ザ・ミズ

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ザ・ミズ
The Miz March 2015.jpg
プロフィール
リングネーム ザ・ミズ<cbr />マイク・ミザニン
本名 マイケル・グレゴリー・ミザニン
ニックネーム マネーメーカー
マルチメディアプラットフォームスーパースター
自称イカしている男
身長 187cm
体重 104kg
誕生日 1980年10月8日(35歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オハイオ州の旗 オハイオ州パルマ
所属 WWE
トレーナー アル・スノー
ビル・デモット
デビュー 2004年
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ザ・ミズThe Miz1980年10月8日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーである。WWE所属。本名はマイケル・グレゴリー・ミザニンMichael Gregory Mizanin)。オハイオ州パルマ出身。WWE公式サイトでは近隣の主要都市であるクリーブランド出身とされている。

オールドスクールなレスリングと優れたマイクパフォーマンスを武器にWWEのトップヒールとして活躍中。ミズの熱狂的ファンのことをミズフィッツと呼ぶ。

来歴[編集]

元々はMTVリアリティ番組「リアル・ワールド」や「フィア・ファクター」などに出演していた。 子供の頃からのWWEファンであり、2004年の10月に、100万ドルタフイナフに参加する。予選を勝ち進み11月の腕相撲トーナメントで他の6人を抜いて、決勝戦進出が決定する。12月12日のアルマゲドンダニエル・ピューダーとのディクシー・ドッグ・ファイト(つまり、ボクシング試合)で決勝戦が行われるが決着がつかず、観客によって決められることになる。その結果準優勝となるが、WWEに認められ、WWEと契約することとなった。 その後しばらくは下部組織のOVWなどで活動する。

2006年 - 2007年[編集]

2006年6月2日、WWEのスマックダウンに登場し、しばらくは試合はせずにディーヴァビキニコンテストの司会などをこなす。8月にリングデビューし、ブギーマンとの抗争を開始する。12月17日のアルマゲドンではブギーマンに負けミミズを顔にかけられてしまう。 他にはミズTVというコーナーがあったが、特に目立った活躍はできなかった。

2007年6月11日のRAWのWWEドラフトでECWへの移籍が決定。エクストリーム・エクスポーゼをマネージャーにつけ活動する。10月28日のサイバー・サンデーCMパンクの持つECW王座の挑戦者に選ばれる。王座に挑むも敗れ、ECWに移籍してから初黒星を喫した。11月16日のスマックダウンでジョン・モリソンとタッグを組み、マット・ハーディーMVP組とのWWEタッグ王座戦で王座を奪取する。試合後すぐにMVPが再戦権を行使し、再び王座戦が行われるが、ミズ&モリソン組がまたも勝利し初の王座防衛に成功する。

2008年[編集]

タッグパートナーのモリソン(右)と。(2009年)

この頃からモリソンとミズは、WWEに所属しているほかのレスラーをからかって、トークしあう「ダート・シート」を放送開始する。彼らのパフォーマンスはとても優れており、WWE.comの中でも特に人気の高い番組となった。

その後もジェシーフェスタス組やCMパンク&ケイン組、フィンレーホーンスワグル組相手に防衛を続けるが7月20日のグレート・アメリカン・バッシュで、ジェシー&フェスタス、ジ・エッジヘッズ、フィンレー&ホーンスワグルとのフェイタル4ウェイでジ・エッジヘッズがジェシー&フェスタス組を下したため、ジ・エッジヘッズにWWEタッグ王座を奪われる。 王座を失ってからは同じくWWE.com上で番組を持っているクライム・タイムと抗争する。 12月のスラミー賞特番でタッグチーム賞を受賞し、WWEの公式ホームページで発表されたWWE.com企画賞を受賞する。 12月13日のカナダでのハウス・ショーで、CMパンク&コフィ・キングストン組から世界タッグ王座を勝ち取る。

2009年[編集]

2月頃からWWEタッグ王者カリートプリモ組とベラ・ツインズを交え抗争し、4月5日のWrestleMania XXVでコロンズとタッグ王座統一戦を行うが、コロンズに敗れ王座を失う。翌日のRAWで再戦権を行使し、王座に挑戦するが再び敗れる。その翌週のRAWで行われたドラフトでミズがコフィと試合を行うがモリソンの介入により反則負けとなり、RAWが選択権を得る。その結果RAWはミズを選択し、モリソンとのタッグは解散となった。

RAWに移籍後はジョン・シナの主演映画の興行成績をからかったり、挑発していた。ついにザ・バッシュにてシナと直接対決するもののあっさりと敗れた。7月のナイト・オブ・チャンピオンズでは以前から好意を示していたマリースに誘いを断られボロクソに言い放った。自身は6パック・チャレンジ形式のUS王座戦に参戦し、主導権を終始握っていたが王座奪取とはならなかった。

8月3日のRAWではホストのジェレミー・ピヴェンにシナとの試合を組むように要求する。ピヴェンは了承したもののランバージャック形式での試合を組み、試合に負けたらサマースラム出場禁止、ステイプルズ・センターへの立ち入り禁止、さらにはRAW追放という条件をつけられてしまう。結局シナとの一戦に敗れ、RAWから追放となる。しかし、翌週のRAWでWWEとの契約を懸けたポール・マッチに覆面をしてカルガリー・キッドとして出場、ユージンに勝利した。試合後にもユージンに暴行を加えるなど試合前とは全く違う一面を見せてから、覆面を取りRAWに復帰した。復帰後は衣装を変え、勝利を重ねており、再びUS王座戦線に名乗りを上げる。その後、幾度か王座奪取に失敗していたが10月5日のRAWでコフィ・キングストンを破りUS王座を獲得する。

2010年[編集]

2月18日のRAWでビッグ・ショーと組みDXの持つWWE統一タッグ王座に3ウェイタッグマッチで挑戦しショーン・マイケルズからフォールを奪い王座を獲得。またNXTでは「プロ」として「ルーキー」ダニエル・ブライアンを担当する。

エクストリーム・ルールズにおいてタッグによるガントレッチマッチでハート・ダイナスティに破れ翌日のRAWで統一タッグ王者をかけて対決。必殺のシャープシューターをかけられミズがタップアウトしWWE統一タッグ王座を失う。

5月17日のRAWでブレット・ハート相手に反則無しのUS王座の防衛戦を行い敗北。US王座を失う。5月24日のRAWでブレットが王座を返上したことで行われた王座戦にてR・トゥルースと戦うが敗北。しかし6月14日のRAWにてRトゥルース、ジョン・モリソン、ザック・ライダーとのUS王座戦にて勝利、再びUS王者になる。

6月8日開始のNXTシーズン2でもプロを務めることとなり、アレックス・ライリーを指導する。ライリーは3位で惜しくも脱落するも、ミズと個人契約を結び、RAWで行動を共にしている。自分が闘いたくない相手との試合では仮病で放棄し、代わりにライリーを闘わせたりしている。

7月18日のマネー・イン・ザ・バンクにてRAWのマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチで優勝しマネーの権利を手にする。NXT第1期で担当したダニエル・ブライアンと抗争の末に、9月19日のナイト・オブ・チャンピオンズで敗れUS王座は手放すが、ブラッギング・ライツでチームRAWのリーダーを務めるなど日に日に存在感が高まる。

11月22日のRAWでマネーの権利を行使し、王座防衛戦後で足を負傷し弱っていたランディ・オートンからWWE王座を獲得。初の最高王座載冠となった。

2011年[編集]

1月30日のロイヤルランブルにて、New Nexusの介入により王座を防衛後、実況席から突如ランブル戦に乱入しジョン・シナを落として失格にしてしまう。

2月20日のエリミネーション・チェンバーではRAWでのバトルロイヤルを制したジェリー "ザ・キング" ローラーの挑戦を退け、その後は同日のチェンバー戦での挑戦者決定戦に勝利したジョン・シナおよびレッスルマニアでのゲストホストとして復帰したザ・ロックと抗争を展開した。

4月3日のWrestleMania XXVII本大会でのWWE王座戦ではロックの介入もあり王座防衛に成功するが、試合後にロックのピープルズ・エルボーを食らった。翌週のRAWにてエクストリーム・ルールズでの自身への挑戦権をかけたガントレット戦にライリーと共に乱入した結果、タイトル戦は三つ巴戦に変更され、同大会において同王座から陥落した。

5月22日のオーバー・ザ・リミットにおいてシナに再戦を挑んだが、王座奪還には失敗した。この敗戦の責任をライリーに押し付けた為、ライリーとの仲間割れを起こし抗争を開始した。

6月19日のキャピタル・パニッシュメントにおいてライリーに敗れるも抗争は継続したが、7月17日のマネー・イン・ザ・バンク出場に伴い抗争は終了した。

ライリーとの抗争後、R・トゥルースオーサム・トゥルースを結成。シナと抗争を繰り広げるも、11月のサバイバー・シリーズにてシナ & ザ・ロックに敗戦した。シナとの口論の末トゥルースを裏切って暴行。アングル上の負傷欠場に追い込むが、トゥルースが復帰後抗争を繰り広げた。

2012年[編集]

ロイヤルランブルエリミネーション・チェンバーで活躍し、レッスルマニアでもジョニー軍の一人として、最後の一撃を入れ勝利を決めるが、それ以降はそれほど目立った活躍が無く、ブローダス・クレイの抗争相手として連敗。5月頃に映画の撮影のため、リングを離れていたが、7月のマネー・イン・ザ・バンクにて復帰。元WWE王者しか出られないマネー戦の少し前に現れてマイクパフォーマンスを行い、そのままマネー戦に出場した(結果は敗戦)その後、RAW1000回目にてクリスチャンIC王座に挑戦、相手の膝の負傷をうまく利用し王座取得となった。それからトークコーナー「ミズTV」を開くなどしていたがライバックなどに敗戦が続き、始まったばかりの水曜番組WWE Main Eventにてコフィ・キングストンに敗れ王座陥落。直後のヘル・イン・ア・セルの再戦でも王座復活とはならなかった。

その後はコフィ・キングストンを敵視し、一時はサバイバー・シリーズのエリミネーション戦を前にCMパンク軍に加入し、コフィとの対峙が叶うかに見えた。しかしその後CMパンクと口論になりチームを脱退、対戦相手であったミック・フォーリー軍に加入し、ベビーターンを果たす。

2013年[編集]

RAW20周年記念放送中のミズTVにて、リック・フレアーから4の字固めを伝授され、フィニッシャーとして使用するようになり、また、アントニオ・セザーロとも抗争。US王座を賭けて戦ったが、取得ならず。ズル勝ちされ怒りの暴行を加えたことも。祭典ではウェイド・バレットと抗争、IC王座を取得するも翌RAWで奪い返された。

その後一か月ほど映画撮影で休場し、復帰の後バレットやファンダンゴカーティス・アクセルらとIC王座戦線で抗争。 秋ごろにはワイアット・ファミリーと抗争。主にコフィ・キングストンと組んで戦っていたが、その後のリアル・アメリカンズ戦やライバック&アクセル戦においてキングストンを裏切ることでヒールターンするように見せつつ、クリスマスを馬鹿にするダミアン・サンドウに食って掛かるなど、ベビーらしい点も残している。

2014年[編集]

上半期は映画の撮影のスケジュールが入っていたためフルタイムで番組に登場していない。3月24日のRAWでは映画のPRのため特別出演したアーノルド・シュワルツェネッガージョー・マンガニエロそしてスペシャルホストのハルク・ホーガンのトークに割って入るがシュワルツェネガーによってリング外に排除された。レッスルマニア30ではアンドレ・ザ・ジャイアント・メモリアル・バトルロイヤルに参加したが中盤で脱落。

一体のブランクをはさみ(自身の主演映画である「The marine 4」の撮影によるもの)6月30日のRAWにて久々に番組に登場。自らを復帰前にも映画を撮影したことからハリウッドスターだと言い張り、入場ムービーもハリウッドの風景や、自身の出演したテレビ番組の映像を組み合わせたものになった。しかし、マイクパフォーマンス中にクリス・ジェリコが復帰。舌戦を仕掛けたがコードブレーカーを喰らい黙らされてしまった。7月20日のWWEバトルグラウンドにてインターコンチネンタル王座を賭けたバトルロイヤルに出場。途中でリング外にて待機し、最後にリング上に残ったジグラーを脱落させ、自身3度目となるIC王座を獲得した。

自身の代役として、一挙手一投足を真似するようになったダミアン・サンドウ(後にダミアン・ミズドウと改名)と組みドルフ・ジグラーと抗争を開始、翌月のサマースラムにおいてジグラーに王座を奪われる。その後ジグラーと抗争を続けナイト・オブ・チャンピオンズで4度目のIC王座を獲得。だが翌RAWでジグラーに1日で王座を奪われた。

その後、タッグ戦線に乗り出すが、ミズドウの人気に嫉妬し、ミズドウに出番を与えない様にする。11月のサバイバー・シリーズにて、ミズドウとともにタッグ王座を獲得したが自身でベルトを独占。

2016年[編集]

4月4日、RAWにてリング上でザック・ライダーがWWE IC王者になった事に対して観客と会場に来ていた父親に感謝の言葉を述べていたところに乱入。王座戦を行い、中盤にザックの父親に気を取られている隙を突かれて攻められるが終盤には妻であるマリース・ウエレが観客席より乱入。ザックの父親とマリースの言い争いに気を取られているところザックの隙を突いてスカル・クラッシング・フィナーレを決めて勝利。ベルトを奪取した[1]

得意技[編集]

スカル・クラッシング・フィナーレ
カルガリー・キッドとして登場したユージンとの契約争奪マッチから使い始めたフィニッシュ・ホールド。相手をフルネルソンで捕らえ、相手の足を刈りながら前方へ倒れこむ変型ストローククリス・ジェリコが使用していた「ブレイク・ダウン」と同型。
リアリティ・チェック
2007年から2009年8月まで使用していたフィニッシュ・ホールド。いわゆるスウィンギング・ネックブリーカー。前かがみになっている相手にダッシュして、膝を顔面にかちあげるように叩き込んでから技に入る。
ミザード・オブ・オズ
2006年 - 2007年まで使用していたフィニッシュ・ホールド。オズの魔法使い(Wizard of Oz)に掛けている。相手を回転させて勢いをつけたリバースDDT。
DDT
2009年のRAW移籍直後にフィニッシャーとして使用していたスナップ式DDT。現在はつなぎ技として使用中。
フライング・クローズライン
コーナーにもたれかかっている相手に飛びながら、ロープ中段に腰掛けるようにクローズラインを行う。試合中に一度は必ずと言っていいほど使用する。
バックブリーカー&ネックブリーカー
リバースDDTの体勢から、自分の立てた膝に相手の背中をバックブリーカー状に打ちつけてネックブリーカーに繋ぐ。
リバースDDT
2011年から使用している。2010年までWWEに所属していたヴァンス・アーチャーのように足を振りかぶって反動を付ける。
4の字固め
名手リック・フレアーから直々に伝授された関節技。

決め台詞[編集]

  • Because I'm The Miz, and I'm awesome!(なぜなら俺はミズだ!そして俺はイカしてるんだ!)
  • Really?Really?Really?(マジで?マジで?マジで?)
少し間をおいて三度繰り返す。観客は「Really(マジだ)」とチャントで返すのがお約束。

獲得タイトル[編集]

WWE

OVW

  • OVW南部タッグ王座 : 1回

DSW

  • DSWヘビー級王座 : 1回

入場曲[編集]

  • Reality
  • I Came To Play - 現在使用中

脚注[編集]

  1. ^ WWE RAW Results – 4/4/16 (Live in Dallas, Styles becomes No. 1 contender, NXT stars debut, WrestleMania fallout)”. Wrestleview.com. 2016年4月4日閲覧。

外部リンク[編集]