大日本プロレス

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大日本プロレスリング興業株式会社
Big Japan Pro-Wrestling
種類 株式会社
略称 大日本
大日
BJW
本社所在地 日本の旗 日本
224-0053
神奈川県横浜市都筑区池辺町4364
アムフルス3階
設立 1994年12月21日
業種 サービス業
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
飲食店の経営
代表者 代表取締役社長 登坂栄児
主要子会社 四ツ葉工芸
レスラーズ運輸
関係する人物 グレート小鹿(創業者)
外部リンク 大日本プロレス公式サイト
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創業者のグレート小鹿
代表取締役社長の登坂栄児

大日本プロレス(だいにほんプロレス)は、日本プロレス団体[注釈 1]。運営は大日本プロレスリング興業株式会社(だいにほんプロレスリングこうぎょう)と、その子会社有限会社四ツ葉工芸(よつばこうげい)。

デスマッチ団体を標榜しており派手なデスマッチを特徴としている。旗揚げ当初こそ試行錯誤を重ね徐々に看板をデスマッチに特化していった。その後、ストロングスタイルのプロレスの台頭を経て現在に至る。

歴史[編集]

1994年12月21日日本プロレスおよび全日本プロレス出身のプロレスラーでWARの営業部長としてフロント入りしていた小鹿信也(グレート小鹿)が、同年10月に興行活動を停止したNOWケンドー・ナガサキらとともに設立した。旗揚げには、NOWから所属していた若手の谷口裕一とNOWで社長であった登坂栄児がレフェリーとして参加。さらに、元UWF所属であったブルーザー岡本東京プロレス所属の山川征二(後の山川竜司。山川もNOW所属であったが谷口や登坂と異なり、東京プロレスを経由して大日本に移籍している)、生え抜き第1号となった練習生の小林洋輔(アブドーラ小林)が所属選手となり、I.W.A.JAPANや東京プロレスなど他団体の協力を得て陣容を整えた。

1995年3月16日横浜文化体育館で旗揚げ戦が行われた。草創期は現在も続くデスマッチ路線のほか、エースのナガサキが「打倒、ヒクソン・グレイシー」を明言して総合格闘技への進出を表明、団体も「ハラキリ」と称してナガサキのバーリトゥード路線を支えたが、9月26日ジーン・フレージャー戦で36秒でKOされ惨敗を喫して以降は、バーリトゥード路線は頓挫。デスマッチを中心とした純プロレス路線に方向性を特化していく。

草創期のデスマッチアイテムとしてはFMWなどでも行われていた有刺鉄線(当初、大日本では「バラ線」と称していた)がメインであったが、W★INGプロモーション出身のグレート・ポーゴ(ミスター・ポーゴ)松永光弘中牧昭二などが参戦する様になってからは過激なデスマッチ路線に拍車がかかり、中牧が所属以前に主戦場としていたIWAジャパンで頻繁に行われていた画鋲やガラスを使用したデスマッチ、さらには松永が考案したサボテン、サソリ、ワニなどを使用した奇抜なデスマッチにファンの注目が集まった。また、若手選手の中から山川や小林、さらにIWAジャパンから移籍した志賀悟(シャドウWX)などがデスマッチ路線に投じ、後に中心選手として活躍する素地を築いたと言える。また、社長の小鹿自身も当時50代後半に差し掛かりながら現役として復帰、自らデスマッチに出場して、また出場時の様々なコスプレも話題となった。

1996年には後述する新日本プロレスとの抗争が勃発し、翌1997年1月4日の新日本の東京ドーム大会では小鹿を筆頭に5名が出場したがそれ以上の進展はなかった。話題作りの一環として同年7月にはレスリング・ベア(クマ)の招聘を計画していたものの動物愛護団体の反発により頓挫するなど試行錯誤が続いたが、最終的にはデスマッチ路線に再び活路を見出すこととなった。この間に中心選手であったナガサキや中牧が大日本を離脱し、デスマッチ路線の陣容は松永、山川、小林、WXらが中心に変わり、新たにデビューした本間朋晃葛西純などが参入、さらにはアメリカのハードコア団体CZWと提携するなど、陣容を整えてきた。現在の大日本のデスマッチとして代名詞となっている「蛍光灯デスマッチ」は、この当時在籍していた本間によって考案されている。

1999年からは「大日本最侠タッグリーグ戦」を開催。2003年を最後に一度休止となるが、2009年復活した。

2001年12月2日には横浜アリーナへの興行に進出。ミル・マスカラステリー・ファンクの招聘、ガラス爆破デスマッチのほか、当時、頭蓋骨骨折で長期戦線離脱していた山川竜司の復帰戦が行われるなど、現在に至るまで最大規模の興行となっている。なお、横アリ進出に至った経緯については、当時後楽園大会が不入りが続くなど団体が崩壊寸前まで陥っていたため、それに対する「ショック療法」だったと登坂栄児が社長就任後に語っている[1]。その一方、開催資金用の借入金の返済が2008年初頭までかかった。

この頃に前後して、上記の選手勢に加え関本大介伊東竜二沼澤直樹("黒天使"沼澤邪鬼)ら若手選手の陣容も整ってきたことから、社長の小鹿は興行に出場する機会が少なくなり「ちゃんこ屋」などの副業に進出、統括部長である登坂が代わって興行の現場監督的な立場として表舞台に立つ様になった。

現在は、自主興行のほか、DDTプロレスリングKAIENTAI DOJOと「天下三分の計」と称した合同興行なども行っている。また、2007年からは、「興行権付き福袋」と称して、正月に興行権をファンに販売し、興行を開催するという企画も実施している。

2010年に開催された設立15周年記念大会にあっては、かつてCZW軍の主要員であったニック・ゲージのみならず、欠場となったトレント・アシッドの代理としてCZWオーナーのDJハイドが参戦。おおよそ10年ぶりの団体交流が実現した。またこの頃から「ストロングBJ」をスローガンに掲げ、既に関本大介を通じて関係を持っていたZERO1との交流を深めるなどストロング部門にも力を入れるようになる。9月9日新宿FACE大会にて関本がZERO1 世界ヘビー級王座奪取に成功した。同年には大日本が音頭を取り「年越しプロレス」を開催し、メジャー・インディー・女子など30以上の団体、プロモーションが後楽園ホールに集結して大会を成功に導いた。

2011年、2月から4月にかけてデスマッチ部門でのシングルリーグ戦「一騎当千」を開催、優勝者の佐々木貴には5月5日横浜文体でのデスマッチヘビー級次期挑戦権が与えられた。このリーグ戦の期間中にあたる3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)と東京電力福島第一原子力発電所での事故が発生。施設の損傷と電力事情悪化で、21日夜開催予定の後楽園ホール大会開催が危ぶまれたが、震災後後楽園初開催となった昼のアイスリボンに続いて無事開催にこぎつけた。ストロング部門では全日本プロレスと交流。3月21日両国国技館大会にて関本大介・岡林裕二が同団体のアジアタッグ王座を獲得した。7月、それまで代表取締役社長を務めていた小鹿が退任し、後任として統括部長だった登坂栄児が代表取締役社長に昇格する(小鹿は代表権のない取締役会長に)。8月25日後楽園、元全日本女子プロレスのリングアナウンサーの今井良晴がゲストでリングコールを行い、これ以降、今井リングアナが後楽園・横浜文体を中心に彼が死去する直前の2013年6月30日まで参加。12月、業務提携を行っているCZWwXwのライセンス契約締結。

2012年、前年に続きシングルリーグ戦「一騎当千」を開催。前年と違い、こちらはストロング部門のリーグ戦となり、これ以降、奇数年をデスマッチ部門、偶数年をストロング部門で開催される。リーグ戦に優勝した佐々木義人は、大日本ヘビー級王座廃止で消滅していたストロング部門の新王座創設を明言。「BJW認定世界ストロングヘビー級王座」が創設され、5月5日、横浜文体にて初代王者決定戦が行われた。6月より六角橋商店街で行われていた商店街プロレスを、横浜市商店街総連合会との共同企画で市内10数ヶ所に拡大し開催。7月15日、デスマッチ新世代の一人であった山川竜司が札幌テイセンホール大会をもって引退する(但しスタッフとして会社には残る)。

2012年下半期に入り、金村事件の影響で他団体より遅れ気味であったネット上での活動を活発化。まず事件の影響で禁止していた選手個人ブログの開設や、Twitterの利用を解禁。動画共有サイトでも12月にYouTube、翌2013年2月15日ニコニコ動画にて専門チャンネルを開設。同時にメディア部を新宿区に設立し、横浜本社から独立させる。このメディア部はニコ生のスタジオを兼ねている。

2013年5月、ストロングスタイルトーナメント「RISING」を開催。16人が出場し週1回ごとの3日間で決勝まで4試合を争い、河上隆一が優勝した。また、選手の離脱が相次ぎ層が薄くなっていたプロレスリング・ノアにもストロング部門から一部選手が参戦。一方、全日本プロレスが「鎖国」を打ち出したのに伴い交流が途絶え、代わってその全日本から分裂して旗揚げされたWRESTLE-1と交流が開始され、本格的な相互参戦が行われる。7月に今井良晴リングアナが死去した事を受けて追悼興行が10月1日後楽園ホールにて全女OGを中心とする女子選手の協力を得て開催された。スタッフの追悼興行は業界内でも異例の事である。

2013年から2014年にかけては欠場選手が続出し、一時はフリーのレギュラー参戦者を含め10人近くが欠場する異常事態となる。これを受けて「一騎当千 -strong crimb-」は中止になる方向だったが、選手側からの要望により時期をずらしての開催となった。その後は徐々に選手が復帰し新人選手もデビューする一方、大日本所属選手の退団や引退などが相次いだ上、団体設立の経緯から友好関係にあったプロレスリングFREEDOMSからデスマッチのレギュラー参戦者がいなくなるなど、陣容の大幅な入れ替えを迫られることになった。

2015年、団体旗揚げから20周年に当たるのを記念して7月20日両国国技館へ進出[2]し、成功を収め2016年の両国開催も決定させた。他に札幌、横浜、名古屋、大阪、広島、福岡のビッグマッチツアーを行なっている[3]。また後楽園ホール3連戦の最終日だった8月18日の開催日程を、悪性リンパ腫で闘病中の垣原賢人を支援する「Moving On〜カッキーエイド〜」に提供する形で協力した(垣原との接点はほとんどなかったが、同じプロレス界の人物として協力に至った)[4]。この年の後半より経営体制の変わった全日本との交流を再開し、2016年から新木場1stRingで若手中心の興行を毎月交互に開催している。

主な出来事[編集]

新日本プロレスとの抗争[編集]

1996年6月30日、「力道山OB会&プロレス」が横浜アリーナで開催した「メモリアル力道山」興行に、メジャー、インディ、女子を含め16団体が参加、大日本もケンドー・ナガサキ&山川竜司組対中牧昭二&たにぐちゆういち組の1試合を提供した。しかし、第1試合から第5試合に出場したインディ団体の試合を見た新日本プロレス長州力武藤敬司らは挙って、その試合内容を批判する有様であった。特に長州は「俺個人から言わせりゃ、あんなもんプロレスじゃない!」と発言している。

この長州らのインディ批判に対し、東京プロレスの石川敬士とともに、小鹿が長州の発言に対して「インデーを舐めるな」と反論、論争を続けた結果、同年9月17日の新日本愛知県体育館大会で小鹿、ナガサキら7名の大日本選手が乱入し、新日本に宣戦布告をする実力行使に至った。小鹿をはじめとする選手たちが土足でリングに乱入したことで、新日本ファンから大ブーイングを浴びた。この乱入直前、彼らは強い緊張を感じていたという。その一員だった田尻義博(TAJIRI)によると「まだ時間があるから、と立ち寄った喫茶店で小鹿がクリームソーダを注文、緊張でそれどころではない選手たちはとりあえず「俺も」「俺も」と注文し、皆でクリームソーダを飲んでいた」と述懐している。

その後も執拗に乱入を繰り返したことで、1997年1月4日新日本の東京ドーム大会で対抗戦を実現させる形となった。

  • 大谷晋二郎(新日本)対 田尻義博(大日本)
  • 後藤達俊(新日本)対 ケンドー・ナガサキ(大日本)
  • 蝶野正洋(新日本)対 中牧昭二(大日本)
  • マサ斎藤(新日本)対 グレート小鹿(大日本)

以上の4戦が組まれ、大日本勢はナガサキ以外すべて敗れたが、小鹿はタキシードに赤髪姿で、中牧は有刺鉄線ボードをリングに持ち込んで試合に臨むなどインパクトを残したほか、田尻は同じジュニアヘビー級の大谷を相手に善戦したことで、後に新日本の「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」への参戦、さらには大日本退団後のアメリカECWWWEへの参戦につながった。

当初は『新日本プロレスVSインディー連合軍』として、インディー団体のトップレスラー達と新日による対抗戦を狙っていた。しかし、ラインナップを予定していたターザン後藤高野拳磁は出場を辞退し、当時大日本をメインに出場していた松永光弘も出場を拒否し、最終的には「新日本対大日本」の小規模な対抗戦で終了する形となった。

その後は単発的に新日本と関わっていたが、徐々に関係は疎遠になり、後述の金村事件を理由に関係が2009年から断絶されている。

大日本女子プロレス部門[編集]

1997年から2000年前半にかけて、大日本では女子プロレス部門を併設していた時期がある。元吉本女子プロレスJd'の所属選手であった小山亜矢(現:亜利弥')、藤村奈々、生え抜きの川崎美穂が在籍したが、いずれも短期間で退団。その後、元革真浪士団市来貴代子中野知陽呂が所属するとともに、藤村も再デビューを果たして同じ横浜を本拠としていたNEO女子プロレスやフリーの矢樹広弓、メキシカンレスラーなどが参戦。BJW認定女子王座も設立されたが、結局、2003年までに自然消滅している。

女子プロレス部門が消滅した後も不定期ながら団体外の女子選手が適宜大日本に出場しており、長与千種尾崎魔弓木村響子ら大日本のデスマッチに挑戦した女子選手も存在した。但しミックスドマッチは同じインディーのDDTやK-DOJO、WNCに比べ消極的であり、木村響子のデスマッチ挑戦も男子選手との体力差から難色を示され頓挫している。特に金村事件以降は、女性問題に発展する事態を回避する為、大日本所属選手とのミックスドマッチを基本的に許可しない方針を固めていた。

一方でアイスリボンOZアカデミー女子プロレスプロレスリングWAVEなどとの合同興行あるいは昼夜興行(特に横浜ラジアントホール名古屋ダイアモンドホールなどの大会で、昼に女子団体、夜に大日本の形で開催)も開催してアイスリボンとWAVEより随時試合提供も受けており、逆に大日本から試合提供をする事もある。なお、女子部創設前にはGAEA JAPANから試合提供を受けたことがあった。

団体15周年となる2010年4月に女子プロレス部門が復活して亜利弥に加えマルセラも再度参戦。

BJW認定女子王座は当時JWP女子プロレスに在籍していた米山香織が奪取してから8年が経過した2011年に防衛戦を決行して直後に返上そして封印された。そのJWPは2010年9月19日に大日本後楽園と同時間帯に開催された新宿FACE大会で米山vsさくらえみJWP無差別級選手権試合を「敗者髪切りマッチ」として行った事と、2011年の米山引退撤回騒動で大日本との関係を悪化させている。2012年はJWPとの合同興行が開催されたが、開催日を米山の海外遠征に合わせて設定。その後、米山のJWP退団後の2014年六角橋商店街大会でJWPより試合提供が行われるまでに改善された。また、アイスリボンも金村事件以降、関係が悪化していた時期があったが、こちらは大日本のスポンサー企業であるネオプラスが2009年にのネオプラス アイスリボン事業部を設立したのを機に改善されている。

2015年現在では、所属選手と女子選手のミックスドマッチも双方の団体で行われている。

リングトラック募金[編集]

2004年5月5日、北海道遠征のために北見市に移動中、使用していたリング運搬用トラックが事故に遭い、廃車を余儀なくされた。このため、代替車両購入のための資金をファンから募集した。

スタッフや選手がトラック購入に奔走した結果、購入の目処が立ち、2005年に名古屋の運送会社から新車(いすゞ・フォワード)を購入。3月にファンにお披露目され、使用を開始した。車体には募金したファンの氏名・法人名も刻まれた他、デザインも大日本のロゴや当時の小鹿社長と所属11選手の顔写真が入ったものとなった。

その後この車両は自動車排出ガス規制ディーゼル車規制条例)に抵触し、首都圏では車検を通すことが出来なくなることが判明。大日本は3代目のリングトラック(三菱ふそう・ファイター)を購入し代替。2代目は積み荷のリングごと横浜市から北海道に渡り、大日本を含む北海道でのプロレス興行開催時のリング運搬に使用されている。

金村キンタローによる女性スタッフ強制猥褻事件[編集]

2008年1月20日、大日本プロレス(以下「BJW」)、DDTプロレスリングKAIENTAI DOJOによる合同興行天下三分の計千葉Blue Field大会開催前にアパッチプロレス軍金村キンタローがBJW女性スタッフを強制猥褻。

女性スタッフはこれ以上被害者を増やさないように公式発表してほしいと懇願するも、BJW統括部長登坂栄児は感情的な口調で被害者を威嚇し「公表したら皆が損するんだよ?君がそんな交戦的な態度じゃ一緒に仕事出来ないよ」と泣き寝入りを強要し、隠蔽工作を謀る。

隠蔽工作に納得のいかない村上☆健リングアナがブログで告発しようとしたが、会社の意に沿わない行動をし混乱を招いた(=隠蔽工作に協力しなかった)との理由で2月16日付でBJWへの無期限出入り禁止処分になる。

2008年2月17日、登坂がブログで一方的に終息宣言。それを見た被害女性スタッフがBJW公式メルマガで暴露、警察へ届け出る意向を表明。

2008年2月18日、被害女性を名乗るものが千葉県警千葉中央警察署に被害届けを提出したと村上ブログコメント欄で発表。しかし後に発表された和解の報道では被害届けが提出前であったと発表されていてこの内容と矛盾するため、真偽は不明である。

同日BJW横浜本社にて、登坂、並びに伊東竜二"黒天使"沼澤邪鬼が記者会見。金村の(1月24日からの)無期限出場停止処分を発表。隠蔽工作について大日本側はあくまで話し合い合意の上の措置だったと発表するが、被害者発メルマガ&村上ブログの言い分とは大きく食い違う。

同席した佐々木貴より、アパッチプロレス軍の活動を、2月22日新木場1stRING大会をもって無期限停止すると発表。これに伴い、3月7日に予定していたアパッチ新木場大会の中止を同時に決定。

2008年2月19日、登坂が自身への処分として役員報酬三か月分100分の30を返納、現場責任者兼統括部長の職を2008年2月19日を以って解任することを公式リリースするも役員には残留、この処分はあくまでもメールマガジン運営の管理責任をとったという形の処分であり隠蔽工作への責任、謝罪などには一切触れていない。これとは別に、自らの申し出により、中継番組「大日大戦」の実況を2月26日放送分(2月16日広島産業会館大会)より降板。

2008年2月20日、金村、黒田哲広選手の同席にて謝罪会見。選手としての活動を無期限自粛、出場予定していた他団体への出場も全て辞退したことを発表。

2008年2月21日、村上がブログ上で先日BJWが発表した今回の事件の経緯についての矛盾点を指摘する。

2008年2月22日、アパッチプロレス軍新木場1stRING大会終了後、金村がアパッチプロレス軍を解雇になり、アパッチプロレス軍の運営会社の預かりとなる。

2008年2月27日、弁護士同席のもと登坂、伊東、村上の話し合いが行われ、ブログに掲載致したに内容に事実と異なった内容、思い違いで書いてしまった内容があり混乱を招いたとして村上のブログにてお詫びが掲載された。

2008年3月2日、桂スタジオ大会開始前、小鹿信也社長・登坂がリング上で謝罪すると共に、登坂の後任の現場責任者兼統括部長として、志賀悟(シャドウWX)の就任を発表。ただし、選手活動を優先させたいというWXの意向により、当面は代行という形を取る(その後、WXのデスマッチヘビー級王座獲得に伴い、退任。その後、登坂取締役が9月1日付けで再任)。

2008年3月11日、金村より、2008年3月2日に被害者女性と、金村の代理人笹原雄一、村上の三者で話合いが行われ、被害者女性と金村との和解が成立したことを報告する会見がおこなわれた。(被害者女性の希望で話合いに金村キンタローは同席させず、村上のみが立ち会う)和解の条件として、以下のことなどが記された示談書(和解文書)が作成された。

  • 今後、金村が被害者女性と電話、メール含め一切の接触を行わない
  • アパッチ関係者も同様に被害者女性に誹謗中傷等を含めたコミュニケーションをとらないこと
  • 慰謝料、示談金の請求を行わないこと

2008年3月18日、村上がブログ上にて自身と被害者女性の近況を報告。被害者女性と金村の和解については圧力的なものはないこと。被害者女性がある人物への怒りは消えてないものの新しい職場で働き始めていること。BJWから被害者女性をケアする電話一本すらきていないが被害者女性自身が「2度と大日本プロレスとは関わりたくも無い」といっている以上仕方ないということ、BJWのリングアナウンサーの新土裕二と新人レスラーの石川晋也へのエールなどが書かれていたが次の日にその記事は削除された。

2008年3月27日、メビウス新宿FACE大会にて金村が復帰。

事件の影響[編集]

  • アパッチプロレス軍(第1次) - 3か月の活動停止後も観客動員数や求心力の低下に歯止めがかからず、2009年8月に解散。
  • プロレスリングFREEDOMS - 第1次アパッチの後継プロレス団体として2009年9月2日に旗揚げ戦を開催したが「事件への責任逃れ」などの批判が相次いだ。
  • リキプロ新日本プロレス - 第1次アパッチに所属していた選手の招聘を一時取りやめ。招聘再開となった2009年新日本主催スーパーJカップGENTAROが出場)でも「人選ミスが2人いる(もう1人は男色ディーノ)」と揶揄された。また新日本は2009年からBJWとの関係を断絶している。
  • MOBIUS - 金村キンタローの復帰の場となったが批判が止むことなく、その後、代表の折原昌夫天龍プロジェクトに参加したため2010年9月に活動停止。2014年に活動再開。
  • XWF - 金村が2008年8月6日に旗揚げ戦を開催した新たなプロレス団体だが計画していた新宿コマ劇場大会が頓挫した上にキャッシュボックスとの意見の食違いなどから運営も滞り、結局2010年12月17日にやはり代表の不祥事が原因で解散したTEAM MAKEHENを事実上吸収してアパッチプロレス軍(第2次)の名前に改称する形で解散。加えて小幡優作がXWFへの移籍直後にBJW横浜文化体育館大会に出場した際に大きな批判を浴びたため小幡もBJWへの参戦を見合わせる(プロレスリングZERO1移籍後の2012年7月より再び出場)。
  • アイスリボン - 提供試合として横浜プロレスに参加していたが2008年3月大会をもって撤退。同時にTVS大日大戦のアイスリボンのコーナーも打ち切り。その後、FREEDOMS所属選手の参戦に批判の声が上がったこともあった。
  • KAIENTAI DOJO - 事件の現場となった千葉Blue Fieldの他団体への貸出を中止。2010年8月のFREEDOMSより貸出再開されたものの中止の影響は大きく、2011年12月には千葉Blue Field(REINAアリーナに変更後、現:Blue Field)、翌2012年には団体運営権までもレイナ・コーポレーション(その後さらに別会社)に譲渡することを余儀なくされた。
  • ハッスル - 金村は黒田哲広と共にハードコア要員として重用されていたが、ともに追放。その後、大変革を挙行するも資金繰りが悪化し2009年に活動停止。

試合会場[編集]

主要会場[編集]

会場ごとにポジショニングを分けて、それぞれに合わせた興行を行っているのも特徴である。

横浜文化体育館
旗揚げ戦の会場となった場所で年2回開催される。2011年以降の開催日は毎年5月5日と12月第3日曜日(2013年のみ改修工事の関係で11月4日)でほぼ固定。BJW認定デスマッチヘビー級王座もしくはBJW認定世界ストロングヘビー級王座の選手権試合が必ず行われる。
後楽園ホール
基本的に月1回ペースで開催(月2回以上になる場合もある)。 特に毎年1月2日夜は全日本プロレスとの昼夜興行として大日本プロレスの年初めとなる大会が固定で行われてグレート小鹿の誕生日にあたる4月28日も開催。2014年8月には初の3連戦を敢行。
新木場1stRING
過激なデスマッチが行える会場として後楽園ホールに次ぐ数の大会が行われている。2014年からは新宿FACEとの使い分けでデスマッチ中心の会場となり、2016年より若手中心のD−RIZEと平行して通常の興行が行われている。
六角橋商店街駐車場
大日本プロレスが参加した映画「お父さんのバックドロップ」のロケ地となった縁で「商店街デスマッチ」と題して行われている。この会場では場外乱闘で何かが破壊されていて、2004年には突入した駄菓子屋が、2006年にはtvkの番組「みんなが出るテレビ」のブースのテレビが2007年には売店脇の冷蔵庫が破壊されて2009年にはメインの勝利者賞として用意されていた液晶テレビ、2014年には自家用車が破壊された。なお、この場外乱闘はほとんどアブドーラ小林が絡んでいる。2012年より横浜市内各所で商店街プロレスが開催されているが、デスマッチが行われる六角橋商店街での試合は別格扱いで有料となる。
横浜にぎわい座
別ブランドの横浜プロレスDダッシュや2011年より開始されたDAINICHI-Xの会場としても使用されていたが、 2013年からは『大日にぎわいTHEATER』として開催し、他にも企画的な大会や試合が実施されることが多い。
上野恩賜公園野外ステージ(みずどりのステージ)
2011年より1日複数部興行の1部を500円で観戦できる「ワンコインプロレス」を実施。以降も入場料を抑えた興行を年に数回行なっている。

その他の会場[編集]

メジャー団体と同様に全国各地を巡業している。特に頻繁に行われる会場を以下にあげる。

博多スターレーン
他団体との協力で合同興行や昼夜興行の形で開催。
DIAMOND HALL
女子プロレス団体との昼夜興行として2ヶ月に1回ペースで開催。ニコニコ動画ニコニコチャンネルニコニコ生放送ライブ中継も実施されている。
Rensa
2014年より仙台市デスマッチができるプロレス会場として使用中。女子プロレス団体などとの昼夜興行として開催。名古屋市と同様にニコニコ生放送ライブ中継も実施。
南国市商工会東隣駐車場
2009年より毎年夏に「ビアガーデンプロレス」として開催。岡林裕二の地元凱旋興行の開催場所でもある。
広島県立広島産業会館
デイリースポーツの後援の下で「広島"大"熱狂プロレス」として開催。当初は東館を使用していたが2014年9月の大会より西館で行っている。
マルスジム
閉鎖された札幌テイセンホールの代替会場として2015年から使用開始。
園田競馬場
「大日本プロレスカップ」というレースを開催しており、2014年より競馬開催と並行して試合を行っている。
ツインメッセ静岡
金沢流通会館
高岡テクノドーム
キラメッセぬまづ
蓮華寺池広場
鶴見緑地花博記念公園の館付属展示場
数少ない屋外会場。ファイヤーデスマッチが恒例となっている。
シーガルビューホテル体育館

過去に使用した会場[編集]

秋葉原駅昭和通り口駅前広場
稲沢駅前特設会場
川崎市体育館
桂スタジオとは対照的に蛍光灯が使えない等の規制が多く、その中でいかに質の高い試合を提供できるかが求められた。2014年に閉鎖。
ラゾーナ川崎プラザソル
かつて大日本プロレスを含む各団体から参戦選手を募り、若手選手の育成の場としての興行を実施。そのためデスマッチはあまり行われず、通常ルールの試合がほとんどとなった。2008年11月から別ブランドのDダッシュが設立されるため使用されていない。
桂スタジオ
2か月に1回のペースで開催。首都圏の屋内会場の中では規制が最も緩いため新世代デスマッチファイターの発掘や後楽園ホールではできないような試合形式など実験的なカード編成が行われる。この自由度を利用して、2004年には、18歳未満入場禁止の興行を開催している。2008年からは「好きです!さいたま!大日本」という地域スローガンを掲げ、埼玉県での活動拠点として興行を行うが2009年1月4日から使用されていない。現在は施設自体が閉鎖。
新宿FACE
函館市民体育館
グレート小鹿函館市出身ということもあり社長時代には毎年興行が打たれていたが社長退任後よりこの会場は使用されなくなった。2015年に閉鎖。
オーストラリア記念館
各団体が使用していたが2013年12月に閉鎖される直前に大日本プロレスが追悼興行を開催。
晴海埠頭客船桟橋
2005年に秋葉原駅前特設リングで開催されていたファイヤーデスマッチを首都圏では4年ぶりに復活させた会場。
横浜赤レンガ倉庫1号館
2007年に他団体の協力を得て「赤レンガ プロレスフェスティバル」を開催。メジャー団体の特別参戦によるメジャー・インディー交流戦も行われた。2013年1月には「横浜プロレスフェスタ」として開催されている。施設の貸出方針変更のため2014年1月が最後の自社興行となった。なお2016年1月に「イベントへの参加」という形で試合を行なっている。
シアター1010
2013年に興行を行った「BJW-REAL」の会場。
新宿FACE
2014年のみ本格的に使用。デスマッチ中心の新木場1stRINGに対してストロング中心の大会を開催していた。
札幌テイセンホール
グレート小鹿が北海道出身ということもあり、準フランチャイズに指定。「BJW北の聖地」とも呼ばれている。2010年からは毎年10月に他団体と合同興行「札幌プロレスフェスタ」を開催。2015年6月をもって閉鎖されて通常形態は4月19日をもって終了。6月30日の同会場最終営業日に特別興行を開催。

大日本プロレスの別ブランド[編集]

横浜プロレス
神奈川県横浜市への地域密着型団体を目指して設立。
Dダッシュ
李日韓のプロデュースによる大日本プロレスを含むインディーの各団体から若手選手の育成を目的に設立。
MEN'S CLUB FIGHT
MEN'Sテイオーが主宰するMEN'S CLUBに参加選手による興行。
D-RIZE
2016年1月より開始された若手主体興行。新木場1stRINGで月1回開催。全日本プロレスの若手主体興行「AJ PHOENIX」と交互に主催することが発表されている。第0大会は大日本プロレスが主催して全席自由席3,000円で開催。ニコニコ動画大日本公式チャンネルで生中継される予定。

タイトルホルダー[編集]

大日本プロレスが管理する王座
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
BJW認定デスマッチヘビー級王座 星野勘九郎 第33代
BJW認定世界ストロングヘビー級王座 神谷英慶 第8代
BJW認定タッグ王座 ツインタワーズ
佐藤耕平&石川修司
第42代 1
酒田港インターコンチネンタルタッグ王座 関本大介&橋本和樹 初代 1
横浜ショッピングストリート6人タッグ王座 アブドーラ小林&植木嵩行&高橋匡哉 第8代
過去に存在した王座
8人制の変則バトルロイヤルで争われるもので地方でもタイトルマッチを組みやすくする目的で創設。タイトルは自然消滅したがチャンピオンベルトは後にFMWの「呪いのベルト」の向こうを張って登場した「幸せのベルト」に流用されている(山川竜司が保持している)。
2002年から2005年まで管理していた。2006年からKAIENTAI DOJOが管理している。
大日本プロレスが開催するリーグ戦
タイトル 覇者 開催年
一騎当千 DEATHMATCH SURVIVOR アブドーラ小林 2015年
一騎当千 strong climb 石川修司 2016年
大日本最侠タッグリーグ戦 関本大介&岡林裕二 2015年
過去に開催したリーグ戦
シングルのリーグ戦。

所属選手、主要参戦選手[編集]

所属選手はデスマッチBJ(D)ストロングBJ(S)に分類されているがストロングルールでの試合には全員参戦しており大日本プロレスにおいて中間ルールに当たるハードコア(H)も試合によってはほぼ全員参戦している。

所属選手[編集]

デスマッチBJ
ストロングBJ

レギュラー参戦選手[編集]

プロレスリングBASARA
暗黒プロレス組織666
ASUKA PROJECT
フリー

その他の参戦選手[編集]

2016年から参戦した選手のみ列記。

全日本プロレス
プロレスリングZERO1
WRESTLE-1
プロレスリングLAND'S END
プロレスリングFREEDOMS
KAIENTAI DOJO
ガッツワールドプロレスリング
東京愚連隊
パンクラスMISSION
フリー

来日外国人選手[編集]

スタッフ[編集]

レフェリー[編集]

リングアナウンサー[編集]

リングドクター[編集]

その他[編集]

役員[編集]

取締役会長[編集]

代表取締役社長[編集]

統括[編集]

ユニット[編集]

B FAULTLESS JUNKY'S(活動休止中)

タッグチーム[編集]

045邪猿気違's(活動休止中)
ヤンキー二丁拳銃
ダブル・ドラゴン
平成極道コンビ
ツイン・タワーズ
ダブル・ユージ
ワイルド・ネットワーク
チーム大和
Speed of Sounds
バラモン兄弟
ストロングBJ(他団体出場時限定のタッグチーム名)

過去の所属選手[編集]

プロレスラー[編集]

女子プロレスラー[編集]

過去のスタッフ[編集]

来日外国人選手[編集]

CZW[編集]

プロレスラー[編集]

女子プロレスラー[編集]

歴代ユニット[編集]

スキン・ヘッダーズ
奥羽越列藩同盟
赤まむし
メンズ・クラブ
NEWメンズ・クラブ
Team Heavy Metal
CZW軍

歴代タッグチーム[編集]

血みどろブラザーズ
マッスル&ファットです
チームあんこ型
バカ・ガイジンズ
ヘイン・ブラザーズ

大日本プロレスにおけるデスマッチ[編集]

スローガン[編集]

デスマッチメジャー宣言
2005年、デスマッチの地位向上とクオリティアップを目指して宣言。
ファンNo.1宣言
2006年、「大日本プロレスのファンは素晴らしい」と言えるようなプロレス団体を目指して宣言。ファンとの交流の場を増やす等、ファンサービスを強化。
ONE MORE BJ
2007年、インディー団体としての原点に立ち返りつつ、更なる一歩を踏み出す。
好きです!さいたま!大日本!
2008年、地域限定スローガン、大会だけでなくイベントやチャリティー活動などにも積極的に参加して埼玉県にプロレスの楽しさをより多くの機会で与えていく。
チャレンジトゥギャザー
2009年、大日本プロレス旗揚げから15年目を迎えるためにファンと一緒に力を合わせて挑戦して夢を叶えると宣言。ファンの実現したい夢や挑戦を募集。
BJW EXECUTION
2011年、夢への実行、実現力を全面に打ち出し一丸となって活動する。
Major Quality Independent Spirit
2012年、時に激しく、時に強く、そして高い目標と志を持って活動する。
BJW RESOLUTION
2013年、大日本プロレス旗揚げから18年目を迎えるために新たなステップアップに一丸となって挑む気持ちを表す。

マスコットキャラクター[編集]

鶴見川流域のカモがモチーフのキャラクター。本拠地のある神奈川県横浜市緑区鴨居で生まれたという設定。2013年、「デスかも体操」という曲が作られた。この曲はリングアナウンサーの今井良晴が制作して今井の娘の今井愛里が振り付けを考案。2013年6月16日、神奈川県横浜市磯子区杉田プララ杉田で開催した商店街プロレスで初披露。10月1日、後楽園ホールで開催した「今井良晴追悼興行」でも披露された。

試合中継[編集]

放送中のテレビ番組
終了したテレビ番組
放送中のインターネット番組

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四ツ葉工芸[編集]

有限会社四ツ葉工芸[5]
種類 有限会社
略称 四ツ葉
本社所在地 日本の旗 日本
224-0053
神奈川県横浜市都筑区池辺町4364
アムフルス3階
設立 2013年5月(注:登記上)
業種 サービス業
事業内容 大日本プロレスの興行
関連企画の運営
飲食店の経営
グッズの製作、販売
代表者 代表取締役社長 登坂栄児
資本金 300万円
売上高 2億円
従業員数 9人
関係する人物 グレート小鹿
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四ツ葉工芸(よつばこうげい)は、大日本プロレスの子会社としてグッズの製作、販売を行なっている。なお近年は大日本プロレスの運営に関わる公式なリリースは四ツ葉工芸の名義で発表されている。

過去の主なオリジナルグッズ
  • デスマッチラーメン
  • デスマッチハバネロ
  • トラック貯金箱
  • 蛍光ボウ
蛍光灯を模したバルーン。
  • エアバット
有刺鉄線バットを模したバルーン。
  • BJWベースボールTシャツ
横浜DeNAベイスターズのユニフォームを模したTシャツ。

レスラーズ運輸[編集]

2005年5月19日、アブドーラ小林が代表取締役社長を務める引越し業を取り扱う運送会社「大日本プロレス運輸」を子会社として開業。新日本プロレスと業務提携をしているプロレス運輸(現:プロレス引越センター)から商標権の侵害を理由に裁判を起こされたため12月に社名を「レスラーズ運輸」に改称。主に1人暮らしの女性からの依頼が多いらしい。「蛍光灯無料引取りサービス」を実施している。集まった蛍光灯はデスマッチで使用して破壊される。スタッフは伊東竜二"黒天使"沼澤邪鬼関本大介谷口裕一李日韓(フリー)。現在は実質上営業休止中。

横浜マッスルファクトリー[編集]

2006年5月11日、本社機能の分離と移転により関本大介を主導に神奈川県横浜市にある大日本プロレス道場を一般開放してスポーツジムを設立。2013年1月31日、営業終了。

飲食店[編集]

プロレスちゃんこ小鹿
ホルモン小鹿亭
2003年11月21日、グレート小鹿宮城県仙台市に単身赴任して、ちゃんことジンギスカン専門店と2006年3月24日、同じ敷地内にホルモン専門店を開店。2007年4月30日、プロレスちゃんこ小鹿を閉店して帰京。8月28日、ホルモン小鹿亭を閉店して小鹿が毎日厨房に立つ他に所属選手が店を手伝うこともあった。2004年5月9日、プロレスちゃんこ小鹿大会と2006年4月24日、ホルモン小鹿亭開店記念大会を駐車場で開催して全試合終了後には所属選手との食事会が行われている。
横浜プロレス道場酒場YAMARYU
2004年10月、山川竜司が長期休養により北海道札幌市にバーを開店。2011年4月30日、練習の拠点を移すため閉店。2011年5月30日、横浜市にバーを開店。引退後も営業を続けていて不定期で大日本プロレス、プロレスリングFREEDOMSプロレスリングSECRET BASEアイスリボンの選手との交流会が行われている。
海坊主
2007年6月、アブドーラ小林神奈川県横浜市に居酒屋を開店。2011年3月31日、東北地方太平洋沖地震で被害を受けたため閉店。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 昭和後期に梶原一騎が設立を計画したプロレス団体「大日本プロレス」とは無関係。詳しくは「大日本プロレス設立計画」を参照。

出展[編集]

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外部リンク[編集]