コンテンツにスキップ

タリー・ブランチャード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タリー・ブランチャード
タリー・ブランチャードの画像
2014年
プロフィール
リングネーム タリー・ブランチャード
本名 タリー・アーサー・ブランチャード
ニックネーム ザ・ミッドナイト・スタリオン
身長 180cm - 184cm
体重 102kg - 109kg
誕生日 (1954-01-22) 1954年1月22日(70歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州
ベア郡サンアントニオ[1]
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー ジョー・ブランチャード英語版
ホセ・ロザリオ
デビュー 1975年[2]
テンプレートを表示

タリー・ブランチャードTully Arthur Blanchard1954年1月22日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州サンアントニオ出身[1]。生誕地はカナダアルバータ州カルガリーとされる場合もある[3]

タッグの名手であり、ジノ・ヘルナンデスとのダイナミック・デュオアーン・アンダーソンとのブレーン・バスターズなどで活躍した。1980年代に一世を風靡したフォー・ホースメンのオリジナル・メンバーとしても知られる。

父親はサンアントニオを本拠地とするサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングのプロモーターだったジョー・ブランチャード英語版。娘のテッサ・ブランチャードもプロレスラーである[3]

来歴

[編集]

スタン・ハンセンブルーザー・ブロディも在籍していたウエスト・テキサス州立大学の出身で、大学時代は彼らと同じくアメリカンフットボール部に所属。当時のチームメイトにはテッド・デビアスティト・サンタナがいた[1]1975年のデビュー後、レスラー兼プロモーターの父親ジョー・ブランチャード英語版が運営する地元サンアントニオのSCW(Southwest Championship Wrestling)で活動。1978年2月1日にはトーナメントを征し、新設されたサウスウエストTV王座(後のサウスウエスト・ヘビー級王座)の初代チャンピオンに認定された[4]

当初はベビーフェイスとして売り出され、ブル・ラモスデイル・バレンタインと抗争していたが、やがてヒールに転向。ワフー・マクダニエルテリー・ファンクボブ・スウィータンらとサウスウエスト・ヘビー級王座を争い、SCWのフラッグシップ・タイトルである同王座には、1983年までに通算11回戴冠した[4]。タッグでは、1981年よりジノ・ヘルナンデスダイナミック・デュオThe Dynamic Duo)を結成。若手の悪党コンビとして頭角を現し、ワフー・マクダニエル&テリー・ファンク、チャボ・ゲレロ&マニー・フェルナンデスブルーザー・ブロディ&ディック・スレーターなどのチームを相手に、サウスウエスト・タッグ王座を5回[5]、SCW世界タッグ王座を2回獲得している[6]

1984年にヘルナンデスとのタッグを解消し、ノースカロライナNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)に転出。同年3月28日にマーク・ヤングブラッドからTV王座を奪取し[7]リッキー・スティムボートダスティ・ローデスと抗争を展開した[8][9]1985年7月21日にはマグナムTAを破ってUSヘビー級王座を獲得[10]、以降もマグナムTAと抗争を繰り広げ、11月28日開催の『スターケード』ではアイ・クイット・マッチで雌雄を決した[11]

USヘビー級王座戴冠中の1985年、リック・フレアーオレイ・アンダーソンアーン・アンダーソンらとフォー・ホースメンThe Four Horsemen)を結成[12]。当時のNWAを象徴するヒール・ユニットの一員として、公私にわたって悪名を轟かす[13]1986年3月4日にはダスティ・ローデスを破り、ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングのタイトルだったNWAナショナル・ヘビー級王座を獲得[14]。同王座は8月28日にワフー・マクダニエルに奪取されるも[14]、11月27日には再びダスティ・ローデスを下し、世界タイトルとなったTV王座に返り咲いている[15]。以降、前王者ローデスをはじめ、ディック・マードックバリー・ウインダムジミー・バリアントロニー・ガービンフェイスターンしたオレイ・アンダーソンらの挑戦を退け[16]、翌1987年8月17日にニキタ・コロフに敗れるまで、世界TV王者として長期政権を築いた[15]

タッグでは、1987年9月29日に盟友アーン・アンダーソンとのコンビでロックンロール・エクスプレスからNWA世界タッグ王座を奪取[17]。その後もバリー・ウインダム&レックス・ルガーロード・ウォリアーズミッドナイト・エクスプレスボビー・イートン&スタン・レーン)などの強豪チームとタイトルを争った[18]

ブレーン・バスターズ(右がブランチャード、左がアーン・アンダーソン

1988年9月10日にミッドナイト・エクスプレスにNWA世界タッグ王座を明け渡した後、10月よりアーン・アンダーソンと共にWWFに移籍[19]。WWFではボビー・ヒーナンマネージャーに、ブレーン・バスターズThe Brain Busters)のチーム名を与えられ、ブリティッシュ・ブルドッグスダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)、ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)、ストライク・フォース(リック・マーテル&ティト・サンタナ)、ザ・ロッカーズマーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)などのチームと抗争[20]1989年7月18日にはアックススマッシュデモリッションからWWF世界タッグ王座を奪取[21]、NWAとWWFの2大タッグ・タイトルへの戴冠を果たした。

しかし同年末、ドラッグ検査に違反してWWFを解雇される[1]。やがてアンダーソンもWWFを離脱してNWA(ジム・クロケット・プロモーションズを買収したWCW)に復帰、"オリジナル" フォー・ホースメン再結成も噂されたがドラッグ問題のためブランチャードの再契約は見送られ[1]、以降はインディー団体を転戦。崩壊寸前の末期AWAにも出場していた[22]。この間、過去の放蕩生活を悔い改めて新生キリスト教徒となり、1990年代初頭にセミリタイアして説教師に転身した[1]

その後も宣教活動の傍ら単発的にリングに上がり、1994年5月22日に行われたWCWのPPVイベント "Slamboree" では、SCW時代から因縁の浅からぬテリー・ファンクと対戦[23]1995年にはECWに登場し、1月から3月にかけてシェーン・ダグラスECW世界ヘビー級王座に連続挑戦した[24]。同年10月29日には藤波辰爾が旗揚げした無我の旗揚げ興行に初来日、メインイベントで藤波と対戦している[25]

2000年代に入ってからもオールドタイマーによるイベントに時折参戦し、かつてのライバルたちとエキシビション・マッチを行っている。2006年には短期間ながら、WWEでロード・エージェントを任されていたこともあった[2]

2012年、リック・フレアー、アーン・アンダーソン、バリー・ウインダムおよびマネージャーのJ・J・ディロンと共に、フォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた[26]

得意技

[編集]

獲得タイトル

[編集]
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:11回[4]
  • SCWサウスウエスト・タッグ王座:5回(w / ジノ・ヘルナンデス[5]
  • SCW世界タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス)[6]
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回[27]
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション / WWE
ナショナル・レスリング・アライアンス

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f Tully Blanchard: The Most Dangerous of the Four Horsemen”. Associated Content. 2009年8月10日閲覧。
  2. ^ a b Tully Blanchard”. Online World of Wrestling. 2015年10月20日閲覧。
  3. ^ a b Tully Blanchard”. Cagematch.net. 2015年10月20日閲覧。
  4. ^ a b c SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月6日閲覧。
  5. ^ a b SCW Southwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
  6. ^ a b SCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月6日閲覧。
  7. ^ a b NWA Mid-Atlantic Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2008年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月6日閲覧。
  8. ^ The WCW matches fought by Tully Blanchard in 1984”. Wrestlingdata.com. 2015年4月6日閲覧。
  9. ^ The WCW matches fought by Tully Blanchard in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015年4月6日閲覧。
  10. ^ a b NWA/WCW United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月6日閲覧。
  11. ^ NWA Starrcade 1985”. Cagematch.net. 2015年10月19日閲覧。
  12. ^ Four Horsemen”. Online World of Wrestling. 2015年10月19日閲覧。
  13. ^ リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P218-220(2004年、エンターブレインISBN 4757721536
  14. ^ a b c NWA National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月20日閲覧。
  15. ^ a b c NWA/WCW World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月6日閲覧。
  16. ^ The WCW matches fought by Tully Blanchard in 1987”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  17. ^ a b NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
  18. ^ The WCW matches fought by Tully Blanchard in 1988”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  19. ^ The WWE matches fought by Tully Blanchard in 1988”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  20. ^ The WWE matches fought by Tully Blanchard in 1989”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  21. ^ a b History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月12日閲覧。
  22. ^ The AWA matches fought by Tully Blanchard in 1990”. Wrestlingdata.com. 2015年10月20日閲覧。
  23. ^ WCW Slamboree 1994 "A Legends Reunion"”. Cagematch.net. 2015年4月6日閲覧。
  24. ^ The ECW matches fought by Tully Blanchard in 1995”. Wrestlingdata.com. 2015年4月6日閲覧。
  25. ^ Muga 1995/10/29”. Cagematch.net. 2015年4月6日閲覧。
  26. ^ a b WWE Hall of Fame”. WWE.com. 2012年3月31日閲覧。
  27. ^ NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月6日閲覧。
  28. ^ NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。

外部リンク

[編集]