ダニー・スパイビー
ダニー・スパイビー | |
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![]() WWFでのウェイロン・マーシー (1995年) | |
プロフィール | |
リングネーム |
ダニー・スパイビー ダン・スパイビー ウェイロン・マーシー イーグル |
本名 | ダニエル・ユージーン・スパイビー |
ニックネーム |
黄金の鷲 ゴールデン・ボーイ |
身長 | 203cm |
体重 | 127kg |
誕生日 | 1952年10月14日(70歳) |
出身地 |
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スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
トレーナー |
ダスティ・ローデス バリー・ウインダム リック・マーテル |
デビュー | 1984年 |
ダニー・スパイビー(Danny Spivey、1952年10月14日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。フロリダ州タンパ出身。金髪と203cmの巨体から日本では「黄金の鷲」の異名を持ち、主に全日本プロレスで活躍した。ザ・デストロイヤーの元娘婿でもある。
来歴[編集]
デビュー〜WWF時代[編集]
ジョージア州立大学在学中はアメリカンフットボールで体を鍛え、1984年に幼い頃からファンだったというエディ・グラハムにスカウトされ大学卒業後にプロレス入り。ダスティ・ローデス、バリー・ウインダム、リック・マーテルといった錚々たるレスラー達からレスリングの手解きを受け、ノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区でデビューを果たす。
デビュー後はイーグルというリングネームを名乗り、練習仲間だったコヨーテことスコット・ホールとタッグチーム「アメリカン・スターシップ」を結成し、主にセントラル・ステーツ地区で活動。チームを解散するとミッドアトランティックに戻るが、1986年にWWF(現・WWE)に入団。ゴールデン・ボーイのニックネームで売り出し、離脱したバリー・ウインダムの後任としてマイク・ロトンドのタッグパートナーにもなるが芽が出ず、目立った活躍を果たせないまま離脱することとなった。
全日本プロレス[編集]
1988年5月、全日本プロレスに初来日。その風貌から黄金の鷲と呼ばれ、スタン・ハンセン、スティーブ・ウィリアムス、テリー・ゴディと共に全日本最強外国人の1人として活躍。
1989年には当時アメリカのトップスターだったスティングが全日本に初来日した際、シングルマッチで対戦し勝利を収めた。
同時期、アメリカではNWA〜WCWを主戦場に、シッド・ビシャスとの大型タッグチーム「スカイ・スクレイパーズ」を結成。リック&スコットのスタイナー・ブラザーズなどと抗争を展開した(ビシャスが怪我で離脱後は、後にジ・アンダーテイカーとして活躍するマーク・キャラスがパートナーとなる)。
1991年4月18日、日本武道館で当時同じく全日最強外国人として活躍していたスティーブ・ウィリアムス&テリー・ゴディの殺人魚雷チームが持っていた世界タッグ王座にハンセンと組んで挑戦。第15代世界タッグ王者となった。
2度目のWWF〜引退後[編集]
全日本を離脱後は、1995年にWWFと再契約。トレードマークだった金髪を黒く染め、ウェイロン・マーシーのリングネームでアロハシャツに入れ墨という精神異常者ギミックに変身した(ウェイロン・マーシーのキャラクターは1991年に公開された映画『ケープ・フィアー』でロバート・デ・ニーロが演じた主人公=マックス・ケイディをモチーフにしている。同作品は1962年公開の映画『恐怖の岬』のリメイク版)。
引退後は兄の経営する建設会社で働いている。一時期、フロリダの芸能プロダクションに在籍し、俳優やモデル等の仕事をしていた。
得意技[編集]
- スパイビー・スパイク
- いわゆるDDTでスパイビーの日本での代名詞的必殺技。相手を抱え込み一気に落とす。落とす前に立てた人差し指をくるくる振り回すパフォーマンスを挟むことも多かった。
- スリーパーホールド
- ウェイロン・マーシー時代のフィニッシュ。
- ブルドッギング・ヘッドロック
- サイドウォークスラム
- スパイン・バスター
- スクラップ・バスター
- ビッグブーツ