がかつて高地であるデンバーで悪化したことがあるため欠場した[12]デンバー・ブロンコスとのワイルドカードプレーオフで、オーバータイムの末、23-29で敗れた[13]。シーズン終了後、オフェンスコーディネーターのブルース・エリアンスが引退を表明した[14]

2013年11月28日のボルチモア・レイブンズ戦でジャコビー・ジョーンズのキックオフリターン中にマイク・トムリンヘッドコーチがフィールド上に侵入し、ジョーンズの進路妨害をした疑いにより、10万ドルの罰金処分を受けた[15]

2014年から三年連続してプレーオフ出場を果たし、うち2014年と2016年は地区優勝を果たしたが、いずれもスーパーボウル出場はならなかった。2017年もまた地区優勝を果たしたが、プレーオフ初戦でジャクソンビル・ジャガーズに敗れた。

2018年は最初の10試合を7勝2敗1分と好調に消化したものの、続く6試合で2勝4敗に終わりプレーオフ出場を逃した。2019年9月、第2週の試合でロスリスバーガーは右肘を痛め、手術の結果シーズン絶望となった。2年連続してプレーオフを逃した。

2020年は開幕から11連勝を果たし、最後の5試合は1勝4敗と失速したものの3年ぶりの地区優勝となった。プレーオフでは初戦でクリーブランド・ブラウンズに敗れた。

2021年1月21日、前ワシントン・フットボールチームのQBドウェイン・ハスキンズと契約した。ロスリスバーガーがシーズン後の引退を示唆する中、チームは地区二位でシーズンを終え、プレーオフに進出するも初戦でカンザスシティ・チーフスに敗れた。シーズン終了後、ロスリスバーガーが引退を発表した。さらにGMのケビン・コルバートが2022年のNFLドラフト後に退任することが発表された。後任にはコルバートの部下であったオマール・カーンが就任した。

2022年4月9日、QBのドウェイン・ハスキンズが交通事故で死亡した[16]。この年のドラフト1巡目でQBケニー・ピケットを指名した。シーズン序盤はミッチェル・トゥルビスキーを先発QBとするも、5戦目以降はピケットを先発とした。最終戦までプレーオフの望みを残したが、地区3位でシーズンを終えプレーオフ進出はならなかった。

2023年、20シーズン連続で勝率を5割以上とした。最終週にワイルドカードでのプレーオフ進出を決めた。プレーオフ初戦でバッファロー・ビルズに敗れた。

2024年ラッセル・ウィルソンと1年契約を結び、ピケットをフィラデルフィア・イーグルスにトレードした[17][18]。この年も勝ち越してプレーオフ出場を決めるも、最後の4試合を連敗し最終週で地区2位となり、第6シードとなった。プレーオフ初戦でもボルティモア・レイブンズに破れ、5連敗でシーズンを終えた。シーズン後ウィルソンはチームを去った。

2025年シーズンは、アーロン・ロジャースと契約してQB1とし、22年連続で勝率を5割以上とした。最終戦でボルティモアに勝利して地区優勝を遂げた。プレーオフ初戦でヒューストン・テキサンズに敗れた。翌日、マイク・トムリンは19年務めたHC職から退任した[19]。トムリンはスーパーボウルのチャンピオンを一度手にし、在任中一度も負け越さなかった。後任は元ダラス・カウボーイズHCのマイク・マッカーシーとなった。

マイク・マッカーシーの時代

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去就が注目されたアーロン・ロジャースは1年契約でチームに復帰した[20]

イマーキュレート・レセプション(Immaculate Reception)

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1972年12月23日のAFCプレーオフ、対レイダース戦。スティーラーズは残り22秒時点で6対7でリードを許している状況。自陣40ヤードからの攻撃、残り10ヤード、既に4thダウンという瀬戸際に追い込まれていた。

ボールを受けたQBのテリー・ブラッドショーは、自陣29ヤード地点から、敵陣35ヤード地点にいたHBのジョン・フッカにパス。しかしフッカはレイダースのセーフティであるジャック・テイタムと接触してパスを取りそこね、ボールはテイタムの体に触れてスティーラーズ陣側に跳ね返った。そのボールを、フランコ・ハリスが地面まであとわずかの地点でキャッチ、相手陣に向けて疾走する。パス不成功が成立したと思って一瞬動きを止めていたレイダース選手は追いつくことができず、ハリスはそのままタッチダウンを奪った。

試合はその後、スティーラーズがTFPも決め終了。13対7により、スティーラーズがAFC優勝戦へ駒を進めた。

このプレイはのちに、無原罪の御宿り(Immaculate Conception=清浄なる受胎)に引っ掛け、「イマーキュレート・レセプション」(Immaculate Reception=清浄なるパスキャッチ)と呼ばれるようになった。絶体絶命の場面からの大逆転を実現したこのプレイは、チーム史上のみならず、NFLの歴史においても屈指の奇跡的プレイとして現在でも語り継がれている。

文化

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スティールカーテン

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1970年代のスティーラーズの強力なディフェンス陣はスティールカーテン(Steel Curtain)と呼ばれている。スティーラーズは1970年代に第9回1974)、第10回1975)、第13回1978)、第14回1979)と4回ものスーパーボウル制覇を経験し、特に強力なディフェンスで敵を圧倒していたことから名付けられた。メンバーはドワイト・ホワイトアーニー・ホームズミーン・ジョー・グリーンL・C・グリーンウッドの4人を指す場合が多い。

ファン

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第43回スーパーボウル優勝パレードに押し寄せるスティーラーズのファン(2009年)

スティーラーズのファンは、スティーラー・ネーション(Steeler Nation)と呼ばれ、ピッツバーグのみならず全米中に居住していると言われている。また、ピッツバーグやその他の地域のスティーラーズファンが集まる地域は、たびたびスティール・カウントリー(Steel Country)と呼ばれている。

スティーラーズが人気になった理由として、工業都市ピッツバーグの特異性が挙げられる。1970年代に4度のスーパーボウル制覇を経験し、市民は大いに盛り上がったものの、この頃からピッツバーグの鉄鋼業はすでに下火となっていた。そのため、市民にとって唯一の希望の存在がスティーラーズであった。また、1980年代のいくつかの製鉄所の閉鎖で、ピッツバーグから転居する住民は相次いだ。しかし、ピッツバーグを離れた市民であったが、転居先でも引き続き故郷へのアイデンティティを強く持っており、それが今日までスティーラーズファンが全米中に所在している状況になっている。

近年では、スティーラーズのファンがアウェイのスタジアムにも多く押しかけることから、チームによってはスティーラーズファンに対して、入場制限を掛けている場合もある[21]

テリブルタオル

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テリブルタオルを振って応援するファン

スティーラーズファンによる応援はNFLでもとりわけ熱狂的であり、特にテリブルタオル(Terrible Towel)というゴールドのタオルを振り回すことで知られている[22]。このテリブルタオルは、地元ラジオ局「WTAE」のスティーラーズ専門アナウンサー、マイロン・コープ(Myron Cope、2005年に引退)の発案で広まった。1975年プレーオフのボルティモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)戦で初めて行われ、以降スティーラーズの象徴的な応援となっている。また、応援グッズに留まらず、ファンの日常生活でも用いられており、今日ではピッツバーグ市民の日用品として定着している。

テリブルタオルの販売による収入は、発達障害身体障害を持つ人々をケアするアレゲニー・バレー・スクールへ寄付され、2007年時点で600万ドル以上を集めている。近年、さまざまなスポーツの応援でたびたび用いられているタオル回しは、このスティーラーズのテリブルタオルが元祖であると言われている。

マスコット

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マスコットのスティーリー・マクビーム

2007年シーズン前、チームは公式マスコットとしてスティーリー・マクビーム(Steely McBeam)を発表した。チームの75周年記念として発表されたスティーリーは、ファンからの7万を超える応募から命名された。

ライバル

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同地区のライバル、クリーブランド・ブラウンズ、ボルチモア・レイブンズ、シンシナティ・ベンガルズに加えてこれまでポストシーズンの対戦を繰り返しているニューイングランド・ペイトリオッツ、オークランド・レイダース、テネシー・タイタンズ、ダラス・カウボーイズなどが挙げられる。また現在のスケジュールでは4シーズンに1回程度しか対戦しないがフィラデルフィア・イーグルスとはプレシーズンゲームで毎年のように対戦している。

クリーブランド・ブラウンズ

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1950年からの対戦成績は最初の40試合の勝敗では9勝31敗であったが2024年終了時点での対戦成績は73勝59敗1分とスティーラーズがリードしている。同時点で、プレーオフでは3度対戦しスティーラーズの2勝1敗となっている。1970年から1985年までの16年間はスティーラーズが全焼した。1999年にブラウンズが再結成された後の対戦成績では圧倒しており2003年から2009年にかけて10連勝した。ビル・カウアーはスティーラーズのヘッドコーチに就任する前、ブラウンズでスペシャルチームコーチ、ディフェンスバックコーチを務めている。2024年シーズン

ボルチモア・レイブンズ

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1996年から2024年までのプレーオフを含む対戦成績は33勝26敗でスティーラーズがリードし、プレーオフに限っても3勝2敗とリードしている。両チームとも強力なディフェンスで知られている。2001年、アクリシュア・スタジアムを本拠地にしてから初のホームでの敗戦がレイブンズ相手の試合であった。このシーズンプレーオフで対戦し、前年のスーパーボウルチャンピオンのレイブンズを27-10で破った。2008年のAFCチャンピオンシップゲームでも対戦しスティーラーズが勝利している。両チームともヘッドコーチの在職期間が長いため、スティ―ラーズのトムリンとレイブンズのハーボ―の対戦数は2024年時点で史上2番目となっている。

シンシナティ・ベンガルズ

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NFLとAFLが統合された1970年から2024年までの対戦成績は64勝36敗でスティーラーズがリードしている。2005年のワイルドカードプレーオフではAFC第6シードのスティーラーズが31-17でベンガルズを破り、ベンガルズQBのカーソン・パーマーはKimo von Oelhoffenのヒットを受けて膝を負傷し退場した。ベンガルズの選手たちは汚いプレーだと非難したがNFLのルールでは正当なルールであり事故と判断されている。2005年、2006年はお互い11勝5敗、8勝8敗で終わり対戦成績も1勝1敗であったがディビジョン内の対戦成績でベンガルズが上位となった。

ニューイングランド・ペイトリオッツ

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1996年、1997年のプレーオフで両者は対戦している。ペイトリオッツにはタイ・ローカーティス・マーティンとピッツバーグ近郊出身の2人の選手が在籍していた。2001年の当時のハインツ・フィールドで行われたAFCチャンピオンシップゲームで番狂わせで敗れた。2004年の第6週で対戦しペイトリオッツの連勝を21で止めたがAFCチャンピオンシップゲームでチームは敗れた。1998年から2007年までの10年間で7回対戦したがその内6回チームは敗れた。2008年フォックスボロ・スタジアムで行われた試合で相手QBのマット・キャセルから5回のターンオーバーを奪って33-10で勝った。2024年終了時点で、プレーオフを含む通算成績はスティーラーズが16勝19敗とリードされているている。

ラスベガス・レイダース

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1970年代からのライバル関係にある。プレーオフでの初対戦となった1972年12月23日の試合ではフランコ・ハリスイマーキュレート・レセプションで13-7と勝利した。翌1973年のプレーオフでは敗れたが1974年、1975年のAFCチャンピオンシップゲームではいずれもレイダースを降した。1976年のチャンピオンシップゲームでも両者は対戦したがこの試合でリン・スワンジョージ・アトキンソンの激しい当たりで負傷退場し試合はレイダースの勝利に終わった。チャック・ノールヘッドコーチがこれを厳しく批判したことに対してレイダースとアトキンソンはノールに対して名誉毀損訴訟を行ったが敗れている。近年はレイダースが低迷しているためプレーオフでの対戦はない。2024年シーズン終了時点の通算成績は16勝17敗でレイダースにリードされている。

ダラス・カウボーイズ

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1960年にカウボーイズが創設された際、コットン・ボウルで最初に対戦したのがスティーラーズであった。この試合は35-28でスティーラーズが勝利した。両チームはスーパーボウルで3回対戦しており、最初の2回の対戦(第10回スーパーボウル、第13回スーパーボウル)ではスティーラーズが勝利した。第13回スーパーボウルに出場した選手、コーチの合計20人がプロフットボール殿堂入りを果たしておりこれはこれまでのスーパーボウル最多の人数となっている。1977年にカウボーイズは第12回スーパーボウルを制覇したが11月にスリー・リバース・スタジアムでの対戦ではスティーラーズが28-13で勝利した。ロジャー・ストーバック現役最後のシーズンとなった1979年にも両チームはスリー・リバース・スタジアムで対戦し14-3でスティーラーズが勝利した。1970年代、1980年代合計8回の対戦中6回はスティーラーズが勝利したが1990年代には第30回スーパーボウル[注 3]での27-17の勝利を含めて4試合ともカウボーイズが勝利した。2024年シーズン終了時点の通算成績は24勝20敗でスティーラーズがリードしている。

2026年シーズン

スティーラーズ の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区ConSOSSOV平均得点平均失点
2026 000.0000-00-0----
2025 ワイルドカード敗退4位優勝1070.5884-28-4.503.45323.422.8
2024 ワイルドカード敗退6位2位1070.5883-37-5.502.45322.420.4
2023 ワイルドカード敗退7位3位1070.5885-17-5.540.57117.919.1
2022 レギュラーシーズン敗退8位3位980.5293-35-7.522.45318.120.4
2021 ワイルドカード敗退7位2位971.5594-27-5.521.49020.223.4
2020 AFC決勝敗退3位優勝1240.7504-29-3.475.44826.019.5
2019 レギュラーシーズン敗退7位2位880.5003-36-6.502.32418.118.9
2018 レギュラーシーズン敗退7位2位961.5944-1-16-5-1.504.44826.822.5
2017 ディビジョナル敗退2位優勝1330.8126-010-2.453.42325.419.2
2016 AFC決勝敗退3位優勝1150.6885-19-3.494.42324.920.4
2026年シーズンのスティーラーズの対戦相手
AFCNFC
前年西地区南地区北地区東地区西地区南地区北地区東地区
1位 ブロンコス ジャガーズ スティーラーズ ペイトリオッツ シーホークス パンサーズ ベアーズ イーグルス
2位 チャージャーズ テキサンズ レイブンズ ビルズ ラムズ バッカニアーズ パッカーズ カウボーイズ
3位 チーフス コルツ ベンガルズ ドルフィンズ 49ers ファルコンズ バイキングス コマンダース
4位 レイダース タイタンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス セインツ ライオンズ ジャイアンツ

 :1度対戦  :2度対戦

ピッツバーグ・スティーラーズ 2026
米国日本対戦相手スコア勝敗開催地備考
19/13(日)9/14(月)アトランタ・ファルコンズアクリシュア・スタジアム
29/20(日)9/21(月)@ニューイングランド・ペイトリオッツジレット・スタジアム
39/27(日)9/28(月)シンシナティ・ベンガルズアクリシュア・スタジアム
410/1(木)10/2(金)@クリーブランド・ブラウンズハンティントン・バンク・フィールド
510/11(日)10/12(月)インディアナポリス・コルツアクリシュア・スタジアム
610/18(日)10/19(月)@タンパベイ・バッカニアーズレイモンド・ジェームス・スタジアム
710/25(日)10/25(日)夜@ニューオーリンズ・セインツフランスの旗 スタッド・ド・フランス
811/1(日)11/2(月)クリーブランド・ブラウンズアクリシュア・スタジアム
9Bye Week
1011/15(日)11/16(月)@シンシナティ・ベンガルズペイコー・スタジアム
1111/22(日)11/23(月)@フィラデルフィア・イーグルスリンカーン・フィナンシャル・フィールド
1211/27(金)11/28(土)デンバー・ブロンコスアクリシュア・スタジアム
1312/6(日)12/7(月)ヒューストン・テキサンズアクリシュア・スタジアム
1412/14(月)12/15(火)@ジャクソンビル・ジャガーズエバーバンク・スタジアム
1512/20(日)12/21(月)ボルチモア・レイブンズアクリシュア・スタジアム
16カロライナ・パンサーズアクリシュア・スタジアム
171/3(日)1/4(月)@テネシー・タイタンズニッサン・スタジアム
18@ボルチモア・レイブンズM&Tバンク・スタジアム
AFC北地区 2025
チーム勝率DIVCON総得点総失点平均得点平均失点SOVSOS
(4)ピッツバーグ・スティーラーズ1070.5884-28-439738723.422.8.453.503
ボルチモア・レイブンズ890.4713-35-742439824.923.4.408.507
シンシナティ・ベンガルズ6110.3533-35-741449224.428.9.451.521
クリーブランド・ブラウンズ5120.2942-44-827937916.422.3.418.486
AFC 2025
順位チーム地区勝率DIVCONSOVSOS
地区優勝
1デンバー・ブロンコス西1430.8245-19-3.378.422
2ニューイングランド・ペイトリオッツ1430.8245-19-3.370.391
3ジャクソンビル・ジャガーズ1340.7655-110-2.425.478
4ピッツバーグ・スティーラーズ1070.5884-28-4.453.503
ワイルドカード
5ヒューストン・テキサンズ1250.7065-110-2.441.522
6バッファロー・ビルズ1250.7064-29-3.412.471
7ロサンゼルス・チャージャーズ西1160.6475-18-4.425.469
8インディアナポリス・コルツ890.4712-46-6.382.540
9ボルチモア・レイブンズ890.4713-35-7.408.507
10マイアミ・ドルフィンズ7100.4123-33-9.378.488
11シンシナティ・ベンガルズ6110.3533-35-7.451.521
12カンザスシティ・チーフス西6110.3531-53-9.363.514
13クリーブランド・ブラウンズ5120.2942-44-8.418.486
14ラスベガス・レイダース西3140.1761-53-9.451.538
15ニューヨーク・ジェッツ3140.1760-62-10.373.552
16テネシー・タイタンズ3140.1760-62-10.275.574
タイブレーク
・ ブロンコス・ペイトリオッツ:共通の対戦相手との勝率によりブロンコスが上位
・ テキサンズ・ビルズ:直接対決での全勝によりテキサンズが上位
・ コルツ・レイブンズ:カンファレンス内勝率によりコルツが上位
・ チーフス・ベンガルズ:カンファレンス内勝率によりベンガルズが上位
・ レイダース・ジェッツ・タイタンズ:カンファレンス内勝率によりレイダースが上位
・ ジェッツ・タイタンズ:勝利相手の勝率(SOV)によりジェッツが上位

成績

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AFC北地区(2002年-現在)

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地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2025 PIT(4w)1070 BAL890 CIN6110 CLE5120
2024 BAL(3d)1250 PIT(6w)1070 CIN980 CLE3140
2023 BAL(1c)1340 CLE(5w)1160 PIT(7w)1070 CIN980
2022 CIN(3c)1240 BAL(6w)1070 PIT980 CLE7100
2021 CIN(4s)1070 PIT(7w)971 CLE890 BAL890
2020 PIT(3w)1240 BAL(5d)1150 CLE(6d)1150 CIN4111
2019 BAL(1d)1420 PIT880 CLE6100 CIN2140
2018 BAL(4w)1060 PIT961 CLE781 CIN6100
2017 PIT(2d)1330 BAL970 CIN790 CLE0160
2016 PIT(3c)1150 BAL880 CIN691 CLE1150
2015 CIN(3w)1240 PIT(6d)1060 BAL5110 CLE3130
2014 PIT(3w)1150 CIN(5w)1051 BAL(6d)1060 CLE790
2013 CIN(3w)1150 PIT880 BAL880 CLE4120
2012 BAL(4v)1060 CIN(6w)1060 PIT880 CLE5110
2011 BAL(2c)1240 PIT(5w)1240 CIN(6w)970 CLE4120
2010 PIT(2s)1240 BAL(5d)1240 CLE5110 CIN4120
2009 CIN(4w)1060 BAL(6d)970 PIT970 CLE5110
2008 PIT(2v)1240 BAL(6c)1150 CIN4111 CLE4120
2007 PIT(4w)1060 CLE1060 CIN790 BAL5110
2006 BAL(2d)1330 CIN880 PIT880 CLE4120
2005 CIN(3w)1150 PIT(6v)1150 BAL6100 CLE6100
2004 PIT(1c)1510 BAL970 CIN880 CLE4120
2003 BAL(4w)1060 CIN880 PIT6100 CLE5110
2002 PIT(3d)1051 CLE(6w)970 BAL790 CIN2140

AFC中地区(1970年-2001年)

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年度地区優勝2位3位4位5位6位
チームチームチームチームチームチーム
2001 PIT(1c)1330 BAL(5d)1060 CLE790 TEN790 JAX6100 CIN6100
2000 TEN(1d)1330 BAL(4v)1240 PIT970 JAX790 CIN4120 CLE3130
1999 JAX(1c)1420 TEN(4s)1330 BAL880 PIT6100 CIN4120 CLE2140
1998 JAX(3d)1150 TEN880 PIT790 BAL6100 CIN3130
1997 PIT(2c)1150 JAX(5w)1150 TEN880 CIN790 BAL691
1996 PIT(3d)1060 JAX(5c)970 CIN880 HOU880 BAL4120
1995 PIT(2s)1150 CIN790 HOU790 CLE5110 JAX4120
1994 PIT(1c)1240 CLE(4d)1150 CIN3130 HOU2140
1993 HOU(2d)1240 PIT(6w)970 CLE790 CIN3130
1992 PIT(1d)1150 HOU(5w)1060 CLE790 CIN5110
1991 HOU(3d)1150 PIT790 CLE6100 CIN3130
1990 CIN(3d)970 HOU(6w)970 PIT970 CLE3130
1989 CLE(2c)961 HOU(4w)970 PIT(5d)970 CIN880
1988 CIN(1s)1240 CLE(4w)1060 HOU(5d)1060 PIT5110
1987 CLE(2c)1050 HOU(4d)960 PIT870 CIN4110
1986 CLE(1c)1240 CIN1060 PIT6100 HOU5110
1985 CLE(3d)880 CIN790 PIT790 HOU5110
1984 PIT(3c)970 CIN880 CLE5110 HOU3130
1983 PIT(3d)1060 CLE970 CIN790 HOU2140
1982 CIN(3w)720 PIT(4w)630 CLE(8w)450 HOU180
1981 CIN(1s)1240 PIT880 HOU790 CLE5110
1980 CLE(2d)1150 HOU(5w)1150 PIT970 CIN6100
1979 PIT(2v)1240 HOU(4c)1150 CLE970 CIN4120
1978 PIT(1v)1420 HOU(5c)1060 CLE880 CIN4120
1977 PIT(3d)950 CIN860 HOU860 CLE680
1976 PIT(3c)1040 CIN1040 CLE950 HOU590
1975 PIT(1v)1220 CIN(4d)1130 HOU1040 CLE3110
1974 PIT(v)1031 HOU770 CIN770 CLE4100
1973 CIN(d)1040 PIT(d)1040 CLE752 HOU1130
1972 PIT(c)1130 CLE(d)1040 CIN860 HOU1130
1971 CLE(d)950 PIT680 HOU491 CIN4100
1970 CIN(d)860 CLE770 PIT590 HOU3101

NFL東カンファレンス・センチュリー地区(1967年-1969年)

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地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
1969 CLE(n)1031 NY680 StL491 PIT1130
1968 CLE(n)1040 StL941 NO491 PIT2111
1967 CLE(c)950 NY770 StL671 PIT491

NFL東カンファレンス(1953年-1966年)

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優勝2位3位4位5位6位7位8位
チームチームチームチームチームチームチームチーム
1966 DAL(n)1031 CLE950 PHI950 StL851 WAS770 PIT581 ATL3110 NY1121
スーパーボウル開始
1965 CLE(n)1130 DAL770 NY770 WAS680 PHI590 StL590 PIT2120
1964 CLE(v)1130 StL932 PHI680 WAS680 DAL581 PIT590 NY2102
1963 NY(n)1130 CLE1040 StL950 PIT743 DAL4100 WAS3110 PHI2102
1962 NY(n)1220 PIT950 CLE761 WAS572 DAL581 StL491 PHI3101
1961 NY(n)1031 PHI1040 CLE851 StL770 PIT680 DAL491 WAS1121
1960 PHI(v)1020 CLE831 NY642 StL651 PIT561 WAS192
1959 NY(n)1020 CLE750 PHI750 PIT561 WAS192 CHC2100
1958 NY(n)930 CLE930 PIT741 WAS471 CHC291 PHI291
1957 CLE(n)921 NY750 PIT660 WAS561 PHI480 CHC390
1956 NY(v)831 CHC750 WAS660 CLE570 PIT570 PHI381
1955 CLE(v)921 WAS840 NY651 CHC471 PHI471 PIT480
1954 CLE(v)930 PHI741 NY750 PIT570 WAS390 CHC2100
1953 CLE(n)1110 PHI741 WAS651 PIT660 NY390 CHC1101

NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)

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優勝2位3位4位5位6位
チームチームチームチームチームチーム
1952 CLE(n)840 NY750 PHI750 PIT570 CHC480 WAS480
1951 CLE(n)1110 NYG921 WAS570 PIT471 PHI480 CHC390
1950 CLE(v)102x NYG102x PHI66x PIT66x CHC57x WAS39x

NFL東地区(1945年-1949年)

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優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
1949 PHI(v)1110 PIT651 NYG660 WAS471 NYB1101
1948 PHI(v)921 WAS750 NY480 PIT480 BOS390
1947 PHI(n)840 PIT840 BOS471 WAS480 NY282
1946 NY(n)731 PHI650 WAS551 PIT551 BOS281
1945 WAS(n)820 PHI730 NY361 BOS361 PIT280

NFL西地区(合同チーム、1944年)

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優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
1944 GB(v)820 CHI631 DET631 CLE460 Card-Pitt0100

NFL東地区(合同チーム、1943年)

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優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
1943 WAS(n)631 NY631 Phil-Pitt541 BK280

NFL東地区(1933年-1942年)

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優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
1942 WAS(v)1010 PIT740 NY551 BK380 PHI290
1941 NY(n)830 BK740 WAS650 PHI281 PIT191
1940 WAS(n)920 NY830 BK641 PIT272 PHI1100
1939 NY(n)911 WAS821 BK461 PHI191 PIT191
1938 NY(v)821 WAS632 BK443 PHI560 PIT290
1937 WAS(v)830 NY632 PIT470 BK371 PHI281
1936 BOS(n)750 PIT660 NY561 BK381 PHI1110
1935 NY(n)930 BK561 PIT480 BOS281 PHI290
1934 NY(v)850 BOS660 BK470 PHI470 PIT2100
1933 NY(n)1130 BK541 BOS552 PHI351 PIT362

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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ピッツバーグ・スティーラーズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
32フランコ・ハリスFranco HarrisFB1972–1983
70アーニー・スタウトナーErnie StautnerDT1950–1963
75ミーン・ジョー・グリーンJoe GreeneDT1969–1981

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号名前ポジション在籍期間選出年
36カル・ハバードCal HubbardOT19361963
15ジョニー・ブラッド・マクナリーJohnny "Blood" McNallyFB19341963
-ヘッドコーチ1937–1939
35ビル・ダドリーBill DudleyRB1942, 1945–19461966
35ウォルト・キースリングWalt KieslingOG1936–19381966
-ヘッドコーチ1939–1944, 1954–1956
22ボビー・レーンBobby LayneQB1958–19621967
36マリオン・モトリーMarion MotleyFB19551968
70アーニー・スタウトナーErnie StautnerDT1950–19631969
14ジョニー・ユナイタスJohnny UnitasQB19551979
75ミーン・ジョー・グリーン"Mean" Joe GreeneDT1969–19811987
35ジョン・ヘンリー・ジョンソンJohn Henry JohnsonRB1960–19651987
16レン・ドーソンLen DawsonQB1957–19591987
59ジャック・ハムJack HamLB1971–19821988
47メル・ブラントMel BlountCB1970–19831989
12テリー・ブラッドショーTerry BradshawQB1970–19831989
32フランコ・ハリスFranco HarrisRB1972–19831990
58ジャック・ランバートJack LambertLB1974–19841990
7ジム・フィンクスJim FinksQB1949–19551995
52マイク・ウェブスターMike WebsterC1974–19881997
88リン・スワンLynn SwannWR1974–19822001
82ジョン・ストールワースJohn StallworthWR1974–19872002
26ロッド・ウッドソンRod WoodsonCB1987–19962009
80ジャック・バトラーJack ButlerCB1951–19592012
63ダーモンティ・ドーソンDermontti DawsonC1988–20002012
36ジェローム・ベティスJerome BettisRB1996–20052015
21トニー・ダンジーTony DungyS1977–19782016
-コーチ1981–1988
91ケビン・グリーンKevin GreeneLB1993–19952016
43トロイ・ポラマルTroy PolamaluS2003–20142020
31ドニー・シェルDonnie ShellS1974–19872020
66アラン・ファニカAlan FanecaOG1998–20072021
コーチ・エグゼクティブ
名前役職在籍期間選出年
バート・ベルBert Bell共同オーナー1941–19461963
ヘッドコーチ1941
アート・ルーニーArt Rooney創設者、オーナー1933–19881964
チャック・ノールChuck Nollヘッドコーチ1969–19911993
ダン・ルーニーDan Rooneyエグゼクティブ、オーナー1975–20172000
マイク・マンチャックMike Munchakコーチ2014–20182001
ディック・ルボーDick LeBeauコーチ1992–1996, 2004–20142010
ラス・グリムRuss Grimmコーチ2001–20062010
ビル・カウアーBill Cowherヘッドコーチ1992–20062020
ビル・ナンBill Nunnスカウト1968–20142021

ホール・オブ・オナー

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スーパーボウルMVP

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75周年オールタイムチーム

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2007年にファン投票で75周年を記念したオールタイムチームが決められた[23]

プロフットボール殿堂入り選手

イタリック - キャリアをスティーラーズのみで終えた選手

歴代ヘッドコーチ

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ビル・カウアー
マイク・トムリン

その他

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  • 2002年シーズンから2011年シーズンまで、NFL初の女性アスレティックトレーナーとして磯有理子が在籍した[24]
  • オーナーグループの一人であるトーマス・タルがプロデューサーを務めるダークナイト ライジングでは、試合シーンの撮影が当時のハインツ・フィールドで行われ、ベン・ロスリスバーガーなども選手役で出演している[25]

脚注

[編集]

注釈

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  1. ヘルメットの右側にのみロゴが入っている
  2. アリゾナ・カージナルスのヘッドコーチに就任し第43回スーパーボウルでスティーラーズと対戦した。
  3. スティーラーズのQBニール・オドネルのパスを2回インターセプトしたラリー・ブラウンがMVPを獲得した。

出典

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  1. 印象に残る守備陣のニックネームTOP6”. NFL JAPAN (2012年5月17日). 2012年5月17日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 Steelers History
  3. An Old Raider’s Old-School Values”. ニューヨーク・タイムズ (2009年12月7日). 2010年5月7日閲覧。
  4. A Walk On The Sordid Side”. スポーツ・イラストレイテッド (1977年8月1日). 2010年5月7日閲覧。
  5. Steelers Utilize Nine Turnovers In 34-5 Victory”. Sarasota Herald-Tribune (1979年1月8日). 2010年12月25日閲覧。
  6. Official site of the Pittsburgh Steelers
  7. 暴行騒動の“ビックベン”、6試合の出場停止処分に”. NFL JAPAN (2010年4月22日). 2012年1月18日閲覧。
  8. 3連勝スティーラーズ、第4週もバッチが先発QB継続”. NFL JAPAN (2010年9月29日). 2012年1月18日閲覧。
  9. パッカーズ、14年ぶりスーパーボウル制覇!”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2012年1月18日閲覧。
  10. スティーラーズ鉄壁守備で勝利も、エースRB負傷退場”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  11. スティーラーズに痛手、RBメンデンホールがプレイオフ欠場”. NFL JAPAN (2012年1月3日). 2012年1月18日閲覧。
  12. スティーラーズHC、Sクラークのブロンコス戦欠場を決断”. NFL JAPAN (2012年1月4日). 2012年1月18日閲覧。
  13. ティーボウ大活躍、ブロンコスがOTの死闘を制す”. NFL JAPAN (2012年1月9日). 2012年1月18日閲覧。
  14. スティーラーズ、オフェンスコーディネーターが引退”. NFL JAPAN (2012年1月21日). 2012年1月21日閲覧。
  15. リターン妨害によりスティーラーズHCに罰金処分 来季ドラフト指名権に影響も”. NFL JAPAN (2013年12月5日). 2014年4月5日閲覧。
  16. Pittsburgh Steelers QB Dwayne Haskins dies at 24 after being hit by vehicle”. NFL.com. 2022年4月10日閲覧。
  17. Wilson signed to one-year contract”. Pittsburg Steelers. 2024年3月16日閲覧。
  18. スティーラーズがQBピケットをイーグルスにトレード、ラッセル・ウィルソンの先発QBの道を確保”. NFL Japan. 2024年3月16日閲覧。
  19. スティーラーズを19年率いたマイク・トムリンHCが退任”. 2026年1月14日閲覧。
  20. Steelers sign Rodgers”. 2026年5月19日閲覧。
  21. Rooney: Opposing teams discriminate Steelers fans”. TRIBUNE-REVIEW (2006年4月7日). 2021年2月11日閲覧。
  22. 伝統は「強力ディフェンス」 NFLの名門スティーラーズ”. 47NEWS (2014年5月29日). 2021年2月11日閲覧。
  23. Official site of the Pittsburgh Steelers - Article Archived 2010年3月4日, at the Wayback Machine.
  24. Steelers hire league's first full-time female athletic trainer スポーツイラストレイテッド 2008年7月25日
  25. http://www.nfljapan.com/headlines/23065.html スティーラーズの選手たちが「バットマン」に出演

外部リンク

[編集]