エル・ジェネリコ

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エル・ジェネリコ
エル・ジェネリコの画像
プロフィール
リングネーム サミー・ゼイン
エル・ジェネリコ
サミー・セイン
ラミ・セベイ
本名 ラミ・セベイ
ニックネーム ジェネリック・ルチャドール
身長 180cm
体重 82kg
誕生日 1984年6月12日(29歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州モントリオール
所属 NXT
トレーナー サビオ・ベガ
ジェリー・トゥーティ
デビュー 2002年
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エル・ジェネリコEl Generico )のリングネームで知られるラミ・セベイRami Sebei1984年6月12日 - )は、カナダプロレスラーケベック州モントリオール出身。

メキシコ人ルチャドールのギミックで活躍しているが、スペイン語は"¡Olé!"と"Si."以外ほとんど片言しか喋ることがない。2013年よりWWEと契約して入団し、現在は傘下団体のNXTにてサミー・ゼインSami Zayn)というリングネームで活動している。

来歴[編集]

デビュー、アメリカマットでの活躍[編集]

2002年カナダの団体IWSでプロレスデビュー。

米インディマットで、ジェネリコの名が広まったのは2004年にPWGにレギュラー参戦するようになってからである。2007年2月には、ヒューマン・トルネードを破り、PWG世界ヘビー級王座を獲得。PWGでのPACとのシングルマッチはPWGの名前を米インディプロレスファンに広げるきっかけとなった。また、3人の異なるパートナーとPWGタッグ王座を4度獲得している。ジェネリコは、PWGのシングルとタッグ両方の王座を同時に保持したことのある唯一の選手である。

PWGではDRAGON GATEの選手との対戦も多く、そこで評価されたことが、後のDRAGON GATE参戦につながる。PWG王者時代には、CIMAからピンフォール勝ちを収めたこともある。

2005年にはROHにデビュー。ROHでは、主にスティーンとのタッグで活躍。2006年頃にはケビン・スティーン、フランキー・ザ・モブスター、そして女子プロレスラーのルフィストとともに『カナディアンズ』というチームを組んだうえで、ジャスティス・ペインニック・ゲージ∽エディー・キングストンからなるCZWの面々や、ラッカスサビアン∽ジョーカー∽ロビー・メリーノからなる『ブラックアウト』との抗争を繰り広げた。[1]

2007年には、ブリスコ兄弟と1年近くにわたり、壮絶かつハードコアな抗争を繰り広げた。最終決戦となったラダーマッチ"Ladde War"はROH史上屈指の名勝負といわれるほどの熱戦となった。結局ブリスコ兄弟からのタッグ王座奪取はならなかったが、2008年9月、ジミー・ジェイコブス&タイラー・ブラック組 (The Age of the Fall) を破り、悲願のROHタッグ王座を獲得した。PWGとROHのタッグ王座奪取により、スティーン&ジェネリコのタッグはアメリカインディマットを代表するタッグチームとしての地位を確固たるものにした。

ROHにおいても日本人選手との対戦は数多く、丸藤正道石森太二飯伏幸太中嶋勝彦などとシングルで対戦している。

米インディマット屈指の売れっ子となり、PWGやROH以外にもCZWCHIKARAなど数々のインディ団体にゲスト参戦している。ドイツやイギリスの団体から招聘されることも多かった。

来日、日本マットでの活躍[編集]

2007年7月、DRAGON GATEの開催する"WrestleJAM 2nd Season"で初来日。NEW HAZARDの助っ人ガイジンとして活躍した。2008年1月、"WrestleJAM 3rd Season"で行われた時間差バトルロイヤル形式のJAM Cup 2008では試合開始から最後の2人まで残り、PACとの異次元の攻防は後楽園ホールの観客の度肝を抜いた。同ツアーで、吉野正人の保持するオープン・ザ・ブレイブゲート王座にも挑戦している。

その後、ジェネリコが日本を離れている間に、NEW HAZARDは消滅。2008年7月の後楽園ホール大会では、いきなり学ラン姿で登場し、交換留学生という形で戸澤塾に加入。DRAGON GATE年間最大のビッグマッチである神戸ワールド大会にも戸澤塾の一員として第1試合に出場し、ピンフォール勝ちを収めた。

しかし、また日本を離れている間に今度は戸澤塾が消滅。しかし、ジェネリコは戸澤塾の解散を認識しておらず、2009年10月、1年3ヶ月ぶりにDRAGON GATEに参戦した際には、学ラン姿のまま、戸澤塾のテーマで登場。元戸澤塾の戸澤陽や、PWGで壮絶なシングルマッチを行った鷹木信悟に誘われ、KAMIKAZEの助っ人外国人として迎え入れられた。

2011年からユニオンプロレスに不定期参戦、9月には木高イサミからDDT EXTREME級選手権を奪取している。

2012年にはDDTにも参戦。5月4日の後楽園ホール大会では怪我で離脱していた飯伏幸太の復帰戦を務め、8月18日の日本武道館大会・武道館ピーターパンでは竹下幸之介のデビュー戦の相手となり、いずれも勝利している。

9月30日、飯伏の持つKO-D無差別級王座に挑戦、勝利し第43代王者となる。直後、飯伏がDDT48総選挙で1位となったため挑戦権が与えられ、10月21日にリマッチが組まれる。ジェネリコはこの試合にも勝利し、初防衛。飯伏に対してシングルマッチ3連勝となった。その後12月、ケニー・オメガに敗れるまでベルトを保持。

WWEとの契約[編集]

2013年1月30日、WWEとディベロップメント契約を交わし入団。2月13日のハウスショーでブローダス・クレイのマネージャーとしてディーヴァアンヤと共に登場し、3人でダンスを披露した[2]。3月7日のハウスショーでは素顔となり、本名名義で登場。カシアス・オーノとタッグを組み、ワイアット・ファミリールーク・ハーパー & エリック・ローワン)と対戦[3]。また、同月にはリングネームをサミー・セインSammy Sane)にし、4月にはサミー・ゼインSami Zayn)へと変更。

5月22日放送のNXTではカート・ホーキンスと対戦して勝利し、さらにアントニオ・セザーロがバックステージに向けて挑戦者を要求した際に、この要求を受け入れて対戦し金星をあげた。それにより長い抗争に入ったが、最終的な勝者とはなれなかった。その頃にNXT王者ボー・ダラスとも抗争を始め、王座戦にまでこぎつけるも、レフェリーの誤判断による勝利を挙げたことで暫定GMのJBLに試合の再開を言い渡され、最後は金属がむき出しになったバックルに激突させられ敗れてしまった。この結果に怒りを露わにし、それによってJBLに無期欠場を言い渡される。 その後復帰し、レオ・クルーガーやセザーロとの抗争に入り、自信は同郷のタイソン・キッドと組み戦っている。

スタイル[編集]

プロレスラーとしてはかなり細身の体であるが、ルチャ系の試合からハードコアな試合にも対応できるタフなレスラーである。対戦相手の良さを引き出す能力が高く、特に、PAC飯伏幸太など空中技を得意とする選手との相性は非常に良い。どこの団体でも会場人気は高く、試合中にはサッカー風の¡Olé!チャントが巻き起こる。

得意技[編集]

ヤクザ・キック
Brainbustaaaaahhhhh!!!!! / 垂直落下式ブレーンバスター
エル・ジェネリコの代名詞といえる技がターンバックル上に情け容赦なく相手の頭部を突き落とすブレーンバスターである。危険度が高いため、相手に警戒されており、未遂に終わることが多いが、決まった場合はほぼ100%の確率で試合を決する。
ターンバックル上ではなくノーマルなブレーンバスターをフィニッシュとして用いることの方が多い。
ヤクザ・キック
コーナーにたてかけた相手に対し、反対側のコーナーから全速力で走りこみ、ケンカキックを顔面に串刺し式に打ち込む。ジェネリコのスピードと足の長さが引き立つ技である。NXTではフィニッシャーとなる。
ムーンサルト・プレス
ノーマルなムーンサルトだけでなく、その場飛び式、トップロープからの開脚式、トップロープから場外の相手に向けたムーンサルトなどさまざまなバージョンを用いる。
コーナー・トゥ・コーナー
サマーソルト・ミサイルドロップキック。CIMA丸藤正道が得意とする、フロム・コーナー・トゥ・コーナーを、サマーソルト式に行う。
スウィング式DDT
場外でセカンドロープとサードロープの間をすり抜けて相手の頭部に飛びついて行うことがある。
みちのくドライバー
ハーフネルソン・スープレックス
ボディ・スプラッシュ
トペ・コンヒーロ
トルネードDDT
NXTのTVデビュー時から使用していたフィニッシャー。

タイトル履歴[編集]

他、世界各国の団体で多数のタイトルを獲得。

入場曲[編集]

  • The Bouncing Souls - ¡Olé!

出典[編集]

  1. ^ オンライン・ワールド・オブ・レスリング:エル・ジェネリコ (英語)
  2. ^ "WWE News: El Generico makes WWE debut at NXT show (w/Pics)" Pro Wrestling Insider、2013年2月14日閲覧。
  3. ^ "El Generico debuts in NXT" Wrestling Observer Newsletter、2013年3月8日閲覧。

外部リンク[編集]